成正寺(じょうしょうじ)の大塩平八郎の墓
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- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
キタ(大阪駅・梅田) クチコミ:257件
大塩 平八郎(おおしお へいはちろう、1793−1837年)の墓は成正寺(じょうしょうじ)にある。19世紀には強固だった幕藩体制も次第に疲弊しひずみが表れ「天明の大飢饉」などをきっかけに打ちこわしや一揆が頻発し1837年の「大塩平八郎の乱」では世の荒廃を憂いた与力の大塩が私塾洗心洞などの同志とともに体制改革を要求する強訴を計画するが実行前に発覚し急遽挙兵、だが争乱は半日で鎮圧され天満組一帯と北組の北半分は焼け野原となった。市街戦は「大阪夏の陣」以来で幕藩体制の崩壊の一因となった。
成正寺(じょうしょうじ)は、大阪市北区にある日蓮宗の寺院で旧本山は身延山久遠寺。
増長院日秀の開山で、1604年に建立された。境内に大塩平八郎の墓があることで知られ1945年、大阪大空襲で焼失し大塩平八郎の墓も破壊されたが再建された。
大塩平八郎の家元である大塩家本家は江戸時代以降、名古屋自壁町を本拠とし、身延山直末大光寺を菩提寺としていたが、大阪町奉行の与力となった分家が本家の縁故で、同じ身延山末の成正寺を菩提寺としたとのこと。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/08/04
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