鶴ヶ城内の 茶室
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
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by oha310さん(男性)
会津若松 クチコミ:37件
鶴ヶ城本丸にあった茶室。
豊臣時代 秀吉の怒りに触れ切腹を命じられた「千利休」
往時の会津城主 「蒲生氏郷」は利休の子 「千少庵」をかくまいました。
やがて 千家の再興の許しが出て、その再興の祖になった人物が「千少庵」である。
この少庵が会津にいる間に麟閣が建てられたと伝えられています。
戊辰戦争 降伏後城内の建造物は明治政府の命により、すべて取り壊すことになりました。城内の茶人 「森川」は惜しんで、自邸に移築保存しました。
平成2年に元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元されました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2013/07/19
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