赤穂に逃れた偉人を祭る
- 4.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
-
-
by 壁ぎわさん(男性)
赤穂 クチコミ:29件
赤穂の塩の積出港だった坂越の街にある神社です
泰河勝が主神と書いてありました。
秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人です。
河勝は秦氏の族長的人物で聖徳太子のブレーンとして活躍、朝廷政治に深く関わり、のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置した人物とされる。
広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って、広隆寺境内から分散し遷座したものといわれ、坂越の大避神社の名もその由来の一つとされる。
河勝は、太子亡きあとの皇極3年(644年)蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた後、大化3年(647年)に八十余歳で死去する
こんな説明がありますが このあたりの干拓をした人物なんですね
その神を祭る神社は 人も少なく坂越の浦を臨んでいました
- 施設の満足度
-
4.0
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/05/05
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する