横濱中華街
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- 旅行時期:2011/02(約15年前)
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by 浜男&浜子さん(非公開)
横浜 クチコミ:40件
横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン。約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっています。
日本の中華街は、他の国々のチャイナタウンが中国人向けの中国人街であるのに対し、来街者の95%が中国人ではなく、観光地となっています。
1859(安政6)年、横浜が開港すると外国人居留地が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁(中国人商人や取引仲介者)や外国人外交官の雇い人が来住しました。
当初、彼らは香港や広東から来ていたため、広東省出身者が多かったそうです。
その後、横浜と香港・上海間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角、旧横浜新田を造成した地域に徐々に集まり住み、関帝廟・中華会館・中華学校・劇場などを築いていきました。これが横浜中華街の原型です。
この頃の商店は日用雑貨店・衣料品店・食料品店などの店が大半で、中華料理店は多くなかったそうです。明治初年には横浜の華僑人口は約1000人となりました。
1894(明治27)年日清戦争が勃発すると、横浜華僑もその三分の一が帰国しましたが、戦争が終わり、1899(明治32)年に条約改正により居留地が廃止されると、外国人は職業制限を受けたものの居留地外にも住むことを許されました。
再び中華街に活気がもどると、中国の革命家孫文の来日に影響されて、華僑の学校が創設されました。
ただしこの時期は、特に中華街というわけではなく単に外国人街であり、1921(大正10)年の「横浜市商工案内」によれば、この地区の総店舗数263軒中、日本人店149軒、欧米人店79軒に対して中国人店35軒であり、そのうち中華料理店はわずか5軒であったそうです。
一方1910(明治43)年の「名誉鑑」では有名な広東料理店として5軒を挙げていて、1900年以降一挙に中華料理店が増えていったそうです。華僑人口も20世紀初頭には5000人あまりに達しました。
1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災でこの地区は大打撃を受けて瓦礫と化しました。欧米人の多くが帰国した上、横浜華僑も一時は200人あまりに激減してしまったそうです。
しかし徐々に人々が戻りはじめ、料理店・雑貨店・理髪店が立ち並んでいきました。
そして昭和の初めには華僑人口は3000人あまりに回復し、賑わいを見せました。
1932(昭和7)年の「横浜市史稿・風俗偏」では南京町で先ず目に入るのは料理店であるとし、何々楼と称する料理店が20軒あまりに達したとされています。1934(昭和9)年7月23日の「横浜貿易新報」では「南京街の支那料理」を横浜自慢として紹介されています。
しかし、1937(昭和12)年7月7日に勃発した日中戦争で多くの華僑が帰国し、閉店した店も多いそうです。
1945(昭和20)年5月29日、横浜大空襲で中華街は再び大打撃を受けました。
終戦とともに復興が始まり、1946(昭和21)年に関帝廟と横浜中華学校が再建されました。
戦後の復興期に横浜港は賑わい、香港との往来も復活しました。
戦勝国である中国からの物資に恵まれ、1946(昭和21)年2月20日の「神奈川新聞」によると中華街で営業していた飲食店は96軒あったそうです。
また中区は関内を中心に三分の一が接収されていたので、進駐軍や船員相手の外国人バーが多くありました。朝鮮戦争終了後、横浜の接収が解除されるにしたがい外国人バーは姿を消していきました。
1955(昭和30)年には中華街大通りの入り口に「牌楼門」が建てられ、牌楼(門)の上「中華街」と書かれたことで、それまでは華僑には「唐人街」、日本人には「南京街」と呼ばれていたこの街が次第に「中華街」と呼ばれるようになりました。
1972(昭和47)年に日中国交正常化が実現した年に横浜中華街発展会協同組合が発足し、ハード、ソフト面での整備が進められたことで日本人が多数来場するようになりました。
1986(昭和61)年元旦、関帝廟が失火したものの、1990(平成2)年、廟の再建を果たしました。
牌楼門は1989(平成元)年に建替えられ「親仁善隣」を掲げる現在の善隣門となりました。
1993(平成5)年、中華街にある23の団体が「街づくり」団体連合協議会を結成して、1995(平成7)年に7つの牌楼を新築し、更に2003(平成15)年に朝陽門を完成させ、風水思想に基づいた牌楼が出来上がりました。
善隣門をはじめ、東に朝陽門、南に朱雀門、西に延平門、北に玄武門があるほか、西陽門・天長門・地久門・市場通り門(北)・市場通り門(南)と10基の牌楼(門)が建っています。
2000(平成12)年には山下町公園がリニューアルオープン。會芳亭が完成しました。
2003(平成15)年11月には「横浜大世界」、2004(平成16)年7月には「よしもとおもしろ水族館」とテーマパークもオープンしました。
2004(平成16)年2月1日に横浜高速鉄道みなとみらい21線が開業し、終着駅として元町・中華街駅が設置されると、中華街のアクセス状況や知名度はさらに向上しました。
2005(平成17)年12月には横濱バザールという商業施設もオープンしました。
2006(平成18)年3月17日には横濱媽祖廟が開廟しました。
中華街の情報発信と交流拠点となる「Chinatown80」や中国風の公衆トイレ「洗手亭」、文化的発信をする展示スペース「九龍陳列窓」などもあります。
中華街周辺には、横浜製鉄所跡・花園橋の親柱・我国西洋歯科医学発祥の地・横浜の下水道の始まり・日本国新聞発祥之地碑・横濱居留地商館跡・旧居留地の石積遺構・旧居留地90番地の大砲・旧横浜居留地九十一番地塀・横浜天主堂跡・日本洋裁発祥顕彰碑など歴史的なモニュメントなども豊富にあります。
- 施設の満足度
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5.0
クチコミ投稿日:2012/12/11
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