1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 近畿地方
  4. 兵庫県
  5. 尼崎
  6. 尼崎 観光
  7. 残念さんの墓
  8. クチコミ詳細
尼崎×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

残念さんの墓

名所・史跡

残念さんの墓 施設情報・クチコミに戻る

林 芙美子の「めし」にも登場する残念さん

  • 3.5
  • 旅行時期:2009/11(約16年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

尼崎 クチコミ:27件

残念さんは1865年頃にひろがった信仰で、幕末期非業の死をとげた人への同情が民衆の反幕思想に拍車をかけたといわれている。大和天誅組の変で憤死した吉村寅太郎(よしむら とらたろう1837−1863年)の墓に1864年頃から参詣する人が増えている時期に禁門の変で京都から敗走してきた長州藩の山本文之助が尼崎北の口門で逮捕され、尼崎藩の取調べ中「残念残念」といって自害した。1865年には民衆が尼崎の東墓(杭瀬字松ヶ下)に群参した。領主の禁制の中、大坂からも大勢の参詣人がつづき、残念さんのお墓はやがて「願かけ神様」として多くの人々に信仰されるようになった。林 芙美子(はやし ふみこ1903−1951年)が1951年に朝日新聞に連載したが林が急逝したことで未完の絶筆となった「めし」にも残念さんに願かけに参る場面が登場する。
残念さん信仰は、幕末政治に反発する民衆の動きを示すもので、長州藩尊攘派指導部による民心収攬策ともみられ民衆の「長州びいき」の生んだ流行だった。山本文之助の墓は、長州と取引のあった油屋喜平の世話で東墓に建てられ、現在は明徳寺支坊墓地に移転されている。

尼崎市杭瀬南新町4丁目9-13 杭瀬東墓地内,阪神「大物」北東約400m


施設の満足度

3.5

アクセス:
3.5
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.5

クチコミ投稿日:2012/11/24

いいね!:2

利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP