加藤清正が城代を置き、例外的に一国二城体制が認められることになりました
- 4.5
- 旅行時期:2009/07(約16年前)
-
-
by たびたびさん(男性)
八代 クチコミ:32件
八代城は、八代市にあるのですが、肥後の国なので、一国一城制からするとちょっと変。歴史を辿ると、佐々成政が肥後国衆一揆を引き起こした責により改易。小西行長が肥後国南半24万石の領主となり、新たに城を築きます。しかし、小西行長も関が原の戦いで西軍に付いたことで斬首。加藤清正が城代を置き、例外的に一国二城体制が認められることになりました。加藤氏が改易されると、豊前小倉藩主だった細川忠利が熊本藩主となり、忠利の父・細川忠興(三斎)が八代城の北の丸を隠居所としたりしますが、江戸期は、細川氏の筆頭家老でかつ将軍直臣の身分も持つ松井氏が城主。薩摩への備えとしたようです。
- 施設の満足度
-
4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2012/09/11
いいね!:1票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する