居多神社は、上杉謙信の居城・春日山城のすぐ近くに有り、謙信は此処で戦勝祈願をしたと言われています。
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- 旅行時期:2012/08(約13年前)
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by 阿蘇美忍さん(男性)
上越・直江津 クチコミ:33件
この神社は、平安時代のはじめ弘仁4年に従五位下を、貞観3年には従四位下という、弥彦神社とならぶ高いくらいの神社として位置付けられた。
その後、室町時代、貞和3年に室町幕府から社殿修造費として田井保(上越市板倉区)三分のニを、観応2年には越後守護上杉憲顕から荒蒔保(上越市機清里区)を、それぞれ社領として賜った。
戦国時代長尾為景「上杉謙信」もこの神社を崇敬したので「越後一の宮」としてうやまわれてきた。
ところが、居多神社は、御館の乱のときに三郎景虎に味方したので、景勝群の攻撃を受けて焼き払われてしまい、神主は能登へ逃れた。やがて上杉氏が会津に国がえになるにしたがい、ふたたび居多の浜へ帰ってきたが、むかしのように栄えることはなかった。
居多神社に祭られている祭神は、大国主命・奴奈川姫命・建御奈方命・事代主命となっている。縁結び、子宝・安産祈願の神として信仰されている。
承元元年専修念仏が禁止され、親鸞上人は越後国府に流罪となったが、居多神社に参拝した際、
「すゑ遠く法を守らせ居多の神弥陀と衆生のあらんかぎりは」と詠み、神前に供え祈願したところ、境内の葦の葉が片葉になったという。今日も群生しており、越後七不思議の一つに数えられている。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2012/08/29
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