紫式部邸跡だった廬山寺
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- 旅行時期:2010/05(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
今出川・北大路・北野 クチコミ:50件
廬山寺(ろざんじ)は圓浄宗の本山で紫式部(むらさきしきぶ、生没年不詳)の邸宅跡として知られている。
比叡山延暦寺の中興の祖である良源(りょうげん912−985年)により938年に京都の北山に創建された。1965年に考古・歴史学者角田文衞(つのだ ぶんえい1913−2008年)により紫式部邸跡とされた。このあたりを平安時代は「中川のわたり」と言って源氏物語では空蝉の紀伊の守邸があったと設定され『蜻蛉日記』の作者、道綱母も住んでいた。廬山寺の面している寺町通は平安時代の東京極大路で、隠れ家的な高級住宅街。空蝉、紫式部、道綱母のような身分は低いが裕福な受領階級貴族が大きな家を建てた地域だった。
大貴族は大内裏に近い、二条大路に面した場所に邸を構えていた。源氏物語では光源氏の二条院も右大臣の二条殿も、藤壺の三条の宮も二条大路の近くに住んでいたと設定されている。
このあたりで紫式部が生まれ、育ち、藤原宣孝(ふじわらのぶたか953−1001年)と結婚し999年に一女・藤原賢子(かたいこ・けんし)を儲けたとされている。源氏物語を描いた紫式部の故郷・実家での生活の様子が思い浮かぶ。
阪鴨東線出町柳駅・神宮丸太町駅 徒歩10分
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2012/08/18
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