源氏物語に登場する大原野神社(おおはらのじんじゃ)
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- 旅行時期:2009/11(約16年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
嵐山・嵯峨野・太秦・桂 クチコミ:40件
大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、奈良の春日大社から勧請を受けたもので、京春日(きょうかすが)と呼ばれている。
784年に桓武天皇(かんむてんのう737−806年)が長岡京へ遷都した際、桓武天皇の后で嵯峨天皇(さがてんのう786−842年)の生母、藤原乙牟漏(ふじわら の おとむろ760−790年)が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、鷹狩の地・大原野に祀ったのが起源とされる。
藤原氏の家に女の子が生まれると、その子が皇后・中宮になれるようにと現在の大原野神社に祈願していた。876年、清和天皇(せいわてんのう850−881年)の女御となった藤原高子((ふじわら の たかいこ842−910年)が参詣した際、高子のかつての恋人であった在原業平(ありわら の なりひら825−880年)が行幸につき従い、「大原や小塩の山もけふこそは 神世のことも思出づらめ」と詠んだとされている。天皇の奥さんの元彼が天皇の従者であり続けるのは源氏物語の世界を連想させ、いかにも平安時代らしい。
源氏物語の「行幸(みゆき)」では、源氏36歳の12月に冷泉帝が鷹狩りの行幸で大原野へ行く。冷泉帝は源氏の父桐壺帝と藤壺の子という事に しているが実は源氏と藤壺の間の子で源氏は源氏とも関係があった夕顔と源氏の親友内大臣(頭の中将)の娘で養女にしている玉鬘(たまかずら)を冷泉帝に宮仕えさせようとしている。昔からの勢力争いは今も変わらないが、大原野は桓武天皇の時から鷹狩りに天皇家や藤原氏(源氏物語の内大臣の家系)が訪れる場所だった。
京都市西京区大原野南春日町1152.
アクセスーー 阪急京都線「東向日」駅下車、駅前のバス停から阪急バス[5系統]「南春日町」行きに乗車し、終点の「南春日町」で下車。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2012/08/08
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