抗夫たちの苦労が偲ばれます
- 4.5
- 旅行時期:2010/05(約14年前)
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by 夏ミカンさん(女性)
大田・石見銀山 クチコミ:29件
かって、日本は「プラタレアス(銀)の島」と呼ばれていました。 17世紀前半には世界の銀産出量の30%を日本銀が占め、その大半が石見銀だったと言われています。
坑道は間歩と呼ばれ600カ所以上にも及びます。
その中で公開されているのが龍源寺間歩です。
中には鉱脈に沿って掘った跡等が残っています。
壁に刻まれたのみの跡に、昔の抗夫たちの苦労が偲ばれます。
狭い所で這いつくばるようにして苦しい作業を続けていた、どんなにか過酷だったでしょうね。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2012/03/24
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