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将軍塚

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平安京の造営時都を鎮める将軍塚(しょうぐんずか)

  • 3.5
  • 旅行時期:2011/09(約14年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

山科 クチコミ:12件

将軍塚(しょうぐんずか)は青蓮院門跡別院「大日堂」境内にある、桓武天皇が平安京の造営時都を鎮める意味(王城鎮護)で、八尺(約2.5m)の土(陶質)の将軍像(征夷大将軍・坂上田村麻呂と伝承される)を作り、鉄の甲冑を着せ、鉄の弓矢を持たせ、太刀を佩かせて都のある西方に向けて埋めた塚。
桓武天皇は都を平城京(奈良)から京都の南部の乙訓(長岡京)へ移したが造営中に次々と災難が起きた。785年、造営の最高責任者であった藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が天皇の留守中に暗殺され暗殺に関係したという理由で天皇の弟にあたる早良(さわら)皇子を乙訓寺に幽閉したが、皇子は無実を訴えて断食され餓死するという事件が起こった。早良(さわら)皇子の事件以降天皇の血縁に近い親族のあいだに不幸が続き、伊勢神宮の正殿などが盗賊に放火されること、畿内に疫病が蔓延し多くの人々が亡くなるなどの異変が起こっている。これらの凶事は早良の怨霊が祟りを起こしていると陰陽師が唱えたという怨霊説や桂川や宇治川などの洪水による災害が多く、王城の地として不向きという災害説など様々な説が出され桓武天皇は長岡京で都の造営を続けることに懸念を持った。和気清麻呂は東山の高台(現在の将軍塚)に桓武天皇を誘い、新しい都はここに定めるのが最もよいと進言。桓武天皇この盆地は周囲三方が山に囲まれていて、大きな川(加茂川や桂川、宇治川)も流れ、都を造るには最適と考え794年に平安京造営に着手したといわれる。都を長く護るよう、将軍像(征夷大将軍・坂上田村麻呂と伝承される)を作り、都のある西方に向けて埋めた。将軍塚は1995年に整備されるまで荒廃していたが整備中に石棺や副葬品が出土し、古墳、古墓、経塚があったことがわかったそうだ。

アクセス:地下鉄東西線「蹴上駅」から徒歩約30分。

施設の満足度

3.5

アクセス:
2.5
地下鉄東西線「蹴上駅」から徒歩約30分
人混みの少なさ:
3.5
バリアフリー:
2.5
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2011/09/26

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