大名火消の中で、火消名人とうたわれた、浅野内匠頭邸跡
- 5.0
- 旅行時期:2004/09(約21年前)
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by 一歩人さん(非公開)
築地 クチコミ:13件
常陸笠間(茨城県笠間市)藩浅野長直(1610~72年)は、
正保2年(1645年)、播磨国 (兵庫県赤穂市) に領地替えと
なり、5万3,500石を領して内匠頭と称しました。
この長友の代に分与して5万石となります。
ここから、北西の聖路加病院と河岸を含む一帯8,900余坪の
地は、赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷がった所で、西南二面は
築地川に面していました。
長直は、火消名人とうたわれました。
長友の子、長矩(ながのり)が元禄14年(1701年)、
勅使の接待に推挙され、3月14日、その指南役吉良殿へ
江戸城中で刃傷に及び、即日切腹、江戸屋敷と領地の
取り上げにより、赤穂藩士浅野家は断絶します。
皮肉にも、赤穂四十七士の討入り衣装が大名火消しの装束で
あり、大石蔵之助の周到な計画だったとは。
浅野内匠頭邸跡
中央区明石町10、11地域
03-3546-6525(中央区観光協会)
http://www.dentan.jp/tukiji/tukiji04.html
- 施設の満足度
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5.0
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2009/02/13
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