碓氷峠の旅
- 評価なし
- 旅行時期:2006/10(約19年前)
-
-
by pasokonryokuさん(男性)
安中・妙義 クチコミ:1件
関東と北陸を結ぶには中央山岳を超えなければなりません。
先人たちはつらい峠越えを強いられました。
特に主要街道の中でも標高差が大きい中山道の碓氷峠は遙か
昔から難所でした。明治になって鉄道網の整備が国策となったとき
碓氷峠の鉄道敷設はは重要課題でした。
スイスの山岳鉄道のアブト式を採用、蒸気では限界ということで
日本最初に電気機関車の採用、当時は電気鉄道が田舎には存在しな
かったために火力発電所も建設と当時の鉄道技術のほとんどが碓氷峠
にありました。
私が生まれた頃にはアプト式は無くなっていましたが、
長野のじいちゃんばあちゃんの家に行くときは横川で5分停車、
機関車をつなげてごとごとトンネルをくぐって軽井沢に向かって
登っていくというのを思い出されます。
今や、その路線も廃止され新幹線が200km/hで通り抜けていきます。
先日、横川でクルマを止めてアプト式の廃線跡(現在では整備され
て遊歩道になっている)を散策しました。
明治の香りがほんの少しだけしました。
鉄道マニアの方は横川の鉄道村もお勧めします。
- 施設の満足度
-
評価なし
クチコミ投稿日:2007/01/11
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する