広島市平和記念公園レストハウス
美術館・博物館
3.35
広島市平和記念公園レストハウス クチコミ・アクセス・周辺情報
広島市 観光 満足度ランキング 29位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
「被爆建物/レストハウス」爆心地から違い被爆建物です。資料館になっているのでおすすめです。
5.0
- 旅行時期 2025/02
- by Yukinoさん
爆心地から170m 1929年(昭和4年)竣工 レストハウスは、爆心地から最も近い場所に現存する「被爆建物」で... 続きを読むす。 大正屋呉服店だったこちらの建物は、戦時体制によって1943年(昭和18年)12月に発令された繊維統制令により呉服店は閉鎖、1944年(昭和19年)6月に、経済活動を統制することを目的とした国策の統制会社である広島県燃料配給統制組合が建物を取得し、「燃料会館」と呼ばれるようになりました。 当時としては珍しい鉄筋コンクリートの建物だった為、内部や地下は全焼したものの基本的な形は残ったそうです。 レストハウスには地下から3階まで展示スペースがあります。 1階には、建物の建設当時につくられた地下へ通じる階段がそのまま残されています。 2階には「被爆したピアノ」が展示してあります。このピアノは爆心地から2.5kmの、河本明子さんの自宅にあったものですが、明子さんは原爆投下時に爆心地から1kmのところに居た為、19歳で被爆死されました。 そして地下ですが、被爆した当時の状況を出来るだけ残した「保存展示」を見学する事が出来ます。 原爆投下時には、37名の方がこの建物で働いていましたが、偶然地下にいた野村英三さん(享年82年)だけが奇跡的に生き残りました。 爆心地から170mの距離での生存率はほぼ0だと思いますが、本当に奇跡ってあるんだなと思いました。 レストハウスで働いていた36名の皆様のご冥福をお祈りいたします。 閉じる
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満足度の低いクチコミ
広島市平和記念公園レストハウス(広島県広島):被爆建物
1.0
- 旅行時期 2023/08
- by TTukomiさん
1929年(昭和4年)建設された大正屋呉服店のビル。爆心地から170m。被爆時屋根が押しつぶされ内部が破損、地下室を除いて... 続きを読む全焼した被爆建物。 戦後補修され建物は、燃料関係の組合や会社が燃料会館として使用。 1982年(昭和57年)から平和記念公園レストハウスとなる。入館は自由。 1階:観光案内所・お土産売り場。 2階:休憩・喫茶ホール。 3階:爆心地・旧中島地区の歴史の展示室。 地下1階:被爆時に近い状態で残る地下室。1人助かった方の被爆体験記の展示室。 原爆投下当日、37人の勤務者がおり、うち8人は傷つきながらも建物を脱出するが、地下1階に書類を取りに下りていた1人を除き、その直後全員死亡。 閉じる
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