菅江真澄の道
名所・史跡
3.30
クチコミ・評判
1~10件(全10件中)
-
男鹿半島各所に
- 3.0
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
- 0
男鹿半島南西部にある赤神神社を訪れた際、海岸線の道すがら、菅江真澄が辿った道を示す標柱が立っていました。
菅江真澄は、1... 続きを読む800年前後の江戸時代に生きた人ですが、標柱はそれほど古くなく、平成に入ってから設置されたもののようです。
歴史の教科書に出てくるような有名な人ではないので、秋田を訪れるまで知りませんでしたが、三河国出身ながら秋田を中心に北東北や南北海道を旅して当地の紀行をまとめた国学者とのこと。
ただ、標柱を契機に関心を持ち、足跡を訪ねて秋田を回ろうとしたら、大変なことになります。
標柱はなにも赤神神社方面だけでなく、男鹿半島各所に83もあるそうで、これだけ回れば、さすがに男鹿の地理が詳しくなろうというものです。 閉じる投稿日:2023/03/15
-
菅江真澄の道
- 3.0
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 0
-
寒風山登山の途中でも
- 3.0
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 0
山頂まで道路が通じている寒風山を徒歩にて登山中に、標柱が立っているのを見つけました。
標高355mの寒風山にあって、標高... 続きを読む200m辺りの寒風山食堂の辺りで、近くには寒風山園地小展望台もあるなど駐車場も備えられています。
ただ、標柱だけを見ると、何のことやらで、事前にWeb情報を調べたり、秋田市内の菅江真澄の墓やほか、彼のたどったルートなどを訪れたりすると、どのような人物だったのかが分かると思います。
松尾芭蕉しかりですが、松浦武四郎や、意外にも吉田松陰など、江戸時代に北の方を巡っている人がいるのですね。
寒風山登山では、JR男鹿線の脇本駅から徒歩20分(1.7km)ほどの宗泉寺の入り口にも菅江真澄の標柱が立っていました。
寒風山は山頂まで定期路線バスは無く、車以外では観光バス、あるいはタクシーなどになってしまいますが、昔の人のように徒歩で巡ると、小さなことですが、いろいろ発見があるものです。 閉じる投稿日:2023/02/08
-
-
江戸時代に思いをはせて。
- 3.5
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 0
-
秋田県内各所にある
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
- 5
-
市内各地に標柱が見られる
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 0
-
標柱をよく見ます
- 3.0
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 0
-
-
江戸時代の旅行家
- 3.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
-
あちこちに
- 3.5
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
- 0
-
江戸時代後期の旅行家がたどった道
- 3.5
- 旅行時期:2015/10(約10年前)
- 1
能代市街から国道101号線を北上すること20分ほど、八峰町の湯沢の浦海岸を散策したときに偶然「菅江真澄の道」と書かれた説明... 続きを読む版を見つけました。正直、その時まで菅江真澄という人を知らなかったのですが、帰宅して調べてみると、菅江真澄は江戸時代後期の旅行家、博物学者で、30歳の頃から旅をはじめ、信越から東北、蝦夷地などを巡って生涯に200冊にも及ぶ紀行記を残した人物だということを知りました。
生涯を旅に暮らした菅江真澄が、いちばん長く滞在したのが秋田で、男鹿半島だけでも訪れた際の足跡の随所に「菅江真澄の道」と書かれた標柱や説明板が100本ほど建てられているそうです。また、秋田県立博物館には菅江真澄資料センターがあり、重要文化財に指定されている旅の記録帖のレプリカが展示されているのそうなので、是非、それを観て男鹿半島をゆっくり旅してまわりたいと思いました。
閉じる投稿日:2016/02/27
1件目~10件目を表示(全10件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所)
このスポットに関するQ&A(0件)
菅江真澄の道について質問してみよう!
男鹿に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
しそまきりんごさん
-
うさぎ姫さん
-
arurunさん
-
コイです。さん
-
amstrobryさん
-
frauトラベルさん
- …他