招提村 出屋敷
名所・史跡
3.08
クチコミ・評判
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浄土真宗の師を招いて築いた寺内村、招提(しょうだい)村
- 3.5
- 旅行時期:2012/03(約14年前)
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招提(しょうだい)村は天文12年(1543年)河内国牧郷内の荒地に浄土真宗の道場が建てられ、寺内村として成立したもの。
... 続きを読む寺内村の領域は東西30町・南北20町に及ぶ広大なもので土塁を築いたり堤を作って水を貯めたり木戸を設けて通行の監視などを行っている。石山本願寺合戦の時には表面上織田信長に服従したように装い、実際は本願寺に通じて難を逃れたが天正10年(1582)本能寺の変後、明智光秀に味方したため寺内不入りの特権を剥奪され一般農村になった。
江戸時代の領主の変遷は細分化された領地で領主も頻繁に代り複雑を極めた。
文禄3年(1594年)と推定される検地帳によると家数62軒、寛永21年(1644年)地詰帳によると家数57、文政5年(1822年)の村明細帳によれば、村領は東西15町・南北13町で、集落は東西3町・南北3町半であり、家数104。文久3年(1863年)の村明細帳では家数119・人数443だった。
農業を主体とした生活基盤は明和3年(1766年)の稲作は70町5反・綿作は8町2反・雑毛作が14町4反であり、酒造業・絞り油業・素麺業が行われておりいた酒造業・素麺業は現在も枚方・交野地域で受け継がれている。
招提の町並は細い道路が不規則に通っていて、家屋も切妻造り、入り母屋造り、2階建て、中2階建てが入り混じった完全な農村集落であった。
有名な奈良の唐招提寺の寺名の「招提(しょうだい)」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表す語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われており、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合いであるとのことから推測すると、招提村の名の由来は浄土真宗の師を招いて築いた寺内村ということなのだろう。
閉じる投稿日:2013/03/20
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