粟嶋神社
寺・神社・教会
3.26
クチコミ・評判
1~4件(全4件中)
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薄~いピンク色の社殿でした。
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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米水津の粟嶋神社は、社殿は風雨に晒されれば相応に艶を失っていくと思いますが、この社殿は何か明るい感じに見えました。どうやら... 続きを読む薄~いピンク色の塗装が施されている様です。港のすぐ横のちょっとした高台にありますから、港を出入りする船からはかなり目立つ存在なのだと思います。こちらの神社は14世紀の創建と伝わっているそうで、場所から言っても、その当時は航海の神様を祀っていたのではないかと思います。後には、国造りの神様が祀られていて、安産や縁結びの神様として知られているそうです。江戸時代には佐伯藩のお女中も参拝することが許されていたのだそうです。といっても、お城からは相当離れていますから、宿下りといった時間の取れる時に限られると思いますが・・・。 閉じる
投稿日:2022/10/13
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大きな龍の飾り瓦が、見応えがありました。
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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粟嶋神社は、鶴見半島の付け根近く・米水津にありました。鶴見半島のメインの通りは北側ですから、長い小浦中越ふれあいトンネルを... 続きを読む通って、南側に移動することになります。(トンネルの中越側の入口には富永一朗さんの作品のレリーフがありました)粟嶋神社は米水津の小浦というところにあるので、トンネルを抜けたすぐ先にありました。瀬渡しの船などが係留されている港を見下ろすところです。20段くらいの石段を上がったところに社殿がありました。拝殿の屋根に大きな龍の飾り瓦が乗っていて見応えがありました。主祭神は2柱で、大名持命(おおなもちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)です。大名持命は大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名ですし、少彦名命はその大国主神に協力して国造りをした神様です。そこからか、この神社は安産や縁結びの神様として知られているそうですね。創建は、紀州の粟島神社を勧請して貞治年間(1362年~1368年)とされています。当時の紀州の粟島神社は綿津見三神を祀っていたと見られるそうですから、こちらの粟嶋神社も当時は航海の安全を祈念するものだったと思われます。現在は拝殿右手に境内社の金比羅神社がありました。航海の安全は金比羅さんにお参りするのでしょう。 閉じる
投稿日:2022/09/09
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海のすぐそばの神社
- 3.5
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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縁結び
- 4.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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基本情報(地図・住所)
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