大物主神社
寺・神社・教会
3.26
大物主神社 クチコミ・アクセス・周辺情報
尼崎 観光 満足度ランキング 47位
クチコミ・評判
3.26
(4件のクチコミ)- アクセス:
- 4.25
- 人混みの少なさ:
- 4.00
- バリアフリー:
- 3.50
- 見ごたえ:
- 3.25
1~3件(全4件中)
-
清盛、義経、弁慶ゆかりの神社
- 3.5
- 旅行時期:2020/10(約5年前)
- 0
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かつてはこの辺りが海の中州だってようです。
- 3.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
- 0
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源義経が潜んだとされている大物主神社(おおものぬしじんじゃ)
- 4.0
- 旅行時期:2009/11(約16年前)
- 2
阪神大物駅から南に200m行くと大物主神社(おおものぬしじんじゃ)がある。
神崎川と武庫川に挟まれた三角州尼崎は古来より... 続きを読む海運の要衝だったが風が強く難所としても知られていた。『平家物語』などに源義経(みなもとのよしつね1159−1189年)、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい 生年不詳−1189年)ら主従が西国に落ち延びようと大物浦から船出したが大風で押し戻されたとある。大物主大神は難所・大物浦の守護神として祀られていた。
1185年、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした義経は兄・源頼朝(みなもと の よりとも1147−1199年)と対立し、朝敵として追われることになる。
義経は九州行きを図り摂津国大物浦(兵庫県尼崎市)から船団を組んで九州へ船出しようとしたが、途中暴風のために難破し、主従散り散りとなって摂津に押し戻され大物主神社に潜んだとされている。義経の九州行きは頓挫しその後吉野、京都、藤原秀衡(ふじわら の ひでひら1122−1187年)を頼っての奥州行きと逃避行が続き1189年に平泉で戦死した。
大物主神社周辺は義経の逃避行の初期段階だったのだが、もし義経の九州行きが成功していれば歴史が変わっていたかも知れない。
大物主神社の境内には義経主従が身を寄せたとする「義経弁慶隠家跡」碑、謡曲「船弁慶」が誕生する舞台になったことを紹介する謡曲史蹟保存会の駒札、尼崎の伝統産業「汁醤油発祥の地」の記念碑などがある。
尼崎市大物町2丁目7−6 阪神大物駅南出口より50メートル
大物主神社---http://www.ama-jinja.org/oomononusi.html
閉じる投稿日:2012/11/24
1件目~3件目を表示(全4件中)
基本情報(地図・住所)
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