1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 埼玉県
  5. 鴻巣・桶川・北本
  6. 鴻巣・桶川・北本 観光
  7. 国指定史跡「比企城館跡群 松山城跡」
鴻巣・桶川・北本×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記

国指定史跡「比企城館跡群 松山城跡」

名所・史跡

国指定史跡「比企城館跡群 松山城跡」 クチコミ・アクセス・周辺情報

鴻巣・桶川・北本 観光 満足度ランキング 17位

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

松山城跡は、比企丘陵の先端に築かれた北武蔵地方屈指の平山城。平成20年に、国指定であった菅谷館跡(嵐山町)に、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに加わり、比企城館跡群として国指定史跡となる。城の周囲は市野川が形成した低湿地帯が広がり天然の要害を形成している。現状の城の縄張りは、後北条氏による大改修によって形成されたものと思われ、本曲輪を初め多くの平場や空掘などが大変良好な状態で残っている。「鎌倉大草紙」には、応永23年の鎌倉六本松の合戦において「松山城主上田上野介討死」とあることから、応永年間(1394~1428)には松山城は存在していたと推定される。しかしながら、この頃の文献資料は極めて乏しく詳細なことは不明である。歴史的には、室町幕府の要職にあった公方足利氏、扇谷・山内両上杉氏が衰退し、戦国大名の代表とされる後北条氏が興隆する時期からその名を中世史に登場させたと言える。 天文年間(1532~1555)以降の文献資料は豊富で、その中には、扇谷・山内両上杉氏、後北条氏、甲斐の武田氏、越後上杉氏の名も見られる。特に、天文6年(1537年)に小田原の北条氏綱が江戸城・川越城を落とし松山城を攻めたことは有名である。その後も後北条・越後上杉などによる度重なる合戦によって支配者が頻繁に変わったが、後北条勢力下の上田氏の支配下にあることが多かった。松山城をめぐる攻防は大変激しく、ここが北武蔵地域の要所であったことが伺える。天正18年(1590)、豊臣秀吉による関東攻略の際、前田利家・上杉景勝などの軍勢が攻め落とし、小田原に本拠を構えた後北条氏は滅亡した。その後、徳川家康が関東に入り松平家広を松山城主としたが、弟の松平忠頼のときに浜松に移封され慶長6年(1601)に廃城となった。

クチコミ・評判

1~10件(全10件中)

  • 曲輪と空堀が特徴です

    • 3.5
    • 旅行時期:2024/02(約2年前)
    • 0

    吉見百穴の南側の丘陵にあります。民有地で駐車場はありません。北武蔵支配の重要拠点で、戦国時代から合戦が行われてきました。最...  続きを読む後の城主松平忠頼が1601年に浜松城に転封して、松山城は廃城となりました。本曲輪、二ノ曲輪、三ノ曲輪、四曲輪が一直線に並び、空堀や切り落としが残っています。各曲輪への歩道があり、上り下りしながら行けます。松山城跡に来る前に寄った岩室観音堂の後ろが松山城の搦手口だったことを資料で知りました。急な斜面が城を囲んでいました。枯葉が積もった城跡でした。  閉じる

    投稿日:2024/09/01

  • 松山城跡 遺構が見事

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    松山城 全国あちらこちらに素晴らしい松山城という同じ名前がありますが ここ武蔵松山城も 地味ながら 素晴らしい城です。 北...  続きを読む条 武田 豊臣といった戦国武将の争いの場となったところです。 現在でも 城の遺構は明確に残っており かなり敵が攻められにくいような構造に なっております。 駐車場はないので 吉見百穴の無料駐車場に停めてここまで徒歩3分です。 山城なので 夏はブッシュが多く存在すると思いますので冬場の 草が枯れた時に訪れるのが良いかもしれません。  閉じる

    投稿日:2022/04/05

  • 山城を攻める大変さがわかります

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/04(約6年前)
    • 0

    東武東上線東松山駅が最寄り駅。
    東松山駅東口から東へ約1.9kmのところにあります。
    説明板によると、城は古代からあっ...  続きを読むたようですが、戦国期、上杉、武田、北条が戦さを繰り広げたことで有名になったそうです。
    城は西側と南側を流れる市野川が自然の濠となっており、山というより丘といった高さながら攻めるには急こう配を登らねばなりません。
    本曲輪跡まで登ってみましたが、かなり急な上、舗装されていない道だったので、はからずも山城を攻める大変さを知ることとなりました。
    国指定史跡「比企城館跡群」の一部です。

      閉じる

    投稿日:2020/07/06

  • 吉見百穴とセットで

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/02(約6年前)
    • 0

    吉見百穴のすぐ隣にあるので、車は百穴の駐車場に停めて歩いていくとよいです。曲輪跡、土塁や空堀がよく残っていて、手軽ながらな...  続きを読むかなか見ごたえがあります。城内は細い道を歩いていくので、滑って空堀に落ちないように気を付けてください。  閉じる

    投稿日:2020/02/10

  • 明るい内に登城した方が良い

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/04(約7年前)
    • 3

    登城口は当選寺の隣と岩室観音の奥にありました。あまり整備された感じはしなく手つかずのままになっているのが残念でした。夕方に...  続きを読む行ったのでちょっと怖い感じがしました。
    明るい内に登城した方が良いと思われました。
      閉じる

    投稿日:2019/05/08

  • 説明が足らないので不安で登りませんでした

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約10年前)
    • 0

    吉見百穴と松山城のパンフレットをもらったが、
    どちらも行き方の説明がない。
    松山城跡は、小山の上への上がり方と分数が書...  続きを読むかれていない。
    せっかくだから行ってみたかったのですが、
    天守閣跡までどのくらいかかるかわからず、結局松山城跡には行かなかった。  閉じる

    投稿日:2016/05/08

  • 国破れて山河あり、城春にして草木深し

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

     東松山市在住の郷土史家の案内で松山城跡を学びに行った。
     松山城の築城は、山内上杉氏・扇谷上杉氏らによる関東の動乱を背...  続きを読む景とした15世紀後半という考え方が有力である。松山城が中世史上に登場してくるのは大永4年(1524年)1月以降であり、室町幕府の要職にあった公方足利氏、扇谷・山内両上杉氏の対立から、関東制覇を進める後北条氏が進出する時期と言える。この中にあって関東各地は一気に戦乱の渦中に巻き込まれるが、松山城もその例外でなく常に戦略の最前線として、後北条氏・甲斐武田氏と岩槻太田氏・越後上杉氏との間で幾多の合戦が繰り広げられた。天正18年豊臣秀吉による関東攻略が行われた際には、前田利家・上杉景勝の大軍に包囲され、4月下旬に落城した、という。
     往時は城郭部に樹木はなく、曲輪の山肌が見えたという。今はかつての面影は少なく、到る所に草木が生い茂り、ひっそりと静まり返っていた。  閉じる

    投稿日:2015/03/24

  • 足場の悪い道を歩いた先にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 1

    岩室観音堂の後ろにある場所です
    参拝後に知ったので行ってみることにしました
    狭く道が悪いので、足元はスニーカーなどがい...  続きを読むいと思います

    城跡は案内の看板があり本曲輪などの説明があります
    城好きや歴史好きな人にはたまらない場所かもしれません  閉じる

    投稿日:2015/07/25

  • 吉見百穴近くにある松山城跡です。
    登城口は岩室観音堂近くにあります。(看板有り)
    しかし、この登城路はどうやら往事の通...  続きを読む路ではなかったようです…。あら。
    登城路を進むと本丸跡に出ます。本丸跡には立派な石碑があり、そこで満足してしまったのですが、どうやら見どころはその奥のようです。
    時間に余裕があるときにまた見学したい城跡の一つです。  閉じる

    投稿日:2016/10/11

  • 新田義貞の築城伝説

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/10(約12年前)
    • 0

    新田義貞の築城伝説もある「松山城跡」は、有名な“吉見百穴”から程近い、市野川に突き出た高台にあります。関越道の東松山ICか...  続きを読むら車で10分余り、埼玉県道27号線沿いに松山城跡への登城口があります。登り口から獣道の様な急な山道を登っていくと、石碑や説明板があって、建物のあとの様な遺構や空堀などを見ることが出来ます。手はほとんど加えられておらず、放置されたような状態が残念です。車で行かれる場合は近くの吉見町町営百穴駐車場(無料)を利用するのが便利です。  閉じる

    投稿日:2013/12/11

1件目~10件目を表示(全10件中)

クチコミを投稿する

投稿写真

写真をもっと見る(33枚)

基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
国指定史跡「比企城館跡群 松山城跡」
住所
  • 埼玉県比企郡吉見町北吉見
電話番号
0493-54-9111
アクセス
百穴入口バス停 徒歩 5分 鴻巣免許センターゆき
東武東上線東松山駅 バス 5分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

国指定史跡「比企城館跡群 松山城跡」について質問してみよう!

鴻巣・桶川・北本に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • ぷーちゃんさん

    ぷーちゃんさん

  • metalanimalさん

    metalanimalさん

  • キャンサー50さん

    キャンサー50さん

  • hidoさん

    hidoさん

  • 温泉大好きさん

    温泉大好きさん

  • 城megrist PINchanさん

    城megrist PINchanさん

  • …他

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

周辺スポット

PAGE TOP