国破れて山河あり、城春にして草木深し
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- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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by ガッサンさん(非公開)
鴻巣・桶川・北本 クチコミ:2件
東松山市在住の郷土史家の案内で松山城跡を学びに行った。
松山城の築城は、山内上杉氏・扇谷上杉氏らによる関東の動乱を背景とした15世紀後半という考え方が有力である。松山城が中世史上に登場してくるのは大永4年(1524年)1月以降であり、室町幕府の要職にあった公方足利氏、扇谷・山内両上杉氏の対立から、関東制覇を進める後北条氏が進出する時期と言える。この中にあって関東各地は一気に戦乱の渦中に巻き込まれるが、松山城もその例外でなく常に戦略の最前線として、後北条氏・甲斐武田氏と岩槻太田氏・越後上杉氏との間で幾多の合戦が繰り広げられた。天正18年豊臣秀吉による関東攻略が行われた際には、前田利家・上杉景勝の大軍に包囲され、4月下旬に落城した、という。
往時は城郭部に樹木はなく、曲輪の山肌が見えたという。今はかつての面影は少なく、到る所に草木が生い茂り、ひっそりと静まり返っていた。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/03/24
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