本山寺
寺・神社・教会
3.30
クチコミ・評判
1~8件(全8件中)
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JR高槻駅の北側に本山寺の石碑が建っています
- 3.5
- 旅行時期:2023/12(約3年前)
- 3
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山奥
- 4.0
- 旅行時期:2022/09(約4年前)
- 0
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山の中の寺!
- 3.0
- 旅行時期:2022/07(約4年前)
- 0
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山奥のいいお寺です。
- 5.0
- 旅行時期:2021/06(約5年前)
- 0
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山奥のお寺
- 3.0
- 旅行時期:2021/06(約5年前)
- 0
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高槻山中の天台宗の古刹
- 3.5
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
- 0
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神峰山寺奥院であったとも考えられている本山寺
- 3.5
- 旅行時期:2010/12(約16年前)
- 2
本山寺は霊雲院ともいい、寺伝によると696年役小角(えん の おづぬ634−706年)が葛城山で修行中、このあたりに5色の... 続きを読む彩雲がたなびくのを見たことでこの地に堂を構え、自刻の毘沙門天を安置したことが開基とされておりこの点は神峯山寺(かぶさんじ)と共通している。
774年、開成皇子(かいじょうおうじ724−781年)が役小角の徳を慕い堂宇を建立、 天文年中(1532〜55年)には松永弾正久秀(まつながだんじょうひさひで1510−1577年)が立身出世を祈願し五百住(よすみ)の良田を寄進している。1582年山崎合戦の際には高山右近(たかやま うこん1552−1615年)の兵火に罹り焼失したが、1603年豊臣秀頼(とよとみ ひでより1593−1615年)が鐘楼、楼門などを再建、宝永年間(1704〜11年)には徳川綱吉(とくがわ つなよし1646−1709年)の生母桂昌院(けいしょういん1627−1705年)が大改修を加えたという歴史がある。本山寺から約3Km程下った神峰山寺の『神峰山寺秘密縁起』では役小角が得た霊木で、地主神金毘羅童子(じしゅしんこんぴらどうじ)が4体の毘沙門天を刻み、1体は神峰山寺に、残り3体は飛び去り、それぞれが鞍馬寺、信貴寺(朝護孫寺)、本山寺の本尊となったとされている。
また『神峰山寺秘密縁起』では本山寺は神峰山寺の奥院霊雲院と記されており、神峰山寺奥院であったとも考えられている。いずれにしても神峰山寺とは関係が強い寺だ。
日本の旅 関西を歩く 大阪、高槻市の本山寺周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10530708/
(写真は本山寺本堂周辺の光景)
閉じる投稿日:2010/12/28
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高槻市の古刹、本山寺
- 3.5
- 旅行時期:2010/10(約16年前)
- 1
本山寺は霊雲院ともいい、寺伝によると696年役小角(えん の おづぬ634−706年)が葛城山で修行中、このあたりに5色の... 続きを読む彩雲がたなびくのを見たことでこの地に堂を構え、自刻の毘沙門天を安置したことが開基とされておりこの点は神峯山寺(かぶさんじ)と共通している。
774年、開成皇子(かいじょうおうじ724−781年)が役小角の徳を慕い堂宇を建立、 天文年中(1532〜55年)には松永弾正久秀(まつながだんじょうひさひで1510−1577年)が立身出世を祈願し五百住(よすみ)の良田を寄進している。1582年山崎合戦の際には高山右近(たかやま うこん1552−1615年)の兵火に罹り焼失したが、1603年豊臣秀頼(とよとみ ひでより1593−1615年)が鐘楼、楼門などを再建、宝永年間(1704〜11年)には徳川綱吉(とくがわ つなよし1646−1709年)の生母桂昌院(けいしょういん1627−1705年)が大改修を加えたという歴史がある。本山寺から約3Km程下った神峰山寺の『神峰山寺秘密縁起』では役小角が得た霊木で、地主神金毘羅童子(じしゅしんこんぴらどうじ)が4体の毘沙門天を刻み、1体は神峰山寺に、残り3体は飛び去り、それぞれが鞍馬寺、信貴寺(朝護孫寺)、本山寺の本尊となったとされている。
閉じる投稿日:2013/02/25
1件目~8件目を表示(全8件中)
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