多賀城政庁跡
名所・史跡
3.33
クチコミ・評判 2ページ目
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多賀城政庁跡
- 3.5
- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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広大な政庁の跡。
- 3.5
- 旅行時期:2013/01(約13年前)
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なにがあるというわけではないけど、惹かれる
- 4.0
- 旅行時期:2012/12(約13年前)
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奈良時代の陸奥国府が置かれていたところ
- 3.5
- 旅行時期:2012/09(約13年前)
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多賀城政庁跡 奈良平安時代の遺跡 日本100名城
- 4.0
- 旅行時期:2011/07(約15年前)
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多賀城に国府が置かれたのは神亀元年(724年)のことらしい。坂上田村麻呂が蝦夷討伐で彼の地に来たぐらいしか知らなかった。
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土曜日午前、ボランティアガイドさんに観光資料や解説などしていただいたが、特に興味を引かれたのは、平安時代の貞観地震での話。多賀城周辺にも官庁街に隣接して多くの住民が暮らしていた。地震の津波で千人ほど流されたという。さらに、先の311では、三陸道に沿った砂押川が逆流し、海から船が川を上っていったそうだ。現在は河口は埋め立てられているが、貞観の頃はより海に近かったことだろう。
なお、現在南門に近い中央公園は震災、津波でできた瓦礫の山。駐車スペースはゴミ置き場に転用され、これに伴い、あやめ園は休園となっている。
松尾芭蕉「おくの細道」の壷碑こと、多賀城碑もあわせて見ておきたい。碑を作ったのは恵美押勝(藤原仲麻呂)の四男朝狩。朝敵となったため碑は地中に埋められ、江戸時代に掘り起こされた。やわらかい花崗岩であるため風雨に弱い。発見されたばかりのこの碑を見て、芭蕉はことのほか感動したらしい。現在は、お堂で雨露はしのげるものの碑の背面の損層は著しい。
この碑文で注目すべきは、当時ロシア沿海州一帯を治めていた靺鞨とも交易があったことを示唆していることだ。(ほとんど、ボランティアガイドの受け売りだが)
今は何もない多賀城跡に1,000年以上前を想像してみてはいかがだろう。2024年に、創建1300年を迎えるので、一大イベントがあるようだ。 閉じる投稿日:2011/07/03
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