千早城跡
名所・史跡
3.33
千早城跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
河南・太子 観光 満足度ランキング 4位
鎌倉勢との戦いで下・上赤坂城が相次いで落城したのち、元弘3年(1333)、楠木正成が金剛山の険しい山腹(標高666m)のところに築城し、わずかな兵力で100日間龍城、鎌倉勢を釘付けにしたことが『太平記』などで伝えられている山城の跡。その間に、源義家(八幡太郎義家)を祖先とする河内源氏の一門・新田義貞らが鎌倉へ攻め込み、鎌倉幕府は滅亡。以降、千早城は元中9年(1392)、北朝方の畠山基国によって落城するまで、楠木家の根拠地として約60年間、使われていた。現在、千早城のあった跡地(国の史跡)には千早神社があり、正成・正行(まさつら)親子を祀っている。二の丸跡、三の丸跡なども付近にあり、さらにここから登山道を少し登ったところには「千早城跡五輪塔」が。地元では「首塚さん」と呼ばれ、正成や、その三男である正儀(まさのり)の供養塔と考えられているそうだ。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
560段の石段をひたすら上ります。しんどかったです
4.0
- 旅行時期 2023/10
- by あおしさん
楠木正成が鎌倉幕府の大軍と激しく戦った城として有名な城です。 日本100名城にもなっています。 金剛山登山口のバス停を... 続きを読む降りて、560段の石段をひたすら上がっていきます。 かなりしんどく、40分ほどかかりました。 本丸跡には千早神社がありました。 閉じる
クチコミ・評判 2ページ目
21~23件(全24件中)
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千早城
- 3.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
- 1
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楠正成ゆかりの地
- 3.5
- 旅行時期:2011/05(約15年前)
- 1
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国の史跡に指定されています。
- 3.5
- 旅行時期:1970/02(約56年前)
- 28
21件目~23件目を表示(全24件中)
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