加賀百万石の殿様だった前田家の藩祖前田利家を明治時代に祀った神社で、社域は江戸時代は金沢城の一部でした。
正面の石段...
続きを読むを上ると、下部が石で作られた洋風の神門をくぐります。石段や神門に使われている石材は、戸室石という金沢城の石垣に使われている石材で、小豆色や青灰色をしており、金沢の町のシンボルカラーとして、まちなかの歩道やビルの外壁の色彩となっています。神門の三層部分にはステンドグラスがはまっており、夜は内部からライトアップされます。
神門前の石段下には、水路が流れていますが、これはかつて金沢城下町を取り囲んでいた惣構の堀の遺構と考えられています。本来の堀跡(幅10m以上)から考えるとずいぶん規模が小さくなっていますが。
本殿向かって右奥には、池を伴う庭園がありますが、江戸時代の金沢城の一部だった金屋出丸の庭園の遺構と考えられています。また、庭園と本殿の間の砂利道を奥に進むと裏門がありますが、これは、金沢城の二の丸御殿にあった唐門だったといわれています。
また、神社南側の道路脇には、金沢城に導水するために作られた辰巳用水の埋設石管の以降を見ることができます。
閉じる
投稿日:2013/05/30