* 晩秋の世田谷歴史散歩3 *
(東急世田谷線宮の坂駅)~曹洞宗 大渓山 豪徳寺~世田谷城址公園~
~若林公園~松...
続きを読む陰神社~松陰神社通り商店街~(東急世田谷線松陰神社前駅)
吉田松陰墓所近くでは、真っ赤に色づく木々の紅葉が見られました。
豪徳寺~世田谷城址公園~松陰神社のお散歩コースは歴史に繋がりがありおもしろい。
松陰神社
http://www.shoinjinja.org/
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井伊直弼と吉田松陰 ふたりの数奇な巡り合わせ
尊王攘夷運動に荷担した幕末の思想家吉田松陰は幕府の弾圧を受け処刑され、この地に埋葬された。 この安政の大獄と呼ばれる事件を指揮したのが幕末の大老井伊直弼。 弾圧の犠牲者と実行者のふたりは、奇しくも1kmと離れない場所で、永遠の眠りにつくこととなった。 (東京 散歩マップ 成美堂出版 より)
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”松陰神社(しょういんじんじゃ)”
江戸時代末(幕末)の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする神社である。 松陰の墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にある。 どちらも、学問の神として崇敬を受ける。
東京都世田谷区若林に所在する。 旧社格は府社。 また、付近には国士舘大学(世田谷キャンパス)や世田谷区役所がある。 東急世田谷線松陰神社前駅下車。
鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。 松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。 明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。 現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。
松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれている。 松下村塾を模造した建物、頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もある。 また、桂太郎の墓所も近くにある。 松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、慶応4年(明治元年)、木戸孝允がこれを修復整備した。 墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。
徳富蘆花の「謀反論」でも書かれているが谷を挟んだ向こう側には ”豪徳寺” がある。豪徳寺 は吉田を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺である。(wikipediaより)
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安政の大獄により1859年に29歳でこの世を去った吉田松陰は、門下生であった高杉晋作と伊藤博文によって祀られ、1882年に松蔭神社の社殿が建てられました。鳥居をくぐると吉田松陰の坐像と松蔭が設立した山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模した家屋があります。今は学問、芸術の神様として多数の参拝客でにぎわいを見せています。境内ではサクラ、ケヤキ、クスのほか、イイギリの大径木を見ることができます。 (小田急電鉄沿線ガイド より)
http://www.odakyu.jp/walk/16/1.html#9
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投稿日:2012/12/20