江東区富岡にある「富岡八幡宮」についての情報を発信していきます。「富岡八幡宮」へのアクセスは、東京メトロ東西線「門前仲町駅...
続きを読む」の1番出口を出て左方向へ進みます。160mほど直進すると一つ目の信号があり、その先すぐ左手に「富岡八幡宮」の白い石畳の参道と色鮮やかな朱色の「大鳥居」が見えます。
「深川会議」は、元禄15年(1702年)12月2日「富岡八幡宮」付近の茶屋で行われた「赤穂義士」の最終打合せ会議です。「大石内蔵助」は、「頼母子講」の集まりと称して、「富岡八幡宮」の門前の茶屋にて会合しています。この会合は夜まで詳細な打合せが行われ、「吉田忠左衛門」が一人ひとりに指示を出し、どこから討ち入るのか、どういう役割をになうのかを細かく説明しました。そして、この「深川会議」の最後に、討ち入り前日の夜は、三箇所に集まること、合言葉は山と川、それぞれ得意の武器を使うこと、上野介を見つけたら笛をふいて知らせること、引き上げの時はドラを鳴らすこと、検分の役人との応対の仕方までの16箇条からなる「人々心得の覚」が読み上げられたそうです。まさに、武士としての面目を保ち、どんな状況にも対応できるような用意周到な討ち入りの決め事がここで示されたわけです。
《「富岡八幡宮」のお薦め参拝巡路》
①大鳥居⇒②伊能忠敬像⇒③三等三角点の石碑⇒④大関力士碑(釈迦嶽等身碑、巨人力士身長碑)⇒⑤黄金神輿庫⇒⑥鳳凰の手水舎⇒⑦神馬像⇒⑧社殿⇒⑨富岡八幡宮資料館⇒⑩本殿⇒⑪西側末社(富士浅間社・金刀比羅社、鹿島神社・大鳥神社)⇒⑫富士塚跡⇒⑬横綱力士碑⇒⑭巨人力士手形足形碑⇒⑮永昌五社稲荷神社⇒⑯合末社(花本社•祖霊社•天満天神社•聖徳太子社•住吉神社•野見宿祢社•車祈社•客神社)⇒⑰七渡神社⇒⑱木場木遣之碑⇒⑲木場の角乗の碑
それでは、早速参拝したいと思います。「大鳥居」を潜ると左手に日本を測量し精密な大日本沿海輿地全図を作成した「伊能忠敬像」、その隣に、世界測地系の採用を記念して建立された「三等三角点」の石碑、右手には歴代大関を顕彰するために建立された「大関力士碑」があります。そしてさらに進むと左手に眩いばかりの日本一の「黄金神輿」が二基展示されています。その先には、金色の鳳凰が参拝者の身を清めてくれる「鳳凰の手水舎」があります。身を清めた後に目を右手にやると「神馬像」とその石碑がありました。「神馬」は“しんば”と読むのでなく“しんめ”と読むそうです。日本語は難しいですね。そして、石段を上れば目の前に「富岡八幡宮」の「社殿」が目の前に現れてきます。やはり有名な「富岡八幡宮」なので、平日にかかわらず参拝者は結構沢山いました。「本殿」に参拝する前に、寄っておかなければならない場所があります。それは、「富岡八幡宮資料館」です。有料で大人なら300円かかりますが、「富岡八幡宮」の社殿の変遷と歴史、綿々と受け継がれている「深川八幡祭り」の様子、相撲と「富岡八幡宮」の関わりとそれにより行われていた「勧進相撲」、享和3年(1803年)に造られ江東区指定有形文化財に指定されている「銅造水盤」など「富岡八幡宮」の歴史と変遷、関連する祭事、周辺地域との関わりがあるものが展示されていて「富岡八幡宮」を詳しく知ることのできる格好の場所です。「富岡八幡宮資料館」の参観が終わったらいよいよ「本殿」へ進み、参拝します。ちなみに、「富岡八幡宮」の歴史を紐解いてみると、「富岡八幡宮」は、寛永4年(1627年)に「菅原道眞」の血を引く「長盛法印」が神託により創建したとされています。源氏の氏神である「八幡大神」を崇めた徳川将軍家の手厚い保護を受けて「深川の八幡様」として古くから庶民に親しまれてきた神社です。特に、毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変賑わいます。また、「江戸勧進相撲発祥の地」としても有名で、境内には「横綱力士碑」、「大関力士碑」があり、現在でも新横綱誕生の際には新横綱の土俵入りが奉納されます。そして、毎年8月15日を中心におこなわれる例祭は、「江戸三大祭」の一つで「深川八幡祭り」として有名です。特に、3年に1度の「本祭り」では、「富岡八幡宮」の鳳凰の飾りがある「御鳳輦」が周辺を練り歩きます。なんと、大小あわせて120数基の「町神輿」やその中で50数基の「大神輿」が勢揃いして一斉に練り歩く光景は迫力もあり壮大な時代絵巻そのものです。参拝を終えた後に、境内の散策をすると見るべきものはたくさんあります。「本殿」の右手には、第12代横綱「陣幕久五郎」が発起人になり歴代横綱を顕彰する碑として建立された「横綱力士碑」と力士の手形と比べることができる「巨人力士手形足形碑」があります。境内には「七渡神社」を筆頭に計17社におよぶ末社があり、このことからも昔からの信仰の中心地であったことがうかがわれます。その他にも「角乗りの碑」や「力持ち碑」などもあり、十分楽しむことができると思います。帰りは下町風情溢れる商店街を散策し、帰路に着きたいと思います。赤穂義士討ち入り「人々心覚」16カ条と見どころは下記に取りまとめてあります。
01_【赤穂義士討ち入り「人々心覚」16カ条】
ここで、「吉田忠左衛門」が一人ひとりに指示を出して、同志に示されたのが「人々心覚」という討ち入りの集合場所、吉良上野介の首の処理、引き揚げの方法など16カ条にわたる討入りについての用意周到かつ詳細な決め事でした。その内容は次のようです。
① 日が決まったら予て定めた3カ所(「堀部安兵衛宅」・「杉野十平次宅」・「前原伊助宅」)に集合する。
② 最後の集合は林2丁目の「堀部安兵衛宅」に集合する。
※ 後に「前原伊助宅」に変更されました。
③ 定刻(12月6日の午前4時)に出発する
④ 「吉良上野介」の首を挙げた時は、「吉良上野介」の上着を剥ぎそれに包んで持参する
⑤ 幕府からの検分があった場合には、「上野介の首は泉岳寺の墓に供えたい」という。それが認められなければ仕方がないが、「お歴々の首は討ち捨てがたい。お指図次第で吉良家に返してもよいが、泉岳寺の墓所にお供えしたい。」と言う。
⑥ 「吉良左兵衛義周」の首を取った場合には、持参する必要はなく打ち捨て屋敷に置いておく。
⑦ 負傷者は、肩にかけて引き取れるものは引取り、引取りが難しいほどの重傷者は首を切る。
⑧ 「上野介父子」の首をとったら合図の小笛を吹く。
⑨ 鉦の合図は全員が引き上げる時に使用する。
⑩ 引き上げる場所は「回向院」とする。ここが駄目なときは「両国橋東詰め広場」とする。
⑪ 引き上げの途中、押しとどめる者がいたら事情を告げる。「無縁寺に引き上げ、公儀に趣旨を申上げるつもりであるので、寺までついてきて見てもらってもよい、一人も逃げるものはない」という。
⑫ 吉良邸からの追っ手には踏みとどまって勝負する
⑬ 吉良上野介の首を取る前に検使が来たら、くぐり戸から1人だけ外へ出て挨拶をする。その時、「ただ今 敵を討ちとめている。生き残った者を呼び集め、命令に従うので、しばらく待って頂きたい」と言って、門は開けない
⑭ その時、門内にぜひ入りたいと言われても、「討ち入ったものたちは方々で戦っているので、今門内に入られても万一のことがあるかもしれないので、どうでしょうか、追っ付け、門を開いてお目にかかる。」と言って門を開けてはいけない。
⑮ 引き上げ出口は裏門とする
⑯ 討入りは生きて帰れぬ必死の覚悟で行うものである。
02_【「富岡八幡宮」の一口メモ】
⑴ 所在地 〒135-0047 東京都江東区富岡1丁目20-3 電話:03-3642-1315
⑵ 御祭神 応神天皇(誉田別命) 外8柱
⑶ 「富岡八幡宮資料館」
① 参観料…ア 大人300円 イ 小人(小中学生)150円(1階のみ大人200円 小中学生100円)
② 開館日…繁忙期以外随時(社務所にて入館受付)
③ 1階展示室のみ撮影可
03_【「富岡八幡宮」へのアクセス】
1 電車を利用して
⑴ 東京メトロ東西線「門前仲町駅」1番出口から徒歩2分160m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」5番出口から徒歩5分400m
⑶ JR京葉線「越中島駅」3番出口から徒歩11分850m
2 バスを利用して
⑴ [東京駅丸の内北口] ⇒[錦糸町駅前]≪都営バス:東22≫
・バス乗り場:「東京駅丸の内北口」(東陽町駅前経由): 4番のりば
・11停留所目(「不動尊前(東京都)」の次の停留所) 所要時間約20分
・9時から17時の間に1時間平均4~5便
・「富岡一丁目」下車で下車し「富岡八幡宮」入口まで徒歩1分100m
⑵ [錦糸町駅前] ⇒[門前仲町]≪都営バス:07系統≫
・バス乗り場:「錦糸町駅前南口」(東陽町駅前経由): 2番のりば
・18停留所目(「木場二丁目」の次の停留所) 所要時間約27分
・9時から17時の間に1時間平均10~12便
・「富岡一丁目」下車で下車し「富岡八幡宮」入口まで徒歩1分100m
04_【「富岡八幡宮」の見どころ】
⑴ 「大関力士碑」
表参道の「大鳥居」を潜ってすぐ右手には、歴代大関を顕彰するために建立された「大関力士碑」があります。「大関力士碑」は明治の頃に、歌舞伎役者の9代目「市川団十郎」と5代目「尾上菊五郎」により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関「雪見山」から最近では力士の「小錦」、「霧島」まで、104人の歴代大関の四股名が彫り込まれています。またその傍らには「巨人力士碑」、「巨人力士手形足形碑」、「強豪関脇碑」、「釈迦ヶ嶽等身碑」等一群の顕彰碑が立ち並んでおり、境内奥の右手にある「横綱力士碑」とあわせて、相撲名所として相撲ファンに親しまれているそうです。
⑵ 「伊能忠敬銅像」
「伊能忠敬銅像」は、表参道の「大鳥居」を潜ってすぐ左手にあります。「伊能忠敬」は、日本を測量し精密な地図を作成した人物です。「伊能忠敬」は、江戸時代の商人、測量家で、寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)までの17年間をかけて、全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させました。歴史上はじめて国土の正確な姿を明らかにし、初めて金星の子午線経過を観測した人物です。「伊能忠敬の墓」は、国指定史跡に指定されています。「伊能忠敬」は寛政7年(1795年)50歳の時に、19歳年下の「高橋至時」の弟子となり、西洋暦学を学びました。なんと「伊能忠敬」の深川の自宅に幕府の天文台に比べても見劣りしない観測機器を揃え、天文台にこもって昼は太陽、夜は恒星を観測し、天体の観測や測量技術にかけては「高橋至時」の門下第一の実力を備えたといわれています。「伊能忠敬銅像」は、平成13年(2001年)10月20日に建立されました。ちなみに、何故「富岡八幡宮」に「伊能忠敬銅像」があるかと言うと測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから建てられたそうです。深川周辺には忠敬翁隠宅跡のほかにも、「伊能忠敬」が天文学を学んだ暦局跡、歩測訓練を行なった道、「伊能忠敬終焉の地」などが点在しています。
⑶ 「日本一の黄金神輿」
「富岡八幡宮」には、元禄時代に「紀伊国屋文左衛門」が寄進した3基の「神輿」がありましたが、大正12年(1923年)に発生した「関東大震災」で焼失してしまいました。それ以来、長い期間、「宮神輿」がありませんでした。佐川急便の会長が平成3年(1991年)に日本最大で神輿で「高さ」が4.4m、「重量」が約4.5トン、純金・宝石が散りばめられた絢爛豪華な「一宮神輿」が奉納されました。ちなみに「一宮神輿」は非常に大きく、重すぎて今まで担がれたことはありません。
① 御本社一の宮神輿
ア 製作年…平成3年(1991年) イ 作者…第十六代浅子周慶 ウ 型…屋根延金地塗神輿
エ 台輪幅…5尺(1m51cm) オ 屋根幅…9尺5寸(2m89cm) カ 高さ…14尺5寸(4m39cm)
キ 重量…約4.5トン
ケ 装飾
鳳凰の胸…ダイヤ7カラット、鳳凰の目…ダイヤ4カラット(1対)、鳳凰の鶏冠…ルビー2,010個
狛犬の目…ダイヤ3カラット(2対)、隅木の目…ダイヤ1カラット(4対)、
小鳥の目…ダイヤ1カラット(4対)、屋根…純金24kg、その他プラチナ、銀、宝石多数使用
② 御本社二の宮神輿
ア 製作年…平成9年(1997年) イ 作者…第十六代浅子周慶 ウ 型…屋根延金地塗神輿
エ 台輪幅…4尺5寸(1m36cm) オ 屋根幅…7尺5寸(2m27cm) カ 高さ…10尺8寸(3m27cm)
キ 重量…約2トン ケ 装飾…鳳凰の目、ダイヤ2.5カラット(1対)
⑷ 「手水舎」
「富岡八幡宮」の現在の「手水舎」は、昭和8年(1933年)に当時の氏子総代であった「木村徳兵衛」、「関口安五郎」の二人によって奉納されたもので、東京大空襲の災禍を免れて、戦後も使用されてきました。そのため、「手水舎」の老朽化に伴い、屋根の銅板葺き替えと木部の洗い直し、水盤も一新され鳳凰型の吐水口からはセンサーで自動に給水されものにアップグレードしています。なお享和3年(1827年)に奉納された旧水盤は江東区の「指定有形文化財」となっており、「富岡八幡宮資料館」の1Fに収蔵展示されています。
⑸ 「富岡八幡宮資料館」
「富岡八幡宮資料館」は、昭和58年(1983年)に設立されました。「富岡八幡宮資料館」は、地下1階地上2階建ての鉄筋造りで、建築面積は約100㎡あります。「富岡八幡宮資料館」の設立の経緯は、度重なる災害により社宝の多くを失ってしまいましたが、旧深川、京橋、日本橋などの下町の古民具や郷土史料を後世に残す事を目的に設立されたそうです。1Fの展示品は、地域とのつながりを考慮し、船大工が使用する木挽き道具や、深川浜の漁師が使用していた網などの漁具、米問屋で使用していた大福帳などの他、庶民が使用した煙草盆などの古民具およそ数百点余りを展示しています。また、「富岡八幡宮」と相撲興行とのかかわりから、力士をモチーフにした浮世絵も展示されています。2Fは、14世紀~18世紀の中国・朝鮮の陶磁器を展示しています。なぜ、中国・朝鮮の陶磁器を展示しているのかと言うと、実はすごいことに「富岡八幡宮」宮司が東アジア文化史研究者であった経緯からだそうです。
① 参観料…ア 大人300円 イ 小人(小中学生)150円(1階のみ大人200円 小中学生100円)
② 開館日…繁忙期以外随時(社務所にて入館受付)
③ 1階展示室のみ撮影可
【「富岡八幡宮資料館」の主な展示品】
① 「富岡八幡宮」錦絵・古写真 ② 「深川八幡祭り」古写真 ③ 「勧進相撲」
③ 太田正義作「銅造水盤」(江東区指定有形文化財) ④ 伊東深水画「獣王」
⑤ 森戸國次画「高原放牧」 ⑥ 竹久夢二作「木場の娘」 ⑦ 花柳章太郎作「ろうけつ染め」
⑧ 石井柏亭作 短冊 ⑨ 末社「七渡神社」の扁額、奉納絵馬 ⑩ 深浜先代大神輿
⑪ 海苔の養殖具 ⑫ 木場の製材用具 ⑬ 火消刺子 ⑭ 伊能図関連資料 奉納渡辺一郎 貞子御夫妻
⑹ 相撲と富岡八幡宮そして「横綱力士碑」
「富岡八幡宮」は、「江戸勧進相撲発祥の地」として有名です。そのルーツは、江戸時代の貞享元年(1684年)まで遡ります。江戸時代の相撲興業は京・大阪からはじまりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。江戸幕府より「富岡八幡宮」境内で春と秋の2場所の「勧進相撲」が許され、その後、100年間にわたって本場所が「富岡八幡宮」境内でおこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されたのがルーツで、現在の大相撲へと引き継がれてきました。
「横綱力士碑」は、明治33年(1900年)、第12代横綱「陣幕久五郎」が発起人となり歴代横綱を顕彰する碑が建立されました。「横綱力士碑」には、初代「明石志賀之助」から72代「稀勢の里」までの四股名が刻まれています。「横綱力士碑」の大きさは、「高さ」が3.5m、「幅」が3m、「重量」が20トンで、まさに横綱を顕彰するにふさわしい堂々たる石碑です。新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式がおこなわれ、新横綱の土俵入りが奉納されます。また両側には「伊藤博文」、「山県有朋」、「大隈重信」といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っています。
⑺ 「末社」
「富岡八幡宮」の境内には、「本殿」左右隣に、「七渡神社」を代表とする計17社にもおよぶ末社があります。
① 「七渡神社」
御祭神…市木嶋姫命 例祭日… 6月17日
「七渡弁天」と親しまれる八幡様の「地主神」です。6月17日の例察には遠方からも参拝者が訪れます。
② 「粟島神社」
御祭神…少彦名命 ② 例祭日…10月15日
「粟島神社」は、「七渡神社」に合祀されています。裁縫上達の神様として信仰を集めており、2月8日には「献針祭」が行われ、参拝者の折れ針や古針が供えられます。
③ 「車析社」
御祭神…清原頼業命 例祭日…5月14日
「車析社」は、平安後期の儒学者「清原頼業命」を祀っています。「後嵯峨天皇」の牛車が門の前で動かなくなった故事に基づいて「車折大明神」と称されています。
④ 「客神社」
御祭神…宇受売命 ② 例祭日…5月15日
「客神社」は、「車析神社」に合祀されています。芸能の神である「宇受売命」をお祀りしています。
⑤ 「野見宿禰神社」
御祭神…野見宿禰命 例祭日…4月24日
「野見宿禰神社」は、相撲の始祖といわれる「野見宿禰」をお祀りする神社です。「江戸勧進相撲発祥の地」にふさわしい末社です。
⑥ 「住吉社」
御祭神…住吉神 例祭日…6月30日
「住吉社」は、古くより航海安全、和歌、農耕の神様として信仰されています。
⑦ 「聖徳太子社」
御祭神…聖徳太子命 例祭日…4月22日
「聖徳太子社」は、「憲法十七条」、「冠位十二階の制定」、遣隋使の派遣など、我が国の基礎を固めた「聖徳太子」をお祀りする神社です。
⑧ 「天満天神社」
御祭神…菅原道真命 例祭日…8月25日
「天満天神社」、学問の神様として受験生の信仰を集める「菅原道真」をお祀りする神社です。ちなみに「冨岡八幡宮」は「菅原道真」の後裔といわれる「長盛法印」により創建されました。
⑨ 「祖霊社」
御祭神…冨岡八幡宮宮歴代祀職命 例祭日…春分の日・秋分の日
「祖霊社」は、「冨岡八幡宮」の歴代祖霊が祀られている神社です。神道では祖先を崇めることは神様を敬うことと同様に大切なことと考えられています。
⑩ 「花本社」
御祭神…松尾芭蕉命 例祭日…10月12日
「花本社」は「祖霊社」に合祀されています。「松尾芭蕉」は深川に仮住居を設け、生涯でもっとも長い住まいであった縁から「冨岡八幡宮」境内に祀られています。
⑪ 「永昌五社稲荷神社」
御祭神…倉稲魂命 例祭日…4月9日
「永昌五社稲荷神社」は、五穀豊饒、商売繁盛の神様として、特に地元の肥料商関係者から絶大な信仰を集めています。近隣の「稲荷社五社」が合祀された神社です。
⑫ 「鹿島神社」
御祭神…武甕槌命 例祭日…9月1日
「鹿島神社」は、武勇の神様、旅行の神様として信仰を集める神社です。
⑬ 「大鳥神社」
御祭神…天日鷲命 例祭日…11月酉の日
「大鳥神社」は、江戸時代より「お酉さま」と呼ばれ、家内安全、商売繁盛の神様として多くの信仰を集めています。11月には「酉の」市が開かれ、縁起物の熊手を求めて多くの参拝者で賑わいます。
⑭ 「恵比須社」
御祭神…事代主命 例祭日…10月20日
「恵比須社」は、航海安全、商売繁盛の神様で七福神の一つに数えられています。「深川七福神巡り」のコースに含まれており、お正月には多くの参拝者で賑わいます。
⑮ 「大黒社」
御祭神…大国主命 例祭日…5月14日
「大黒社」は、因幡の白ウサギを助けたことで知られ、国土経営に努力した大国主命をお祀りする神社です。
⑯ 「富士浅間社」
御祭神…木花咲耶姫命 例祭日 7月1日
「富士浅間社」は、以前は境内に「富士山」があり、江戸で山開きと言えば八幡様というほど人気がありました。現在富士山の山開きにあたる7月1日には江戸時代以来続く疫病除けの「大蛇守り」が授与されて、多くの参拝者が求められます。
⑰ 「金刀比羅社」
御祭神…大物主命 例祭日…10月10日
「金刀比羅社」は、航海・漁業の守護神として江戸時代中頃に香川の金刀比羅宮から勧請され、深川庶民の間で広く信仰を集め現在にいたっています。
⑺ 三等三角点「富岡八幡宮」
「伊能忠敬銅像」の横には新地球座標系に準拠した国内第1号の三等三角点「富岡八幡宮」も設置されています。これはカーナビゲーシヨンなどに使われているGPSの基準点ともなる21世紀にふさわしい生きたモニュメントです。日本では平成13年(2001年)6月の測量法の改正により日本独自の測地系から世界共通の世界測地系に変更することになりました。社団法人「全国測量設計業協会連合会」が、この世界測地系を採用した記念として、社団法人「全国測量設計業協会連合会の創立40周年」にあたり、このモニュメントを平成13年(2001年)10月に建立しました。ピカピカの御影石の保護石に守られるように、中には三等三角点があります。
⑻ 「青銅製の神馬像」
「鳳凰の手水舎」の右手に目やると、「本殿」へ通じる階段から少し離れたところに「神馬像」とその石碑がありました。「神馬」は“しんば”と読むのでなく“しんめ”と読むそうです。日本語は難しいですね。「富岡八幡宮」の境内に置かれ、腹部には、「富岡八幡宮」の社紋が入れられている青銅製の「神馬像」です。古来から馬は神の乗り物とされ、神は馬に乗って降臨されるものとされてきました。神が参拝者の祈願を成就されたり、神が御幸されるのに、神が乗られる馬は欠かせないものです。そこで、それに備えて、多くの神社が境内の神馬舎などに生馬や馬像を収容している訳です。
⑼ 「深川八幡祭り」
「富岡八幡宮」の祭礼は「深川八幡祭り」とも呼ばれ、「江戸三大祭」の一つです。「深川」、「神田」、「山王」で行われるこの「江戸三大祭」は、下町風の勇み肌「わっしょい、わっしょい」の伝統の掛声を今なお堅くに守り、沿道の観衆からは清め水が威勢良く浴びせられ「水掛祭」と別称されています。3年に一度の「本祭」で氏子町内120数基の「神輿」が繰り出し、その内「54基」の大神輿が勢揃いする連合渡御は圧巻で「神輿深川」の名にふさわしいものである。
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投稿日:2024/01/27