2018/03/21 - 2018/03/25
1位(同エリア96件中)
尖椒土豆絲さん
- 尖椒土豆絲さんTOP
- 旅行記27冊
- クチコミ0件
- Q&A回答6件
- 61,577アクセス
- フォロワー19人
昨年11月に旅した古都洛陽から4ヵ月、中国八大古都への想いが募り、またまた中国旅行を画策、目指した先は“北宋古都開封”です。
調べてみれば、古都開封へは高鉄鉄道開通により、飛躍的に訪れやすくなっているでは有~りませんか!(*_*)!
何気に百度地図を眺めていると・・・・三国志ファンなら外せない曹魏故城許昌と北宋古都開封は、意外と近いことが判明、ならばと、許昌に近い武漢までのLCC航空チケットを予約です。
そんな訳で、毎度々の古城・史跡巡りに突撃、何とか無事に許昌・開封旅行から帰国しました~!(o^^o)!
魅力たっぷりの中国の様々な史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
在社華人の部下から贈呈された三国志を読んでいて、以前から“行きたい!行きたい!”を膨らませていた中原の史跡群を目指します。
旅の始まりは東京成田空港からです。
我家の財布の紐を緩ませるLCC春秋航空日本の武漢行きチケット予約確認書を握りしめ、成田空港第3ターミナルで出国手続き開始です。
訪日中国人観光客の大行列を横目に、無事にイザ!!チェックイン終了~!!
いつもの長崎ちゃんぽんで腹ごしらえです。 -
雨・みぞれ予報の極寒の日本を脱出、一路武漢に向かいます。
アテンダントさんの話では、7人の日本人が搭乗しているとのことです。
つ・ま・り・・・あとは全て中国の方々です。
この成田ー武漢路線、今回で3回目の利用ですが、毎回、中国人旅行客で席巻されていますね。
恐るべし、チャイナパワーです(o^^o) -
フライト約4時間で異国に乗り込みます。
我家にとって武漢天河国際空港を使うのは3回目です。
訪れる度に進化を遂げています。
それにしても広い空港です(≧∀≦)! -
先ずは軍資金の調達です。
昨年11月同様、出発ターミナルの中国建設銀行ATMを使います。
本日のSMBC信託レートは、1元=17.67円でした。
さあ、許昌に向かって移動です。 -
暢游期間は僅か5日間です。
早速、地下鉄武漢天河机場站に移動です。
今日は許昌まで移動しなきゃ!!!
先ずは地下鉄2号線と4号線を乗り継いで、遠い遠い高鉄武漢站を目指します。
前回同様に空港から近い漢口站を利用したかったのですが、漢口站と許昌東站に停車する都合のいい時間帯の高鉄列車が無く、漢口站利用は諦めました。 -
武漢天河国際空港から地下鉄を2本を乗り継ぎ、約90分で高鉄武漢站に到着です。
結構、遠いし時間を要します。 -
早速、切符売場に向かいますが、かなりの混雑ぶりです。
乗車予定のG840号発車時刻まで、あと45分しか有りません。
日本での事前予約で、武漢から許昌東迄の切符は、C-TripのHPで予約・購入済みです。
大行列に並ぶこと20分後、やっと予約番号とパスポートを提示して、無事に許昌東站迄の切符を入手です(^○^)! -
武漢站発16:51発、許昌東站着18:36の高鉄G840号の切符(204元)です。
事前のネット購入で、代金は支払済みです。
但し、1枚につき20元の手数料が加算されています。
続けて、翌22日の許昌東站から開封北站、及び、帰路3月24日の開封北站から武漢站迄の高鉄切符も購入しました(^○^)。 -
武漢は湖北省の省都です。
いやはや・・・流石、大きな駅です。
既にG840号発車ホームの改札が始まっていました。
つまり15分前です。
ひえ~!!!かなり、時間的にギリギリで危なかったなあ~~集票処の大行列は計算外でした。
もっと余裕を持たないと失敗しちゃいますネ。 -
乗車するG840号は、広州南発西安北行きの長距離列車です。
中国大陸を縦横無尽に走る高速鉄道網の整備は急ピッチで進められています。
途中、高鉄進行方向左側の地平線に沈み行く夕陽と対面です。
中国大陸の広大さを実感しますね!!!
あ~綺麗だなぁ~~~ -
乗車1時間45分で許昌市の郊外に建設された許昌東站到着です。
時計は18:50を過ぎ、闇夜が迫りつつあります。
ここから許昌中心部まで路線バスで移動します。
バス停を探さなきゃ!!! -
許昌東站前の長途汽車站前に、路線バスターミナルが有ります。
事前調査で利用予定だった11路の路線バスが18:00で終了していました。
困った!!!困った!!!
暫く待っていると、地元民が並ぶ許昌2路バス停を発見、早速一緒に並びます。
この2路バス路線は許昌火車站を通ることが判明、ならばと乗車です。 -
許昌2路バスで、許昌東站から許昌火車站に移動(1元)です。
郊外の新横浜駅から市の中心部の在来線JR横浜駅に移動するようなイメージですネ!
高鉄は、350km/h走行を可能にする為、極力カーブを減らして真っすぐに線路が敷かれています。
おのずと站は郊外に作られていく訳ですね。 -
乗車約30分で許昌火車站に到着、ここから徒歩で移動開始です。
許昌故城の城壁は既に撤去されて残っていませんが、護城河は昔のままです。
ライトで装飾された護城河を渡り、C-TripのHPで予約済みの古城内の許昌瑞貝大酒店(320元・朝食付)に無事にチェックイン!!!
あ~一安心・一安心 (o^^o)・一安堵! -
小休止後、許昌故城の夜景鑑賞に繰り出します。
この南大街ですが、美観工事が進み、先月2月18日に一部一般開放されたばかりのようです。
昔の街並みを意識した建築群は、綺麗にライトアップされていますね(o^^o)!!! -
明・清時代より遥かに古い三国志遺跡は、現在まで残っていないケースが大半ですが、史実をベースにした街並み作りは、今や各都市の再開発の定番です。
ん~シビれます!!! -
ホテル近くの羊肉湯という看板を挙げた店に突撃です。
上手く注文の意図が伝わらず、いつもの筆談注文です。
すると・・・やはり質問が来ました~“那里▽●×◎◆◇?”
我是日本人と回答すると、店内は“うお~”と騒めきます。
日本人は珍しいのでしょう。
構わず我家は今夜も草の根の日中友好です。
羊肉湯・尖椒土豆絲・炒麺に舌鼓、哈爾賓ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!乾杯!!乾杯!!! -
ホテルに戻り、TVのスイッチを入れて、CCTVを見ていると・・・・・
日本関連の報道と遭遇、護衛艦いずもに触れているようです。
私達日本人からみても、いずもは護衛艦というよりは、明らかに空母艦といった印象ですね。
近隣諸国が気にかけるのも理解できますよね。
移動・移動だった暢游初日の3月21日が終わろうとしています・・・晩上好!! -
早上好!!!暢游2日目、3月22日が始まりました。
流石4ツ星ホテルです。
様々な料理を目の前で調理して頂けます。
八宝粥や胡辣粥も有り、特に漢方薬を食べるが如しの胡辣粥に嵌ってしまいました~好吃!!! -
お世話になった許昌瑞貝大酒店です。
立地・プライス・朝食・服務員の対応、どれを見てもGOODでした(^○^)。
皆さん、お勧めですよ!!! -
宿泊した許昌瑞貝大酒店の前の許昌故城護城河です。
昨夜は綺麗にライトアップされていましたネ(^○^)! -
我家の古城散策は南の総門から開始するのが流儀??です。
と・こ・ろ・が・・・許昌故城総門である南城門は現在工事中です。
・・仕方が有りません、諦めて(●o○;)ノ 迂回しましょう。 -
昨夜も散策した南大街です。
許昌故城は街ぐるみで急ピッチで観光開発されています。
曹操の旗が風に揺れ、三国志ファンを歓喜・感動させます。
我家も魏国・蜀国・呉国モード全開、スイッチ ON!!!! -
許昌は曹操の本拠地です。
後漢末期、曹操が後漢最後の皇帝となる献帝を奉じて、長安から都を遷した場所が許昌なのです。
曹操も、この街を歩いていたんだ・・・
そう思いを馳せると、何だかワクワクしちゃいます!(^○^)! -
日本で大人気の三国志および三国志演義ですが、主役は蜀国になりがちです。
劉備・関羽・張飛の人気は絶大です。
しかし、ここ許昌の主役は魏国曹操です。 -
いよいよ我家の暢游が始まります。
春秋楼から三国志遺跡巡り開始です (^^♪)。 -
春秋楼は、関羽を配下にしたかった曹操が、関羽に与えた邸宅です。
曹操の劉備討伐で、劉備は2人の妻を置いたまま逃げてしまい、互いに生死が分からない状態になってしまいます。
関羽は劉備の2夫人を守る為、ここ春秋楼で愛読書の“春秋左氏伝”を読み更けります。 -
春秋楼門票25元です。
-
呂布の進撃により徐州から逃れた劉備は、曹操を頼り、客人として許昌に滞在します。
やがて劉備は曹操の元から袁紹の元へ戻ろうとしますが、徐州の留守を預けた関羽らを置き去りにする事になってしまいます。 -
関羽は止むを得ず、劉備の2夫人を守る為に曹操に投降、許昌の軍営に移送され、曹操が用意した春秋楼に住むことになったのです。
-
関羽と2夫人を同じ内院に住まわせ、“間違い”を狙った曹操ですが、関羽は毎日毎日、外院で“春秋左氏伝”を読んでいました。
現在は“春秋左氏伝”を手にした関羽像が祭られています。 -
一番奥の高台にある関聖殿の前にやって来ました。
-
力楼には関羽が使用していた青龍偃月刀が飾られています。
とは言え、青龍偃月刀は関羽が生きていた時代には存在しません。
三国志ファンとしては夢が崩れそうですが、これも史実です。 -
関聖殿に入ると目に飛び込んで来るのは15m以上もある金色の巨大関羽座像です。
-
巨大な関羽座像の隣には、関平、周倉、王甫、廖化の塑像も有ります。
-
一同に会するなんて珍しいですね。
-
上段に上がれます。
家内像と関羽像でツーショット!!!!
(^_^)(^○^)( ^∀^)(o^^o)(^-^)v -
劉備の2夫人(甘夫人と糜夫人)が住んでいた甘糜二后宮に行きます。
因みにに糜夫人は糜竺の妹ですよ。 -
内院の昭烈皇后祠です。
関羽は自分1人で内院で暮らすのを遠慮し、邸宅を2つに分け、内院に2夫人を住まわせ、自分は外院に住んだと言われています。
兄嫁とは言え、男と女です。
間違って手を出した~変な噂が立った~では済まされませんからね。 -
何方が甘夫人で、何方が糜夫人なのか良く分かりません。
おそらく、こちらが糜夫人でしょう。 -
甘夫人と糜夫人です。
2人は仲が良かったと伝えられています。 -
さあ、春秋楼暢游を終え、再び南大街に戻り北上します。
最近、彼方此方の町で見かける銅像が設置されていました。
何の料理をしているのかな?
当然、聞いても応えてくれません(≧∀≦)! -
曹魏故城と曹の文字が、ここが曹操孟徳の本拠地だ!!と主張しています。
そしてその曹操の旗が三国志ファンの心を惹き付けます。
再び魏国・蜀国・呉国モード全開バリバリです。 -
南大街を突き当たると、曹丞相府の入口の巨大な曹操像が出迎えてくれます。
何と何と Σ(゚д゚lll)・で・か・い・・・なあ!! -
門票には60元と印刷されていますが、何故か団体料金48元で入場出来てしまいました。
値下げしたのか?
他の団体の一味と認識されたのか?
理由は良く分かりません。
ま!いいか~!得した訳だしね(o^^o)! -
曹丞相府は“三国志”ゆかりの魏国の始祖・曹操の邸宅です。
景区内には当時の建築を再現した府門・求賢堂・議事堂・七歩閣等が有ります。 -
ここで、簡単に曹操をおさらい!!!
曹操は、武人であり政治家であり、そして詩人でも有ります。
三国時代の武人で魏国の始祖、字(あざな)は孟徳(もうとく)です。
後漢末期、黄巾の乱の鎮圧を機に勢力を伸ばし、中華北部を統一します。
その後、南下を試みますが、呉蜀連合軍に赤壁の戦いで敗れ、呉の孫権、蜀の劉備とともに天下を三分することになります。
曹操は、やがて魏王となり、死後、武帝と追尊されています。 -
曹操の肖像画です。
関羽を何とかして己の配下にしようとした曹操と、劉備への義を貫く関羽の物語は、戦のかけ引きとは別の名場面のひとつとして語り継がれています。
三国志好きならその場所に行きたいと思うでしょうし、来たからには“実際にやって来た~!!!!”という気持ちで感無量になることでしょう。 -
そうです!!!
我家は実際にやって来た~~~という感動に溢れていますヾ(*´∀`*)ノ
三国志って、どうしてこんなに日本人を虜にするのでしょうか??? -
曹操軍の朝議が、蝋人形を使って再現されています。
文官と武官に分かれて朝議をしています。
曹操の後ろにいるのは許諸です。 -
鎧を纏った曹仁と夏侯惇です。
官渡の戦いでの軍議のようです。
中国後漢末期の200年、官渡(現在の河南省中牟)に於いて、曹操と袁紹との間で行われた戦いを官渡の戦いと言います。
赤壁の戦い・夷陵の戦いと共に“三国志”の時代の流れを決定付ける重要な戦いと見做されていることは周知の史実ですね。 -
更に奥へ進むと賦詩楼が現れます。
賦詩楼前には様々な京劇(正確には川劇)のお面が並んでいます。
そう言えば、中国の何処に行っても基本的に関羽の顔は赤色です。
赤は義を現わす色で、忠実で勇気があり称賛される人です。 -
曹操と曹丕、曹植です。
文人として後世に名高い3人が並んでいます。
曹操は武人としても文人としても、その才覚は抜きんでいたようです。 -
蔵兵洞入口です。
何て派手なんだろう!!!!( ^ω^)
そう思いながら、地下への階段を降ります。
ここ曹丞相府を訪れたら絶対に外せないポイントです。
暗闇の蔵兵洞を歩いて行くと・・・・・ -
狭いよ~暗いよ~怖いよ~(´▽`)
2016年に訪れた亳州市の曹操運兵道を思い出します。
人が1人通れる程の幅しか有りません。
閉所恐怖症・暗所恐怖症の方には厳しい環境です。 -
食料備蓄倉庫のようです。
ヤバい!急いで守護しろ~!!! -
暗闇の中、弓矢が私達を狙っています。
ヤバい!急いで伏せろ~!!! -
石玉が転がり攻めて来ます(≧∀≦)!!!
昔、インディジョーンズ失われたアークという映画で、こんなシーンが有った気がします!
ヤバい!急いで逃げろ~!!! -
地下迷宮から脱出、次の暢游地に向かいます。
許昌故城南大門から許昌站汽車站まで歩きます。
此処から郊外に有る霸陵橋公園站まで路線バス移動です。 -
路線バス5路(1元)が到着、早速乗り込みます。
-
霸陵橋景区の門票30元です。
景区入口で門票にパンチ穴を開けられ、関帝廟では門票の角を引き千切られました。 -
霸陵橋は、曹操の元に身を寄せていた関羽が劉備の元へ帰る際、曹操が関羽に羽織を渡そうとしたあの名所です。
三国志ファンなら絶対に抑えたい名所ですね。 -
入場すると、直ぐに巨大なモニュメントに遭遇です。
曹操は、去って行く関羽の華北への道中を思い、羽織を渡そうとしますが、関羽は計略を用心して馬から降りません。
沢山の贈り物を貰っても手を付けず、主人劉備の元に戻る関羽の忠義心と当初の約束を守り関羽を手放した曹操の度量、悔しいぐらいカッコイイです(*^ω^*)。 -
青梅亭には酒を煮て英雄を論じている曹操と劉備像が有ります。
今でも“青梅煮酒”という三国志にまつわる諺が残っています。
曹操が劉備を梅園の宴に招き、梅の実を肴に、天下英雄を論じる話です。
その宴席で曹操は劉備の人物を推し量ろうと“天下の英雄は君と余だ”と論じます。
曹操は当時自分の客分格でしかない劉備に対し、既に英雄的資質を見抜いていたのです。
それに対する劉備は、驚きの余り、箸を落としてしまいます。
この時、突然鳴り響いた雷に怖がっている小心者を装い、曹操に対し偽って己を小さく見せることで英雄的資質を見抜かれないように用心したという話です。 -
清泥河で曹沖が呉国の孫権から送られてきた象の重さを量っています。
曹操はその重さを臣下らに訊ねましたが、誰一人答えられません。
その時、5歳の幼児だった曹沖は、“象を船に乗せ、(重さで船が沈むので)その船の水面の所に印をつけ、(象を下ろして)同じ高さになるまで重しを乗せて、その重さを量れば宜しい(アルキメデスの原理)”と答え、曹操を喜ばせたようです。
この曹沖ですが、残念ながら13歳で早世してしまいます。 -
新しく再建された霸陵橋に到着です。
曹操の元に身を寄せていた関羽が劉備の元へ帰る際、この場所で曹操が関羽に羽織を贈りました。
関羽は計略を警戒して下馬せず、馬上から青龍偃月刀でそれを拾い上げて去ったと言われています。 -
曹操の元を去って行く関羽です。
ちょっと歪な関羽石像ですが、色々な関羽に会えると考えれば全く問題無しです。
???しかし、歪だなあ~!!!変な石像だなあ~!!!(>_<) -
許昌関帝廟です。
何故か入場の際に、門票の再チェックが有りました。
入口で“○▽◆●◎■○票”と服務員らしき女性が叫んで寄って来ました~!!!
門票の角を引き千切られて入場OKです。 -
赤兎馬に乗り、青龍偃月刀を振るう関羽像です。
曹操は、去っていく関羽を追おうとする家臣達を制止します。
義を貫いた男関羽への配慮ですネ。 -
甘夫人と糜夫人も一緒に劉備の元へ戻ります。
よかったネ( ^ω^)!! -
奥の碑廊には元々あった霸陵橋が移設されています。
この橋で、曹操と関羽は分かれたのですね・・・
その場所に来られて感無量です! -
さあ、霸陵橋観光を終え、再び許昌中心部に戻ります。
先程乗車した5路バス(1元)で、市電力公司文峰広場站まで移動します。 -
バス停近くの店で、魚香茄子・羊肉水餃に舌鼓、労山ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!乾杯!!乾杯!!!
気温が上がり、ビールが旨いぞ~~~! -
後半戦の観光は、文峰塔が立つ許昌塔文化博物館から再開です。
-
許昌文峰塔が立つ許昌塔文化博物館を含め、免費で入場できる公園として整備され、沢山の市民の憩いの場として利用されています。
しかし皆さん、史跡には目もくれず、将棋とトランプに夢中です。 -
中国版ピサの斜塔と称される、河南省許昌市にある文峰塔です。
明代末期の1614年に建造された高さ52m、13層から成る八角形の壮麗な塔で、2006年には国家保護文化物に指定されています。
本当に傾いているのかな? -
以前は文峰塔に登れたようですが、現在は不可のようで、入口は閉鎖されていました。
ガ~ン(`Δ´)!そんな・・・ 聞いてないよ・・・(´;ω;`)
ん~残念・無念・何でやねん(≧∀≦)!! -
気を取り直して博物館に入ります。
数多くの遺跡から発掘された展示物で埋め尽くされています。
長い長い中国の歴史・・・凄いぞ!中国!!! -
さて、許昌観光を終了します。
今日は開封まで移動しなければなりません。
市電力公司文峰広場站から路線バス102路で、高鉄許昌東站まで移動します(1元)。 -
102路バスです。
終点の高鉄許昌東站まで、約30分でした。 -
高鉄許昌東站に戻って来ました。
何処も同じく高鉄站は巨大ですね(≧∀≦)! -
昨日、武漢站集票処で事前購入した開封北站迄の切符(65.5元)です。
-
高鉄G286号(16:59発)が入線です。
許昌東站と開封北站の双方に停まる高鉄は、何と1日1本しか有りません。
偶然にも移動したい夕刻にダイヤが組まれていて、何とラッキー!lucky!(o^^o) -
途中、鄭州東站に停車しただけで、僅か45分で開封北站に到着です。
許昌と開封の長途汽車站は、共に許昌火車站と開封火車站の隣に位置し、郊外の高鉄站迄の移動を考えれば、長途バスで移動という選択肢も有ります。
但し120kmを一般公道走行で、約3時間を要します (+o+)~!
やっぱり高鉄に軍配が上がりました~! -
ここ開封は北宋時代に“東京”と呼ばれていた古都です。
現在、埼玉県戸田市と三重県伊賀市・伊勢市そして長野県下諏訪市の4つの市が姉妹都市となっています。 -
路線バスの事前調査に使ったmapbarでは、開封北站発着の路線バスが無く、少々心配していました。
何てこと有りません、路線バス網が開封北站をカバーしないなんて有り得ません。
だ・よ・ね! で・す・よ・ね!!
という訳で開封21路バスにて、開封北站から学院門站(1元)まで移動です。 -
途中、大梁門(西門)を潜り、開封古城内に入城です。
学院門站直ぐ側のC-TripのHPで予約済みの最佳西方財富大酒店(383元・朝食付)にチェックイン、暫し小休止です。
さあ!気合い入れて、夜市巡りをするぞ!!! -
開封古城の鼓楼です。
屋台街を従え、堂々と鎮座しています。
ライトアップされ、綺麗だなぁ~(o^^o) -
串焼きの屋台には、様々な具材の串が並んでいます。
何処かの屋台に入ろうか?否か?悩みましたが、今夜は、まだ春の勢いは弱く、街は冷えています。
テントの囲いが無いと、寒くて寒くて仕方が無いといった状況です。
ここは西司夜市まで行くっきゃ無い!無い!!無い!!! -
包公湖の向う岸に、明日、観光する予定の包公嗣が、とても幻想的で綺麗なアートの世界の中に浮かんでいます。
-
観光客が多い鼓楼夜市とは違い、ここ西司夜市は地元客に人気です。
さあ、何処の屋台に行こうかな!(^。^)! -
ん!!! この焼魚、昨年11月に登封の屋台で感動した焼鯰魚では有~りませんか!!!
という出会いが決め手になり、このお兄さんの屋台に入ることにしました。
しかもテントには風除けの囲いも取り付けられいます(o^^o)!!!
これなら寒くありませんネ。 -
開封灌湯小籠包・土鍋・焼鯰魚と労山ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
前回の暢游でも感じましたが、この焼鯰魚、まるで鰻の蒲焼です。
美味しいなぁ~>* ))))>< ハオツー 好吃 (*^^)v
屋台の人達から“○●◎▽□◆■◎?”と言われるも理解不能。
我是日本人と答えると皆んな驚き、やがて笑顔になります。
コミュニケーションは最高の美食でも有りますね。 -
部屋に戻りCCTVを見ていると、天気予報が流れていました。
河南省の省都鄭州の明日の天気予報は!!晴れ!!です。
やったネ~(^∇^)
三国志史跡巡りだった暢游2日目の3月22日が終わろうとしています・・・晩上早! -
早上好!!暢游3日目の3月23日が始まりました。
開封古城の小南門から城外に出ます。
車道も通る再建された新門です。
残念ながら登城出来ません (≧∀≦)。 -
開封古城の城壁です。
さあ~て!城壁に沿って時計回りに散歩してみましょう(o^^o)! -
開封古城璧と満開の桜の共演です。
我家は、今回は27回目の中国旅行なのですが、考えてみれば、今までは決算時期の休暇取得は難しく、3月の訪中は出来ていませんでした。 -
QRコードスキャンで桜の情報が入手出来ます。
春爛漫!3月の中国!!!!!
何て素晴らしい季節なのだろう(^-^)
あ~いいなあ~春休暇って!!!
ドラッグストアショーの代休取得に感謝・謝々。 -
城壁には長い長い悠々の歴史が刻まれています。
古城璧と一言で言っても、中華の各時代の壮大な歴史の番人です。
様々な歴史を見て来たんだネ (^○^)。 -
意図的なのか?修復されていない部分も残しています。
-
開封古城の南城門の大南門です。
甕城構造ですが、車道確保の為か?
城門は切り取られて残っていません。 -
散策を続けます。
城壁が切り取られた迎賓路から城内に入ると、開封古城の城壁に上がれます。
北宋時代には3重の城壁が有ったそうですが、今は1重だけ残っています。
全長11.5km、壁は高さは約8m~10m、幅8m(下部)で上部は一部が歩けるようになっています。 -
ならば城壁を歩きましょう!!!
門票1元です。
・・・たったの1元です。
一体どうなってるの? -
何にせよ、城壁大好き我家のテンションはマックスです。
城壁の上で万歳と叫ぶ!!!!!
歴史を噛みしめてヤッタネ~と叫ぶ!!
天気が良くラッキーと叫びます!!!! -
開封古城の南西角に到着です。
ここから右にカーブし、城壁散歩は北上になります。
城壁は外側は、しっかりと石で組まれ補強されていますが、内側は剥き出しなのが分かります。 -
城壁は、途中の小西門跡で切れていました (@_@;)。
車道を通す為に撤去されたのでしょう。
さて、ここから向陽路を歩いて城内散策開始です。
あ・る・く・ぜ~!!!(^○^) -
湖畔の包公祠に到着です。
2015年、合肥を訪れた際に包公祠の陵墓や史跡を暢游しました。
国民的英雄の包拯を祀る場所は中国には沢山有るのでしょう!!! -
包公祠門票25元です。
-
ここで包拯について触れておきましょう。
包拯は賄賂を一切受け取らず、重役や高役職な人達に対しても容赦なく取り締まった清廉潔白な政治家です。
中国のテレビドラマや京劇の題材にもなっている国民的人気者で、日本で言えば水戸黄門・大岡越前や桜吹雪の遠山の金さんといったイメージですかね。 -
あらあら!!!
何故か包公嗣内に開封古城の旅游地図が有りました。
これは便利じゃん!!!!
早速、スマホに保存です(^○^)。 -
包公嗣は包公湖畔に位置し、北宋の名臣包拯を祀るために建てられた嗣堂です。
中国歴史上、有名な清廉官史で、大衆から広く・深く尊敬されています。
主要な建築群は、本殿・第二殿・碑亭・回廊等から構成されています。 -
包拯像です。
日本と同じで、偉人は皆んな神様になってしまいます。
開封と言えば包拯、包拯と言えば中国では子供からお年寄りまで誰もが知っている人物です。
名判官の包拯が公正無私で情け容赦無く悪人を裁き、民衆を助けるというお約束の展開の時代劇が今中国で大人気です。 -
大岡裁きの判例にもなった“モロコシ”という話が言い伝えられています。
1人の子供を2人の女が“母親は私です”と訴え出ます。
大岡越前は子供の両脇に女を立たせ、子供を引っ張り合い、勝った方を母親とすると告げます。
1人の女は泣き叫ぶ子供の手を強引に引っ張りますが、1人の女は泣き叫ぶ子供を見て、手を放してしまいます。
勝った女は私が母親だと主張しますが、ここで大岡裁きです。
本当の母親であれば、痛がって泣き叫ぶ子供の手を放すものだと・・・
手を放した女を母親とすると言う話で、これは包拯の話を引用しています。 -
昨日、曹丞相府暢游の時、京劇(正確には川劇)のお面の色の話に触れました。
関羽の赤顔は“義”を現わしています。
包拯の黒顔は“精錬潔白”を現わしています。
日本だと黒は疑心の色ですが、中国では真逆なのですね。
因みに中国では白色の仮面は陰険で悪賢く強情で独りよがりな人を指します。
赤色の仮面は、関羽を代表するように、忠実で勇気があり称賛される人を指しています。 -
包公湖畔を散歩、次の暢游地に向かいます。
振り向けば、先ほど暢游した包公嗣が、あんなに遠くなっていました。
昨夜は綺麗に電飾されていましたネ。 -
徒歩約15分で延慶観に到着です。
-
延慶観門票25元です。
-
延慶観は全真教創始者である王重陽を記念して建立された道教寺院です。
創建は金代になり、“中原第一道観”とも称されています。
金代は重陽観・元代は朝元宮・明代は延慶観と改名し現在に至っています。 -
塔に入り、天井を見上げてみると・・・八卦が描かれています。
当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉で馴染みが有りますね。 -
古木は全真七子合和桐と呼ばれています。
解説が書かれていましたが良く分かりません。
誰か教えて下さい!! -
あらあら・・・
こんな処にも月下老人が祀られています。
ここでも右手の小指には“赤い糸”が巻かれています。
“千里の縁も引き寄せる”と言われ、若いカップルが憧れる運命の赤い糸です。
私達夫婦の間にも、赤い糸は有ったのかな??(^○^)??
多分・おそらく・・きっと・・・ -
続いて開封府を暢游します。
テーマパークといえば、それまでですが、開封府は北宋時代の役所にあたる場所です。
府門から入場します。 -
開封府門票65元です。
-
開封を首都と定めた北宋時代ですが、西暦960年から1127年まで167年間続いています。
その頃の開封は世界最大級の都市だったようです。
国号は宋ですが、金に開封を追われ、1127年に首都を臨安(現在の杭州)に遷都した後の南宋(1127~1276年)と区別して北宋と呼び分けています。 -
府門の上から儀門を見下ろします。
-
開封は、1126年 靖康の変で東北地方に興った女真族の金に占領されています。
そして、北宋が滅亡してから開封の衰退が始まったのです。
北宋の残存勢力は南方に逃れて南宋を建国、1138年に長江下流の臨安(現在の杭州)を都とします。
一方、金は1153年に都を開封から燕京(現在の北京)に移した為、開封は政治的中心地では無くなってしまいます。 -
華北を支配した金王朝は、漢民族の制度を採り入れ、やがて北方の遊牧民との対立を深めていきます。
そのような時、元のチンギス・ハンが北方の遊牧社会に登場しました。
1211年、元は南侵を開始、金王朝はやむを得ず、1214年に首都を開封に移しますが、やがて王朝は滅亡していきます。
そんな歴史を見て来たかも知れない清心楼に登ってみましょう。 -
開封府全体を俯瞰します。
ナイスビューだね ( ^∀^) -
南宋が滅亡した後、元代に入り、新たに江南と華北を直接結ぶ運河の建設が始まります。
やがて、開封は物流の拠点からも外れ、経済の繁栄からも取り残されていきます。
その後、明末には黄河の大洪水で開封は泥土の下に埋もれてしまいます。
現在の開封市は宋代のものではなく、清代に建設された都市なのです。 -
ん~??? 何やら正庁前に大勢の観光客が集まっています。
催物かな???
額に三日月の印を付けた包拯が登場~です!!! -
セリフと音響とともに演劇が始まりました。
惨状を訴える農夫に、包拯は一体どんな救いの手を差し伸べるのだろう???
多分、そんな設定でしょうかね???
何にせよ、中国語が全く分からない私達です(≧∀≦)!!!
演劇鑑賞は諦め、次の暢游地に向かいます(再見)! -
さてさて昼食場所を決めなきゃ!!!
開封府から大相国寺に向かう途中、自家製麺を延ばしている食事処と遭遇です。
かっこいいなぁ~正に職人技・芸術ですネ。
よっしゃ~~ここで食べよう!!! -
開封拉麺・桧麺・鶏蚕鍋に舌鼓、哈爾賓ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
この鶏蚕鍋って、日本で言うところの茶碗蒸しですネ。
中国で初めて注文しました。
美味しいのなんのって!!!!! -
後半戦は大相国寺から暢游開始です。
-
ここ大相国寺ですが、北宋時代、皇族に深く尊崇され、64の禅院・律院が建てられ、1,000人以上の僧侶が修行していたそうです。
現在、天王殿・蔵経楼・大雄宝殿・山門殿・牌坊・八角瑠璃殿等が残っています。
なかなか見応えが有りそうです。 -
大相国寺門票45元です。
-
唐代、日本から仏教を学ぶために渡来した高僧空海は、大相国寺に住んだことがあります。
空海の像が有るらしい・・・ -
入場して直ぐ、中国の名著“水滸伝”に登場する魯智深の銅像が有ります。
水滸伝の拳法の達人102人の中の1人魯智深が、蝉の鳴き声が騒がしい!と柳の木を引き抜く場面を描いたものです。
●×▽□○◎の為なら~エンヤコ~ラ!! -
大相国寺は、開封で最も歴史のある仏教寺院です。
西暦555年に建国寺として創建され、712年に現在の名前になっています。
現在の建物は、1766年に再建されたものです。
兵火で焼かれること11回、大火6回、黄河の氾濫による洪水被害15回等、大きな災害の度に開封古城と栄枯盛衰を繰り返して来ました。 -
八角瑠璃殿の中には、高さ7mの大木で彫刻された四面千手千眼観音菩薩像があります。
古代木彫り芸術の最高傑作と言われています。 -
その観音菩薩像を何重にも囲うように、羅鑑像が配置されています。
辺り一面、金・金・金・・・・・日本人には理解不能・・・ -
観音菩薩像足元の看板です。
大相国寺観音経水???
何かに効果が有る魔法の水かな??? -
その魔法の水は、ペットボトルに入れて販売されていました。
一体、何に効果が有るのかな?
哈哈哈(^○^)!美男子になる魔法の水なら買っても良いかも!!!(o^^o)!!!
何処でも魔法の水ビジネスは存在するのですネ。 -
蔵経堂の奥に建設中の資経閣です。
完成すると、鼓楼の傍で最も高い塔になりますね。 -
大師堂建立の寄付金の碑には、沢山の日本人の名前が刻まれています。
一番奥に空海大師堂があり、中に高僧空海禅師の立像があります。
空海といえば真言宗の開祖ですよね!
そして讃岐うどんを日本に持ち帰った高僧としても知られていますね(^○^) -
高僧空海禅師像と御対面です。
遣唐使船に乗った空海は、長安に仏教を学びに行く途中、大相国寺に留学して滞在していたそうです。
そう言えば、11月に訪れた洛陽の白馬寺でも空海像が有りましたね。
さて、次の暢游地に向かいます。 -
美観・モダンな街並みの馬道街歩行街を進むと・・・
-
開封古城の鼓楼広場に鎮座する鼓楼が見えて来ました。
やり過ごして、更に書店街を進むと・・ -
山陝甘会館に到着です。
ここは清代の乾隆41年(1776年)、開封で商売をしていた山西省・陝西省・甘粛省出身の富豪達による寄付金で建てられた同郷会の会館です。
現存の建物は当時の会館の関帝廟の部分で、国の重要文化財に指定されています。
会館は照壁・舞台・鐘楼・鼓楼・鳥居・本殿・配殿から構成されています。 -
山陝甘会館門票25元です。
-
ここ山陝甘会館ですが、まさに豪華絢爛な造形で、精巧且つ美しい石彫・木彫・煉瓦彫の彫刻は見事の一言です。
建築・彫刻・絵画など何も芸術的価値が高く、稀少な古代建築芸術の宝庫です。
芸術の素人の我家でも感嘆です=(^.^)=! -
大殿内に鎮座する関帝聖君像です。
商売の神様として崇拝されています。
来期の売上と給与が上がりますように!お願い!!お願い!!!(^○^) -
山陝甘会館を出て、再び散歩です。
書店街は特色歴史文化名街として整備が進められています。 -
レトロな街並みは、開封の観光スポットでもあります。
特色歴史文化名街に設置された銅像です。
銅像が示す意味は分かりません。
本を読んでいる銅像ですが、関羽像で無いことは確かですね=(^.^)= -
更に書店街を北へ歩いて行くと、風に揺れる中国国旗が掲げられていました。
今日は何の日だろう??? -
浅草香水店???
私達がイメージする浅草寺の香り=御線香です(^-^)v
ここで香水を買った場合、一体どんな香りがするのだろうか・・・
哈哈哈、浅草寺とは無関係でしょう! -
ミッキーマウスならぬ、ミッキーハウスのお店です。
ウォルトディズニーは無関係ですよね・・・
当然、ミキハウスも積水ハウスも無関係ですよね・・・
この店舗名、いいのかなぁ~(≧∀≦) -
開封府文廟は免費です。
守望閣と孔子像が鎮座しています。
まだ、開発途中らしく、公園内のテナントは空きばかりでした。 -
や・ら・れ・た・・・・・
守望閣に登ろうとしましたが、訪問時間が遅過ぎました~(≧∀≦)!
既に入口は閉じられています。
ん~残念・無念・失敗したねん。 -
諦めて再び鼓楼広場に向けて戻ります。
書店街は夜市に変貌すべく、彼方此方から屋台が集まって来ます。
彼方此方で大渋滞・大混雑です。
たくましくないと中国では生きていけませんネ!!! -
路上テーブルや椅子も並び始めました~(^○^)
いよいよ夜市のスタートです。 -
一度、連泊の最佳西方財富大酒店に戻り小休止、鋭気を養ってから再稼動です。
夜の散歩は、今朝方訪れた開封古城の南小門・新門からスタートです。
綺麗にライトアップされていますよ(^_^) -
開封古城中心部へ戻ります。
鼓楼南側の馬道街歩行街は近代的な美観通りですが・・・ -
鼓楼北側の書店街は雑然とした雑貨夜市になっています。
凄い人出です。
凄い品数です。
凄い凄いです。 -
その夜市で、何と何と、アラクスPITTAマスクを発見!!!
中国で大人気になり、その煽りで日本で品薄で欠品気味なのに、どうして・・???
ん・・??? 1個3元、2個5元・・安過ぎるじゃん!!!
手に取ってみると、パッケージは完璧ですが縫製が曲がっています。
つまり偽物ですネ。
私的財産権が発生する大問題です。
中国の国際的品格を高める為にも国民の意識向上に尽力して欲しいと思います。 -
日本では、既に消えてしまった夜市です。
年配の方々に尋ねると、戦後の闇市を思い出すそうです。
何だか、危険な香りが漂いますね(*_*)! -
鼓楼南東角のケンタッキー(肯徳基)の2階の窓からライトアップされた鼓楼を見下ろします。
鼓楼周辺には、所狭しとばかりに屋台が並んでいます。
凄い活気です。
この屋台、一体昼間は何処に置かれているのだろう? -
中華悠々の歴史が作り上げた様々な食文化、大いに堪能しましょう。
ならば、今宵は開封名物を食べようでは有~りませんか!!! -
楊子鶏を半羽頼みました。
包丁で勢いよく一気に切り刻みます。
ビニール袋に入れてもらってテイクアウトです。
屋台で頼む他の料理と一緒に食します。
開封名物料理と書かれていますが、いわゆる塩茹鶏といった感じですかね!!! -
開封は中国最大級の屋台規模だと言われるだけあります。
様々な食材は、どの屋台でも統一料金制になっていて、支払額は明確です。
これなら観光客でも安心して利用出来ますネ。 -
さて、鼓楼を見上げるナイスポジションな露天テーブルを探しましょう。
昨夜と違って、比較的暖かく、風除けテントは不要なほどです。
ど・こ・に・座ろうかな~!!! -
ライトアップされた鼓楼夜市の屋台街の一席を陣取り、羊串・秋刀魚串・しめじ串・羊肉カンモー・そして先程テイクアウトした楊子鶏に舌鼓、労山ビールで
( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
アジアチックな夜は更けて行きます。
i-phoneの万歩計通知メールを見てビックリ!!!今日は何と42,000歩も歩いてました~!
歩き倒した暢游3日目の3月22日が終わろうとしています・・・晩上好! -
早上好!!!暢游3日目、3月23日が始まりました。
日本の報道番組でも知られている中国外務省の華春瑩報道官が出ていました。
米中の貿易紛争関連報道のようです。
この華春瑩報道官、いつも強面ですが、先般、パンダの香香(シャンシャン)と、日本外務省の杉山(シャンシャン)晋輔外務事務次官を聞き間違えて、思わず笑顔になったハプニング報道を思い出しました。
笑顔は人を幸せにする最大の武器ですね(o^^o) -
さあ、今日の暢游開始です。
先ずはバス移動です。
15路バスで学院門站から禹王台公園西門站まで約20分の乗車のはずです。
ところが・・・ -
直ぐに15路バス(1元)が到着です。
-
事前調査では、15路は禹王台西門站に到着する予定のはずなのですが、到着した場所は禹王台東門站でした???
どうやら路線バスの運行ルートが変わったようです。
ルート変更になっても知る由無し!困ったもんだ!!!
まあイイや! 目の前の禹王台東門から入場します。 -
古吹台と繁塔の通票30元です。
-
禹王台公園内に立つ中日友好桜花園案内板です。
開封市は埼玉県戸田市との友好都市締結10周年を記念して、桜花園を造成しました。
2,000本の染井吉野が植樹され、毎年、春になると多くの花見客で賑わうそうです。 -
染井吉野が少しだけ咲いていました。
過去の悲しい両国の歴史が影を落とし、何度も何度もギクシャクする日中関係ですが、戸田市が贈呈した桜木には何の罪も有りません。
日中友好の使者として、末代まで人々の心を和ませる美しい花を咲かせ続けて欲しい・・・・・切に願っています。 -
古吹台に入ります。
春秋時代、晋国の有名な音楽家である師昿が、よくここで楽器を吹き奏でたことから、古吹台と呼ばれるようになったようです。
西漢時代に“梁園”として増築され、明代、大禹の治水の功績を記念する為、禹王廟が建てられました。
その後“禹王台”と呼ばれるようになっています(O_O)。 -
禹王廟正殿東院は三賢祠です。
内部には唐代の大詩人李白・杜甫・高適の塑像が祀られています。 -
禹王廟山門です。
隣で師昿が琴を奏でています。
楽器を吹かずに弾いていますね=(^.^)=! -
中国の治水の神といえば禹王ですが、日本でも、神奈川県酒匂川の治水神として、中国の古代王朝である夏王朝の初代皇帝である禹王が祀られています。
石碑には、“文命堤修築を記念し永久の鎮護のために神禹を祀る”と刻まれています。
禹王は両国の歴史の架け橋なのですね(^○^)! -
禹王台西門から出て、農道を挟んだ真向いの繁塔を目指します。
-
繁塔の原名は興塔寺と言います。
977年建築で開封に現存する建築物の中では一番古いそうです。
かつての黄河氾濫で、繁塔の土台が埋まってしまいました。
現在の高さは31.67mで、今は3層分の塔身しか有りません。
文献によると9層も有ったと記されているそうです。
驚くべし黄河、恐るべし大自然!!! -
繁塔は開封古城の城外に位置し、北宋開宝七年(997年)に建造された開封市の現存するもっとも古い建築です。
六角形の塔で、金剛般若波羅密教などのお経が170枚保存されています。
また、塔内外の壁に多数の彫刻が施されています。
丁度、桃の花が満開で、塔に彩りを添えていました 橤橤橤 -
繁塔内に登れるはずだったのですが、何と、閉鎖・・・(≧∀≦)
許昌文峰塔に続き、この塔も、O U T !!登れません。
なんてこったい!!! -
禹王台西門から再入場して禹王台東門から路線バスに乗る予定だったのですが、再入場させて貰えません。
公園を通り抜けたいという意思が上手く伝えられず、“◎●○▽▼▲□■”と服務員に追い返されてしまいました。
仕方なく、写真のような農道??を進み、禹王台西門站に向かいます。 -
おそらく15路バスは禹王台西門站には来ません。
往路乗車時に路線変更されたことを知った私達、キッパリ待つのを止めて、一つ先の鋼材市場站まで歩きました。 -
往路と同じ15路バス(1元)に乗車して、開封古城内に戻ります。
-
路線バスの最前列に座っていると、鼓楼が見えて来ました。
昨日、昼も夜もお世話になりましたo(^▽^)o -
新街口站で降車し散策再開です。
目の前のレトロな宋都御街の牌坊へと進みます。
宋都御街は開封市中山路北段に位置し、宋の時代の様子を再現するために、1988年に建造されています。 -
その宋都御街で、蜂蜜羔なる飴と遭遇!!!!
よく見ると、5分で痰を切り、20分で咳止効果が出るみたい・・・本当かな?
しかし決して買いません!!!!
我家愛用の“龍角散ののどすっきり飴”の方が勝る!!!と信じています。 -
これがその蜂蜜羔です。
龍角散ののどすっきり飴とは違い、切り飴ですね。 -
やがて、樊楼に到着です。
樊楼も史書に基づき再建されたもので、東・西・南・北・中の5つの3層の楼閣からなり、それぞれの楼閣が飛橋で繋がっている豪華な造りとなっています。
残念ながら入場出来ません。 -
龍亭公園入口です。
2018大宋花朝節という横断幕が付けられています。
何か催しが有るのかな???
ここが龍亭広場で龍亭公園の入口となる午門です。 -
龍亭公園門票65元です。
-
新年迎喜の文字が見えます。
旧正月に合わせて組まれたランタンが残っているようです。
きっとライトアップされた夜は綺麗なのでしょうネ(o^^o)! -
玉帯橋です。
子午線に沿って北上します。
まるで青空に向かって、飛び立つがの如くです (^○^) -
大慶殿遺跡の碑です。
龍亭公園は北宋の宮殿の遺跡の上に作られています。
湖の下6m程の深いところに明の周王府があり、10数mの程の深いところには北宋時代の紫禁城が埋没しているそうです。 -
彼方に龍亭が見えて来ました。
-
朝門を潜り・・・
-
龍亭が目に飛び込んで来ます。
宋時代の荘厳な宮殿となっており、高さ13m・72段の石段を上ります。
石段中央部には龍が彫られていて、屋根は全て高貴で華やく黄金色の瑠璃色瓦で覆われています。 -
龍亭の階段を上がり南側を振り返ります。
右側の湖が楊家湖、左側のそれは潘家湖です。 -
広い龍亭公園には電動カートが待機しています。
1回10元です。
しかし我家は乗りません。
あくまでも“歩く”が基本です。
今日の万歩計はどうなるかな? -
龍亭公園を退場する前に御手洗に行ってみると・・・
TOTO(東洋陶器)ならぬ、YOYOの便器が有りました~!!!
なんだかなぁ~思いっきりウケます(笑・嗤・哂 ((´∀`))ケラケラ) -
さあ、龍亭公園を出て、食事処を探します。
それにしても天気が良く暖かい・・・
ポッカポカの路上テーブルを陣取ります。
鍋貼・尖椒土豆絲・黄燗魚に舌鼓、労山ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!! -
後半戦の暢游開始です。
30路の路線バス(1元)を待ちます。 -
この路線、ここ天波楊府站が始発です。
つまり座れます(o^^o)
やったネ~!!!!!! -
城外の大梁門站で降車し散策再開です。
開封古城の西門である大梁門の北側に連なる城壁沿いを彷徨います(^○^)!
この後、城壁に上がれるんだ・・・ワクワクします。 -
開封古城の大梁門は車道を確保した再建門です。
再び城内に戻り、古城璧上を歩いてみましょう!!! -
城内北側の古馬道入口です。
ここから城壁に上がれます。 -
大梁門門票10元です。
-
古馬道入口から入ると、いきなり古城璧遺跡になっています。
明代城壁の上に清代城壁が積み重なっているのが分かります。
当時の馬道も発掘されています。
開封は、掘れば遺跡が出てくる・・・そんな古都なのでしょう。 -
開封城壁変成示意図が有りました。
様々な時代の城壁の位置が分かりやすく紹介されています。 -
さあ、疲れた体に鞭打って、馬道から城壁に上がってみましょう。
なんだかんだ言っても、やはり城壁大好き病は治りません (^○^)! -
大梁門楼閣です。
天気も良く、最高だなぁ~!!! -
城壁散歩に大満足な我家です。
中華の悠々な歴史は、私達の足元に眠っています。
凄いぞ!中国!!!
さあ、古城壁散歩を終え、開封を後にします。
と、その前に・・・ -
大梁門城外に梁苑市場が有ります。
市場を見つけると、行ってみたくなるのが我家の法則です。
早速、散策開始です。 -
NIKE ではなく
AIKE
なんだかな~~ -
NEW BARANCE ではなく
NEN BLANKU
あらららら~~ -
どう見ても・・・
靴のマークは adidas・・・
やり過ぎでしょ!!!!!!!!! -
市場は笑いの宝庫ですね。
梁苑市場散策を終え、47路バス(1元)で高鉄開封北站に向かいます。 -
乗車30分で到着です。
この高鉄開封北站は古都をイメージした建築様式になっています。 -
高鉄開封北站から高鉄武漢站までの切符(266元)です。
旅游初日に武漢站集票処で購入済みです。 -
17:35発G1847号が入線して来ました。
高鉄列車は満席のようで、無座の人達が沢山いました。
開封北站を発射したG1847号は、途中、鄭州東站・許昌東站・塁藩河西站・駐馬店西站に停車、約2時間40分後の20:15に武漢站に到着です。
本当に高鉄線は早くて便利ですね。 -
旅行初日の3月21日、切符購入で慌てた高鉄武漢站です。
空港のような巨大な站舎です。
この後、地下鉄4号線と2号線を乗り継いで、循礼門站まで移動です(6元)。 -
洪山広場站で地下鉄4号線から2号線に乗り換え、車内で家内と話していると、目の前に座っていた男性から話しかけられました。
「日本の方々ですか?」。
「僕は日本語を勉強中です」。
「一度、日本に行って桜を見たいです」
「武漢の何処を観光するのですか?」。
覚えたての日本語で、必死に話しかけて来ます。 -
明日、私達が武漢大学の花見に行こうとしていることをと知ると、彼は事前ネット予約をしないと、キャンパスには入れないと言います。
え~~!!! っと思っているうちに、循礼門站に到着、降車です。
まあ、明日は何とかなるだろう!!!(o^^o)!!!
楽観主義は我家の十八番です!!! -
循礼門站から徒歩5分、武漢美聯都市假日酒店(338元・朝食付)にチェックインです。
C-TripのHPで予約していました。
元々、日系のホテルなだけに、バスタブが有る等、日本人には使いやすい設計になっています。
然も何と、1階には日本料理店が入っています!!! -
ホテルを出発すると、??? あれれ ??? いつの間にか路上に屋台が出ています。
有名な屋台なのか???大行列になっています。
香ばさが辺り一面に漂っています(^。^)!
お・い・し・そ・う o(^▽^)o -
夜の江漢路を散歩です。
租界時代のレトロな建築群と近代的なそれとが混在しています。
土曜日の夜のためか?凄い人出です。
2人、はぐれないようにしなくちゃ! -
無印良品?
メイソウ?
名創優品という店舗らしいです。
何か親しみが湧く店舗名ですね(^。^) -
夜市に潜入します。
この THE アジア~的な雰囲気、ゾクゾクしちゃいます(o^^o)!
ある意味、夜市ほど、好奇心を煽る空間は無いのかな? と感じています。 -
さてさて、晩御飯を食べなきゃ!
今回の中国暢游の最後の晩餐です。
ここは昨年もお世話になった吉慶街の添香園という店です。
長江で獲れた武漢魚を食べなきゃ!!! -
川湘辣子魚鍋に舌鼓、哈爾賓ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
淡水魚の武漢魚は淡泊で美味でした~~(⌒∇⌒)。 -
皆さん、支払いはスマホで完結です。
屋台から実店舗まで、中国のキャシュレス化は凄まじい勢いが有ります。
個人情報保護法は大切な人権保護でも有りますが、硬い頭だけでは世界から取り残されてしまいます(O_O) -
ホテルに戻り、CCTVの天気予報を確認です。
中国全土の明日の天気予報です。
今回の暢游、結局、5日間とも晴・晴・晴です(^○^)。
ワクワクした暢游4日目の3月24日が過ぎていきます・・・晩上好!!! -
早上好!!!!!!暢游最終日 3月25日が始まりました
朝食会場は最上階の展望ラウンジです。
1時間で床全体が1周します。
流石4ツ星ホテル、目の前で、様々な料理を調理してくれます。
我家は武漢名物の熱干麺を注文!頂きま~す(^○^)
お腹を満たして出発・出発!!! -
武漢大学迄は地下鉄2号線で移動します。
循礼門站から街道口站まで3元です。
地下鉄車内は、かなり混み合っていましたが、街道口站で、一斉に降車です。
え~みんな降車ってことは・・・イヤな予感・・・ -
街道口站から武漢大学まで、皆さん大挙して、同じ方向・同じ流れです。
す・ご・い・ひ・と (≧∀≦)
前方では“●◎▽●×○●!!!!”と拡声器で何か叫んでいます。 -
人混みをかき分けて辿り着いた先には無情な立看板が・・・
-
武漢大学の桜は、日本と縁深い歴史が有ります。
日中戦争(中国呼称:日華事変)当時、旧日本軍が武漢を制圧していた頃、兵士の士気を高める目的で、染井吉野が植樹されました。
その当時の桜は残っていませんが、日中国交正常化の折、新たに日本から送られた染井吉野が植樹され、毎年、人々の目を楽しませ続けています。 -
キャンパスに入るのに、大行列です。
中国の人達も日本人同様にお花見が大好きなようです。
上野公園の花見も大変ですが、武漢大学も大変そうです。 -
IT化された入口です。
事前予約をした方のみ、人民カードでタッチセンサーを通過出来ます。
昨夜、地下鉄内で事前予約の有無を確認してきた中国人男性の話が脳裏を過ぎります。
私達・・・入れません・・・
(涙)(涙)(涙)!!!!! -
キャンパス入口近くで咲く桜です。
染井吉野を見れず残念です。
~散る桜、残る桜も散る桜~
キャンパスに入れなかった焦燥感・絶望感からか、江戸時代の曹洞宗の僧侶で歌人でもあった良寛の辞世の句を思い出しました~(≧∀≦)!!! -
さあ、気を取り直して、最後の暢游地 宝通禅寺を訪れます。
ここ宝通禅寺は、南北朝時代の劉宋時代(420-479年)に建てられました。
もともとは東山寺と呼ばれていましたが、唐代に弥陀寺と改め、南宋時代には崇寧万寿禅師と改称されています。 -
宝通禅寺門票10元です。
-
ここ宝通禅寺は、武漢に現存する最古の寺院でもあります。
-
洪山宝塔に登るには、別途2元が必要です。
その前に、山頂まで広がる洪山公園に建立された塔の麓まで登らなきゃ!!!! -
塔内は狭い石段階段が、渦巻き状に設置されています。
一層一層、階段途中では入れ違え出来無い為、互いに譲り合って上り下りしなければなりません。
当然、時間を要します。 -
いよいよ塔を登りつめます。
あの光の先に有るものは・・・?
未来か?
希望か??
何なのか??? -
暢游の最後に、塔上から寺院全体を見下ろします。
ん~ナイスビューだね!(^。^)!
ここ宝通禅寺ですが、子午線に沿った琉璃色瓦建築の配列が何だか北京故宮に似ていますね (o^^o) -
さて、全ての暢游行程を終えて、地下鉄2号線で、武漢天河国際空港に向かいます(6元)。
-
街道口站から天河武漢国際空港站まで、約75分、乗り換え無しです。
時間が正確に測れて、地下鉄の開通は大変助かります(o^^o)!! -
春秋航空日本に再びお世話になります。
東京成田迄のフライトは満席でした。
日本人は私達を含めて6人だそうです。
中国旅游者が大挙して日本に押し寄せますよ!(^○^)! -
出国審査を終えました。
さあ、最後の昼餐をしなきゃ!!! -
精品紅焼牛肉拉麺・羊肉ヤンモーカンモーに舌鼓、黄鶴楼缶ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!!乾杯~!!!!
周りでロシア語が飛び交っています。
武漢が国際都市という証でしょうかね。 -
日本語と中国語のアナウンスが流れます。
IJ1012便の搭乗が始まりました。
我家の中国暢游が終わりを告げます(≧∀≦)! -
河南省許昌・開封史跡巡りの旅・・・・如何でしたか?
今回も晴れ男・晴れ女の本領発揮です。
過ぎてしまえば、あっという間の5日間の旅でした。
時差1時間を巻き戻して、日本帰還です。
段々と夕闇が迫り、睡魔が襲って来ました。
現実的な中国暢游という夢の世界から、本当の夢の世界に行きます。
さあ!!明日から仕事を頑張って、そして、労働節に休暇を取って、再び中国旅行に行くぞ~!!行くぞ~!!!!!絶対行くぞ~!!!!!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- NODAさん 2019/06/18 22:47:03
- たいへん参考になりました
- はじめまして。
開封、許昌への旅行記、たいへん楽しく拝見しました。私も水滸伝、三国志が大好きで、2年前は洛陽に4泊し、開封は清明上河園だけ見てきました。この夏にも開封と許昌行きを考えております。許昌は日帰りでも十分、という声もありますが、宿泊する価値は十分にありそうですね。私も一二泊してのんびり歩いてみたいと思いました。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
260