2018/04/29 - 2018/05/05
9位(同エリア138件中)
尖椒土豆絲さん
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- 旅行記30冊
- クチコミ0件
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3月に旅した曹魏故城許昌の曹操関連の三国志史跡巡りで、彼方此方で遭遇した蜀国武将関羽雲長への想いが募り、今年の労働節に目指した暢游先は関羽生誕地“運城”です。
調べてみれば、運城は山西省最南端ながら大西客運専線南段開通により北京から直通で訪れることが可能になっており、その沿線の山西省各地には古城や晋商の豪邸など様々な史跡が存在することも判明、ならばと、東京ー北京間の航空チケットを予約です。
そんな訳で、様々な先人達の旅行記等を参考にしながら、人民大移動の労働節真っ只中、毎度々の古城・史跡巡りに突撃、何とか無事に臨汾・運城暢游から帰国しました~!(o^^o)!
魅力たっぷりの中国の様々な史跡群、私達と一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今年も我家恒例の労働節の中国暢游旅行の始まりです (o^^o)。
労働節で満席の日本航空JL021便は、東京羽田国際空港から北京首都国際空港に向かって出発です。
今回はLCCでは無く日本航空利用です。
つ・ま・り・・・機内食サービスでGOODな気分、極めつけは大好きなプレミアムモルツで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯です。
我家の躍動感・期待感を乗せて、一路、中華大陸に乗り込みます!
今回は、どんな珍道中が待っていることやら・・・
Let's go 中国!!!! -
東京ー北京便は韓国ソウル・中国大連付近を飛行します。
朝鮮半島西側の黄海上に引かれた軍事境界線を北側へ越えないように、ソウル上空で少し航路を西寄りに変えて飛行します。
先般、韓国と北朝鮮の南北首脳会談が開催されました。
近い将来、停戦中の朝鮮戦争終結の日が来ると信じたいものです。 -
定刻より25分程早く北京国際空港到着です。
ところが入国審査には両手の指紋登録が必要になり、かなり時間を要しました。
非常に厳しいセキュリティ管理です。
今日の我家は山西省の臨汾まで行かなければなりません。
急いで机場快線站に向かいます。
高鉄列車が発車する北京西站まで、机場快線と地下鉄を乗り継ぎます。
先ずは机場快線(25元)で東直門站へ、ここから地下鉄1・2・9号線(5元)を乗り継ぎ北京西站まで約100分かけて移動です。 -
過去、北京西站到着の列車は何回も利用していますが、北京西站出発の列車利用は、2010年に平遥旅行をした時以来です。
当時の動車組列車は、北京西站から石家庄北站迄は在来線を、石家庄北站から太原站迄は、完成したての高鉄専線を走行しました。
まだまだ、京広高鉄線が建設中で石家荘站も移転する前だった頃の懐かしい話ですね (o^^o) -
北京西站集票処に並びますが・・・凄い人・人・人・・・
事前のネット予約をしたとは言え、今日は労働節初日です。
我家の中国暢游に大混雑の洗礼が待っていました・・・。
さあ、並ぶこと20分、やっと辿り着いた窓口で、予約番号と“今天臨汾2張一等座D2005”と書いた紙を見せて切符入手に挑みます (^。^)。
服務員から“〇×△◆◎●▼□”と言われ理解不能・・・しかし迷わずにパスポートを手渡すと、無事に切符受け取りです。
そうそう、翌日以降の暢游中の全行程の列車切符も事前購入しなきゃ!! -
無事に購入した北京西站から臨汾西站迄の切符(306.5元)です。
5時間23分もの長時間の乗車ということもあり贅沢に一等車を予約です (^_^)。
さあ、赤外線セキュリティを潜り、站構内へ進みます。 -
新しい高鉄線が中国全土を網羅していく中、北京西站は昔と変わらず、少し古びたままですね (*_*)。
この懐かしいような站舎、何か少しホッとしますね。 -
続けて待合室内の中国農業銀行ATMで、キャッシュカードを使って軍資金の調達です。
因みに4月29日のSMBC信託銀行レートは、1元 = 18.12円でした。 -
大西客運専線南段を走行する北京西站15:29発の動車組D2005号は、途中、平遥古城站にも停車、終点の臨汾西站には20:52に到着します。
2010年、バスを乗り継いだり、無座の列車に乗ったりと、あんなに苦労して訪れた平揺古城ですが、今では北京から簡単にアクセス出来るようになりましたね (^_^) -
5時間23分後、臨汾西站に到着です。
続けて古城中心部までの路線バスを探します。
事前のネット調査情報では、路線バスの定期運行は18:00で終了し、それ以降は列車の発着に合わせて運行されているらしい・・・
その不定期路線のバス停を探さなきゃ!
“我想去臨汾鼓楼” 中国語訳、正しいかな? -
ロータリーに隣接するバス発着場には各方面行きのバスが到着列車時刻に合わせて待機していました。
鼓楼を通る6路・7路のバスも発車待ちです。
よっしゃ~これで古城内に行けるはず・・・
さてさて何方に乗ろうか???
乗車数が少なく座席が空いている6路に乗り込み、暫く発車まで待機・待機! -
やがて、列車到着後約15分過ぎの21:10頃に全路線バスが一斉に発車です。
6路バス(1元)に乗車すること約20分、目の前の車窓にライトアップされた鼓楼が見えて来ました。
アララ!!鼓楼北站に到着、降りなきゃ!!!!
この鼓楼、明日、登楼予定です。
綺麗だなぁ~楽しみだなぁ~ -
その鼓楼近くの臨汾思麦爾国際酒店(双床・朝食付き309元)に無事にチェックイン、暫く小休止です。
さあ、我家の楽しみの屋台晩餐に向け、ホテル周辺を彷徨います (^_^)。 -
す・る・と・・・ホテル近くに活気溢れる屋台村が有り、迷わず突進です。
ここは山西省です。
山西省と言えば麺でしょう!!!
刀削麺を食べようと各屋台を見て廻ると・・・
注文が入る度に、刀型包丁で麺を切っている屋台に遭遇です。
な・る・ほ・ど・・・練った小麦粉塊を刀で削ぐのでは無く、まな板で切る刀削麺も有るのか~! -
3箇所の屋台で羊肉串・手羽串・豌豆串・尖椒土豆絲・西紅柿鶏蚕手工刀削麺を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
ハオツー 好吃!
長い移動だった暢游初日の4月29日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游2日目、4月30日が始まりました。
流石4ツ星ホテルです。
様々な料理を目の前で調理して頂けます。
やはり麺を食べなきゃ(●^o^●)。 -
CCTVを見ていると、労働節の旅游者数が1憶4900万人だと報じられています。
日本の総人口よりも遥かに多い人民が大移動をする訳です。
昨日の站舎の大混雑も当たり前です (=^・・^=)。 -
労働節初日、全国で706本もの臨時列車が増発されています。
いやはや、アイヤー(愛雅)・・・恐れ入ります。 -
さあ、暢游開始です。
臨汾鼓楼は大中楼と呼ばれ臨汾古城中心部に鎮座しています。
創建時期は北魏まで遡るようですが、現在の鼓楼は1987年に再建されています。
早速鼓楼に登ってみましょう。 -
鼓楼の門票(10元)です。
-
鼓楼内では1977年の発掘調査で発見された鉄臥牛がお出迎えです。
ここ臨汾古城は別名臥牛城と呼ばれています。 -
続いて鼓楼から徒歩10分の大雲寺(免費)暢游です。
寺院山門には臨汾博物館との扁額が上がっています。 -
大雲寺(鉄佛寺)は唐代の貞観6年(西暦632年)に創建され、仏塔が残っています。
ところが博物館は現在工事中で閉鎖されていました。
ん~残念・無念・何でやねん!!! -
その仏塔の中には仏様の大きな顔(頭)が鎮座しています。
皆さん、仏様を触りながら回り続け(祈り続け)ています。 -
さて、大雲寺暢游を終え、次の目的地堯廟に向かいます。
鼓楼南站から堯廟へは、6路と23路バスで行くことが出来るようです。 -
暫くすると6路バス(1元)が到着です。
-
三皇五帝の堯廟に到着です。
堯廟は三皇五帝の一人である堯を祀る廟です。
珍しく中国人ガイドを伴った一人旅の日本人観光客に出会いました。 -
堯廟の門票(40元)です。
-
儀門を過ぎると彫塑が並びます。
写真は石に刻まれた将棋盤です。
将棋のルールは日本に渡来してからは全くの別モノになりましたが、将棋のルーツは同じなのでしょうね。 -
現在残っている建物は主に清代の建築物です。
堯を祀る大殿の広運殿は1998年に火災で焼失してしまい、新たに再建されています。
廟内には、五鳳楼・尭井亭・広運殿・寝宮・堯殿・壁廊等があります。
広運殿には清朝皇帝の真筆の扁額が掲げられています。 -
金色に輝く堯帝です。
“庶民に罪あらば、責任は我にあり” 堯帝は正にこうした聖君だったと伝えられています。
堯廟は歴代王朝が堯帝を祭り、内外の華人がルーツを探り祖先を祭る場所なのです。 -
鼓楼の中にギネスに登録された世界一大きな天下第一鼓が有りました。
直径3.11m・厚み1.5m・重さ300kgと記されています。
大きな牛皮は3,650本もの鋲を打って張られてますが、一体どんなに巨大な牛だったのだろう・・・不思議だ!!!
さ~てと、堯廟を後にします。 -
堯廟前の堯都大道西側遠方に天下第一門(華門)が見えます。
建設された世界最大の凱旋門だそうです。
気になって入場口まで行きましたが、何と50元もの高額な門票価に驚愕です。
華門の価値観が理解出来ない我家は退散・退却・退場です (//∇//)。 -
堯廟公交站から23路バス(1元)で古城路北站に向かいます。
ここ堯廟公交站は郊外への長途バスターミナルになっており、様々な方面へのバスが発着しているようです。 -
23路バスを降車した古城路北站は旧臨汾古城の北城門(鎮塑門)に相当します。
しかし残念ながら城門・城壁・瓮城は撤去され残っていません。
跡地には3枚のレリーフに龍を刻んだ四龍壁が建てられています。 -
北城門跡地から古城路を西に向かって歩きます。
途中、路上にテーブルと椅子を並べる食事処が連なっており、冷えたビールを置いている店を詮索します。
その中の一軒で、尖椒土豆絲・過油肉・西紅柿鶏蚕麺を注文、冷た~~~い労山ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
のどごし最高!!!(*^^)v -
さあ、暢游後半戦です。
臨汾古城の城壁ですが、古城北西エリアが修復されているようです。
城壁の途切れる箇所も詮索したのですが、城壁に上がることが出来ません。
仕方が有りません・・・
城外を城壁に沿って暢游します。 -
すると、再建された北城門=鎮塑門が現れました。
ここなら元の場所と違って交通の邪魔にならないという判断なのでしょうか??
残念ながら城門を潜って城内に抜けられません。 -
更に城壁沿いを西に進むと、干支の石像が並ぶ十二生肖園です。
干支の起源は中国で、殷(紀元前17世紀頃 ~紀元前11世紀頃)の時代には既に時間や方角などを表すのに使われるようになっていたと言われ、日本には4世紀から5世紀頃に伝わったようです。
日本では子丑寅・・・亥と最後に猪で終わります。
しかし中国では最後の亥は豚を指すようです。
伝わり方が違ったのか? 日本が独自に動物を変更したのか? 定かでありません。
因みに私は卯年・家内は申年生まれです。 -
更に西へ歩くと、古城大院に到着です。
門票(10元)です。 -
古城大院は臨汾市周辺に残っていた古民居を移築・修復して展示している博物館で四合院建築の邸宅です。
向かって左手の張氏民居に入ってみると・・・ -
臨汾古城図が展示されています。
かつては瓮城を伴った堅固な古城だったのですね。 -
何やら古城東側に、もう一つ小さな城壁で囲まれた古城(東関城)が存在していますね。
東城門(武帝門)・西城門(和儀門)・南城門(明徳門)・北城門(鎮塑門)と東西南北四座の城門を配していました。
確か同じ山西省の大同古城の城壁も大小二つの城郭都市でしたね。 -
現在の臨汾地図に古城図を合わせた地図です。
古城東側に東関城が張り出していますね。
そういえば、亳州古城もキノコの傘が付いた変わった形の古城だったことを思い出しました。 -
臨汾古城壁に立つ旧日本軍兵士の写真が展示されています。
日中両国にとって忘れてはならない過去です。
また、両国が同じ轍を踏まない為の知恵が必要な時代への戒めでも有ります。 -
中央の吉氏民居、最後は右手の劉氏民居も見学し、古城大院の3民居を後にします。
古城大院の西側に広がる古城公園内に臨汾古城の説明が有ります。
何々???私達は中国語は話せませんし聞き取りも出来ませんが、文字解読なら何とかなるかも!!!
記述によると、城壁一周は5,980mも有るそうです。 -
古城大院暢游を終え、城壁沿いを歩いて行くと・・・
臨汾古城の北西角の城壁に到達です。 -
古城公園内資料館の屋上展望台に臨汾古城が再現されています。
大きな子城=東関城や堅固な二重瓮城を伴っていたことが良く分かりますね。 -
さてさてさてさて臨汾暢游は終了です。
今から運城まで移動です。
先ずは臨汾西站に行かなければなりません。
古城公園近くの西関橋頭站から6・7路バスに乗り込みます。 -
先に7路バス(1元)が到着です。
-
臨汾西站近くまで自動車専用高架道路が整備されています。
列車に乗る為に站舎に向かう人達には頼もしい時間短縮道路ですネ。
続いて動車組列車で運城に移動します。
臨汾西站から運城北站迄の切符は、昨日、北京西站集票処で購入済みです。 -
動車組D2525が入線です。
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臨汾西站から運城北站までのD2525号の切符(38元)です。
途中停車站は無く、僅か37分で私達を運んでくれます。 -
そして無事に運城北站に到着です。
さてさて、運城中心部までのバス移動が待っています。
バス停を探さなきゃ!!! -
7路と14路、何方に乗ろうか・・・
-
距離的に短い7路バス(1元)に乗車、運城火車站の次の五州汽車站で降車、南風広場方面つまり河東東街を東側に歩きます。
-
降車後、徒歩約10分、今夜から3連泊とお世話になる運城金日温泉精品酒店(行政標間双床朝食付き180元×3泊)に無事にチェックイン、暫く小休止です。
運城は大規模な夜市や屋台が残っているらしく、早速、夜の街に繰り出します。
ホテル前の河東東街は衣料品や雑貨品の夜市と化し大盛況です。
ん~我家大好き THE ア・ジ・ア~~ を感じる瞬間ですね。 -
さあ、運城最大規模の夜市である河東夜市にやって来ました!!!!
ん~夜市大好き我家の血が騒ぎます。
テンションUP・UP (*^^)v -
道路の両側に何軒も何軒も屋台が連なります。
どの屋台でも同じメニューが用意され、明朗会計システムで安心です。
何処の屋台で晩餐しようかなぁ~(*^_^*) -
途中、沢山の呼び込みの嵐に遭遇しますが、私達には言語が通じません。
皆さん、それでも“●×▼□◎○◆”と必死に話しかけて来ます。
どうしようか悩んでいると、ある屋台から英語での勧誘が始まりました。
最近の中国の若い人達は、英語が堪能だなぁ~と感じています。
日本の教育システムでは一向に英語力が向上しないというのに!!! -
その若い女性の英語力に誘われて晩餐会場決定!!!
錫紙花甲粉・肉炒孜然麺・焼稔魚を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
いや~屋台は楽しいなぁ~
暢游2日目の4月30日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游3日目、5月1日が始まりました。
今日で労働節は終わり、中国の連休も終わりです。
人民団体旅行客と遭遇しないよう、暢游コースを組み立て直して出発です。
先ずは徒歩20分の関王廟(免費)から暢游開始です。 -
関羽は青年の頃、運城で暴利をむさぼる塩商人とトラブルを起こし、官吏に追われて幽州に逃げ、姓名を変えて関羽と名乗ったと言われています。
その後、劉備・張飛と出会い、桃園の誓いを経て、一生涯劉備に忠誠を尽くした義を重んじた蜀国武将です。 -
後世、その人格から神格化し、信義に厚い事などから、現在では商売の神様として世界中の中華街に祭られています。
横浜の中華街にも関帝廟が有りますよネ。 -
関羽が絡む三国志の名場面が描かれています。
桃園結義や文醜斬伐の場面も有ります。
三国志ファンには嬉しくて仕方が有りません。 -
関王廟から紅旗西街を東側に進み、運城古城の中軸線である解放南路を南に進むと、皇冠暇日酒店の向かい側に建設中の鐘楼が見えて来ました。
鐘楼の東側に延びる通りは老東路、西側のそれは老西路と呼ばれています。
ここ鐘楼が運城古城の中心地なのでしょうね。
そして、解放南路の彼方にも、何か建設中の建物が見えています。
何だろう・・・??? -
近づいてみると・・・(>_<)
何と何と・・・南城門とそれに続く城壁を再建中です。
近い将来、鐘楼といい城壁といい、運城古城の復元整備が成されそうです。 -
南城門を南側から、つまり城外から見上げます。
かなり工事が進んでいますね。
完成した暁には登城も出来るようになるのでしょうかネ!( ^∀^)! -
続いて塩池神廟に行きます。
塩池神廟は、運城古城の南城門前で塩池に向かって丘斜面に建てられています。
私達は古城南城門側から歩いて来た訳ですから、塩池神廟の北側の裏手門に居ることになります。
ところが、わざわざ塩池神廟の南側正面口に回り込まなくても裏手門から入場出来るようです。 -
塩池神廟の門票(30元)です。
-
裏手から入場、乾門を潜り、最初に三大殿を見学します。
残念ながら、一部工事中で、殿内見学不可でした (//∇//)。 -
碑林を従えた原為中門を潜ると・・・
-
本来、南側正面入口から入場した場合は、この海光楼が最初に私達を迎えてくれます。
何だか順路が逆になり、変な感じです。
ここで気付きました~。
南門は閉じられています。
つまり裏側からしか入場出来ません!! -
さて、池神廟站に戻り、21路バス(2.5元)が到着するも既に超満員です。
山手線以上の乗車率です (//∇//)。
しかし・・乗り込むしかない・・・
流石に労働節、常平関帝廟は大人気観光地なんだ~と驚きです。
ところが・・・この21路バスは観光バスでは無く、地元民の足だったのです。
途中降車する地元民が大半で残りは10名程まで減っていました。 -
☆彡☆彡 予期せぬ事態が発生です。
常平関帝廟迄あと数km程のところでバスは停車、服務員が“●◎▼□×◎◆■”と叫び、全員降ろされました。
何と道路が工事中で、この先は“歩け”と言っているようです。
そ・ん・な・馬鹿な・・・<`~´> -
有り得ない事態に唖然・呆然の私達を尻目に、他の乗客はサッサと歩き始めます。
我家も覚悟を決めて、あ・る・く・ゾ!!!
し・か・し・・・本当に有り得ない・・・ -
我家は21路バスで解州関帝廟にも行く予定です。
しかし、この先は運休という最悪の事態が予測されます。
道路工事は仕方ないとしても、迂回運行するとか他の方法が有るべきと思うのは私だけでしょうか・・・?
さてさて!どうしよう・・・(//∇//)。 -
歩くこと約20分、常平関帝廟に到着です。
関羽の字は雲長です。
東漢延三年 ( 紀元160年 ) に黄河東岸の運城解州常平村で生まれました。
関羽は体格が立派で容貌に風格があり武芸に優れていたようです。
そんな関羽だからこそ、三国志演義で青龍偃月刀を振るうことになったのでしょうネ。 -
常平関帝廟の門票(30元)です。
-
関王故里大門です。
関羽の子孫は関帝廟設立に際し多額の寄付をしたとの説明が有りました。
多分・おそらく・きっと・・ (@_@) -
関羽が愛した赤兎馬です。
赤い毛色を持ち、兎のように素早い馬です。
猛将呂布の愛馬として名を馳せ、後に関羽の愛馬となりました。 -
関帝殿に鎮座する関羽像です。
何気に写真を撮ったら、服務員に“×●▽◆□◎×〇”と言われました。
どうやら殿内の関羽像は写真撮影禁止のようです。
ゴメンね!関羽~!!<m(__)m> -
樹齢1800年以上の柏木です。
左右2本が植えられ、今日に至っています。
この常平関帝廟が関羽故里とされるのは、関羽だけでなく関羽の祖先も祀られているからです。 -
建物の外に立つ関羽像です。
こちらは正々堂々と写真撮影が可能です。
さあ、次の暢游目的地の解州関帝廟に行かなきゃ!!!!!!
し・か・し・・・悲しい現実が待ち受けます (//∇//)。 -
本来であれば21路バスは、解州鎮まで運行されているはずなのですが、バス停は暫く使用されていないようです。
服務員の女性達に解州鎮迄の行き方を紙に書いてもらいました。
“巴士21路修路不通了”
“不通不去除排回運城市区坐11路公交”
つまり、一旦運城中心部に戻り、改めて解州鎮行きのバスに乗れという内容でした。 -
再び工事中の道路を砂埃にまみれて歩くこと20分、停車中の21路バス(2.5元)に到着です。
あ~疲れたよ~
あ~目が痛いよう~ -
車内に貼ってあった21路バスの料金表です。
運城-解州 4.5元 という表記が恨めしく見えてしまいます。 -
塩池のど真ん中を突っ切る6号線道路です。
彼方に運城の街が見えています。
左右には塩池の水面が輝きます。
五月晴れに加え、爽やかな風が流れます。
ん~いい季節だなぁ~! -
21路バス終点の運城二中鐘楼小区站から、11路バスが通る市中心医院西院站迄、15分ほど歩いて移動です。
道路工事による運休の為に、とんだ余分な出費と時間の浪費です。
困ったものだ・・・(`´) -
11路バス(4元)が到着です。
運行本数が多い為か、先程の21路と違い、比較的空いています。 -
運城中心部から解州鎮迄、一般道を約40分かけての走行です。
解州関帝廟站に到着、目の前の羊肉泡を看板商品として謳う露天食卓を占拠、さあ!昼餐しなきゃネ (^O^) !!!! -
紅いテントが張られた露天食道で、羊雑湯・餅子・尖椒土豆絲・永済止麺を注文、青島ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
最近、羊肉料理に魅了されています。
いや~露天昼餐は楽しいなぁ~ (^o^) -
ここ運城は“関羽故里”であり、解州関帝廟は全国各地にある関帝廟の総本山のような存在です。
遂に関羽の聖地にやって来ました。
来たぞ~着いたぞ~凄いぞ~関羽雲長!!! -
解州関帝廟の門票(60元)です。
-
関羽の故郷に建てられた中国三大関帝廟の一つにして現存する関帝廟の中では最大規模を誇ります。
-
解州関帝廟は、故郷として関羽を祀るために、隋開皇九年(西暦589年)に創建されました。
宋・明代に拡張され、清康煕四十一年(西暦1702年)に火災で焼失、十数年に渡って修復されています。 -
関羽を祀る主殿で崇寧殿です。
殿名の由来は北宋崇寧三年(西暦1104年)に徽宗が関羽を崇寧真君に封じたことからと言われています。
清朝の乾隆帝から賜った“勇神”の文字が残されています。 -
麟経閣つまり春秋楼です。
手前の楼には関羽の武器である青龍偃月刀が飾られています。
また、楼内には“春秋”を読みふける関羽像があります。
今年3月に旅した許昌でも春秋楼で本を読む関羽に遭遇したことが思い出されます。
現存の建物は清同治九年(西暦1870年)に重建されました。 -
さて、解州関帝廟站から11路バス(4元)で運城中心部へ戻ります。
-
終着站は運城火車站です。
駅前広場には、金色に輝く関羽像が立っています。
運城出身の大物は、何も関羽だけでは無いのですが、やはり町興しには関羽が最適なのでしょうね。 -
ホテルに戻り暫く休憩後、再稼動です。
労働節最終日、南風広場には沢山の人民が繰り出し、大賑わいです。
数多くの屋台を前に、みんな笑顔・笑顔で連休を謳歌しているかのようです (^O^)。
みんな!!!幸せか~??? -
南風広場南端のライトアップされたトーテムポールを眺め、今夜も河東夜市に向かいます。
-
昨夜と同じ屋台で大蒜串・手羽串・麻辣小龍蝦・肉炒麺を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
しかし、この麻辣小龍蝦いわゆるザリガニですが、食べてみると病み付きになってしまいます。
日本では体験し辛い貴重な体験ですネ。
ん~ハオツー 好吃!
暢游3日目の5月1日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游4日目、5月2日が始まりました。
今日は朝から快晴です。
気持ちがいいけど、暑くなりそう!!!
さあ、ホテル前の金源服装城站から中心汽車站まで移動します。 -
2路バス(1元)で終点の中心汽車站まで乗車です。
-
運城からの長距離バスは、ここ中心汽車站から発着しています。
中心汽車站出口近くの路上に、運城永済という看板を付けたバスが停まってます。
切符無しで乗れるのかな? -
どうしようか悩みましたが、満席だと困ると思い、赤外線セキュリティを通り、站舎内の窓口で永済迄の切符を購入です。
“永済2張高速”と紙に書いて渡すと、“◎◯▽◆□▲◎▽”と言われ理解不能。
パスポートを渡そうとするも、身元確認無しで、切符を買えてしまいました (^O^)。 -
永済迄の切符(18元)です。
バスに乗り込もうとすると、服務員と運転手しか居ません。
あらあら!!私達だけを乗せて、定刻9:27に発車です。 -
すると先程の出口付近で、一気に乗客が乗り込んで来ました。
やっぱり站舎内で切符を買わなくても乗車可能だったのですね!
その後も、一般道および高速道路で、地元民が乗ったり降りたり・・・
そうなのです!高速道路の路肩でも乗ったり降りたりするのです。
いやはや!アイヤー! -
高速永済ICと永済中心汽車站間の道路は工事中で全面閉鎖されており、大きく迂回しながら、約90分をかけて中心汽車站に向かいます。
途中、今から乗車する予定の永済2路が停まる化肥厂路口站バス停で、大半の人達が降車です。
私達も降車し、終点鸛雀楼景区站行きの永済2路を待ちます。 -
鸛雀楼景区站行きの永済2路バス(4元)が到着です。
車内で本日の暢游ルート決定会議を開きます。
やはり最奥の鸛雀楼まで行き、鉄牛や解州古城を暢游しながら普救寺に戻るのがベストコースでしょう。 -
ところが、この永済2路バスは鸛雀楼景区站まで行かず、普救寺站が終着です。
え~鸛雀楼景区站までとバス停に書いてあったのに途中で止まっちゃうの?
バスの外には電動カートが待機しています。
な・る・ほ・ど・・・路線バスの終着を手前に縮小して、カート料金を払わせようという魂胆だな!!!! -
電動カート門票(30元)です。
黄河・鸛雀楼・鉄牛・普救寺の4箇所を巡ってくれます。
ここ普救寺から黄河迄、片道4.5kmも有り、とても歩いて行けません。
乗るしか無い・無い・無い!!! -
労働節が終わり、電動カートの乗客は私達2人だけで独占です。
そよ風が流れ、見渡す限りの青空に、我家のテンションは上がりっぱなしです。
ドライバーの峰さんは中国語で、“〇×▼▲□◆■◎”と観光案内するも理解不能・・・
進め進め!!!電動車!!!
走れ走れ!!!紅色号!!! -
蒲州渡口、つまり黄河です。
あらら・・・水の流れは遥か彼方のようです。
元々、蒲州城西門前を流れていた黄河ですが、その本流は長い年月の間に西へ2kmほど移動しています。
実際、河川敷に立っても、黄河の流れは、まだまだ先の先を流れ、目視出来ません。
因みにこの黄河の対岸は陝西省になります。 -
電動カートが折り返し、鸛雀楼(かんじゃくろう)に到着です。
鸛雀楼は北周時代西暦557年に建設され、700年近く存在した後、元代に崩壊、2002年に再建されています。
因みに鸛雀楼の“鸛”はコウノトリを指します。
黄河の岸辺に建っていましたが、現在では黄河が移動し水面から離れてしまっています。 -
鸛雀楼の門票(55元)です。
-
集票処に貼られていた紙です。
労働節に訪れていたら、痛い目に遭ってたと思われます。
暢游日程は考えて組まなきゃ!!! -
鸛雀楼が見えてきました。
ここで詠まれた有名な詩が有ります。
“白日依山尽、黄河入海流。欲窮千里目、更上一層楼”
訳すと、“白日、山に依(よ)りて尽き、黄河海に入りて流る。千里の目を窮(きわ)めんと欲して、更に上る一層の楼”となります。
日本でも知る人の多い、この“登鸛雀楼”(かんじゃくろうにのぼる)は、黄河を鸛雀楼から眺めた唐代の詩人・王之渙の作品です。 -
鸛雀楼は、湖北省の黄鶴楼・湖南省の岳陽樓・江西省の滕王閣と並んで中国四大歴史文化名楼に数えられています。
さあ、中に入りましょう!!!
運城は古くは河東と言い山西省の西南の端に位置し、この地で流れを東に変える黄河を挟んで陝西省と河南省と向き合っています。
その運城の更に端の永済とはそんな辺境の街なのです。 -
運城の総人口は520万人を超える大規模都市で、歴史的には古代中華民族集落連合の首領であった堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)らが支配した中心地域です。
舜が都とした蒲坂(現在の永済市蒲州)、禹の都安邑(現在の夏県)、そして中国奴隷制社会最初の王朝・夏の都もここで建国されたことなどから、この地域は古くから“中国”と呼ばれています。
そうなんだ~中国という国名は、ここから来ているんだ~!! -
が~~~~~ん!!!!
鸛雀楼にはエレベーターが設置との事前情報が有ったのですが停止中です。
仕方が有りません・・・歩いて登りますか!!! -
運城出身といえば関羽が余りにも有名ですが、実は楊貴妃も同じ運城出身です。
楊貴妃といえば、中国唐代の皇妃で、姓は楊・名は玉環です。
玄宗皇帝が寵愛し過ぎた為に安史の乱を引き起こしたと伝えられ、中国では傾国の美女と呼ばれています。
運城市は余り楊貴妃のことに触れたくないのかな??? -
運城市の塩池“解池”では古来から塩の生産が盛んです。
市内には、唐の時代、都の長安へ塩を送っていた塩の道と呼ばれる遺跡が点在しています。
近年は塩池の汚染のため食用塩の生産は行われず、工業塩の生産が行われているようです。 -
鸛雀楼の最上階まで登り切りました。
歩いてきた道を俯瞰します。
私達を待っていたのは空と大地が触れあう絶景です。
日本では地平線を眺める機会があまり有りませんよね?
ん~ナイスVIEWですネ。 -
五老峰の向こう側には、南から東に流れを変えた黄河が横たわっています。
-
鸛雀楼最上階展望台に唐代詩人の王之渙の銅像が設置されています。
ここからの絶景を見て詠んだのでしょうネ。
さて、鸛雀楼を降りますよ!! -
電動カートで鉄牛が発掘された解州古城前の蒲津渡遺址まで移動です。
黄河は遥か2km先に流れを変えてしまいましたが、元々ここは蒲州城西門に位置していました。
その蒲州古城を暢游しましょう。
写真は蒲州古城西門です。
瓮城になっていますが、城門への登り口が見当たりません。 -
洞門が見えていますが、入洞不可になっています。
傷みが激しく柱を無理矢理継ぎ足したような修復・補強工事の跡が見えますね。 -
蒲津渡ですが、元々は黄河の両岸に鉄牛・鉄人・鉄山・鉄柱を設け、船を用いて浮橋を架けていました。
これらの遺跡は千年を越える歳月により清代には黄河の土砂で埋もれてしまいました。
1989年の再調査で鉄牛などが発掘されています。 -
蒲津渡遺址の門票(60元)です。
-
江沢民元国家主席執筆の蒲津渡遺址石碑が立っています。
この石碑の設置点は、その昔、黄河が流れていた場所になりますね。
ここ蒲津渡は唐開元十二年(西暦725年)に、玄宗帝が秦と晋を結ぶために、黄河に浮橋をかけた場所の遺跡です。
さあ石段を登りましょう。 -
蒲津渡は黄河流域で最も早くに作られた渡し場の遺跡です。
ここで発掘された黄河大鉄牛と浮き橋の鉄鎖に使われた鉄は、当時中国全土で生産された鉄の5分の4の量に相当するそうです。
この大鉄牛は、鉄の質や造形の素晴らしさから古代の傑作とされています。
また、同時に発掘された鉄人はそれぞれ漢族・モンゴル族・チベット族・ウイグル族を代表しており、唐代における中国辺境の領土の広さと異民族との団結を反映しているのです。 -
地上部の鉄塊である鉄牛の後脚の横棒に浮橋の船を繋ぐ綱を縛り付けていました。
唐の時代に、こんな鉄塊を鋳造する技術が確立されていたのですね。
す・ご・い・・・(+_+) -
鋳造された鉄牛4頭・鉄人4体・鉄山2個・鉄トン4個・七星鉄柱一組7本が並べられています。
特に七星鉄柱は、まさに北斗七星の並び通りに配置されています。
当時の天文学の高い水準が垣間見えますね。 -
階段を降りて、1階の遺跡公園博物館に入ります。
鉄牛の地下部分の様子が見れるようになっています。 -
黄河は荒河です (@_@;)
強い流れに浮橋は流されないよう、しっかりとした土台に固定されていたのですね。 -
当時の黄河には中州が有ったようです。
黄河主流幅360mの両岸に鉄牛が備えられ、浮橋を鉄鎖で繋いでいました。 -
昔の解州城とその西城門前の様子が描かれています。
鉄牛と浮橋が、当時の栄華を支えたことでしょう。 -
公園内に再現された鎖で繋いだ浮橋です。
黄河は干上がって流れが有りませんネ (+_+) -
解州古城の明代城壁が残されています。
修復を受け、綺麗に整備された城壁もいいものですが、やはり、歴史の重みには勝てませんね (^o^)。
これで蒲津渡遺址暢游は終了です。 -
さあ、峰さん運転の電動カートで普救寺に戻ります。
途中、解州古城鼓楼で停車、シャッターチャンスを頂きました。
傷みが激しくトタン塀に囲まれたままです。
修復工事が待たれます。 -
続けて解州古城の東門を通過します。
ここも傷みが激しく見学出来ません。
早期修復工事が待たれますね。 -
電動カートで普救寺まで戻り露天昼餐です。
五月晴れで薄着で充分な気候です。
そよ風を感じながら、尖椒土豆絲・水餃・永済止麺を注文、冷た~~~い燕京ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!! -
さあ、暢游後半戦の始まりです。
見上げれば普救寺の仏舎利塔(鶯鶯塔)が聳え立っています。
今から行くぞ!!!登るぞ!!! -
普救寺の門票(60元)です。
-
“願わくは世の愛し合う者たちみな結ばれん”と書かれた王実甫の元曲“西廂記”は、多くの男女を心酔させる恋愛小説です。
その西廂記にある“紅娘が張君瑞と崔鶯鶯の逢瀬を手引きする愛情物語”の舞台がここ普救寺です。
河北に向かう貴族の家柄の娘と、一介の書生の恋物語であり、彼らが出会う場所がここなのです。 -
そうした経緯もあってカップルで訪れる若者が多く、その愛情を鍵に託してここ普救寺に所狭しと奉納しています。
見て下さい!この階段の手摺りに連なる鍵・鍵・鍵の数!!! -
普救寺の象徴である密檐式倣唐レンガ構造の鶯鶯塔は明代に再建されています。
平面四角形の13階建てで、その高さは37m程も有ります。
残念ながら登れません!(>_<)! -
この鶯鶯塔は北京天壇の回音壁・河南の宝輪寺塔・四川潼南県大佛寺“石琴”と一緒に、中国の現存する四大の回音壁と呼ばれています。
旅行客が石を叩きつける撃蛙石が準備されています。
早速、回音を体験してみましょう!(^o^)! -
撃蛙石から続く石段の途中に立ち、家内に石と石とを叩きつけて貰います。
す・る・と・・・
ゲコ!ゲコ!!ゲコ!!!
まるで蛙が鳴くかの擬音が回音となって響いて聴こえて来ます。
いやいや感動・感激、何とも不思議な体験です。 -
梨花院です。
この中に東西の建物があり、東廂と西廂と呼ばれます。
西廂記はこの西廂花園を舞台にした小説の中老夫人と鶯鶯が住んでいた場所で、ラブスポット・パワースポットですね。 -
さあ、運城の町へ戻ります。
先ずは往路と同じで、永済2路バス(4元)にて永済中心汽車站に向かいます。 -
終着駅の永済中心汽車站に到着です。
往路で学んだズルい乗車方法を思い出します。 -
站舎には入らず、先程、永済2路バスを降車した隣に待機している運城行きの長途バス(18元)に乗り込みます。
-
永済ICから高速道路に乗った後、本線上で乗客が乗ったり降りたり・・・
高速道路走行なのに、信じられない体験です。
遂には満席になり、それでも本線上で手を挙げて待つ人々を詰めこみ、立たせたまま高速道路を走り抜けます。
いやはや!アイヤー!!!バス移動は命懸けですネ。 -
運城中心汽車站に着く手前の黄河市場站で降車、反対車線で運城2路バスを待ちます。
-
直ぐに2路バスが到着、金源服装城站まで乗車です。
ホテルに到着、休憩しながら晩餐会場について家族会議です。
“よし!今夜は逆方向に歩こう“
という訳で出発進行~!!! -
ライトアップされた人民公園に到着です。
太極拳やダンスに興じる沢山の人民の方々の姿が見受けられましたよ(^O^)。 -
風鳳城夜市という晩餐会候補地に到着です。
河東夜市と同じように、統一された屋台が連なっています。
気温も高く、露天晩餐には最高の環境が整っています。
しかし、何か見たことのある景色のような気がします・・・ -
あらら!!!やはり関王廟でしたか!
昨日、暢游した関王廟の前の歩道は、屋台の食卓と椅子に占拠されています。
関羽もビックリですね (^o^)。
さてさて何処の屋台で食べようか???
並んだ食材を物色しながら散策・す・る・と・・・ -
焼里魚を料理している屋台に注目!
よっしゃー!ここで食べるぞ!!
注文に四苦八苦する私達の異様さに気付き、周りから“那里~”の質問が飛んで来ました。
“我是日本人”と紙に書くと、地元民や観光客も含めた辺り一同から“●×▲◇◎◯”との声が上がりました。
日本人が珍しいのでしょうね。 -
楽しい夜市は魅惑ワールドです。
焼里魚・各種串焼・永済止麺を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!<*)) >=<
暢游4日目の5月2日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游5日目、5月3日が始まりました。
3連泊した運城金日温泉精品酒店ともお別れです。
広い部屋で使い勝手が良く、皆さん!お勧めですよ!!! -
昨日同様に2路バスにて運城中心汽車站まで移動です。
集票処窓口で紙に“李家大院”と書いて、服務員に見せると、“◎▲▽◆□▽×○”と言われるも理解不能・・・!!!
取り敢えず長途バス(14元)の切符を渡されました。
切符には閻景と打たれています。
どうやら李家大院は、この閻景に有るようです。 -
服務員が指差しした河津行きのバスです。
中心汽車站を発車後は、徐行運転を続け、道端で1人また1人と乗客を乗せています。
早く進んでよ!!!走ってよ!!! -
運城中心汽車站から約100分後、閻景村の国道209号線沿いの李家大院入口に到着です。
運転手さんは、東の方向を指差し、“◎×▲●〇▽◆□”と叫んでいます。
“李家大院の方角は向こうだ!”とでも言っているのでしょう。
多分・きっと・絶対!!! -
歩くこと約15分、山西省慈善博物館つまり李家大院に到着です。
塩の取引や金融で明清代に隆盛を極めた山西の豪商・晋商が住んだ屋敷として非常に有名です。
ん~かなり広大な敷地のようです ( ̄ー ̄)。 -
李家大院の門票(60元)です。
-
李家大院は200年の歴史を有します。
李氏一族が裸一貫から身を起こし、信用を重んじて成功、財を成して広く世に善行を施した物語を今に伝えています。
塩時を見て、塩を踏み、塩を舐め、手塩にかけて信頼を育てたのでしょう。
実際、李氏家訓十六條という教戒が残されています。 -
正門を潜って振り返れば・・善・善・・です。
晋商とは山西省晋中平原において、明・清時代に栄えた豪商達のことを指す言葉です。
豪商の姓を取って◯家大院と称される豪邸が数多く残っていて、一般に公開されているものも有ります。 -
建築規模は壮大で、構造は複雑で趣きに富んでいます。
使用した瓦・石・木それぞれが非常に精巧で美しい装飾になっています。 -
景行楼です。
小高い丘の上に建てられ、高さは29.8m有ります。
さあ、絶景を求めて登ってみましょう!! -
登ってみると・・・李家大院を一望出来ます。
この広大な敷地が李さん宅なのですネ。
当時の晋商と呼ばれる人達の財力には本当に驚かされます。 -
清朝時代、李道行氏は英国に留学しました。
英国で知り合った麦孺人と一緒に帰国、二男三女を授かります。
様々な困難や偏見を乗り越え、夫婦で李家を守って生きていきます。
中国では何度も映画化された有名な史実です。 -
李家大院を奥に進むと、何かノスタルジックなエリアが現れます。
まるで映画の1シーンのようです。
城壁で囲まれ守られた李家の偉大な財力が分かりますネ。 -
その中の一軒一軒に訪問です。
李家大院とはいえ、その広大な敷地内には李家と共に生きる様々な方々の物語が有ったのでしょう ( ^ω^ )。 -
そんな家々を巡っていたら、映画撮影に遭遇です。
私達には分かりませんが、有名な俳優さんなのかな?
号令と共に麦孺人役の女優に、青服の怪しげな男が襲いかかります。
監督らしき方が振付・演出で俳優に指示を出しています。 -
李家大院暢游を終え、城門を出ると、道路の反対側に何やら怪しげな施設が有りました。
中国万栄笑活博覧園という看板が出ています。
何かのテーマパークのようですが、営業しているのかどうか??開店休業状態なのか??よく分かりません。 -
先程、降車した国道209号線まで歩いて戻り、運城行きの長途バスの途中乗車を試みます。
待つこと約20分、目的のバス(14元)がやって来ました。
運城舜帝廟と書いた紙を運転手と服務員に見せて乗り込みます。 -
臨猗県内の国道209号線途中の楚候站バス停に到着、運転手から“●□▽×◎○■”と降車を促されました。
ここで舜帝陵前を通る103路バスを待てと言ってます・・・
多分・おそらく・きっと! -
5分程待っていると、103路バス(1元)が通りかかりました。
手を挙げて乗車意思を示すと停車してくれます。
ふ~助かった~!!! -
舜帝陵站で降車です。
驚いたことに食事処が全く有りません。
昼餐を開こうにも、どうしようも有りません。
仕方ない!暢游を続け、目の前の舜帝公園へと進みます。 -
舜帝陵は夏禹の時代に作られ、唐の開元26年(西暦738年)に廟が建てられました。
北魏から明清までの1400年以上に渡り、歴代の帝王・官僚・庶民による祭祀活動は途切れること無く続けられていたようです。
さ~て、長い神道が私達を待っています。
歩かなきゃ!! -
舜帝陵は遥か先です。
歩かなきゃ!!!!!!! -
途中、塩湖区博物館が有ります。
長い神道の歩き疲れを癒しましょう。
という訳で入館してみます o(^_^)o -
集票処でパスポートを提示、門票(免費)を渡されました。
-
墓の埋葬品の明器が展示されています。
埋葬者が死後も何不自由なく暮らせるようにと様々な陶器製の明器を埋葬する慣習が有ったようです。 -
石牌坊が見えてきました。
ここまでが舜帝公園の無料エリアで、この先が舜帝陵廟の有料エリアになります。 -
舜帝廟の門票(20元)です。
大きく値下げしたようです。
同時に立派な門票も廃止されています (^○^) -
ここ舜帝陵は運城市の北西にある鳴条崗に位置し、国務院が公布する国家重要文化財です。
奥へ進んで行くと舜帝像と御対面です。
貫録が有り、なかなかの男前です。 -
神道を過ぎ、山門を潜ります。
すると門に登る階段を発見!
登っちゃいましょ!!!o(^_^)o -
山門の上から、たった今、歩いてきた舜帝陵廟の神道を見降ろします。
-
続いて山門を抜けると・・・
今古貫道という額が上がった献殿が待っています。
陵墓迄の道のり、長いこと長いこと!!! -
やっと・・やっと・・・
陵墓の陵塚つまり墳丘に辿り着きました~!
ここに舜帝が眠っているのですね!!
起こさないように静かに歩かなきゃ!!! -
墳丘を過ぎると皇城、別名高宮になっています。
皇城大門を潜り・・・
奥の正殿に向かい舜帝に手を合わせましょう。 -
舜は古代中国の聖王で、継母や父親に虐められながらも親孝行を続け、最終的には堯の後を継いで帝になった人物です。
舜の姓は姚、名を重華と言い、部落連盟の首領で虞国を建国しました。
後世ではその功績を称え、五帝に列せられており、帝舜や虞舜・舜帝などという尊称で呼ばれています。 -
ここ舜帝陵廟内にも関帝廟が有ります。
まあ、ここは運城です。
関羽との遭遇機会が多くても不思議では有りませんネ。
忠義神勇 関羽は何処に行っても商売の神様・武神として祀られていますね。
もっともっと稼げますように!!! -
近くの廊房に三顧の礼のシーンが描かれていました。
関羽が活躍する名場面の数々の壁画が描かれており、ここは舜帝陵廟なのか?関帝廟なのか??分からなくなってしまいそうです。 -
さあ、今日は霊石まで移動しなければなりません。
高鉄・動車組が発着する運城北站まで先程と同じ103路で移動します。
路線表を見ると、運城北站が載っておらず焦りました。
よこよく見ると、陶上村站をマジックで消してから北站と書かれています。
何と雑な路線案内表記なんだろう・・・ -
その103路バスが到着です。
前面の電光掲示板に“高鉄”の文字が流れました。
ホッ!ホッ!ホ~!一安心です。 -
運城北站到着後、早々に露天食卓を占拠、やっとお腹を満たせます。
早速、羊肉餅・永済止麺、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
いや~露天昼餐は楽しいなぁ~(^o^) -
運城站の関羽像が金色だったのに対し、ここ運城北站の関羽像は黒色です。
青龍偃月刀を持った威厳の有る関羽が南の方角に睨みを利かしています。
怖いぞ!関羽!!!
偉いぞ!関羽!!!
凄いぞ!関羽!!! -
乗車予定のD5314列車は運城北站始発で、検票は30分前から開始されました。
短い8両編成で太原まで走ります。 -
暢游初日に北京西站集票処で購入済みの運城北站から霊石東站迄の動車組の切符(69元)です。
-
たった88分で霊石東站に到着です。
ところが、降車したのは、私達を含めて僅か10名程でした。
余りの少なさにビックリです。
霊石中心部は在来線霊石站周辺に集中し、新しく建設された大西旅客専線の霊石東站は不便なのではないかな???と想像します。 -
霊石東站舎を出るとタクシードライバーが“●◎▽◆■○×”と言って客引きで声かけして来ます。
我家は気にせず、停車中の路線バスを目指して歩きます。
“乗りません!!構わないで!!”と日本語で叫ぶも、ドライバー達に伝わる訳が無いよね (^o^) -
王家大院行きの路線バスは8路ですが、待機していた路線バスは7路です。
運転手さんに紙に王家大院と書いて見せると、“×▼▲□◎●▽◆”と乗車を促されました。
乗車約10分後、運転手さんから“◎●▽◆×▼▲□”と言われ、静升中心路站で降車を促されました。
そして、王家大院の方向を指さします。 -
指差しされた緩い上り坂の静升中心路を歩くこと約15分、文昌街と静升中心路が交差する処に夜市の立て看板を発見!!!
今夜の晩餐会場の最有力候補です。
地方都市のそのまた地方には、魅力たっぷりなシーンが続発です!!
何だかワクワクしちゃいますネ!! -
さあ、日没前にホテルにチェックインしたいところです。
静升中心路を北進し、文廟前のバスターミナル兼王家大院駐車場で西に曲がり、美食街入口の牌坊を潜ります。
少し暗闇が迫り出しました。
急がなきゃ!!! -
この急ぎが失敗の始まりです。
美食街から延びる狭い路地が近道だ!!な~んて勝手に思い込んだのが間違いでした。
度々の袋小路に頓挫、結局、正規ルートに戻って上り坂を歩き切ったところにある王家大院崇寧堡を活用した崇寧堡温泉酒店に到着です。
駐車場入口のホテル案内の看板(照壁)を過ぎると・・・ -
ライトアップが始まった崇寧堡です。
これがホテル??? -
正面の崇寧堡正門から堡内に入場し、一号過庁を抜けると幻想的な階段が現れます。
ライトアップされた階段を登り切った処にフロントが有ります。
総合楼標準間双床・朝食付き(368元)に無事にチェックインです。 -
部屋で小休憩後、静升鎮の街に繰り出します(●^o^●)。
先程登った階段を崇寧堡正門に向かって降りて行きます。 -
階段を降りながら振り返れば・・・
幻想的な雰囲気です(''◇'')ゞ -
崇寧堡正門に登ってみましょう。
凛とした張り詰めた空気に覆われ絶句・・・ -
崇寧堡正門からの全形です。
宿泊客だけが独占出来る優雅な一時です。 -
静寂さが城堡の美しさを後押ししています。
これは超穴場な宿泊施設ですネ (o^^o)。 -
さあ、晩餐会場に行かなきゃ!!
静升鎮美食街は既に店じまいして閑散としています。
王家豆腐の文字が寂しそう!!
私達は予定通り夜市に向かいます。 -
先程、夕方に通りかかった夜市の看板が立つ文昌街と中心路の交差点付近は、遅くまで多くの人達で賑わっています。
地方都市独特のローカルなアジアチックな雰囲気が醸し出されています。
何処で食べようか??
羊肉焼串の香りに誘われて、露天食卓を確保です。 -
珍客の私達に地元客が“◎○×▼□◆■○”と話しかけてきますが、日本語しか分からず理解不能 (≧∇≦)。
“那里~◎▲◆□~?”の問い掛けに対し、“日本人(リーベンレン)”と応じると伝わりました~(*^▽^*)!!!
結局、注文は人様が食べている料理を指さしです。
茄子焼・大蒜串・羊肉串・焼魚・羊肉酥肉砂鍋と九州生ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
暢游5日目の5月3日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游6日目、5月4日が始まりました。
今日も山西省は晴れるようです。
相変わらず晴れ男晴れ女の本領発揮です。
ん・・・最高気温30℃ってか!!!
暑くなりそうですネ (=_=) -
流石、五つ星ホテルです。
朝食会場で様々な料理を目の前で調理して頂けます。
早速、西紅柿鶏蚕麺を注文です。
流石に山西省といえば麺といわれるだけ有って美味しいなぁ~。 -
昨夜も散策しましたが、ここ崇寧堡温泉酒店が有る場所自体が、歴史的価値の有る崇寧堡なのです。
チェックアウトして本日の暢游モードを始動させますが、いきなり周りは全て歴史的遺構・重要文化財級史跡です。
朝からシビレます。 -
旧宅一軒一軒の四合院を修復してホテルの一室として利用しています。
その四合院を訪れてみましょう。
昔ながらの煉瓦と、後々、修復されたそれの違いが見て取れます。
歴史の重みを感じますね (^○^) -
位牌のような立札 土地公が院落の入口正面に必ず有りますね。
-
振り返れば、玄関前の別の建物の壁に、何やら絵柄が描かれています。
照壁・影壁的な要素が有るのだと思われます。 -
広大なホテルの敷地、いやいや広大な城堡内を全て見て周るには時間が足りません。
崇寧堡を囲う城壁にも登らなきゃ!!! -
という訳で、昨夜同様に崇寧堡正門に登って城堡全体を眺めてみましょう!!!(^O^)!!!
-
昨夜、ライトアップに感嘆した崇寧堡を俯瞰します。
天気が良く明るい為、全体像が把握出来ますね。
ここ崇寧堡は王家大院の西城堡です。
今はホテルとして整備されていますが、歴史ある史跡なのです。 -
よっしゃ~我家大好き城壁散歩の開始です。
誰もいません!!城堡を独占します。
百度地図や Google Map で見ても、城郭は確認できますが、傾斜は読み取り辛いものが有ります。
しかし、実際に来てみると、山の斜面に建てられていることが分かります。 -
観光客は皆無で静寂さが際立ちます。
今から王家大院に行く予定ですが、本当に行く必要が有るのか??
そう思ってしまうほど、崇寧堡は壮大で魅力的です。
如何ですか?写真から山の斜面に建てられているのが分かりますよね。
いいぞ!!凄いぞ!!崇寧堡!!(^O^) -
崇拝堡正門を見降ろします。
ん~シビレます (*^▽^*) -
楽しくて嬉しくて・・・
城壁大好き、我家の幸せのポーーーズ!
イエ~~~~イ ヽ(^o^)丿 -
さあ、城壁一周を終え、崇寧堡正門を潜り城外に出ます。
-
最後に崇寧堡正門を見上げ、別れを告げます。
さよなら!再見!Goodbye!!! -
崇寧堡はホテルとして利用されており、観光地では有りません。
しかし、その歴史的価値が紹介されています。
さあ、王家大院に行かなきゃ!! -
王家大院の入場口は東側の最東端です。
その入口に崇寧堡から橋を渡って直接行く通路は閉鎖されており、結局、昨夜歩いた静升鎮を抜けるしか方法が有りません。
その静升鎮ですが、よくよく見ると、歴史を重ねた沢山の建築物が連なっています。 -
静升鎮には沢山の細い巷路が張り巡らされています。
その巷路の各入口には城門が聳えています。
王家大院が余りにも有名過ぎて、麓の静升鎮の魅力が知られていないようです。
皆さん!!王家大院に行ったら必ず静升鎮にも足を運んで下さいネ。 -
静升鎮は美食街として整備されています。
純孝苦節という四文字が書かれた扁額が上がる牌坊を潜り返すと・・・ -
三門四柱式の石牌坊を配した王家孝義祀です。
免費で見学出来ます。 -
王家孝義祀は嘉慶巌年(西暦1796年)に建てられました。
2階上院は祭祠堂と戯台、1階下院は静升王氏宗祠になっています。 -
静升文廟です。
何と工事中で閉鎖されています (//∇//)。
史跡巡りでは多々有ることです。
諦めて先に進みましょう。 -
その文廟前の影壁(照壁?)です。
静升文廟は元の至元2年(西暦1136年)に建立され800年以上の歴史を刻んでいます。
見所のひとつが元代の彫刻の鯉魚躍龍門です。
この鯉魚躍龍門は駐車場に面し、閉鎖エリア外の為、ゆっくり眺めることが出来ました。
水の流れの中で泳ぐ鯉が確認できますネ。 -
王家大院高家崖側の東門入口です。
東向きに建てられたのには訳が有ります。
そこにはお客様を歓迎しますという意味が込められているのです。
そして日の出を迎えるという意味も込められています。 -
王家大院の門票(55元)です。
-
王家大院の案内図です。
入口が有る東側の高家崖と橋で繋がれた西側の紅門堡に分かれ、それぞれが高い瓶で囲まれています。
豪邸の域を超えて村・鎮といった方が良いかも知れない規模です。
本来はここに崇寧堡が加わって、三つ揃ってかつての王家大院になります。 -
先ずは高家崖側の王汝聡・王汝成兄弟の邸宅が現れます。
清の嘉慶年間に建設されました。
最初にお兄さん王汝聡の家の門が現れます。
邸宅には"敦厚宅"という名前が付いています。 -
お宅訪問です。
こんにちは !(^^)! ニーハオ!!!
様々な装飾を施された建物が囲む四合院作りになっています。 -
2階にも登れます。
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続いて弟の王汝成の邸宅です。
兄弟の家は、基本的な配置は同じですが、東側の家に住んでいたお兄さんの王汝聡は五品の官位、西側の弟王汝成は、四品と官位と弟の方が位が高かったようです。
それゆえ、門の形式や彫刻の細かさも、弟の家の方が高級です。
弟の邸宅には"凝瑞居"という名前が付いています。 -
確かに先程のお兄さん王汝聡の四合院よりも彫刻や装飾が細やかです。
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階段の手摺には様々な石像が装飾品を兼ねて付けられています。
一番手前は、親猿が子猿を背負っている図柄です。
"輩輩封侯" 代々に渡って官職に就けるようにとの願いが込められています。 -
清朝末期の光緒26年、西太后が西方へ逃げる際に宿泊したヤオトン部屋が残されています。
そういえば、昔訪れた鶏鳴宿にも西太后が宿泊した部屋が残され、見学したことが有りましたね。 -
静升王家は太原王氏の末裔です。
豆腐の製造販売を原点に繁盛し、明の万暦年間から清の康熙・雍正・乾隆・嘉慶の約300年間に渡り建設された邸宅が王家大院なのです。 -
さて、橋で結ばれた紅門堡側へ行ってみましょう。
この紅門堡は清の乾隆年間の西暦1739年~1793年にかけて建設されています。
嘉慶帝の時代に王汝聡・王汝成兄弟が高家崖を建てた頃が王家の絶頂期といわれています。
しかし、清朝末期、王家の子孫はアヘンに溺れて行きます。
やがて王家は衰退してしまいます (+_+) -
崇寧堡と同じ構造です。
後から正門に登った時、この路地は“王”とい漢字の横一画ということが分かります。 -
一軒一軒、訪問してみましょう。
その中の恒貞堡に入ってみると日時計が設置されています。
今、何時ですか?
現在几点?
What time is it now? -
王家大院は、全体で四合院が大小231 座・部屋数2078間・面積8万㎡で、その内、大小123座・1,118間・面積4.5万㎡が博物館として見学可能となっています。
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沖縄県に行けば、よく目にする石敢當です。
琉球王国の時代から、沖縄県では丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔避けとしています。
魔物は石敢當に当たると砕け散ると信じられているからです。
石敢當も中国大陸から琉球王国そして薩摩に伝わっています。 -
さて、途中から城壁に登り半周します。
紅門堡の北側に達すると、私達が宿泊していた崇寧堡が見えて来ました。 -
城外を見渡せば、ヤオトンが並んでいます。
夏は涼しく、冬は暖かいらしいです。 -
甍の波と雲の波・・・>゜))))彡
鯉のぼりは泳いでいませんが、青空が映えますネ (o^^o)
ん~ここは正に山西的紫禁城ですね。 -
正門に登って紅門堡を俯瞰します。
どうですか? 王の字型、分かりますか?
“王”という字が浮き出して見えるように四合院が配置されています。
目の前の路地は王の縦一画ですね。 -
最後に紅門堡正門から城外に出て振り返ります。
崇寧堡を含めて王家大院には圧倒されっぱなしでした o(^_^)o -
王家大院から続く静升中心路を降りて来ると、その一角の路地に露天市が拡がっています。
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衣料品を扱うお店。
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御菓子を扱うお店。
塵や埃対策は大丈夫かな? -
あらあら生薬を扱うお店です。
効能効果を謳い普通に売られています。
日本なら薬機法に抵触し、一発退場で罰金ものです。
ん~龍角散の原料生薬の一つ“甘草”も売られていますネ。 -
全場一元です。
日本でいうところの100円ショップでしょうか?
しかし、一元(約18円)とは安いなあ。 -
静升中心路の坂を降りて来る途中、我家大好き露天食卓と椅子が有る店を発見。
早速、冷たいビールは有るのか?を確認します。
尖椒土豆絲・麻腐豆腐と冷た~~~い雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
鎮中心部から霊石東站行きのバス情報を聞いてみます。
“至高鉄8路巴士前面紅緑灯坐7路巴士”と書かれました。
やはり7路バスは運行されて無いようです。 -
止むを得ません、昨日降車した永吉大道沿いの静升中心站まで歩きます。
と・こ・ろ・が・・・
待てど暮らせど霊石東站行きの7路バスが来ません。
待つこと30分弱、やっと7路バスが到着しました。
あ~焦りました~予約していた動車組の発車時間15:24迄あと30分と迫っていました。 -
初日に北京西站集票処で購入した霊石東站から太原南站迄の切符(40.5元)と太原南站から北京西站迄の切符(197元)です。
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急いで霊石東站ホームに上がると動車組列車D5310が入線です。
先ずは太原南まで移動しなきゃ!!! -
太原南站は乗換站でも有り、かなり大きな站舎です。
あれれ???以前、平遥に行く時は太原南站は無く、全て太原站発着でしたネ。
高速鉄道用に新駅の太原南站が建設されたようです。 -
太原南発北京西站行きのG622号です。
ここからは動車組では無く高鉄列車です。
コンビニで買ったビールが楽しみだなぁ~!!!
G622号は定刻16:50に出発、北京西站にも定刻の19:43着でした。
さあ、地下鉄は何処だ!!! -
北京西站から地下鉄7号線(4元)で珠市口站まで移動です。
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毎年利用している北京貫通現代酒店(双床 308元 朝食無し)に到着後、直ぐに出発です。
昨年は到着が遅すぎて夜景観賞出来なかった前門界隈を暢游します。
3年ぶりの前門の夜景ですが、何か暗くなったような気がします。
気のせいかな・・・??? -
紫禁城正陽門の箭楼です。
箭楼とは武器弾薬の倉庫のことで、攻めて来る敵兵をこの城楼から狙い撃ちしていました。 -
粮食店街の毎年恒例の食堂 客満堂で焼鴨を食べなくちゃ!!!
ところが店頭には例の回転焼鴨マシーンが有りません。
イヤな予感・・・“焼鴨没有”!!やはり予感は的中!!!
仕方ありません、他の鴨料理を食べようかな。
おかみさんのお奨めは、“鴨架”というスパイシーな鴨料理です。
よしよし!!!注文しちゃいましょう(●^o^●)。 -
やっぱり鴨は美味しいなあ~。
鴨架・尖椒土豆絲・水餃と燕京ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
暢游6日目の5月4日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游最終日の7日目、5月5日が始まりました。
毎年、憲法記念日は日本の軍拡について報道されていました。
しかし今年は日本関連のニュースを全く見かけませんでした。
日中関係改善の兆しでしょうかね。
実際、CCTVでは日本関連では無く、朝鮮半島情勢の報道に多くの時間を割いていましたネ。 -
前門大街を暢游します。
今日は5月5日(土)で日本ではこどもの日です。
中国では端午節のことですが、旧暦の5月5日を指します。
まだ朝9:00過ぎだからなのか?人が少ないですね。 -
都一処前の銅像です。
前門大街に限りませんが、中国の多くの街で、このような銅像を見かける機会が増えましたね。 -
前門箭楼です。
昨夜はライトアップされていましたネ。
今は中心線を歩いて門洞を通り抜け出来なくなっています。
東側を迂回して正陽門に向います。 -
正陽門は北京城永定門に続く第二門です。
悠々堂々たる姿です。 -
東長安街の正義路站から路線バス特11番でオリンピック公園に向かいます。
-
特11路バス(2元)は2階建てバスです。
早速、2階に上がり、先頭の椅子が空くのを待ち構えます。
途中の東単で一気に乗客が減り、展望椅子を確保です。
ん~イイ眺めだなぁ~
おっと気付いたら奥体東門站です。
降りなきゃ!!!! -
国立オリンピック体育センター(国家奥林匹克体育中心)前の金メダルを高々と揚げた巨大パンダです。
キャラクター名は何だったっけ? -
案内図が有ります。
北京中心線にあたる天辰路沿いにオリンピック施設が並びます。
気軽に訪れたオリンピック公園ですが、多くの中国人観光客が押し寄せています。
しかも団体ツアーです。
人気の観光スポットなのでしょう。 -
北京オリンピックメイン会場の鳥巣(北京国家体育場)です。
有名なスイス・バーゼル所属の2人の建築家の作品です。
日本でも新宿や名古屋のモード学園ビルが有名ですね。
我が家内、鳥巣の前でバンザイを叫ぶ! -
あらあら、ライトも鳥巣デザインです。
凝っていますネ (^ω^) -
北京オリンピックから既に10年が経っています。
10年前の2008年10月に中国へ来た時、天安門広場は真っ白で異様な悪臭が漂い、息を吸うのも苦痛だったことを思い出しました。
当時の強引な北京オリンピック期間中の大気汚染対策を、オリンピックブルー等と世界中から揶揄されていた中国の姿が有りました。
あれから10年、公害対策も加速し、経済発展は今も世界を牽引し続けていますね。 -
100m平泳ぎで金メダルを獲った北島康介が“何も言えねえ”とレース後に感無量で語ったウオーターキューブ(水立方)です。
あの時の感動が甦ります。
我家も何も言えねえモードです (*^^)v -
中心線を地下鉄北土城站まで暢游です。
ここは大都の北方から押し寄せてくる敵・異民族に対する防壁が有った場所です。
何の意味なのか??よく分からない円形モニュメントを見ながら地下鉄入口を探します。 -
北土城站は地下鉄8号線と10号線が通っています。
私達は地下鉄10号線(4元)で三元橋站に向かいます。 -
三元橋站で机場線(25元)に乗り換え、一気に北京国際空港に戻ります。
6日前の労働節初日、ここから中国暢游が始まったんだなぁ~感慨深い思いを募らせながら、日本航空カウンターへと向かいます。 -
空港の出発ロビーです。
いよいよ中国暢游が終わろうとしています・・・後髪を引かれます。
また来るぞ!中国!!!
待ってろよ!中国!!!
楽しかったぞ!中国!!! -
出国審査では機内持ち込み荷物が厳格化され、時間を要し大混雑です。
やっとの思いで搭乗したものの、空港滑走路混雑で機内で待機すること50分です。
現在建設中の新北京国際空港の部分完成予定は2019年です。
混雑緩和迄もう少しの辛抱ですね。
や・が・て・・・やっと離陸し、お待ちかねの機内食です。
サントリーモルツも白ワインも嗜んで・・・一眠り一眠り・・・ -
山西省史跡巡りの旅・・・如何でしたか?
終わってしまえば、あっという間の7日間でした。
気が付けば間もなく東京羽田国際空港到着です。
またまた中国旅行に行けたらいいなぁ~・・・いやいや、今年の中秋節も絶対に行くぞ~!!
大好き中国暢游に万歳!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
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- バカボンさん 2018/05/14 14:09:42
- ハードスケジュールですね
- 結構ハードな日程ですね。お疲れはなかったですか。私ならとっくにダウンしています。
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