2017/04/05 - 2017/04/05
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LP1989さん
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初めて訪れた高知の2日目。待望の高知城へ。
今回の登城の私的意味合いは・・・
日本100名城の中では、27番目(前回登城:首里城 ※2016年11月)
現存12天守の中では、4番目(前回登城:丸亀城 ※2016年7月)
四国の城の中では、3番目(前回登城:高松城 ※2016年7月)
今回、訪れるまでは 「もっと早く行くべきだった。」と思っていたのだが、
実際に来てみたら 「高知に来る前に色々な城を見ておいてよかった。」 と
考えが変わった。
高知城は、他の城にはない独特の見所がたっぷり。正に南海の名城。
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初訪問の高知で迎えた朝。
旅先に居ながらも、体内のリズムが 普段通りだから、
午前5時に目が覚めてしまう。
とりあえず、外に出て、この後、訪れる高知城の姿を窺う。 -
散歩を兼ねて、山内神社へ。
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東側からの参道を進む。
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参道の中央付近の亀石
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手水鉢
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東神門
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土佐柏の山内家 家紋
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僅かに花開いていた桜と その先の社殿。
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現在では、一豊、見性院(千代)以下 歴代藩主が祀られる。
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社殿に向かい合う形で存する「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」 の坐像。
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この銅像は意外と新しい。
2002年の4月だから、ちょうど15年前に建ったわけね。 -
鏡川をバックにして、右手に杯を持つ容堂。
酒をこよなく愛した彼を象徴する姿。 -
西神門
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鏡川の方に下りた所に傷痍軍人の碑が建っていた。
五台山公園の浜口雄幸像と同様、
高知県知事時代の橋本大二郎が題字を書いた。 -
参拝を終えて、鏡川河畔に出てきたところで、朝日が昇ってきた。
部屋に戻って、テレビの早朝ニュースをチェックしながら、
まだ1時間先の朝食を待つ。 -
やっと7時。ようやく朝食バイキングがオープン。
普段、5時台に食べているので、
この時間まで待つのは 結構な試練だった。
メカジキのたたき、一本釣かつおの生ぶし、鯛の焼き物 等
土佐メニューが揃う。
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朝食後、旧山内家・下屋敷長屋跡へ
大門の脇に居るのは?・・・
「かずとよくん」&「ちよちゃん」って、ユルいな~。
ここでは、一豊キャラは・・・
「かつとよくん」でなくて、「かずとよくん」なのね。 -
開館直後だったため、貸切状態で屋内を見学。
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中は撮影禁止。
外観、躯体は 往年のままで維持され、
屋内は、江戸期の船の模型や
高知出身の各界著名人に係る展示がされていた。 -
お腹いっぱいになった後は、今回の高知旅の最大の目的地 高知城へ。
先ずは、追手門周りに着眼。 -
門前の枡形内に「国宝・高知城」の碑が建つ ・ ・ ・ のだが、
ここで謳う国宝は、戦前の旧法(=国宝保存法)によるもの。
現行法(=文化財保護法)の重要文化財に相当。
よって、現在の国宝とは別。
(現行法による国宝は、重要文化財の中の別格的存在。) -
【重要文化財:追手門東北矢狭間塀】
追手門本体とは別に 両脇を固める狭間塀が
各々独立して国の重要文化財指定を受ける。 -
【重要文化財:追手門西南矢狭間塀】
追手門を挟んだ もう一つの狭間塀。
塀を支える石垣は、城内で最も大きい規模の石を使う。
その中に、工事の際に記した刻印付の石垣があるというので、
探してみたら・・・ -
(写真中央に) 「シ」 の刻印を発見。
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(同じく中央に) 「エ」 と刻んだ石垣も発見。
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追手門(本体)は、石落としを備え、上から槍で突くこともできる。
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城内に入ったところで、板垣退助像と対面。
彼の像は、岐阜にもある。2年前、金華山山麓で見たな~。 -
「板垣死すとも、自由は死せず」
岐阜で暴漢に襲われたときの例の名言の碑も建つ。
(岐阜の襲撃現場には、板垣の像と共に遭難現場の石像もあった。)
(参考旅行記) http://4travel.jp/travelogue/10996882 -
銅像の土台の「板垣退助先生像」の題字は、吉田茂が書いた。
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「上がるのが厄介」と評判の石段を 杉ノ段に向かって上る。
「上りにくく下りにくいように幅を細工している」 というが・・・ -
実際に上がってみると さほど面倒ではなかった。(但し、個人的感想)
彦根城の表門の先の上り石段(表門山道)の方が よっぽどキツい。
彦根城では各段が容赦ない凹凸続きだったけど、
ここの各段は、フラットだからね。
石段を上りきって、杉ノ段に進入した右手には・・・ -
山内一豊の妻の像。
この姿は 一豊に名馬を買わせたエピソードを表すのだろう。 -
「山内一豊之妻」の題字も、吉田茂が書いた。
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杉ノ段中央にあるマンホールらしきものは、貴重な井戸跡。
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この井戸は、水深が18mあり、
城内の14の井戸の中で 最も水質が良かったため、
毎日、午前10時、正午、午後4時の 3回、
この井戸水を汲んで、藩主の住む二の丸御殿に運んだという。 -
水といえば・・・
「これぞ、高知城仕様」と言えるのが、
他の城で見られなかった排水設備。
石垣中央から、石樋が突き出ている。 -
その石樋を横から見る。
石樋が突き出ることで、
排水を石垣に触れさせない。石垣に水を吸わせない。
河中(こうち)の表記を変えるほど、
雨に悩まされる土地柄、こうするわけね。 -
同じような石樋が 三の丸にもあった。
ここには 石樋に直結する排水路もあった。 -
わかりやすく展示するために 一部を加工復元しているが、
遺構の宝庫、高知城の中で 貴重なゾーンの一つ。 -
「石を二列に立てて、U字溝のような排水路を組む。」
「その上に 蓋石をかぶせて、排水管状にする。」
「蓋石を取り外せば、こまめにメンテナンスできる。」
手が込んでるわ。 -
水路遺構の近く、三の丸内に別の発掘成果があった。
長宗我部元親時代の石垣。
長宗我部も この地で城を構えようとしたが、
度々の雨・水害に嫌気が差して、
3年でここを離れ、浦戸に移ったという。 -
長宗我部石垣から天守を見やる。
長宗我部と山内の対照的選択を物語る2ショット。
長宗我部が、雨・水害リスクを回避して、他所に移ったのに対し、
山内は、リスクを受け入れ、上手に付き合いながら、名城を築き上げた。
縁起を担いで、河中(こうち)の表記を高智・高知に改めたり、
城内の至る所に排水設備を整え、被害を防いだわけなんでね。 -
そんな三ノ丸では、シートで場所取りする様子が見られ・・・
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花見の準備も整っているが、開花がイマイチ。
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城内で僅かに開花していたのは、三ノ丸西の石垣脇。
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天守東の犬走りの下の通路。
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全く咲いていないよりはマシ。 今年は全国規模で遅かったからね。
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じわじわと本丸に向かう。形の整った石垣が両脇に構える鉄門跡。
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「いかにも門の跡」の きれいな打込接は、
城内の他の石垣とは違う風貌。
(この後、詰門に上って、本丸へ)
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