2017/02/10 - 2017/02/12
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nichiさん
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スプリングバレー泉高原スキー場でスキーを楽しんだ後は車を走らせ松島へ。
松島で少し遅い昼食を戴き、瑞巌寺から円通院へ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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スプリングバレー泉高原スキー場から山を降りて、富谷ICから仙台北部道路へ。
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空が気持ちいいです。
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松島海岸ICです。
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こちらで高速を降り、松島に向かいます。
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松島の海岸近くの駐車場に車を停めて、松島を歩き回ります。
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いろいろお店選びをしたかったのですが
お腹が空いていたので数軒見てこちらに決めました。
こちらで少し遅い昼食にすることにしました。 -
メニュー
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家内は穴子重。
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私は冬の松島ならではのカキフライ。
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お店は南部屋さん。
共に美味しかったです。
ごちそうさまーー -
さあ瑞巌寺へ。
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ここが瑞巌寺の入口。
それにしても寒い、、、、 -
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松島の台地を形成している凝灰岩層を掘った洞窟があります。
ほとんどが江戸時代に掘られた洞窟群です。 -
洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていたようです。
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墓所ではないので、納骨はありません
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古来松島は「奥州の高野」と呼ばれ、亡き人の供養が営まれた場所でした。
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東日本大震災の際、参道の杉並木は津波の被害を受けています。
今は再生工事が進んでいます。
まもなく震災から6年になります。 -
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瑞巌寺に入ります。
一人700円×2人 -
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国宝である本堂の中は撮影禁止でした。
室中孔雀の間は見事。
襖絵がすんごいことになってました。
その奥の仏間には正宗の位牌がありました。 -
瑞巌寺は慈覚大師により天長5年(828年)に開山。
慶長14年(1609年)に伊達政宗が5年の歳月をかけて再建しました。 -
文王の間、上段の間、上々段の間、羅漢の間、墨絵の間、菊の間、松の間、鷹の間、と皆素敵です。
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修復中の中門の奥には戦国時代から存在する樹齢400年以上の2本の杉。
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この梅の花が咲くと綺麗なことでしょう。
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震災で塩をかぶってしまった参道の杉並木。
枯れずに残っている杉です。 -
瑞巌寺をあとにします。
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隣の円通院へ。
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見事な山門です。
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300円×2人
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円通院は、19歳で亡くなった伊達政宗の孫、光宗の菩提寺です。
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松島湾内に実在する七福神の島を仏の庭に表している庭園です。
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これは恵比須様
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右側が毘沙門天、真ん中右奥が寿老人。
左は弁財天。 -
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手前が大黒天。
真ん中が布袋様。
右が寿老人。
その奥左側が福禄寿。
左奥が弁財天。
これは「天の庭」でもあります。 -
天の庭からこの石の橋を渡ると「地の庭」へ。
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こちらが「地の庭」。
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19歳の若さで亡くなった伊達政宗の孫の光宗の霊廟である三慧殿が見えてきました。
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重要文化財の三慧殿の中。
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宮殿型の厨子です。
伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王フェリペ3世、およびローマ教皇パウルス5世のもとに派遣した慶長遣欧使節が持ち帰った様々な文化を文様として描かれています。
当時は鎖国の世の中。
徳川幕府には伊達家の霊廟ということにして、扉を開けることはしませんでした。
これが開けられることになったのは戦後のことです。
3世紀半もの間、公開されずに現代に至った伊達家の秘蔵です。 -
スペードで徳川の葵の紋を描いています。
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トランプのハート。
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ローマを象徴する洋バラが描かれています。
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イタリアフィレンツェを象徴する花の水仙。
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十字架とクローバー
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円通院本堂「大悲亭」
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池は凍っています。
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円通院をあとにします。
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この旅行記へのコメント (2)
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- picotabiさん 2017/02/24 21:32:00
- 独眼竜~~♪
- 伊達政宗は実はよく知らないのですが、キリシタンだったのでしょうか?
真田丸では影が薄くて気にもしてなかったのですが。また大河でとりあげてくれないかな。
- nichiさん からの返信 2017/02/26 23:12:45
- RE: 独眼竜??♪
- こんばんは〜〜
伊達政宗はキリシタンかどうか?
謎のようです。
鎖国状態であった日本において、伊達政宗はヨーロッパに興味をもち、徳川の許可を得て遣欧使節を送ります。
遣欧使節はエスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを副使とし、支倉常長が正使となり、180人から組織され、ローマに赴くことになります。遣欧の目的は通商交渉がれていますが、エスパーニャとの軍事同盟によって伊達政宗が倒幕を行おうとした説も存在するようです。
そんな支倉常長はスペインのサンフランシスコ修道院で洗礼を授かりキリスト者となります。
支倉常長はキリシタンとなったことにより、スペインで様々な教えを乞うことができたようです。
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