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初めての茶臼岳だったのですが、強嵐が吹き荒ぶ中でのトレッキングとなってしまいました。風速が28mを越えるとロープウェイは止まってしまいますが、山麓駅のアナウンスでは風速25mということで、少し揺れますと言っていました。山頂駅から山頂を目指して歩き出しましたが、風が強くて、落ちないように踏ん張りながらのトレッキングでした。車山へアイゼンで行ったことがありますが、風が強くて、「富士山が綺麗に見える」と思いながら、向い風にも負けず、登った記憶があります。しかし、この日の風は別格でした。茶臼岳は岩がゴロゴロしているので、風で吹き飛ばされないよう、また体が風で蹌踉けて、転ばないよう注意しながら登っていました。姿勢を引くして、頭はニット帽を深く冠り、万が一岩にぶつけても、大事にならないようにと慎重に。山頂手前の大岩下辺りで、諦めて下山する人も多かったようです。山頂で、怪我がなくて、無事トレッキングができたことを感謝してきました。山頂辺りでは、風速30m位は合ったと思われます。男性も大きな岩の陰で風を凌いでいました。貴重な体験ができた1日でした。帰りは温泉で足の疲れを癒してほっとひと息つきました。また天気の良い日に来て、三斗小屋まで歩いてみたいと思います。

低気圧の嵐が吹く茶臼岳へ

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2016/11/03 - 2016/11/03

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belledune

belleduneさん

初めての茶臼岳だったのですが、強嵐が吹き荒ぶ中でのトレッキングとなってしまいました。風速が28mを越えるとロープウェイは止まってしまいますが、山麓駅のアナウンスでは風速25mということで、少し揺れますと言っていました。山頂駅から山頂を目指して歩き出しましたが、風が強くて、落ちないように踏ん張りながらのトレッキングでした。車山へアイゼンで行ったことがありますが、風が強くて、「富士山が綺麗に見える」と思いながら、向い風にも負けず、登った記憶があります。しかし、この日の風は別格でした。茶臼岳は岩がゴロゴロしているので、風で吹き飛ばされないよう、また体が風で蹌踉けて、転ばないよう注意しながら登っていました。姿勢を引くして、頭はニット帽を深く冠り、万が一岩にぶつけても、大事にならないようにと慎重に。山頂手前の大岩下辺りで、諦めて下山する人も多かったようです。山頂で、怪我がなくて、無事トレッキングができたことを感謝してきました。山頂辺りでは、風速30m位は合ったと思われます。男性も大きな岩の陰で風を凌いでいました。貴重な体験ができた1日でした。帰りは温泉で足の疲れを癒してほっとひと息つきました。また天気の良い日に来て、三斗小屋まで歩いてみたいと思います。

旅行の満足度
4.0

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  • ロープウェイ山頂駅を下りた時は、一応晴れていましたが、風速25mでした。時々霰が降っています。

    ロープウェイ山頂駅を下りた時は、一応晴れていましたが、風速25mでした。時々霰が降っています。

  • 風が強いので、眺めは良いですね。

    風が強いので、眺めは良いですね。

  • 山頂目指して歩き始めます。

    山頂目指して歩き始めます。

  • 左手に進むと牛の首方向です。無間地獄へ行ってみたいのですが、初めてなので取れ合えず山頂へ。

    左手に進むと牛の首方向です。無間地獄へ行ってみたいのですが、初めてなので取れ合えず山頂へ。

  • その辺りで休んでいた家族に、下山する時に一緒になりました。夏には、6才、9才、12才のお子さんも山頂まで歩いたそうですが、今日は流石に吹き飛ばされそうな風に身の危険を感じて、中止したと話していました。大人でも途中で引き返す人が多かったので、子供には危険だと思います。

    その辺りで休んでいた家族に、下山する時に一緒になりました。夏には、6才、9才、12才のお子さんも山頂まで歩いたそうですが、今日は流石に吹き飛ばされそうな風に身の危険を感じて、中止したと話していました。大人でも途中で引き返す人が多かったので、子供には危険だと思います。

  • 時々、太陽が差し込んで来るので、景色が綺麗でした。

    時々、太陽が差し込んで来るので、景色が綺麗でした。

  • 石塊だらけで歩き難く、写真を撮っては休んでいました。

    石塊だらけで歩き難く、写真を撮っては休んでいました。

  • 大きな岩の陰に身を寄せて、風を除けながら、休憩。

    大きな岩の陰に身を寄せて、風を除けながら、休憩。

  • 大岩あたり

    大岩あたり

  • 強風に足を取られるので、少しずつ転ばないように屈んで歩いていました。

    強風に足を取られるので、少しずつ転ばないように屈んで歩いていました。

  • 低木が凍り付いていました。

    低木が凍り付いていました。

  • 日が射すと写真を撮るのですが、座り込んで倒れないようにしています。ここは、風を除ける所がないので、大変でした。

    日が射すと写真を撮るのですが、座り込んで倒れないようにしています。ここは、風を除ける所がないので、大変でした。

  • 霜柱が立っていました。

    霜柱が立っていました。

  • 後を振り返ると、屈んで歩いている人がいました。こうしないと危ないのです。この辺りまで来る人はあまりいませんでした。

    後を振り返ると、屈んで歩いている人がいました。こうしないと危ないのです。この辺りまで来る人はあまりいませんでした。

  • やっと鳥居が見えて来ました。山頂はもうすぐです。

    やっと鳥居が見えて来ました。山頂はもうすぐです。

  • 1915mの山頂に到着です。

    1915mの山頂に到着です。

  • 山頂から火口を1周しようと思って歩き始めましたが...

    山頂から火口を1周しようと思って歩き始めましたが...

  • 黄色の矢印方向へ行くのですが、どうも強風で煽られそうで、断念しました。

    黄色の矢印方向へ行くのですが、どうも強風で煽られそうで、断念しました。

  • 火口をもう少し見たかったのですが、次回にします。

    火口をもう少し見たかったのですが、次回にします。

  • 山頂口まで下りて来ました。ここから蜂の茶屋へ行こうと思っていたのですが、気がつかず、山頂駅まで下りてしまいました。登って来た人が風のために体を支えている光景です。こんな日に登るのは、普通ではありません。

    山頂口まで下りて来ました。ここから蜂の茶屋へ行こうと思っていたのですが、気がつかず、山頂駅まで下りてしまいました。登って来た人が風のために体を支えている光景です。こんな日に登るのは、普通ではありません。

  • ここから矢印方向に行くと、蜂の茶屋方面ですが、止めて正解かもしれません。

    ここから矢印方向に行くと、蜂の茶屋方面ですが、止めて正解かもしれません。

  • ロープウェイ山頂駅にあった携帯端末電波状況の図ですが、無間地獄方向から蜂の茶屋の道は山の陰になるためなのか、通話不可でしたね。次回は、朝日岳に寄ってから、隠居槍、三斗小屋温泉に行ってみたいです。

    ロープウェイ山頂駅にあった携帯端末電波状況の図ですが、無間地獄方向から蜂の茶屋の道は山の陰になるためなのか、通話不可でしたね。次回は、朝日岳に寄ってから、隠居槍、三斗小屋温泉に行ってみたいです。

  • ロープウェイは無事動いて山麓駅へ向かいましたが、その後、風速が増したため、運行中止となりました。

    ロープウェイは無事動いて山麓駅へ向かいましたが、その後、風速が増したため、運行中止となりました。

  • 帰りに「殺生石」に寄りました。名前の由来は、中国やインドで美しい女性に化けて悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が、800年程前に日本に来て、「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え、日本国を滅ぼそうとしたそうです。しかし、陰陽師安倍泰成に見破られ、ここ那須野が原へ逃げてきました。依然として悪行を繰り返していたので、朝廷は三浦介、上総介に退治を命じました。すると九尾の狐は、毒石となって、近づく人や獣に毒気を放ち、殺し続けました。これを聞いた泉渓寺の源翁和尚が毒石に大乘教をあげ続けると、一筋の白煙と共に、玉藻の前が現れ、石は三つに割れて、飛び散り、その一つが此処に残ったと言う。それ以来、その石を「殺生石」と呼ぶうようになりました。

    帰りに「殺生石」に寄りました。名前の由来は、中国やインドで美しい女性に化けて悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が、800年程前に日本に来て、「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え、日本国を滅ぼそうとしたそうです。しかし、陰陽師安倍泰成に見破られ、ここ那須野が原へ逃げてきました。依然として悪行を繰り返していたので、朝廷は三浦介、上総介に退治を命じました。すると九尾の狐は、毒石となって、近づく人や獣に毒気を放ち、殺し続けました。これを聞いた泉渓寺の源翁和尚が毒石に大乘教をあげ続けると、一筋の白煙と共に、玉藻の前が現れ、石は三つに割れて、飛び散り、その一つが此処に残ったと言う。それ以来、その石を「殺生石」と呼ぶうようになりました。

  • 殺生石があります。

    殺生石があります。

  • 芭蕉の句碑<br />芭蕉句集に「那須の温泉神社の相殿に八幡宮を移し奉り両神一方に拝まれ給う」とあり、「湯を結ぶちかいもおなじ岩清水」の句。

    芭蕉の句碑
    芭蕉句集に「那須の温泉神社の相殿に八幡宮を移し奉り両神一方に拝まれ給う」とあり、「湯を結ぶちかいもおなじ岩清水」の句。

  • この辺りまで下りて来ると、紅葉が綺麗ですね。

    この辺りまで下りて来ると、紅葉が綺麗ですね。

  • 温泉神社へ行ってみます。那須温泉神社の歴史は古く、第34代舒明天皇(奈良朝630年)に創建された延喜式神名帳にも上選されている神社だそうです。那須温泉神社は、源平合戦で、那須余一宗隆が屋島の戦で、扇の的を射る時に、「南無八幡大菩薩別にしては我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神願わくはあの扇の真中を射させてたはせ給え」と祈願した神社であります、と説明してありました。

    温泉神社へ行ってみます。那須温泉神社の歴史は古く、第34代舒明天皇(奈良朝630年)に創建された延喜式神名帳にも上選されている神社だそうです。那須温泉神社は、源平合戦で、那須余一宗隆が屋島の戦で、扇の的を射る時に、「南無八幡大菩薩別にしては我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神願わくはあの扇の真中を射させてたはせ給え」と祈願した神社であります、と説明してありました。

  • 祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)は、別名大国主命で、縁結び、商売繁盛。身体健全、温泉守護の神。少彦名命(すくなひとなのみこと)は、国土を耕し、鉱山や温泉を開拓し、薬を作った神で、温泉の神として広く崇敬されています。相殿 誉田別命(ほんだわけのみこと)は、八幡様として崇敬され、武運の神です。<br />本殿は、慶長12年(1607)那須資晴の建立で、この拝殿は、昭和60年に竣工したものです。

    祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)は、別名大国主命で、縁結び、商売繁盛。身体健全、温泉守護の神。少彦名命(すくなひとなのみこと)は、国土を耕し、鉱山や温泉を開拓し、薬を作った神で、温泉の神として広く崇敬されています。相殿 誉田別命(ほんだわけのみこと)は、八幡様として崇敬され、武運の神です。
    本殿は、慶長12年(1607)那須資晴の建立で、この拝殿は、昭和60年に竣工したものです。

  • 帰りに温泉で足の疲れを癒して、外に出ると、紅葉が夕日に照らされて、一層紅く輝いていました。山頂の強風が嘘のようでした。

    帰りに温泉で足の疲れを癒して、外に出ると、紅葉が夕日に照らされて、一層紅く輝いていました。山頂の強風が嘘のようでした。

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