2016/07/10 - 2016/07/10
516位(同エリア1466件中)
吉備津彦さん
長等山三井寺(園城寺)
国宝の金堂は三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院が慶長4年(1599年)に再建した。入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂である。なお、移築された旧金堂が延暦寺に現存する。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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イチオシ
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金堂前の広場の東南側に「三井晩鐘」としてよく知られている「鐘楼」が建てられている。
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イチオシ
「梵鐘」は慶長7年(1602年)に准三宮道澄が弁慶の引き摺り鐘(後述)を模して鋳造したものと伝えられている。
「三井晩鐘」は「近江八景」の一つに数えられ、また、「日本の音風景百選」に認定されており、声(ね)の三井寺といわれているように荘厳な音色は有名である。この音色を聞くために鐘を撞くことはできるが、一人一回について三百円を支払う必要がある。鐘の音を聞くのも金次第なのである。 -
「閼伽井」
三井寺(園城寺) 寺・神社・教会
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イチオシ
梵鐘(弁慶の引き摺り鐘)-金堂近くの霊鐘堂に所在。「三井の晩鐘」の鐘とは別のものである。無銘だが、奈良時代に遡る日本でも有数の古鐘である。伝承では、俵藤太こと藤原秀郷がムカデ退治のお礼に琵琶湖の竜神から授かった鐘だと言われ、その後比叡山と三井寺の争いに際して、弁慶が奪って比叡山に引き摺り上げたが、鐘が「イノー」(「帰りたいよう」の意)と鳴ったので、弁慶が怒って谷底へ捨てたという。現状、鐘の表面に見られる擦り傷やひびはその時のものと称する。歴史的には、この鐘は文永元年(1264年)の比叡山による三井寺焼き討ちの際に強奪され、後に返還されたというのが史実のようである。
三井寺(園城寺) 寺・神社・教会
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鐘楼
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イチオシ
美味しかったひやしあめ
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三井寺(園城寺) 寺・神社・教会
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イチオシ
「閼伽井屋」の正面上部に左甚五郎の作と伝えられている「龍の彫刻」がある。
この龍は夜になると琵琶湖に出て暴れたため、甚五郎が自ら龍の目玉に釘を打ち込み鎮めたという伝説がある。三井寺(園城寺) 寺・神社・教会
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イチオシ
「八角輪蔵」
三井寺(園城寺) 寺・神社・教会
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「一切経蔵」
この建物は室町時代の建築とされ、毛利輝元の寄進により慶長7年(1602年)に山口の国清寺から移築されたものといわれている。 -
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唐院灌頂堂(重文)
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