2016/05/02 - 2016/05/04
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hiro3さん
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10連休も可能な今年のGWです。自分は、ほぼカレンダー通りなのですが、無理やり5月2日にお休みをとって出かけることにしました。
メインは、「立山の雪の大谷」を見に行くこと!せっかくですので、珍しく日帰りじゃなくて二泊して北陸をグルット周ってきてやろうと宿をとりました。思いつきで計画しましたので、ほぼ直前の予約です。高額な宿は空いているところがありましたが、お手軽なところは選択の余地がありませんでしたが、何とか確保しました。でも、週間天気がよくありません。ドキドキしながら出発日を迎えることになりました。
この日は、雪の大谷を見に行き、それから八尾の曳山祭を見に行きました。
ボリュームがあったので旅行記は細かく分けました。よろしければお付き合いください。
北陸の旅シリーズ
vol.1 http://4travel.jp/travelogue/11131064
vol.2 http://4travel.jp/travelogue/11131133
vol.3 http://4travel.jp/travelogue/11132820
vol.4 http://4travel.jp/travelogue/11132741
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
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立山を下山して、次の目的地を目指します。
強風で雲が流されたのか?今日は立山連峰がクッキリ見えます。
室堂平を散策するつもりでしたが、強風にめげて早々に下山することになりました。
そこで明日の予定を繰り上げて、越中八尾を見に行くことにしました。 -
八尾美容院
イイ感じです。営業はされていないのかな?福島第二交差点にあります。 -
禅寺橋
禅寺橋は以前は「甚九郎橋」といわれていました。橋が無かった江戸から明治のころ、甚九郎という人が渡しをしていたことに由来します。
第二次大戦後に永久橋となり、近くの禅寺に続く坂(禅寺坂)につながることから、「禅寺橋」と名を変えました。 -
おわらの銅版レリーフがはめ込まれています。
町民広場の駐車場に車を停めます。
今日は、八尾曳山祭で交通規制があり、町民広場と八尾行政サービスセンターが臨時駐車場となっています。 -
橋のところの照明灯も・・・
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石垣が凄いんです。
城郭のようにそびえる石積みの段丘上に越中八尾の町は細長くあります。
八尾町(やつおまち)は、「平成の大合併」により、2005年4月1日に富山市・婦中町・大沢野町・大山町・山田村・細入村の富山地域6市町村と合併しました。
八尾、大阪にもあります、「やお」と読みます。 -
坂の上の展望台にやって来ました。
石垣を組上げてしっかりとした土台が築き上げられています。
もともと丘陵の下にあった八尾村は寛永8年(1631)下を流れる井田川が氾濫し、壊滅的な打撃を受けたそうです。
年月を経て復興し、八尾の町には旅籠や酒蔵、遊郭が並び初め宿場町の様相を呈しはじめ、やがて富山藩唯一の交易市場町として栄えました。そうした中で生まれた八尾商人は、後に富山藩の財政を支えるまでに成長したそうです。 -
ちょうどこの日、5月3日(祝)は八尾八幡社春季祭礼 越中八尾曳山祭が開催されます。
曳山祭はあまり調べていなくて、街並みや曳山展示館に行ければイイや!と思っていたのに、実際曳山が動いているのに出会うと感動モノです。
予定を切り上げて見に来てよかった〜。 -
立派な曳山です。
六基の曳山があります。
こちらは上新町(かみしんまち)の曳山です。
大彫は「関羽、書を読む図」で1874年井波町番匠屋12代田村與八郎の作。 -
車輪に施された装飾がハンパなくキレイです。
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屋根上のお飾りや見越の彫刻、見どころがたくさん!
上新町が一番古いそうです。起源は1741年です。上新町の花山に人形と役者を乗せて供養したのが八尾曳山の始まりだそうです。
ご神像は在原業平と供女です。
屋根上は鳳凰です。 -
曳山は高さ約6.8〜7.5m、長さ約2.5m、幅約2.75m、重さ約4tあります。
江戸時代までは地車(内車)でしたが、大八車(外車)様式の輻車(やぐるま[スポーク式])に替えられました。
城端曳山祭もあります。5月4日(宵祭)、5月5日(本祭)なので、連休は、祭三昧も・・・! -
諏訪町(すわまち)
起源は1869年。ご神像は「神功皇后」と「武内宿裲」と「応神天皇」で、1882年八尾住人翠田彦七郎の作。屋根上は「金色の鳩」で、応神天皇の神霊が変じたとされる伝承に由来し、諏訪社の御神木大欅の一部によって制作されました。
元々は獅子舞を執り行っていたが、曳山を製作したことから、獅子を鏡町に譲り渡しました。獅子舞は神輿、曳山を先導し巡行路を清める露払いの役目をしています。雄と雌二頭の夫婦獅子だそうです。 -
東町(ひがしまち)
起源は1742年。ご神像は「深草少将」と「小野小町」で、京都人形屋小兵衛の作。
屋根上は「二重屋根」で上重の垂木は放射線状に伸びています。
見越(けんけし)は「健礼門」で、1795年井波町番匠屋9代北村七左衛門の作。大彫は「国姓爺」で、浄瑠璃国姓爺合戦の主人公の鄭成功が捕らえられた虎に乗っている。
また、高欄の猿の像は当地の作家横江嘉純の作。 -
曳山の組み立てには、祇園祭の山鉾と同じく釘は一本も使わず麻縄や楮(こうぞ)の皮を使用して組み立てていくそうです。
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今町(いままち)
起源は、1775年。ご神像は「菅原道真」で、京都又右衛門の作と伝わっている。最初は座像であったが、1783年に聞名寺より寄付される際に立像に造り替えられた。
屋根上は「飛竜」で、井波町堀豊次の作。
見越は、「周の文王が太公望呂尚を迎える図」で、1867年井波町番匠屋12代田村與八郎の作。
今町の曳山にのみ、見越下にも長彫がある。大彫は、「琴高仙人」で、1866井波町金剛寺2代岩倉理八の作。彩色には白漆で有名な、城端小原治五右衛門の手によるものが多い。 -
彫刻、彫金、彩色など越中美術工芸の粋を集めた曳山は絢爛豪華です。
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下新町(したしんまち)
起源は1883年。ご神像は「大黒天」。当初は「楠公父子桜井駅決別」の人形でしたが、1924年に井波町岩倉理八作の「大黒天」に替えられた。
現在は1958年の井波町渓久平作。屋根は「四方棟造り」になっている。
見越は「張良」で、黄石公が張良に兵法の奥義を伝えようと現れる様子。1915年井波町番匠屋14代田村與八郎の作。大彫は「伯陽」で、1890年井波町奥村佐七作。大きな高麗犬を従え「獅子仙人」とも言われる。不老長寿の薬をのみ仙人になった。 -
八尾には坂があります。
曳山をコントロールするのは大変だと思います。時にはブレーキのようにこらえながら坂を下り、逆は精一杯押しながら坂を登ります。
いいタイミングで来れたことに感謝! -
折角だから町並みも見にウロウロします。
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福鶴酒造さんです。
「風の盆」が有名です。 -
八尾はタレント・柴田理恵さんの出身地でもあるそうです。
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幔幕が掲げられて町中が華やかに彩られます。
装飾も凝ったモノが施されています。 -
曳山の車輪をデザインしたものですね。
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土蔵の町でもあります。
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銀行も景色に溶け込んでいます。
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すてきなディスプレイだぁ〜!
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青々とした注連縄、出穂前の青々とした稲の「実とらず」と呼ばれる稲藁で作られています。キレイですね。
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諏訪町本通り
坂になって古い町並みが残っています。ロケにも使われます。
全国の4分の1のシェアがあったとされる養蚕業(蚕種・絹糸)と、配置薬の包紙に使用された八尾和紙で豊かな財力を誇り、江戸時代富山藩の御納所(おなんどころ)と呼ばれ、それらの裕福な豪商の旦那衆によって造り挙げられていった八尾町民文化の繁栄の証であり誇りとなっている。wiki -
かつては、飛騨への中継地として栄え、旅籠などの並ぶ町でしたが、陸上輸送の発達などにより、取り残されていきます。
そのおかげか町並みが残ることになったのでしょうか?
通りの両側には「エンナカ」と呼ばれる火防・流雪用水路が流れています。
エンナカの水音とおわらの音色は、「残したい日本の音風景100選」にも選ばれています。 -
原蚕の坂
明治29年に創立された富山県立蚕業学校の通学路として切り開かれた。
後に県立蚕業学校が閉校し、跡地に富山県原蚕種製造所が作られた事から、呼び名が「県蚕の坂」から「原蚕の坂」に変化した。
他にも名前がついた坂があります。本通りもイイのですが、路地も素敵ですよ。 -
土蔵の町でもあります。
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提灯が掲げられるのですが強風ですので・・・、今日は出されないのかな?
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ミニチュアモデルが展示されていました。
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曳山は夕方に戻ってきて、装飾を外されて提灯山として、練り歩くことになるのですが、今日は強風です。一部装飾も飛ばされたそうです。そして、やむなく中止の決定がなされました。
右手の提灯山が見れたら最高だったのですが・・・、こればかりは贅沢言っても仕方がありません。また、訪問すればいい話です。
GWなのでもっとスゴイことになっているのかと思ったのですが、意外と少ないな!というのが正直な感想です。 -
豊富な財力によって、この曳山も出来上がりました。
金蘭豪華な装飾、見事ですよ。
井波の彫刻、高岡の彫金、城端の漆工など、各地の優れた工芸技術をもつ名工によって手掛けられ完成されています。
もっと知られてもイイ、と思います。 -
曳山が曲がるのも迫力があります。
祇園祭では、竹を敷き車輪を滑らすように方向を変えますが、こちらはダイレクトで滑らします。車輪とアスファルトのこすれる音が響きます。 -
鍵型になった通りを曲がっていきます。
辻々の角回しでは、呼吸を整え、タイミングを合わせて方向を変えます。
成功すると一斉に拍手!見事です!
上層の4本柱が傾きによって歪まないように、斜度がきつい坂を進む場合、4本柱に柱係が助け縄を掛け、坂上の下方から引っ張ることによって保護しているそうです。 -
曳山には、神係と言われる神様のお世話係、曳山大工と言われる組み立ての責任者、柱係と言われる4本柱の管理者、そして子供達が乗り込みます。
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綱で引っ張るというよりは、前後の数人で動かしているような感じです。
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すごい迫力を感じます。
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親しみのある大黒さん!
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西町
起源は1746年で、例祭に花山をこしらえ、三途河婆人形を飾って町内を曳いたのが始まり。ご神像は「恵比寿」で、城端西上町より譲られたもので城端小原治五右衛門の作。
屋根上は「八ツ棟造りと四尾の鯱」。1771年に他町に先駆けて花山屋台を廃止し、棟造りの曳山を建造した。曳山は一番古いようです。
見越は「浦島太郎」で、1841年井波町番匠屋10代田村與八郎の作。
西山曳山にのみ、下層部に下高欄があります。 説明文は、越中八尾観光協会より -
恵比須・・・大阪ではえべっさんと親しまれています。
七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神です。 -
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装飾が外されて終了です。
提灯山を見に再訪しますよ。 -
世話役さんが戻って行かれます。
提灯山が中止になったことで、世話役さんの中には涙ぐまれている方もおられました。
これほどの曳山が、大切に残されているのに驚かされるとともに、将来に引き継がれる子供たちの姿を多くみられたことに感動を覚えました。 -
曳山展示館では、三基の曳山が展示されています。
間近で見てください。感動します。
越中八尾といえば、おわら風の盆!とても有名ですね。
こちらも気になります。
八尾曳山展示館では、第2・4土曜日に「風の盆ステージ」が見れるようです。
曳山祭・・・、実際動いているところ見てください。
感動モノですよ。 -
富岩運河環水公園にやって来ました。
牛島閘門(うしじまこうもん)です。
パナマ運河方式の複扉室閘門(ふくひしつこうもん)で、水位差を調整し船などを通行させます。 -
富岩運河環水公園
富岩運河環水公園 公園・植物園
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ライトアップされ、陽が落ちるともっとキレイです。
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スターバックス!
世界で最も美しいスタバに2008年に選ばれました。
開放的なテラスでいただく一杯!スターバックスコーヒー 富山環水公園店 グルメ・レストラン
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キュイジーヌ フランセーズ ラ・シャンス
挙式披露宴が行われていました。
「フレンチの鉄人」坂井宏行シェフ監修のレストランがあります。
7月29日(金)には、美食会という坂井宏行シェフがラシャンスのキッチンにて実際にお料理をつくるというディナーパーティが開催されます。ブラッセリー ラ・シャンス グルメ・レストラン
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もう少し暗くなるまでいるべきだったかな?
もっとクッキリとしたライトアップが見れたのですが、少々お疲れモードで燃料(アルコール)切れのためにチェックインに向かいます。 -
ホテルクラウンヒルズに泊りました。昨日と同じような感じのところです。
荷物を下ろして、繁華街に向かいます。
今日は、「大衆割烹 あら川」さんでお世話になりました。 -
海鮮モノはさすがに美味しいです。外れはないでしょう!
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白エビのお刺身!トロリととろける濃厚な甘み!大阪ではなかなかお目にかかれない一品です。今日も真っ先に頼んでしまいます。
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ホタルイカの沖漬け
定番ですね。
「ほたるいか活漬け(いきづけ)」なる商品を次の日、道の駅で手に入れました。
ホタルイカを生きたまま減塩醤油で漬けこんだ珍味です。とてもおいしかったですよ。 -
2日間の夕食で気に入ったモノの詰め合わせです。
お酒が進みました。
明日は最終日、お天気もいいようです。
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