美ら海・本部・今帰仁旅行記(ブログ) 一覧に戻る
4travelの旅行記やガイドブックなどを見るだけで息を呑んでしまう憧れの絶景スポットが古宇利島です。今回が初上陸となります。期待に胸を膨らませて臨んだのですが、生憎の空模様で一味違う景観を愉しんでまいりました。<br />新名所として古宇利オーシャンタワーが1年半ほど前にオープンし、エメラルドグリーンのグラデーションを呈する透明度の高い海原を高台から俯瞰することができます。電動カートが途中まで誘導してくれますのでファミリーで愉しめます。また、雨天でも愉しめるよう、シェルミュージアムが併設されているのも魅力です。古宇利島を訪れる機会があれば、是非立ち寄っていただきたいスポットです。<br />古宇利島を後にして訪れたのは、沖縄の原風景を今に遺す、備瀬のフクギ並木です。清閑とした集落には2万本ものフクギが植えられ、旧き佳き時代へタイムスリップすることができます。住人たちがのどかな生活を慎ましく送る姿を眺めていると、時間が止まったような気分に浸れます。心身共に癒されたい方には、ここでのんびり過ごされることをお勧めします。<br />おまけは、昼食後に個人入場した琉宮城 蝶々園です。日本最大の蝶「オオゴマダラ」と戯れることができます。また、そのサナギは、この世のものとは思えないような黄金色に輝き、生命の神秘を感じられます。庭園も広く、景観や植物なども目を楽しませてくれます。<br /><br /><旅程><br />1日目:伊丹空港→那覇空港→糸満(泊)サザンビーチホテル&リゾート沖縄 <br />2日目:ホテル→万座毛→ナゴパイナップルパーク→古宇利オーシャンタワー→備瀬のフクギ並木→琉宮城 蝶々園(昼食)→海洋博公園・美ら海水族館→恩納村(泊)ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート <br />3日目:ホテル→辺戸岬→大石林山→茅打バンタ→琉球村(昼食)→那覇(泊)ロワジールホテル那覇<br />4日目:ホテル→首里城跡(首里城正殿入館)→那覇空港→伊丹空港

早春賦 沖縄紀行②美ら海水族館エリア(古宇利島~備瀬のフクギ並木)

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2015/02/28 - 2015/03/03

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

4travelの旅行記やガイドブックなどを見るだけで息を呑んでしまう憧れの絶景スポットが古宇利島です。今回が初上陸となります。期待に胸を膨らませて臨んだのですが、生憎の空模様で一味違う景観を愉しんでまいりました。
新名所として古宇利オーシャンタワーが1年半ほど前にオープンし、エメラルドグリーンのグラデーションを呈する透明度の高い海原を高台から俯瞰することができます。電動カートが途中まで誘導してくれますのでファミリーで愉しめます。また、雨天でも愉しめるよう、シェルミュージアムが併設されているのも魅力です。古宇利島を訪れる機会があれば、是非立ち寄っていただきたいスポットです。
古宇利島を後にして訪れたのは、沖縄の原風景を今に遺す、備瀬のフクギ並木です。清閑とした集落には2万本ものフクギが植えられ、旧き佳き時代へタイムスリップすることができます。住人たちがのどかな生活を慎ましく送る姿を眺めていると、時間が止まったような気分に浸れます。心身共に癒されたい方には、ここでのんびり過ごされることをお勧めします。
おまけは、昼食後に個人入場した琉宮城 蝶々園です。日本最大の蝶「オオゴマダラ」と戯れることができます。また、そのサナギは、この世のものとは思えないような黄金色に輝き、生命の神秘を感じられます。庭園も広く、景観や植物なども目を楽しませてくれます。

<旅程>
1日目:伊丹空港→那覇空港→糸満(泊)サザンビーチホテル&リゾート沖縄
2日目:ホテル→万座毛→ナゴパイナップルパーク→古宇利オーシャンタワー→備瀬のフクギ並木→琉宮城 蝶々園(昼食)→海洋博公園・美ら海水族館→恩納村(泊)ホテルモントレ沖縄スパ&リゾート
3日目:ホテル→辺戸岬→大石林山→茅打バンタ→琉球村(昼食)→那覇(泊)ロワジールホテル那覇
4日目:ホテル→首里城跡(首里城正殿入館)→那覇空港→伊丹空港

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス JALグループ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB

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  • 古宇利大橋<br />曇天の上、沖縄の観光バスにはジリジリ照り付ける日射を避けるための強力なUVカットフィルムが貼られているため、車窓の写真は全体的に青っぽい地味〜なものになってしまうのが残念です。色々と加工して見た目に近づけるよう努めましたが、これが限界です。逆説的に「天気が悪くてもこれほどきれい」と受け留めていただければ幸甚です。<br /><br />古宇利島は、2005年に隣の名護市屋我地島との間に紺碧の海に一直線に架けられた全長1960mの古宇利大橋が開通し、車でアクセスできる離島となりました。通行料が無料の一般道の橋としては、日本で3番目の長さを誇る橋です。因みに、1番目は2015年1月31日に開通したばかりの宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋(3540m)、2番目は新北九州空港連絡橋(2100m)です。橋を渡る際には、うちなーんちゅ(沖縄人)も絶賛する屈指の透明度を誇る海の上を走り抜け、爽快な気分に浸れます。

    古宇利大橋
    曇天の上、沖縄の観光バスにはジリジリ照り付ける日射を避けるための強力なUVカットフィルムが貼られているため、車窓の写真は全体的に青っぽい地味〜なものになってしまうのが残念です。色々と加工して見た目に近づけるよう努めましたが、これが限界です。逆説的に「天気が悪くてもこれほどきれい」と受け留めていただければ幸甚です。

    古宇利島は、2005年に隣の名護市屋我地島との間に紺碧の海に一直線に架けられた全長1960mの古宇利大橋が開通し、車でアクセスできる離島となりました。通行料が無料の一般道の橋としては、日本で3番目の長さを誇る橋です。因みに、1番目は2015年1月31日に開通したばかりの宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋(3540m)、2番目は新北九州空港連絡橋(2100m)です。橋を渡る際には、うちなーんちゅ(沖縄人)も絶賛する屈指の透明度を誇る海の上を走り抜け、爽快な気分に浸れます。

  • 古宇利大橋<br />珊瑚礁のエメラルドグリーンの海を切り裂くようにして架けられた古宇利島大橋は、まるで楽園に通じる滑走路といった風合いで迫ってきます。古宇利島周辺の海の透明感と色彩の美しさは沖縄本島でトップクラスであり、一直線に通じる古宇利大橋を滑走しながら見渡す周囲の紺碧の海は、思わず「綺麗」「おぉ〜」と声が漏れてしまうほどです。<br />紺碧の海の上を真っ直ぐに伸びる白い橋はエデンの園へと導いてくれるのか、それとも禁断の果実を与えようとしているのか、それは神のみぞ知るところです。<br />

    古宇利大橋
    珊瑚礁のエメラルドグリーンの海を切り裂くようにして架けられた古宇利島大橋は、まるで楽園に通じる滑走路といった風合いで迫ってきます。古宇利島周辺の海の透明感と色彩の美しさは沖縄本島でトップクラスであり、一直線に通じる古宇利大橋を滑走しながら見渡す周囲の紺碧の海は、思わず「綺麗」「おぉ〜」と声が漏れてしまうほどです。
    紺碧の海の上を真っ直ぐに伸びる白い橋はエデンの園へと導いてくれるのか、それとも禁断の果実を与えようとしているのか、それは神のみぞ知るところです。

  • 古宇利オーシャンタワー<br />2013年11月にオープンしたばかりの古宇利オーシャンタワーは、純白の貝を象った海抜82mの展望タワーです。展望台からは古宇利島周辺に広がるエメラルドグリーンの美ら海や精悍なフォルムの古宇利大橋を一望でき、遠くは沖縄本島の大宜味村や国頭村まで見渡せます。地元の方々も「タワーから見る景色は素晴らしい。初めて見る古宇利島からの景色は圧巻」と舌を巻くそうです。そもそも古宇利島には高い建物が皆無なため、今まで誰も俯瞰したことのない景色、誰も知らない世界がここに広がっています。<br />

    古宇利オーシャンタワー
    2013年11月にオープンしたばかりの古宇利オーシャンタワーは、純白の貝を象った海抜82mの展望タワーです。展望台からは古宇利島周辺に広がるエメラルドグリーンの美ら海や精悍なフォルムの古宇利大橋を一望でき、遠くは沖縄本島の大宜味村や国頭村まで見渡せます。地元の方々も「タワーから見る景色は素晴らしい。初めて見る古宇利島からの景色は圧巻」と舌を巻くそうです。そもそも古宇利島には高い建物が皆無なため、今まで誰も俯瞰したことのない景色、誰も知らない世界がここに広がっています。

  • 古宇利オーシャンタワー<br />駐車場に入るといきなり落差10m程の大きな滝が登場。<br />入場ゲートからタワー入口までは、電動カートで5分程の間、この滝や海の眺望を愉しみながらゆっくり昇って行くことができます。<br /><br />電動カートに乗って山の斜面をジグザグに縫うように昇って行くと、そこには息を呑むような古宇利大橋を一望する絶景スポットが待ち受けています。オーシャンタワーの建物に到着するまでず〜っと綺麗な海を見渡すことができる、贅沢な6分間です。<br />雨の日はカートに雨避けのビニールシートが被せてあるため濡れることはありませんが、写真愛好家としては少々残念です。

    古宇利オーシャンタワー
    駐車場に入るといきなり落差10m程の大きな滝が登場。
    入場ゲートからタワー入口までは、電動カートで5分程の間、この滝や海の眺望を愉しみながらゆっくり昇って行くことができます。

    電動カートに乗って山の斜面をジグザグに縫うように昇って行くと、そこには息を呑むような古宇利大橋を一望する絶景スポットが待ち受けています。オーシャンタワーの建物に到着するまでず〜っと綺麗な海を見渡すことができる、贅沢な6分間です。
    雨の日はカートに雨避けのビニールシートが被せてあるため濡れることはありませんが、写真愛好家としては少々残念です。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム<br />タワー1Fは、シェルミュージアムとなっています。<br />入口にはこのような記念撮影用の「ヴィーナスの誕生」風のセットが置かれています。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    タワー1Fは、シェルミュージアムとなっています。
    入口にはこのような記念撮影用の「ヴィーナスの誕生」風のセットが置かれています。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム<br />やさしいブルーの光に包まれた幻想的な海底空間が広がっています。1500品種以上、1万点以上の世界の貝を展示し、普段見られない珍しい貝や色鮮やかな貝をじっくり鑑賞できます。美しい貝殻は見ているだけでうっとりしてしまいますが、色鮮やかな貝殻に下からスポットライトを当てる斬新なディスプレイは他では味わえない神秘的な雰囲気を演出しています。<br />見逃せないのは、ハート形をしたリュウキュウアオイガイとハート貝。蒼く輝く幻想的な空間に沢山のハート形の貝や星形のヒトデが整然と並べられている光景には、思わず胸がときめいてしまいます。<br />ところで、カートと貝のコラボと言えばナゴパイナップルパークのコンセプトとそっくりです。経営会社が同じだそうですので、コンセプトも同じということなのでしょう。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    やさしいブルーの光に包まれた幻想的な海底空間が広がっています。1500品種以上、1万点以上の世界の貝を展示し、普段見られない珍しい貝や色鮮やかな貝をじっくり鑑賞できます。美しい貝殻は見ているだけでうっとりしてしまいますが、色鮮やかな貝殻に下からスポットライトを当てる斬新なディスプレイは他では味わえない神秘的な雰囲気を演出しています。
    見逃せないのは、ハート形をしたリュウキュウアオイガイとハート貝。蒼く輝く幻想的な空間に沢山のハート形の貝や星形のヒトデが整然と並べられている光景には、思わず胸がときめいてしまいます。
    ところで、カートと貝のコラボと言えばナゴパイナップルパークのコンセプトとそっくりです。経営会社が同じだそうですので、コンセプトも同じということなのでしょう。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />ヒオウギガイ(檜扇貝)<br />博物館のような雰囲気に、主人はすっかり遠い昔の「科学少年」の顔になって生き生きとしています。<br />2枚貝綱イタヤガイ目イタヤガイ科の1種。貝殻の色は赤や橙、黄、紫などがあり、1個体は単色ですが個体によって多彩です。ただし、天然の個体は褐色が多く、人口採卵して養殖を行った場合には色彩変異を生じ、鮮やかな黄や紫色の個体になります。養殖の主な目的は、アコヤガイなどと同じく真珠養殖です。<br />和名の由来は、扇形をし、公卿や殿上人が用いた最も優美な扇(檜扇)に似ていることです。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    ヒオウギガイ(檜扇貝)
    博物館のような雰囲気に、主人はすっかり遠い昔の「科学少年」の顔になって生き生きとしています。
    2枚貝綱イタヤガイ目イタヤガイ科の1種。貝殻の色は赤や橙、黄、紫などがあり、1個体は単色ですが個体によって多彩です。ただし、天然の個体は褐色が多く、人口採卵して養殖を行った場合には色彩変異を生じ、鮮やかな黄や紫色の個体になります。養殖の主な目的は、アコヤガイなどと同じく真珠養殖です。
    和名の由来は、扇形をし、公卿や殿上人が用いた最も優美な扇(檜扇)に似ていることです。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム  <br />アオイガイ(葵貝)<br />軟体動物門頭足綱(イカ・タコの仲間)マダコ亜目アオイガイ科に属す動物の雌だけが持つ貝殻です。この貝殻の中で卵を守ったり子育てをしたりするそうです。プラスチック製のような白くて薄い舟形の貝殻は、中に入っているタコが自分の分泌液によって作ります。<br />動物体の方を指す場合は殻を有したタコの意で「カイダコ」と言います。雌は雄に比べて20倍程体が大きく、身の危険を感じると貝殻を捨てて逃げます。しかし、貝殻を捨てるとすぐに死んでしまうという不思議な特徴があり、謎が多い貝です。<br />因みに、貝殻を舟に例え、貝殻を合わせると葵の葉形に見えることが和名の由来です。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    アオイガイ(葵貝)
    軟体動物門頭足綱(イカ・タコの仲間)マダコ亜目アオイガイ科に属す動物の雌だけが持つ貝殻です。この貝殻の中で卵を守ったり子育てをしたりするそうです。プラスチック製のような白くて薄い舟形の貝殻は、中に入っているタコが自分の分泌液によって作ります。
    動物体の方を指す場合は殻を有したタコの意で「カイダコ」と言います。雌は雄に比べて20倍程体が大きく、身の危険を感じると貝殻を捨てて逃げます。しかし、貝殻を捨てるとすぐに死んでしまうという不思議な特徴があり、謎が多い貝です。
    因みに、貝殻を舟に例え、貝殻を合わせると葵の葉形に見えることが和名の由来です。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />ショウジョウガイ(猩々貝)<br />翼形亜綱ウグイスガイ目イタヤガイ超科ウミギク科。<br />刺々しく一見攻撃的な貝のように見えますが、棘は身を守るためではなく、付着生物を着き易くするためのものです。捕獲された貝は、清掃する前には棘が見えない程に海綿が覆っていることが多いそうです。また、その棘の間を住処とする貝や他生物も確認されています。<br />ショウジョウガイの「猩々」とは、赤く長い毛で覆われた酒好きな中国の想像上の怪獣、一説にはオランウータンとも言われています。どことなく似ていませんか?主人曰く、円谷特技プロダクション制作の特撮TV番組『ウルトラQ』(1966年)に登場した「カネゴン」に似ているとか…。当方には何のことやらさっぱりです。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    ショウジョウガイ(猩々貝)
    翼形亜綱ウグイスガイ目イタヤガイ超科ウミギク科。
    刺々しく一見攻撃的な貝のように見えますが、棘は身を守るためではなく、付着生物を着き易くするためのものです。捕獲された貝は、清掃する前には棘が見えない程に海綿が覆っていることが多いそうです。また、その棘の間を住処とする貝や他生物も確認されています。
    ショウジョウガイの「猩々」とは、赤く長い毛で覆われた酒好きな中国の想像上の怪獣、一説にはオランウータンとも言われています。どことなく似ていませんか?主人曰く、円谷特技プロダクション制作の特撮TV番組『ウルトラQ』(1966年)に登場した「カネゴン」に似ているとか…。当方には何のことやらさっぱりです。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />ホネガイ(骨貝)<br />西洋では「ヴィーナスの櫛」と洒落た名で呼ばれ、その美しさに見とれてしまいます。その神秘的な自然の造形の巧みさに畏怖を感じずにはいられません。<br />アッキガイ科巻貝の一種で、棘状の突起が規則的に並び、120度毎に綺麗に3方向に分かれて並びます。日本では、姿形が魚の骨格を連想させることから、即物的な和名「ホネガイ」と命名されました。こう見えて獰猛な肉食貝で、二枚貝を捕らえてヤスリ状の舌で貝殻に穴を開けて中身を食べるそうです。<br />紀元前1600年頃の古代フェニキアでは、この貝で紫色に染めた布を独占的に販売し、フェニキア紫あるいはティルス紫の布は金と同じ重さで取引されるほど価値があったそうです。その起源を語る伝説があります。<br />メルカルト神(ヘラクレス)が犬を従えて海岸を歩いている時、犬がホネガイに噛みつき、その口がきれいな紫色に染まってしまいました。メルカルトはそれを見て喜び、布を紫色に染めて王妃に贈りました。澄んだ赤みのある紫色(貝紫色)=ロイヤルパープルの誕生物語です。<br />ホネガイの近縁のシリアツブリガイの内臓分泌液は、酸化すると安定した紫の色素となります。古代フェニキア人は、高級布地を紫色に染色する技術を持っていたということです。マケドニアのアレキサンダー大王やクレオパトラ等、一握りの人にしか許されなかった贅沢なのでしょうが…。<br />もう少しロマンチックな伝説もあります。<br />遠い昔、海で愛する人を失った娘のために、海神が与えたのがホネガイ。耳を澄ますと貝の中から愛する人の囁きが聴こえるようにと…。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    ホネガイ(骨貝)
    西洋では「ヴィーナスの櫛」と洒落た名で呼ばれ、その美しさに見とれてしまいます。その神秘的な自然の造形の巧みさに畏怖を感じずにはいられません。
    アッキガイ科巻貝の一種で、棘状の突起が規則的に並び、120度毎に綺麗に3方向に分かれて並びます。日本では、姿形が魚の骨格を連想させることから、即物的な和名「ホネガイ」と命名されました。こう見えて獰猛な肉食貝で、二枚貝を捕らえてヤスリ状の舌で貝殻に穴を開けて中身を食べるそうです。
    紀元前1600年頃の古代フェニキアでは、この貝で紫色に染めた布を独占的に販売し、フェニキア紫あるいはティルス紫の布は金と同じ重さで取引されるほど価値があったそうです。その起源を語る伝説があります。
    メルカルト神(ヘラクレス)が犬を従えて海岸を歩いている時、犬がホネガイに噛みつき、その口がきれいな紫色に染まってしまいました。メルカルトはそれを見て喜び、布を紫色に染めて王妃に贈りました。澄んだ赤みのある紫色(貝紫色)=ロイヤルパープルの誕生物語です。
    ホネガイの近縁のシリアツブリガイの内臓分泌液は、酸化すると安定した紫の色素となります。古代フェニキア人は、高級布地を紫色に染色する技術を持っていたということです。マケドニアのアレキサンダー大王やクレオパトラ等、一握りの人にしか許されなかった贅沢なのでしょうが…。
    もう少しロマンチックな伝説もあります。
    遠い昔、海で愛する人を失った娘のために、海神が与えたのがホネガイ。耳を澄ますと貝の中から愛する人の囁きが聴こえるようにと…。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム<br />リュウキュウアオイガイ<br />ディスプレイの外周に並べられているのがリュウキュウアオイガイです。<br />国内では奄美大島よりも南の海に分布し、海外においてはインドから東部の海や太平洋の西部に生息しています。浅瀬のサンゴ礁の砂地に生息している3〜4cm程のハート形の輪郭をした美しい二枚貝で、貝殻の色は白、紫、黄、ピンク色など多彩な個体が存在します。貝殻の形は類円形で前後に平たく扁平になっており、貝殻の表面には小鱗片を備えた放射肋が見られます。右の殻頂が左の殻頂に重なり、内靭帯が外側から見られることも特徴のひとつです。<br />また、貝殻は半透明で脆く、フチの部分にはノコギリ歯状にギザギザの突起があります。「幸せを呼ぶハート貝」という名でアクセサリーとしても売られています。<br />

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    リュウキュウアオイガイ
    ディスプレイの外周に並べられているのがリュウキュウアオイガイです。
    国内では奄美大島よりも南の海に分布し、海外においてはインドから東部の海や太平洋の西部に生息しています。浅瀬のサンゴ礁の砂地に生息している3〜4cm程のハート形の輪郭をした美しい二枚貝で、貝殻の色は白、紫、黄、ピンク色など多彩な個体が存在します。貝殻の形は類円形で前後に平たく扁平になっており、貝殻の表面には小鱗片を備えた放射肋が見られます。右の殻頂が左の殻頂に重なり、内靭帯が外側から見られることも特徴のひとつです。
    また、貝殻は半透明で脆く、フチの部分にはノコギリ歯状にギザギザの突起があります。「幸せを呼ぶハート貝」という名でアクセサリーとしても売られています。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />ハート貝<br />ハートの形をしたかわいらしい二枚貝です。このように二枚の貝が完全に合わさるのは、唯一無二生まれた時からのペアの貝殻だけだそうです。ロマンチックな貝ですね!<br />向きを変えると現れるハートの形から、「秘めた想い」をイメージし、見立てによって命名された名です。何かになぞらえてものを愛でる見立てには、日本の伝統が息づいています。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    ハート貝
    ハートの形をしたかわいらしい二枚貝です。このように二枚の貝が完全に合わさるのは、唯一無二生まれた時からのペアの貝殻だけだそうです。ロマンチックな貝ですね!
    向きを変えると現れるハートの形から、「秘めた想い」をイメージし、見立てによって命名された名です。何かになぞらえてものを愛でる見立てには、日本の伝統が息づいています。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />スイジガイ(水字貝)<br />沖縄では魔除けとしても有名な、世界三大宝貝です。盤足目スイショウガイ科(ソデボラ科)に分類される巻貝の一種。6本の突起があるのが特徴です。幼貝には突起がなく、同じ科のマガキガイなどに似ていますが、成長すると6本の長く尖った角状の突起ができます。<br />和名は、この形が漢字の「水」に似ていることに由来します。<br />沖縄ではその「水」の文字にあやかって火除けや魔除けのお守りとして家の門や玄関などにつける風習があり、古書ではヒヨケガイともされています。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    スイジガイ(水字貝)
    沖縄では魔除けとしても有名な、世界三大宝貝です。盤足目スイショウガイ科(ソデボラ科)に分類される巻貝の一種。6本の突起があるのが特徴です。幼貝には突起がなく、同じ科のマガキガイなどに似ていますが、成長すると6本の長く尖った角状の突起ができます。
    和名は、この形が漢字の「水」に似ていることに由来します。
    沖縄ではその「水」の文字にあやかって火除けや魔除けのお守りとして家の門や玄関などにつける風習があり、古書ではヒヨケガイともされています。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />リュウグウオキナエビス(竜宮翁恵比寿)<br />オキナエビスガイ科の巻貝で1億5000万年前まで栄えた腹足類の生き残りです。現存する貝の中で最も原始的なもので「生きた化石」と珍重され、25種が水深100〜400mの深海に生息しています。一見どこにでもありそうな巻貝ですが、ひとつ数百万円は下らず、ギネスブックに「世界一高価な貝」として登録されている超希少種です。<br />黄白色の地に橙色もしくは赤褐色の火炎状の模様が美しい巻貝です。右上の殻底に近い細く深い切れ目は、割れているのではなく、呼吸や排泄のための隙間であり、古代貝の特徴です。アワビの殻の孔列と同じ機能を持ち、英語名ではこの切れ目のためにスリット・シェルと呼ばれています。<br />過去にはコレクタの人気を呼び、1960年代には最高値360万円で取引されたそうです。あまりにも高値なため、世界中のトレジャーハンターならぬシェルハンターが捕獲しまくった結果、値崩れを起こしたこともありましたが、現在でも高値で取引されているようです。?<br />オキナエビスは別名「長者貝」とも呼ばれますが、それには次のようなエピソードが由来です。<br />1876年、ヒルゲンドルフ 東大教授が江の島の土産物屋で貝を買って調べたところ、古代貝の特徴を有することが判り、日本にオキナエビスという生きた化石が産すると学会に発表しました。すると大英博物館から高額の懸賞金を付けて東大へ採集依頼があり、三崎臨海実験所の青木熊吉さんが貝を採集し、大学から40円という当時としては破格の謝礼を受け取りました。その時、熊吉さんが「長者になった様な気がする」と言ったことから、「長者貝」という別名が付けられたそうです。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    リュウグウオキナエビス(竜宮翁恵比寿)
    オキナエビスガイ科の巻貝で1億5000万年前まで栄えた腹足類の生き残りです。現存する貝の中で最も原始的なもので「生きた化石」と珍重され、25種が水深100〜400mの深海に生息しています。一見どこにでもありそうな巻貝ですが、ひとつ数百万円は下らず、ギネスブックに「世界一高価な貝」として登録されている超希少種です。
    黄白色の地に橙色もしくは赤褐色の火炎状の模様が美しい巻貝です。右上の殻底に近い細く深い切れ目は、割れているのではなく、呼吸や排泄のための隙間であり、古代貝の特徴です。アワビの殻の孔列と同じ機能を持ち、英語名ではこの切れ目のためにスリット・シェルと呼ばれています。
    過去にはコレクタの人気を呼び、1960年代には最高値360万円で取引されたそうです。あまりにも高値なため、世界中のトレジャーハンターならぬシェルハンターが捕獲しまくった結果、値崩れを起こしたこともありましたが、現在でも高値で取引されているようです。?
    オキナエビスは別名「長者貝」とも呼ばれますが、それには次のようなエピソードが由来です。
    1876年、ヒルゲンドルフ 東大教授が江の島の土産物屋で貝を買って調べたところ、古代貝の特徴を有することが判り、日本にオキナエビスという生きた化石が産すると学会に発表しました。すると大英博物館から高額の懸賞金を付けて東大へ採集依頼があり、三崎臨海実験所の青木熊吉さんが貝を採集し、大学から40円という当時としては破格の謝礼を受け取りました。その時、熊吉さんが「長者になった様な気がする」と言ったことから、「長者貝」という別名が付けられたそうです。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />ハシナガソデガイ<br />前鰓亜綱盤足目スイショウガイ超科スイショウガイ科。<br />著しく高い螺塔と長い水管溝を持つのが特徴です。水管溝は巻貝の中で最も長く、それは高い螺塔とのバランスを保つための機能と考えられています。<br />紡錘型で「糸紡ぎ貝」とも言われ、フリル状の外唇と長い前水管が魅力的でコレクタに高い人気の貝です。<br />

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    ハシナガソデガイ
    前鰓亜綱盤足目スイショウガイ超科スイショウガイ科。
    著しく高い螺塔と長い水管溝を持つのが特徴です。水管溝は巻貝の中で最も長く、それは高い螺塔とのバランスを保つための機能と考えられています。
    紡錘型で「糸紡ぎ貝」とも言われ、フリル状の外唇と長い前水管が魅力的でコレクタに高い人気の貝です。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />クジャクガイ(孔雀貝)<br />二枚貝綱イガイ科クジャクガイ属。潮間帯の岩礁に棲息する殻長30mm程の二枚貝です。殻は三角形で腹縁は湾曲した形をしています。潮間帯下部から浅い岩礁帯の岩に足糸で付着して生息しています。<br />見た目通り美しい光沢を持ち、クジャクの羽を彷彿とさせるのが名の由来です。貝殻の内側にも真珠光沢があります。<br />これほど多彩な色のコレクションは初めて目にします。<br /><br />余談ですが、昨年、日本最古の人骨が密集する沖縄地域のサキタリ洞遺跡(沖縄県南城市)で、約2万年前の旧石器時代の貝製道具(貝器)が国内で初めて発見されています。出土した貝器23点の中に、クジャクガイの破片3点が確認されています。

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    クジャクガイ(孔雀貝)
    二枚貝綱イガイ科クジャクガイ属。潮間帯の岩礁に棲息する殻長30mm程の二枚貝です。殻は三角形で腹縁は湾曲した形をしています。潮間帯下部から浅い岩礁帯の岩に足糸で付着して生息しています。
    見た目通り美しい光沢を持ち、クジャクの羽を彷彿とさせるのが名の由来です。貝殻の内側にも真珠光沢があります。
    これほど多彩な色のコレクションは初めて目にします。

    余談ですが、昨年、日本最古の人骨が密集する沖縄地域のサキタリ洞遺跡(沖縄県南城市)で、約2万年前の旧石器時代の貝製道具(貝器)が国内で初めて発見されています。出土した貝器23点の中に、クジャクガイの破片3点が確認されています。

  • 古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム <br />魚の化石です。<br />小中学校時代にタイムスリップしてしまいますね!<br /><br />

    古宇利オーシャンタワー シェルミュージアム
    魚の化石です。
    小中学校時代にタイムスリップしてしまいますね!

  • 古宇利オーシャンタワー 第一展望台<br />道草の時間が長くてやきもきしたのですが、エレベータで2Fへ上がり、漸く展望台へ辿り着けました。<br />タワーの中は1〜4Fと屋上という4層構造になっています。1Fの「シェルミュージアム」を抜けて奥へ進むとエレベータがあります。展望台は3つあり、まず2Fのエレベータを降りた所が第一展望台。左右に細長く広がるガラス面から見える古宇利大橋を中心とした光景はまるで一幅の絵画のようです。<br /><br />古宇利島は、沖縄本島北部今帰仁村にある、隆起珊瑚礁からなる3〜4段の海岸段丘に囲まれた、半径約1km、周囲約8kmの円形をした小島です。島内には昔ながらの古民家やさとうきび畑、紅芋畑が広がり、沖縄の原風景を色濃く遺しています。また、本島有数の美ら海での海水浴はもちろん、夕暮れには綺麗な夕日、夜には満天の綺羅星を見られるのも魅力です。

    古宇利オーシャンタワー 第一展望台
    道草の時間が長くてやきもきしたのですが、エレベータで2Fへ上がり、漸く展望台へ辿り着けました。
    タワーの中は1〜4Fと屋上という4層構造になっています。1Fの「シェルミュージアム」を抜けて奥へ進むとエレベータがあります。展望台は3つあり、まず2Fのエレベータを降りた所が第一展望台。左右に細長く広がるガラス面から見える古宇利大橋を中心とした光景はまるで一幅の絵画のようです。

    古宇利島は、沖縄本島北部今帰仁村にある、隆起珊瑚礁からなる3〜4段の海岸段丘に囲まれた、半径約1km、周囲約8kmの円形をした小島です。島内には昔ながらの古民家やさとうきび畑、紅芋畑が広がり、沖縄の原風景を色濃く遺しています。また、本島有数の美ら海での海水浴はもちろん、夕暮れには綺麗な夕日、夜には満天の綺羅星を見られるのも魅力です。

  • 古宇利オーシャンタワー 第一展望台<br />風光明媚な景観に留まらず、紀元前2世紀の土器の出土など、沖縄版「アダムとイヴ」伝説などの古代ロマンに溢れた歴史を併せ持つのも魅力です。古宇利島は古くから「恋の島」や「神の島」と呼ばれ、「こうりじま」の語源は「恋島(くいじま)」だと伝えられています。神々の宿る島と言わる通り、至る所に子宝や安産祈願の御嶽(うたき)が見られます。そのため、全国津々浦々からカップルが訪れる「恋人の聖地」ともなっています。島丸ごとパワースポットと称される古宇利島は、沖縄の数ある島の中でも特別な存在と言えます。

    古宇利オーシャンタワー 第一展望台
    風光明媚な景観に留まらず、紀元前2世紀の土器の出土など、沖縄版「アダムとイヴ」伝説などの古代ロマンに溢れた歴史を併せ持つのも魅力です。古宇利島は古くから「恋の島」や「神の島」と呼ばれ、「こうりじま」の語源は「恋島(くいじま)」だと伝えられています。神々の宿る島と言わる通り、至る所に子宝や安産祈願の御嶽(うたき)が見られます。そのため、全国津々浦々からカップルが訪れる「恋人の聖地」ともなっています。島丸ごとパワースポットと称される古宇利島は、沖縄の数ある島の中でも特別な存在と言えます。

  • 古宇利オーシャンタワー 第一展望台<br />人口約350名。島民の7割は農業に従事し、2割は漁業、残りは観光やサービス業で生計を立てています。農業はサトウキビや紅芋栽培が中心で、漁業ではウニが有名です。古宇利島のウニはシラヒゲウニと呼ばれ、餌となる海草の多い所にはよいウニが育ちます。解禁になると、古宇利島を始め今帰仁村の店ではウニ丼が人気を呼びます。資源保護のためにウニの漁期を7〜8月の2ヶ月に限定しており、ウニ丼を食べるにはこの時期がベストだそうです。

    古宇利オーシャンタワー 第一展望台
    人口約350名。島民の7割は農業に従事し、2割は漁業、残りは観光やサービス業で生計を立てています。農業はサトウキビや紅芋栽培が中心で、漁業ではウニが有名です。古宇利島のウニはシラヒゲウニと呼ばれ、餌となる海草の多い所にはよいウニが育ちます。解禁になると、古宇利島を始め今帰仁村の店ではウニ丼が人気を呼びます。資源保護のためにウニの漁期を7〜8月の2ヶ月に限定しており、ウニ丼を食べるにはこの時期がベストだそうです。

  • 古宇利オーシャンタワー 第一展望台<br />ナイーブな上下方向の曲線が何とも言えない味を出しています。まるで古宇利島を空中散策しているような気分になってしまいます。<br /><br />神話伝説<br />昔、古宇利島に空から男女の子(ウミナイとウミキイ)が降りてきました。彼らは恥らうことなく裸で生活し、神が天から降らせてくれる餅を食べて暮らしていました。ある日餅が降らなくなったらどうしようという疑念を抱き、食事の残りものを蓄えることを覚えました。ところが貯えを始めると、ピタリと餅は降らなくなりました。2人は天の月に向かって声を嗄らして歌いましたが、2度と降ってくることはありませんでした。そこで2人は海で漁をするなど自給自足することを覚えました。やがて生活と労働の苦しみを知り、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識して恥部をクバの葉で隠すようになり、やがて子供が生まれました。この2人の子孫が増えて琉球人の祖となった、という神話です。<br />この伝説から古宇利島は「恋島」と呼ばれるようになり、やがて「恋島」=「くいじま」=「古宇利島」と変化したとされています。琉球版エデンの園といったところでしょうか…。<br />琉球へのキリスト教伝来は1622年、石垣島に寄港した南蛮船によって伝えられたと言われています。琉球とキリスト教の関係はあまり密接ではないような気もしますが、何処からともなく聖書の話が伝わり、古宇利島の古い歴史と絡まって人類発祥伝説が生まれたとしても不思議ではありません。

    古宇利オーシャンタワー 第一展望台
    ナイーブな上下方向の曲線が何とも言えない味を出しています。まるで古宇利島を空中散策しているような気分になってしまいます。

    神話伝説
    昔、古宇利島に空から男女の子(ウミナイとウミキイ)が降りてきました。彼らは恥らうことなく裸で生活し、神が天から降らせてくれる餅を食べて暮らしていました。ある日餅が降らなくなったらどうしようという疑念を抱き、食事の残りものを蓄えることを覚えました。ところが貯えを始めると、ピタリと餅は降らなくなりました。2人は天の月に向かって声を嗄らして歌いましたが、2度と降ってくることはありませんでした。そこで2人は海で漁をするなど自給自足することを覚えました。やがて生活と労働の苦しみを知り、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識して恥部をクバの葉で隠すようになり、やがて子供が生まれました。この2人の子孫が増えて琉球人の祖となった、という神話です。
    この伝説から古宇利島は「恋島」と呼ばれるようになり、やがて「恋島」=「くいじま」=「古宇利島」と変化したとされています。琉球版エデンの園といったところでしょうか…。
    琉球へのキリスト教伝来は1622年、石垣島に寄港した南蛮船によって伝えられたと言われています。琉球とキリスト教の関係はあまり密接ではないような気もしますが、何処からともなく聖書の話が伝わり、古宇利島の古い歴史と絡まって人類発祥伝説が生まれたとしても不思議ではありません。

  • 古宇利オーシャンタワー 第一展望台<br />2009年に古宇利島沖で琉球朝日放送のTVカメラが2頭のジュゴンを撮影しました。ジュゴンは、国の天然記念物に指定された絶滅危惧種の海洋哺乳動物であり、ワシントン条約で保護されています。<br />この古宇利島にはジュゴン伝説があります。網に捕らえられたジュゴンを助けたところ、ジュゴンがそのお礼に津波の襲来を知らせ、村人を助けたという話が伝わっています。<br />また、今帰仁城内からはジュゴンの骨で作ったサイコロが発掘されています。恐らく、肉を食べた後、骨を細工したものなのでしょう。ジュゴンは成長が遅いために骨も緻密で、細工に適する材料だそうです。ジュゴンの骨のサイコロは、今帰仁村歴史文化センターに展示されています。

    古宇利オーシャンタワー 第一展望台
    2009年に古宇利島沖で琉球朝日放送のTVカメラが2頭のジュゴンを撮影しました。ジュゴンは、国の天然記念物に指定された絶滅危惧種の海洋哺乳動物であり、ワシントン条約で保護されています。
    この古宇利島にはジュゴン伝説があります。網に捕らえられたジュゴンを助けたところ、ジュゴンがそのお礼に津波の襲来を知らせ、村人を助けたという話が伝わっています。
    また、今帰仁城内からはジュゴンの骨で作ったサイコロが発掘されています。恐らく、肉を食べた後、骨を細工したものなのでしょう。ジュゴンは成長が遅いために骨も緻密で、細工に適する材料だそうです。ジュゴンの骨のサイコロは、今帰仁村歴史文化センターに展示されています。

  • 古宇利オーシャンタワー 第二展望台<br />3Fの第二展望台はガラス面の部分がさらに大きく広がり、いつまでも見ていたい息をのむような絶景が広がります。こんな高いところから古宇利島の海を眺めることができるのは古宇利オーシャンタワーだけです。第二展望台までは館内なので、雨が降っている日でも愉しめます。

    古宇利オーシャンタワー 第二展望台
    3Fの第二展望台はガラス面の部分がさらに大きく広がり、いつまでも見ていたい息をのむような絶景が広がります。こんな高いところから古宇利島の海を眺めることができるのは古宇利オーシャンタワーだけです。第二展望台までは館内なので、雨が降っている日でも愉しめます。

  • 古宇利オーシャンタワー 第二展望台<br />右端に見えるチブヌ浜へと向かう途中の道沿いに「人類発祥の地」の碑が立てられています。人類の発祥の地は、アフリカとかではなく、実は沖縄の「とある島」なのだと記されています。これによると、古宇利島は天帝が人間の男女を初めて地上に降ろした場所だそうです。そしてその沖縄版アダムとイヴの2人が暮らしていた浜がチブヌ浜です。<br />何故人類発祥の伝説がこの地にあるのかは謎ですが、発掘調査で縄文時代の竪穴住居が確認されたのは確かです。本島よりも古い貝塚が発見され、古い歴史を持つ島なのは確かです。また、尚王朝時代にはこの島に遠見台を置き、外敵に備えたとの記録もあります。一方、薩摩侵攻の際、最初に侵攻を受けたのも古宇利島でした。薩摩藩3000名の兵は、瞬く間に運天港に入り、迎え撃つ今帰仁城の北山監守軍500名を一蹴し、琉球制圧へ進軍を始めたのです。<br />また、古宇利島は神々の宿る島と言われ、七森七嶽と呼ばれる御嶽があり、今日でも神拝みが盛んです。四季折々に、神人(かみんちゅ)たちによって祈願が行なわれています。他にも「海神祭(うんじゃみ)」などの珍しい無形民俗文化財を持つなど、非常に興味深い島です。

    古宇利オーシャンタワー 第二展望台
    右端に見えるチブヌ浜へと向かう途中の道沿いに「人類発祥の地」の碑が立てられています。人類の発祥の地は、アフリカとかではなく、実は沖縄の「とある島」なのだと記されています。これによると、古宇利島は天帝が人間の男女を初めて地上に降ろした場所だそうです。そしてその沖縄版アダムとイヴの2人が暮らしていた浜がチブヌ浜です。
    何故人類発祥の伝説がこの地にあるのかは謎ですが、発掘調査で縄文時代の竪穴住居が確認されたのは確かです。本島よりも古い貝塚が発見され、古い歴史を持つ島なのは確かです。また、尚王朝時代にはこの島に遠見台を置き、外敵に備えたとの記録もあります。一方、薩摩侵攻の際、最初に侵攻を受けたのも古宇利島でした。薩摩藩3000名の兵は、瞬く間に運天港に入り、迎え撃つ今帰仁城の北山監守軍500名を一蹴し、琉球制圧へ進軍を始めたのです。
    また、古宇利島は神々の宿る島と言われ、七森七嶽と呼ばれる御嶽があり、今日でも神拝みが盛んです。四季折々に、神人(かみんちゅ)たちによって祈願が行なわれています。他にも「海神祭(うんじゃみ)」などの珍しい無形民俗文化財を持つなど、非常に興味深い島です。

  • 古宇利オーシャンタワー 第二展望台<br />古宇利島の北側にはティーヌ浜があります。そこにはJALのCMで有名になったハート型の岩があり、若者に人気のスポットになっています。このハート型の岩と海の付け根は何百年、何千年もの波の浸食でできたものです。あと何年もの歳月が経てば、もっとハート型に近くなるのではないでしょうか。<br />沖縄版のアダムとイブの伝説が残る恋の島のランドマークにピッタリと言えます。

    古宇利オーシャンタワー 第二展望台
    古宇利島の北側にはティーヌ浜があります。そこにはJALのCMで有名になったハート型の岩があり、若者に人気のスポットになっています。このハート型の岩と海の付け根は何百年、何千年もの波の浸食でできたものです。あと何年もの歳月が経てば、もっとハート型に近くなるのではないでしょうか。
    沖縄版のアダムとイブの伝説が残る恋の島のランドマークにピッタリと言えます。

  • 古宇利オーシャンタワー 第三展望台<br />さらに階段を登ると4Fの第三展望台。天井が少し吹き抜けて心地よい風が入って来る、見晴らしの良いフロアにでられます。<br /><br />世界トップクラスの沈船ポイントが古宇利島に存在します。太平洋戦争中、古宇利島に沈んだ軍艦『USSエモンズ』は、全長90mに及ぶ巨大な軍艦でした。沈没後60年以上経た今でもほぼ沈んだままの姿を留め、海底で寡黙に眠っているそうです。<br />『USSエモンズ』はアメリカ海軍の駆逐艦で、グリーブス級駆逐艦の1隻。艦名はジョージ・F・エモンズ海軍少将(1811〜1884年)に因みます。1945年、沖縄戦参戦のため、4月1日の上陸に向けて航行中、5機の日本軍の特攻機により撃墜され、日本軍の手に渡ることを避けるため海没処分となりました。その後、2000年、古宇利島の北側の海底から時々浮いてくる油があり、海上保安本部の調査により、海底に沈んでいる軍艦が発見されました。同年12月、地元のダイビングインストラクターの調査によりその軍艦が『USS Emmons』と判明しました。<br />水深34〜46mの海底にあり、潮流も速く減圧の手間もあるため上級者向きのダイビングポイントになっているそうです。

    古宇利オーシャンタワー 第三展望台
    さらに階段を登ると4Fの第三展望台。天井が少し吹き抜けて心地よい風が入って来る、見晴らしの良いフロアにでられます。

    世界トップクラスの沈船ポイントが古宇利島に存在します。太平洋戦争中、古宇利島に沈んだ軍艦『USSエモンズ』は、全長90mに及ぶ巨大な軍艦でした。沈没後60年以上経た今でもほぼ沈んだままの姿を留め、海底で寡黙に眠っているそうです。
    『USSエモンズ』はアメリカ海軍の駆逐艦で、グリーブス級駆逐艦の1隻。艦名はジョージ・F・エモンズ海軍少将(1811〜1884年)に因みます。1945年、沖縄戦参戦のため、4月1日の上陸に向けて航行中、5機の日本軍の特攻機により撃墜され、日本軍の手に渡ることを避けるため海没処分となりました。その後、2000年、古宇利島の北側の海底から時々浮いてくる油があり、海上保安本部の調査により、海底に沈んでいる軍艦が発見されました。同年12月、地元のダイビングインストラクターの調査によりその軍艦が『USS Emmons』と判明しました。
    水深34〜46mの海底にあり、潮流も速く減圧の手間もあるため上級者向きのダイビングポイントになっているそうです。

  • 古宇利オーシャンタワー 第三展望台<br />ここからさらに上に登る階段があり、オーシャンデッキスタジオに通じています。しかし、雨や風の日には安全上の配慮もあり閉鎖されています。メインは記念写真撮影のようです。プロのカメラマンが撮影してくれますが、購入するかどうかは自由だそうです。古宇利島に訪れた際は、ぜひ最上階のオーシャンデッキスタジオから目の前に広がる大パノラマを愉しんでいってください。<br /><br />新しい試みとしては、地元のカボチャ農家と連携して6次産業化に取り組まれています。1次産業(生産)+2次産業(加工)+3次産業(販売)に農業者が主となり総合的に関わっていることを6次産業と言います(1+2+3=6)。地元で取れたカボチャを使って施設内でロールケーキやまんじゅう「カボニー」を製造・販売しています。今帰仁村のランドマークとして観光客の誘致に大きく貢献し、地域振興の一助となればいいですね!

    古宇利オーシャンタワー 第三展望台
    ここからさらに上に登る階段があり、オーシャンデッキスタジオに通じています。しかし、雨や風の日には安全上の配慮もあり閉鎖されています。メインは記念写真撮影のようです。プロのカメラマンが撮影してくれますが、購入するかどうかは自由だそうです。古宇利島に訪れた際は、ぜひ最上階のオーシャンデッキスタジオから目の前に広がる大パノラマを愉しんでいってください。

    新しい試みとしては、地元のカボチャ農家と連携して6次産業化に取り組まれています。1次産業(生産)+2次産業(加工)+3次産業(販売)に農業者が主となり総合的に関わっていることを6次産業と言います(1+2+3=6)。地元で取れたカボチャを使って施設内でロールケーキやまんじゅう「カボニー」を製造・販売しています。今帰仁村のランドマークとして観光客の誘致に大きく貢献し、地域振興の一助となればいいですね!

  • 古宇利大橋<br />ビジュルヌメー御嶽 <br />島には大小さまざまな御嶽がありますが、子宝を望む人にお勧めなのが、西ビジュルにある「ビジュルヌメー御嶽」と東ビジュルにある「プトゥキヌメーヌ御嶽」です。「ビジュルヌメー御嶽」には、女性の子宮を表すと言われる洞窟があり、中には赤ちゃんを抱いたマリア様を思わせる鍾筍があります。「プトゥキヌメーヌ御嶽」には、男性器の象徴と言われる突き出た鍾筍が連なっています。<br />「ビジュルヌメー御嶽」は、秋篠宮紀子さまが子宝祈願のために訪れ、その後悠仁様をご懐妊されたと伝えられている霊験あらたかな御嶽です。因みに、ここは男子禁制だそうです。<br />子宝祈願を希望される方は、「龍乃宮館」に確認されることをお勧めします。案内料とご祈祷料がかかりますが、沖縄スタイルの正式参拝をしていただけるそうです。<br />龍乃宮館のサイトです。<br />http://okinawa-syaman.jimdo.com/%E9%96%A2%E9%80%A3%E5%BA%97%E8%88%97/%E5%8F%A4%E5%AE%87%E5%88%A9%E5%B3%B6-%E9%BE%8D%E4%B9%83%E5%AE%AE%E9%A4%A8/

    古宇利大橋
    ビジュルヌメー御嶽
    島には大小さまざまな御嶽がありますが、子宝を望む人にお勧めなのが、西ビジュルにある「ビジュルヌメー御嶽」と東ビジュルにある「プトゥキヌメーヌ御嶽」です。「ビジュルヌメー御嶽」には、女性の子宮を表すと言われる洞窟があり、中には赤ちゃんを抱いたマリア様を思わせる鍾筍があります。「プトゥキヌメーヌ御嶽」には、男性器の象徴と言われる突き出た鍾筍が連なっています。
    「ビジュルヌメー御嶽」は、秋篠宮紀子さまが子宝祈願のために訪れ、その後悠仁様をご懐妊されたと伝えられている霊験あらたかな御嶽です。因みに、ここは男子禁制だそうです。
    子宝祈願を希望される方は、「龍乃宮館」に確認されることをお勧めします。案内料とご祈祷料がかかりますが、沖縄スタイルの正式参拝をしていただけるそうです。
    龍乃宮館のサイトです。
    http://okinawa-syaman.jimdo.com/%E9%96%A2%E9%80%A3%E5%BA%97%E8%88%97/%E5%8F%A4%E5%AE%87%E5%88%A9%E5%B3%B6-%E9%BE%8D%E4%B9%83%E5%AE%AE%E9%A4%A8/

  • ワルミ大橋<br />屋我地島を抜け、ワルミ大橋から慶長の役で3000人を擁する薩摩軍がここから侵攻してきたと言う運天港方面を望みます。<br /><br />薩摩藩侵攻から日本への併合までは、琉球王国は隷属者として幕府や薩摩藩に利用されました。しかし薩摩藩は、琉球を完全制圧したものの、王国解体という方策は採らず、ある程度の自治権を付与しました。何故なら、薩摩藩や幕府は琉球が交易で得た利益を吸い上げるのが目的だったからです。琉球は中国の朝貢国でしたが日本は交易を持たず、琉球が薩摩藩の支配下にあることを中国に知られないことが重要でした。 日本人は将軍の許可なく訪琉が禁じられ、琉球人は日本人の名前や衣類、習慣を採択することが禁止されていました。また、琉球人は江戸を訪れる際、日本語が理解できることを表明することが許されませんでした。<br />このように琉球を独立国としてカモフラージュする政策を通じた貿易関係は、幕府と薩摩藩にとって有用なものでした。しかし皮肉にも幕府は、薩摩藩がこのような貿易を通じて手に入れた権力と財力によって転覆させられたのです。そして、やがて薩摩藩をはじめとする諸藩も解体されました。琉球王国の怨念が明治維新を勝ち取ったのかもしれません。<br />琉球侵攻後、薩摩藩の制圧により琉球は苦しみましたが、王国を立て直そうとする政治家が頭角を現しました。向象賢(しょうしょうけん=羽地朝秀)です。傍流ながら王族出身で、1666年に王府最高職の摂政に就き、行政改革を推し進めて王国を立て直しました。彼の改革の特徴には「質素倹約」「風紀粛清」「農村振興」「伝統芸能の奨励」が挙げられます。彼は、これらの改革を進めるに当り、寄生する薩摩の力を最大限活用し、古代的な王国の体制を薩摩藩のような封建社会へと変革しました。現在の沖縄人が日本人よりも日本的だと称されるのは、こうした向象賢の精神が脈々と受け継がれているからかもしれません。あるいは、現在の日本人が本来の「日本人の心」を失ったのかもしれません。

    ワルミ大橋
    屋我地島を抜け、ワルミ大橋から慶長の役で3000人を擁する薩摩軍がここから侵攻してきたと言う運天港方面を望みます。

    薩摩藩侵攻から日本への併合までは、琉球王国は隷属者として幕府や薩摩藩に利用されました。しかし薩摩藩は、琉球を完全制圧したものの、王国解体という方策は採らず、ある程度の自治権を付与しました。何故なら、薩摩藩や幕府は琉球が交易で得た利益を吸い上げるのが目的だったからです。琉球は中国の朝貢国でしたが日本は交易を持たず、琉球が薩摩藩の支配下にあることを中国に知られないことが重要でした。 日本人は将軍の許可なく訪琉が禁じられ、琉球人は日本人の名前や衣類、習慣を採択することが禁止されていました。また、琉球人は江戸を訪れる際、日本語が理解できることを表明することが許されませんでした。
    このように琉球を独立国としてカモフラージュする政策を通じた貿易関係は、幕府と薩摩藩にとって有用なものでした。しかし皮肉にも幕府は、薩摩藩がこのような貿易を通じて手に入れた権力と財力によって転覆させられたのです。そして、やがて薩摩藩をはじめとする諸藩も解体されました。琉球王国の怨念が明治維新を勝ち取ったのかもしれません。
    琉球侵攻後、薩摩藩の制圧により琉球は苦しみましたが、王国を立て直そうとする政治家が頭角を現しました。向象賢(しょうしょうけん=羽地朝秀)です。傍流ながら王族出身で、1666年に王府最高職の摂政に就き、行政改革を推し進めて王国を立て直しました。彼の改革の特徴には「質素倹約」「風紀粛清」「農村振興」「伝統芸能の奨励」が挙げられます。彼は、これらの改革を進めるに当り、寄生する薩摩の力を最大限活用し、古代的な王国の体制を薩摩藩のような封建社会へと変革しました。現在の沖縄人が日本人よりも日本的だと称されるのは、こうした向象賢の精神が脈々と受け継がれているからかもしれません。あるいは、現在の日本人が本来の「日本人の心」を失ったのかもしれません。

  • 備瀬のフクギ並木<br />本部町備瀬エリアは、フクギ並木の集落です。白砂の小路が碁盤の目に区画された250戸の家々を繋ぎ、その小路の両側には真っ直ぐに伸びたフクギが整然と並び、備瀬崎まで延々と1km続く光景は圧巻です。こうした心なごませる緑濃いフクギ並木は、旧き佳き沖縄の原風景を今に留める最後の楽園です。時折、古民家からは山羊の鳴き声が聞こえ、なんとものどかな暮らしぶりです。豊かに繁った葉が織り成す緑のアーチ、木漏れ日と小路に落ちた樹木の陰影、かすかな葉擦れの囁き、そして風に揺れる木の葉の煌き…。こうした静謐さは、ゆったりとした時間の流れを実感させてくれます。並木に沿ってそぞろ歩くだけで心が癒され、都会の喧騒をしばし忘れさせてくれる、そんなノスタルジックな極上空間です。<br />

    備瀬のフクギ並木
    本部町備瀬エリアは、フクギ並木の集落です。白砂の小路が碁盤の目に区画された250戸の家々を繋ぎ、その小路の両側には真っ直ぐに伸びたフクギが整然と並び、備瀬崎まで延々と1km続く光景は圧巻です。こうした心なごませる緑濃いフクギ並木は、旧き佳き沖縄の原風景を今に留める最後の楽園です。時折、古民家からは山羊の鳴き声が聞こえ、なんとものどかな暮らしぶりです。豊かに繁った葉が織り成す緑のアーチ、木漏れ日と小路に落ちた樹木の陰影、かすかな葉擦れの囁き、そして風に揺れる木の葉の煌き…。こうした静謐さは、ゆったりとした時間の流れを実感させてくれます。並木に沿ってそぞろ歩くだけで心が癒され、都会の喧騒をしばし忘れさせてくれる、そんなノスタルジックな極上空間です。

  • 備瀬のフクギ並木 石壁のヒンプン<br />フクギ並木の風景は、台風の通過が多い沖縄特有のものです。備瀬のフクギの数は2万本に及び、最古のものは推定樹齢300年だそうです。用途としては、防風林・防潮林・防砂林・防火林として利用されています。また、昔からヒンプン(屏風)と呼ばれる琉球古民家の典型的な様式のひとつに門と母屋との間に設けられる石垣壁の目隠しがあり、それと併せて「魔除け」の役割も担っています。このようにフクギは集落を守り、集落はフクギを守ってきました。そんな並木道を地元の方々は毎朝掃き清め、おじぃやおばぁがゆんたく(おしゃべり)をするのどかな光景が見られるそうです。

    備瀬のフクギ並木 石壁のヒンプン
    フクギ並木の風景は、台風の通過が多い沖縄特有のものです。備瀬のフクギの数は2万本に及び、最古のものは推定樹齢300年だそうです。用途としては、防風林・防潮林・防砂林・防火林として利用されています。また、昔からヒンプン(屏風)と呼ばれる琉球古民家の典型的な様式のひとつに門と母屋との間に設けられる石垣壁の目隠しがあり、それと併せて「魔除け」の役割も担っています。このようにフクギは集落を守り、集落はフクギを守ってきました。そんな並木道を地元の方々は毎朝掃き清め、おじぃやおばぁがゆんたく(おしゃべり)をするのどかな光景が見られるそうです。

  • 備瀬のフクギ並木 樹木のヒンプン<br />このような樹木もヒンプンの代用としています。<br /><br />「福を呼ぶ木」と言われるフクギ。フクギは、オトギリソウ科で台湾〜フィリピンが原産地の常緑高木です。沖縄県が北限で、樹高は20mにも育ち、楕円形で厚みのある葉が特徴です。実はコウモリの大好物だそうで、夜、大きな鳥を見かけたら間違いなくコウモリだそうです。<br />フクギは、琉球王朝時代の17世紀後半に活躍した政治家 蔡温(さいおん)が、中国で学んだ風水思想を応用して植えたと伝えられています。成長の遅い木ですので、苗木を植えた先人たちはその恩恵には与っていないそうです。このように、自分たちのためではなく、子孫や未来の地域を守るために植えられたことに、中国における100年単位の思想にも似た壮大なスケールと感動を覚えます。<br />余談ですが、フクギ並木にリュウキュウアオバズクが棲み付いているようです。集落の子孫だけではなく動物たちも恩恵に与っているようです。こした自然が残っているのはとても喜ばしいことです。

    備瀬のフクギ並木 樹木のヒンプン
    このような樹木もヒンプンの代用としています。

    「福を呼ぶ木」と言われるフクギ。フクギは、オトギリソウ科で台湾〜フィリピンが原産地の常緑高木です。沖縄県が北限で、樹高は20mにも育ち、楕円形で厚みのある葉が特徴です。実はコウモリの大好物だそうで、夜、大きな鳥を見かけたら間違いなくコウモリだそうです。
    フクギは、琉球王朝時代の17世紀後半に活躍した政治家 蔡温(さいおん)が、中国で学んだ風水思想を応用して植えたと伝えられています。成長の遅い木ですので、苗木を植えた先人たちはその恩恵には与っていないそうです。このように、自分たちのためではなく、子孫や未来の地域を守るために植えられたことに、中国における100年単位の思想にも似た壮大なスケールと感動を覚えます。
    余談ですが、フクギ並木にリュウキュウアオバズクが棲み付いているようです。集落の子孫だけではなく動物たちも恩恵に与っているようです。こした自然が残っているのはとても喜ばしいことです。

  • 備瀬のフクギ並木<br />フクギの根が重なるようにむき出しになる様は、力強さが漲っています。<br /><br />1985年に備瀬のフクギを調査したところ、樹齢266年という結果となり、琉球王朝時代に植樹されたものと判明しました。実は、フクギの植樹は国からの勅命だったそうです。往時、集落や国都の造形、山林の管理には国策として風水を取り入れ、王府は風水思想に基づく海岸域から里山にかけての森づくりに注力し、その一環としてフクギが植えられたそうです。この美しい並木が、国家プロ ジェクトの一環だったということに吃驚です。<br />先祖代々大切に受け継がれてきたフクギ並木は、国交省の「手づくり郷土賞(2011年)」にも選らばれました。風光明媚という理由だけでなく、フクギを守ろうとしている住民の方々の努力が受賞の決め手になったそうです。住民の取り決めで、フクギを許可なく切るのはご法度、また、フクギより高い建物は建てられないそうです。

    備瀬のフクギ並木
    フクギの根が重なるようにむき出しになる様は、力強さが漲っています。

    1985年に備瀬のフクギを調査したところ、樹齢266年という結果となり、琉球王朝時代に植樹されたものと判明しました。実は、フクギの植樹は国からの勅命だったそうです。往時、集落や国都の造形、山林の管理には国策として風水を取り入れ、王府は風水思想に基づく海岸域から里山にかけての森づくりに注力し、その一環としてフクギが植えられたそうです。この美しい並木が、国家プロ ジェクトの一環だったということに吃驚です。
    先祖代々大切に受け継がれてきたフクギ並木は、国交省の「手づくり郷土賞(2011年)」にも選らばれました。風光明媚という理由だけでなく、フクギを守ろうとしている住民の方々の努力が受賞の決め手になったそうです。住民の取り決めで、フクギを許可なく切るのはご法度、また、フクギより高い建物は建てられないそうです。

  • 備瀬のフクギ並木<br />フクギは成長が遅いそうです。この新芽が並木の仲間入りするまで、どれくらいの年月が必要なのでしょう。<br /><br />ところで、数多の樹木の中で何故フクギが選ばれたのでしょうか?<br />フクギは幹が真っ直ぐ伸びて枝葉が密生し、また葉は厚いため燃え難く、そのため防火や防風に最適な樹木として評価されたのです。戦時中、屋敷は全部燃えましたが、フクギ並木だけは焼け残ったというのがこれを実証しています。その他、建築用材としての利用や樹皮からは染料、枯葉は燃料になったそうです。広範囲に活用できる合理的な樹木ということで採用されたのでしょう。

    備瀬のフクギ並木
    フクギは成長が遅いそうです。この新芽が並木の仲間入りするまで、どれくらいの年月が必要なのでしょう。

    ところで、数多の樹木の中で何故フクギが選ばれたのでしょうか?
    フクギは幹が真っ直ぐ伸びて枝葉が密生し、また葉は厚いため燃え難く、そのため防火や防風に最適な樹木として評価されたのです。戦時中、屋敷は全部燃えましたが、フクギ並木だけは焼け残ったというのがこれを実証しています。その他、建築用材としての利用や樹皮からは染料、枯葉は燃料になったそうです。広範囲に活用できる合理的な樹木ということで採用されたのでしょう。

  • 備瀬のフクギ並木 夫婦フクギ<br />フクギ並木を順路に沿って進むと、まず最初に出会うのが「夫婦フクギ」。2つの巨木が成長と共にくっついて連理したフクギで、幸せを呼ぶフクギとして人気を博しています。<br /><br />順路と書かれた標識に従って小道を進みます。すると間もなくどこかで見たことのある風景が目の前に現れました。備瀬フク木並木の象徴的な場所として車のCMや映画のロケにも使われた有名なポイントです。未舗装の白砂の小路の両サイドにフクギが立ち並び、やさしい木漏れ日が差し込む穏やかな空間で、しばし時間の流れを忘れてゆっくり彷徨ってみました。どこかノスタルジーを感じる小道です。

    備瀬のフクギ並木 夫婦フクギ
    フクギ並木を順路に沿って進むと、まず最初に出会うのが「夫婦フクギ」。2つの巨木が成長と共にくっついて連理したフクギで、幸せを呼ぶフクギとして人気を博しています。

    順路と書かれた標識に従って小道を進みます。すると間もなくどこかで見たことのある風景が目の前に現れました。備瀬フク木並木の象徴的な場所として車のCMや映画のロケにも使われた有名なポイントです。未舗装の白砂の小路の両サイドにフクギが立ち並び、やさしい木漏れ日が差し込む穏やかな空間で、しばし時間の流れを忘れてゆっくり彷徨ってみました。どこかノスタルジーを感じる小道です。

  • 備瀬のフクギ並木<br />昔の屋敷の石垣は、板干瀬(いたびし)を切り出して造っていたそうです。今は法律上、板干瀬を個人で切り出す事はできませんが、その石が大きければ大きい程、その家の「力」を誇示できと言われています。切り出された跡がはっきりと残っている場所が、古民家の宿 「しらぱま」下の海岸で確認する事ができるそうです。<br />集落内を散策する時は、ぜひ板干瀬で造られた石垣にも思いを馳せてくださいね!

    備瀬のフクギ並木
    昔の屋敷の石垣は、板干瀬(いたびし)を切り出して造っていたそうです。今は法律上、板干瀬を個人で切り出す事はできませんが、その石が大きければ大きい程、その家の「力」を誇示できと言われています。 切り出された跡がはっきりと残っている場所が、古民家の宿 「しらぱま」下の海岸で確認する事ができるそうです。
    集落内を散策する時は、ぜひ板干瀬で造られた石垣にも思いを馳せてくださいね!

  • 備瀬のフクギ並木 備瀬の神アサギ(拝所)と神殿(右手)  <br />備瀬は、1903年(明治36年)に備瀬村と小浜村が合併した村です。この拝所で村落蔡祀が行えるように殿(火の神)やアサギ、遊び庭があり、近くには備瀬、小浜村の本家があります。<br />また、ここは代表的なお通し御嶽で、住居跡備瀬グスクの方角に向けて建てられています。現在でもカミンチュー(神人)とシマの重鎮、そしてウミンチュー(漁師)が一緒になって五穀豊穣と健康祈願、漁の安全を祈願する敬虔な様子を見ることができるそうです。

    備瀬のフクギ並木 備瀬の神アサギ(拝所)と神殿(右手)  
    備瀬は、1903年(明治36年)に備瀬村と小浜村が合併した村です。この拝所で村落蔡祀が行えるように殿(火の神)やアサギ、遊び庭があり、近くには備瀬、小浜村の本家があります。
    また、ここは代表的なお通し御嶽で、住居跡備瀬グスクの方角に向けて建てられています。現在でもカミンチュー(神人)とシマの重鎮、そしてウミンチュー(漁師)が一緒になって五穀豊穣と健康祈願、漁の安全を祈願する敬虔な様子を見ることができるそうです。

  • 備瀬のフクギ並木 備瀬の神アサギ(拝所)と神殿(右手)<br />更に奥へと進むと巨大な「がじゅまる」を見ることができるのですが、バスガイドさんの誘導による団体行動ですのでやむなくショートカットです。<br />そこには、がじゅまるが大きな根を張りめぐらした神秘的な光景が広がっています。根元にはがじゅまるや村人の想いに守られた軸石が安置されており、このニージク石を基準にして現在の碁盤の目の区画割りが行われたと伝わっています。

    備瀬のフクギ並木 備瀬の神アサギ(拝所)と神殿(右手)
    更に奥へと進むと巨大な「がじゅまる」を見ることができるのですが、バスガイドさんの誘導による団体行動ですのでやむなくショートカットです。
    そこには、がじゅまるが大きな根を張りめぐらした神秘的な光景が広がっています。根元にはがじゅまるや村人の想いに守られた軸石が安置されており、このニージク石を基準にして現在の碁盤の目の区画割りが行われたと伝わっています。

  • 備瀬のフクギ並木<br />神アサギの前を海岸線方向に進むと、フクギ並木の奥にターコイズブルーの海が見え隠れしています。ジブリのアニメにでも出てきそうな現実離れしたこの光景には感動せずにはいられません。<br /><br />最近は、食事処やカフェ、宿泊施設などが続々と建てられています。少しずつ観光地化が進むのは時代の潮流としてやむを得ないことなのでしょう。しかし、この静かで鄙びた雰囲気は変わって欲しくないものです。先人からの貴い贈り物をどのように守り、次の世代に手渡していくのか…。今後の備瀬エ リアの発展から目が離せません。

    備瀬のフクギ並木
    神アサギの前を海岸線方向に進むと、フクギ並木の奥にターコイズブルーの海が見え隠れしています。ジブリのアニメにでも出てきそうな現実離れしたこの光景には感動せずにはいられません。

    最近は、食事処やカフェ、宿泊施設などが続々と建てられています。少しずつ観光地化が進むのは時代の潮流としてやむを得ないことなのでしょう。しかし、この静かで鄙びた雰囲気は変わって欲しくないものです。先人からの貴い贈り物をどのように守り、次の世代に手渡していくのか…。今後の備瀬エ リアの発展から目が離せません。

  • 備瀬のフクギ並木 伊江島<br />フクギのトンネルを抜けると美ら海の彼方に伊江島の雄姿がズームアップされてきます。

    備瀬のフクギ並木 伊江島
    フクギのトンネルを抜けると美ら海の彼方に伊江島の雄姿がズームアップされてきます。

  • 備瀬のフクギ並木 伊江島<br />伊江島は、備瀬集落海岸線から西北西9km沖にある周囲22.4kmの落花生形をした離島で、地元では「タッチュー」と呼んで親しまれています。シンボリックなトンガリ帽子のような形をした標高172.2mの神の山「城山(ぐすくやま)」がランドマークです。<br />落花生の形をしている縁か、特産品は落花生と伊江島牛だそうです。

    備瀬のフクギ並木 伊江島
    伊江島は、備瀬集落海岸線から西北西9km沖にある周囲22.4kmの落花生形をした離島で、地元では「タッチュー」と呼んで親しまれています。シンボリックなトンガリ帽子のような形をした標高172.2mの神の山「城山(ぐすくやま)」がランドマークです。
    落花生の形をしている縁か、特産品は落花生と伊江島牛だそうです。

  • 備瀬のフクギ並木 ペルシャ猫<br />少し場違いなような気もしないではありませんが、駐車場に戻るとペルシャ猫がウトウトとお昼の真っ最中でした。温かいのか、丸まらずにうつ伏せ状態です。特徴的なつぶれたような低い鼻が愛嬌たっぷりです。悪の帝王が愛でるのに相応しいゴージャスな雰囲気の猫を飼うセレブな方がこの辺りに住まれているようです。

    備瀬のフクギ並木 ペルシャ猫
    少し場違いなような気もしないではありませんが、駐車場に戻るとペルシャ猫がウトウトとお昼の真っ最中でした。温かいのか、丸まらずにうつ伏せ状態です。特徴的なつぶれたような低い鼻が愛嬌たっぷりです。悪の帝王が愛でるのに相応しいゴージャスな雰囲気の猫を飼うセレブな方がこの辺りに住まれているようです。

  • 備瀬のフクギ並木 牛車<br />牛車と言うと竹富島が有名ですが、実はここ備瀬でも乗ることができます。20分ほどかけてフクギ並木の散策を愉しむことができます。<br />ノスタルジックな牛車を牽引するのは、水牛の3代目フクちゃん。フクギの木に因んだ名前だそうです。備瀬のもうひとつの観光名物になって久しいそうです。

    備瀬のフクギ並木 牛車
    牛車と言うと竹富島が有名ですが、実はここ備瀬でも乗ることができます。20分ほどかけてフクギ並木の散策を愉しむことができます。
    ノスタルジックな牛車を牽引するのは、水牛の3代目フクちゃん。フクギの木に因んだ名前だそうです。備瀬のもうひとつの観光名物になって久しいそうです。

  • 備瀬のフクギ並木 牛車<br />フクちゃんは、悠々とバスの横を通り抜けて行きました。<br />正味20分程のあっという間の散策でした。<br />漠然と、碁盤の目に区画するのは防風上不利ではないかと考えていましたが、フクギ並木を実際に歩いてみて、十字路が微妙にズラしてあったり、小道も直線ではなく緩くカーブしており、風の勢力を削ぐ工夫がなされていることを知りました。蔡温の知恵に感服です。<br /><br />もう少し時間があれば、詳細なレポートができたのですが残念です。<br />昼食の時間合わせのための散策といったスタンツですので、仕方のないことです。その分、この後の美ら海水族館で時間を取っていただけ、結果的にはよかったと思います。

    備瀬のフクギ並木 牛車
    フクちゃんは、悠々とバスの横を通り抜けて行きました。
    正味20分程のあっという間の散策でした。
    漠然と、碁盤の目に区画するのは防風上不利ではないかと考えていましたが、フクギ並木を実際に歩いてみて、十字路が微妙にズラしてあったり、小道も直線ではなく緩くカーブしており、風の勢力を削ぐ工夫がなされていることを知りました。蔡温の知恵に感服です。

    もう少し時間があれば、詳細なレポートができたのですが残念です。
    昼食の時間合わせのための散策といったスタンツですので、仕方のないことです。その分、この後の美ら海水族館で時間を取っていただけ、結果的にはよかったと思います。

  • 琉宮城 蝶々園 オゴマダラ(大胡麻斑)<br />旅行社の旅程には記されていなかったのですが、昼食会場が琉宮城 蝶々園でした。前々から行きたかった観光スポットでしたので、昼食を早めに切り上げて蝶々園を訪ねてみました。<br /><br />昼食のメニューは、「沖縄そばご膳」。蝶々園のある本部町は近年「そばの町もとぶ」を宣言した沖縄そばのメッカです。蝶々園でも自家製麺に切り替えるなど、力を入れています。カツオの出汁がしっかり効いたあっさり系のスープがストレート麺によくからんでいます。<br />そばは平ぺったく白いのでうどんのような食感でした。沖縄そばとしては、こしがあったような気がします。スープはとても美味しかったです。

    琉宮城 蝶々園 オゴマダラ(大胡麻斑)
    旅行社の旅程には記されていなかったのですが、昼食会場が琉宮城 蝶々園でした。前々から行きたかった観光スポットでしたので、昼食を早めに切り上げて蝶々園を訪ねてみました。

    昼食のメニューは、「沖縄そばご膳」。蝶々園のある本部町は近年「そばの町もとぶ」を宣言した沖縄そばのメッカです。蝶々園でも自家製麺に切り替えるなど、力を入れています。カツオの出汁がしっかり効いたあっさり系のスープがストレート麺によくからんでいます。
    そばは平ぺったく白いのでうどんのような食感でした。沖縄そばとしては、こしがあったような気がします。スープはとても美味しかったです。

  • 琉宮城 蝶々園  オオゴマダラ<br />自然の地形を利用した500坪の蝶々ハウスには、滝が流れ、亜熱帯植物や原色の花々が咲き乱れるファンタジックな夢の楽園が創られています。<br />蝶々園では亜熱帯の植物や沖縄を北限とする日本一大きな蝶「オオゴマダラ」が常時200〜500頭幻想的に乱舞しています。年間を通じて産卵、ふ化を繰り返すオオゴマダラの頭数は比較的安定しており、いつ訪れてもその姿を愉しむことができます。大変縁起の良い蝶で、幸運を招くと信じられています。成虫の寿命は蝶にしては長く、数ヶ月間生きることも多々あるそうです。

    琉宮城 蝶々園 オオゴマダラ
    自然の地形を利用した500坪の蝶々ハウスには、滝が流れ、亜熱帯植物や原色の花々が咲き乱れるファンタジックな夢の楽園が創られています。
    蝶々園では亜熱帯の植物や沖縄を北限とする日本一大きな蝶「オオゴマダラ」が常時200〜500頭幻想的に乱舞しています。年間を通じて産卵、ふ化を繰り返すオオゴマダラの頭数は比較的安定しており、いつ訪れてもその姿を愉しむことができます。大変縁起の良い蝶で、幸運を招くと信じられています。成虫の寿命は蝶にしては長く、数ヶ月間生きることも多々あるそうです。

  • 琉宮城 蝶々園 オオゴマダラ<br />羽を広げると130mmにも及ぶ大きな蝶がヒラヒラと優雅に乱舞しています。飛び方と羽の模様が新聞紙が風に舞うように見えることから「新聞蝶」とも呼ばれます。しかも人を避けるような蝶ではなく、むしろ近寄ってきます。その人懐っこさの理由には、幼虫時代に食べる葉に毒性があり、その毒が成虫になっても残っているため、捕食され難いためと言われています。つまり、外敵から必死になって逃げなくてもいいからゆっくり飛べるのです。一説には「オオゴマダラは赤色を好む」などと言われますが、実は園内の花束にはオスが好むフェロモンの一種のパラベンが振り掛けてあります。パラベンとは防腐剤として整髪料や化粧品に使われている物質です。整髪料を振り掛けて蝶々園を訪れれば、頭に沢山のオオゴマダラを留まらせたインパクトある写真が撮れる可能性大です。

    琉宮城 蝶々園 オオゴマダラ
    羽を広げると130mmにも及ぶ大きな蝶がヒラヒラと優雅に乱舞しています。飛び方と羽の模様が新聞紙が風に舞うように見えることから「新聞蝶」とも呼ばれます。しかも人を避けるような蝶ではなく、むしろ近寄ってきます。その人懐っこさの理由には、幼虫時代に食べる葉に毒性があり、その毒が成虫になっても残っているため、捕食され難いためと言われています。つまり、外敵から必死になって逃げなくてもいいからゆっくり飛べるのです。一説には「オオゴマダラは赤色を好む」などと言われますが、実は園内の花束にはオスが好むフェロモンの一種のパラベンが振り掛けてあります。パラベンとは防腐剤として整髪料や化粧品に使われている物質です。整髪料を振り掛けて蝶々園を訪れれば、頭に沢山のオオゴマダラを留まらせたインパクトある写真が撮れる可能性大です。

  • 琉宮城 蝶々園<br />人懐っこい蝶なので、歩いていると服や帽子、頭などに留まることがあります。

    琉宮城 蝶々園
    人懐っこい蝶なので、歩いていると服や帽子、頭などに留まることがあります。

  • 琉宮城 蝶々園 黄金サナギのクリスマスツリー<br />オゴマダラのサナギは、光沢のある黄金色に輝き、生命の神秘を感じさせ、一見の価値があります。自然界に存在するのが不思議なくらい鮮やかな金色ですので造りものと勘違いしそうです。<br />幼虫はガガイモ科ホウライカガミを餌にし、サナギもその木に垂踊します。ガガイモ科の植物には毒があり、この毒が成虫に育った際にも体内に残り、鳥に襲われることがあまりないそうです。<br />このように無事に有毒なサナギになった後でも天敵は存在します。実は、オオゴマダラの幼虫です。つまり、共食いと言うことです。

    琉宮城 蝶々園 黄金サナギのクリスマスツリー
    オゴマダラのサナギは、光沢のある黄金色に輝き、生命の神秘を感じさせ、一見の価値があります。自然界に存在するのが不思議なくらい鮮やかな金色ですので造りものと勘違いしそうです。
    幼虫はガガイモ科ホウライカガミを餌にし、サナギもその木に垂踊します。ガガイモ科の植物には毒があり、この毒が成虫に育った際にも体内に残り、鳥に襲われることがあまりないそうです。
    このように無事に有毒なサナギになった後でも天敵は存在します。実は、オオゴマダラの幼虫です。つまり、共食いと言うことです。

  • 琉宮城 蝶々園 黄金サナギのクリスマスツリー<br />元々、オオゴマダラとは 「サナギが黄金色の斑模様」 ということに由来した名前だそうです。サナギの表面の黒い斑点は、羽化が近づくにつれ数が増えます。羽化シーンでは、メタリックの黄金色のカプセルからUMAが現れる様を彷彿とさせます。<br />この派手な色の理由も、有毒であることのアピール(警告色)とされています。自然界では派手な色の生物は大抵猛毒を持っています。そんな方程式がこのオオゴマダラにも当てはまります。

    琉宮城 蝶々園 黄金サナギのクリスマスツリー
    元々、オオゴマダラとは 「サナギが黄金色の斑模様」 ということに由来した名前だそうです。サナギの表面の黒い斑点は、羽化が近づくにつれ数が増えます。羽化シーンでは、メタリックの黄金色のカプセルからUMAが現れる様を彷彿とさせます。
    この派手な色の理由も、有毒であることのアピール(警告色)とされています。自然界では派手な色の生物は大抵猛毒を持っています。そんな方程式がこのオオゴマダラにも当てはまります。

  • 琉宮城 蝶々園 羽化<br />黄金色のサナギは、実はサナギ自体が黄金色なのではなく、サナギの内部に黄色の体液が満たされているためにそう見えるのだそうです。実際、抜け殻はこのように無色透明です。これは 「構造色」と呼ばれ、コンパクトディスクのように実際には色が着いていないのに色が見えるのと同じ現象です。

    琉宮城 蝶々園 羽化
    黄金色のサナギは、実はサナギ自体が黄金色なのではなく、サナギの内部に黄色の体液が満たされているためにそう見えるのだそうです。実際、抜け殻はこのように無色透明です。これは 「構造色」と呼ばれ、コンパクトディスクのように実際には色が着いていないのに色が見えるのと同じ現象です。

  • 琉宮城 蝶々園<br />おそらく花束にパラベンが振り掛けてあるのでしょうね!<br />このように蝶が群がる様は、少し異様な光景でもあります。

    琉宮城 蝶々園
    おそらく花束にパラベンが振り掛けてあるのでしょうね!
    このように蝶が群がる様は、少し異様な光景でもあります。

  • 琉宮城 蝶々園<br />このように花束を手で持っても、蝶は怖がるそぶりさえ見せずじっとしています。

    琉宮城 蝶々園
    このように花束を手で持っても、蝶は怖がるそぶりさえ見せずじっとしています。

  • 琉宮城 蝶々園 巨大ヤシガニ(椰子蟹)<br />ヤシガニが飼育されていました。夜行性なので昼間はこうしてひっそりと穴の中に隠れています。<br />エビ目(十脚目)ヤドカリ下目オカヤドカリ科に分類される甲殻類の一種。陸上生活をする甲殻類では最大種です。体が大きいのでそれに見合う貝殻がないため、体は硬い甲で覆われています。国家レベルの絶滅危惧種でありながら、乱獲の統制がほとんど行なわれていない稀な種族です。ヤシガニ料理も有名で、ツメ部はくせがなく、伊勢海老よりも美味しいと言われています。ただし、毒の木の実を食べたヤシガニの個体は、茹でても赤くならず、そのミソを食べると中毒症状を引き起こすと言われています。

    琉宮城 蝶々園 巨大ヤシガニ(椰子蟹)
    ヤシガニが飼育されていました。夜行性なので昼間はこうしてひっそりと穴の中に隠れています。
    エビ目(十脚目)ヤドカリ下目オカヤドカリ科に分類される甲殻類の一種。陸上生活をする甲殻類では最大種です。体が大きいのでそれに見合う貝殻がないため、体は硬い甲で覆われています。国家レベルの絶滅危惧種でありながら、乱獲の統制がほとんど行なわれていない稀な種族です。ヤシガニ料理も有名で、ツメ部はくせがなく、伊勢海老よりも美味しいと言われています。ただし、毒の木の実を食べたヤシガニの個体は、茹でても赤くならず、そのミソを食べると中毒症状を引き起こすと言われています。

  • 琉宮城 蝶々園 オオベニゴウカン(大紅合歓)<br />ビジュアル系バンドのメンバーの頭を彷彿とさせますが、これでも立派な花です。沖縄では街路樹や庭園木として広く植樹されており、12月から翌年の4月頃まで咲き続けます。<br />マメ科ネムノキ亜科ベニゴウカン属(カリアンドラ属)の熱帯性常緑低木。原産地は中南米。化粧パフに似た丸いブラシ状の鮮やかな真紅の花をいくつも咲かせます。花径は5〜10cm程です。赤く放射状に伸びているのは雄しべの集合体で、中心にある白いものが雌しべです。<br />和名は、合歓の木の花に似、大輪の花を咲かせることが由来です。属名の「カリアンドラ」はギリシャ語の「カロス」(美しい)と「アンドロス」(雄しべ)の合成語です。<br />近年は、高血圧症へ有効な物質が抽出されることから注目されています。<br />花言葉は、「高潔」「澄んだ心」。

    琉宮城 蝶々園 オオベニゴウカン(大紅合歓)
    ビジュアル系バンドのメンバーの頭を彷彿とさせますが、これでも立派な花です。沖縄では街路樹や庭園木として広く植樹されており、12月から翌年の4月頃まで咲き続けます。
    マメ科ネムノキ亜科ベニゴウカン属(カリアンドラ属)の熱帯性常緑低木。原産地は中南米。化粧パフに似た丸いブラシ状の鮮やかな真紅の花をいくつも咲かせます。花径は5〜10cm程です。赤く放射状に伸びているのは雄しべの集合体で、中心にある白いものが雌しべです。
    和名は、合歓の木の花に似、大輪の花を咲かせることが由来です。属名の「カリアンドラ」はギリシャ語の「カロス」(美しい)と「アンドロス」(雄しべ)の合成語です。
    近年は、高血圧症へ有効な物質が抽出されることから注目されています。
    花言葉は、「高潔」「澄んだ心」。

  • 琉宮城 蝶々園 モンパノキ(紋羽の木)<br />シソ目ムラサキ科キダチルリソウ属の常緑低木。日本では南西諸島でしか見ることのできない植物です。春から夏には、密生した小さく白い清楚な花を咲かせます。葉は多肉で表裏ともに銀白色の細かい毛が密生し、ビロードのような手触りがします。この密毛は、塩分をはじくためのものです。潮害や塩害に強く、防風や防砂林として植栽されるそうです。戦前には、柔らかく加工し易い木の幹で世界初の水中メガネの枠を作り、葉は薬草として活用されていたそうです。 沖縄の方言では、ハマスーキと呼ばれます。<br />名の由来は、細毛が密集しビロード(紋羽)状になることから命名されました。

    琉宮城 蝶々園 モンパノキ(紋羽の木)
    シソ目ムラサキ科キダチルリソウ属の常緑低木。日本では南西諸島でしか見ることのできない植物です。春から夏には、密生した小さく白い清楚な花を咲かせます。葉は多肉で表裏ともに銀白色の細かい毛が密生し、ビロードのような手触りがします。この密毛は、塩分をはじくためのものです。潮害や塩害に強く、防風や防砂林として植栽されるそうです。戦前には、柔らかく加工し易い木の幹で世界初の水中メガネの枠を作り、葉は薬草として活用されていたそうです。 沖縄の方言では、ハマスーキと呼ばれます。
    名の由来は、細毛が密集しビロード(紋羽)状になることから命名されました。

  • 琉宮城 蝶々園 モンパノキ<br />釣鐘状の白い花の直径は、4~5mmで5裂し、雄しべは5個あります。<br />ズームアップして見ると、5個の雄しべの先に黄色い葯が見えます。<br /><br />この続きは、早春賦 沖縄紀行③でお楽しみください。

    琉宮城 蝶々園 モンパノキ
    釣鐘状の白い花の直径は、4~5mmで5裂し、雄しべは5個あります。
    ズームアップして見ると、5個の雄しべの先に黄色い葯が見えます。

    この続きは、早春賦 沖縄紀行③でお楽しみください。

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