2006/08/18 - 2006/08/18
13位(同エリア200件中)
BTSさん
ご覧いただきましてありがとうございます。
実家(長野県上田市)に帰省した際、運動を兼ねて北国街道(上田市柳町とお隣の東御市[とうみし]海野宿)を歩いてみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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上田市街地(長野新幹線・上田駅より徒歩15分ほど)に位置する北国街道の一部に、石畳の道路や長屋が軒を連ねる美しい街並みがあります。そこが、柳町。真田氏による上田築城・城下町形成以来の長い伝統を誇る町です。
特徴的なのは卯建(うだつ)が設けられていることで、いかにも城下の商人町らしい町並みです。
卯建にもいくつかの種類がありますが、ここでみられるのは「袖卯建」で、二階の妻部に瓦を葺いた小壁が突き出しています。
現在は、天然酵母パンの名店やお取り寄せ日本一のそば屋などがあり、休日は観光客で賑わっています。北国街道筋の柳町 名所・史跡
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■紬茶坊おお西(現在は休業の模様)
店内には、機織りがあり、昔の面影の楽める喫茶店です。
http://www.geocities.jp/ohnishi_soba/Tea/sabou.htm
■山崎綿店(おお西の左隣り)
紬茶房おお西の隣、棟続きの家屋で営業しているのが、山崎綿店。 -
■岡崎酒造
寛文5年(1665年)の昔から、350年の伝承の技でよりよい酒を皆様に提供する信州上田の地酒酒蔵、柳町に酒蔵とショップがあります。
http://www.ueda.ne.jp/~okazaki/ -
■森文
柳町の中央にある、おこわとケーキなどが有名な喫茶と食事を楽しめるお店です。
森文は屋号の森田屋とと、創業者の石森文次郎の名前から森文となずけられた喫茶、食事が楽しめるお店です。
その建物130年の歴史をもつ。呉服屋、郵便局と様々な形で使われてきた歴史深い建物。今でも郵便局の面影を残す受付が、店内に見ることが出来きる。
運良く、店が忙しくないときは歴史深い森文の奥を見学させてもらうことが出来る。
http://hk-yanagimachi.jp/shop/moribun.html -
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柳町周辺は古民家や土蔵などが数多く残っています。
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■菱屋
武田みその直売所として柳町の奥にあります。武田みそはその辛さの中に甘みを奥に含んでいます。麹を普通より多く使い、奥のある味わいに仕上げのみそです。
http://hk-yanagimachi.jp/shop/hishiya.html -
■保命水
明治14年に海禅寺(上田城の鬼門避け寺)の湧水を木管(松の木をくり抜いて作った木管)で引いた保命水は、現在もコンコンとして湧きでている。
大正年間後期に上田市の上水道が出来るまで市民の飲料水としての役割を果たしていた。
昭和初期の上田市の水飢饉の折は、市民の喉を潤した。
現在も長寿の水としてお茶などに利用されている。保命水の建立碑文は漢文で書かれており、保命水の路地は江戸時代の海禅寺参道である。 -
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■北国街道
北国街道(ほっこくかいどう)は日本の街道である。江戸幕府によって整備された脇街道で、北国脇往還(ほっこくわきおうかん)、善光寺街道(ぜんこうじかいどう)などとも呼ばれる。
本道は、善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした。軽井沢町から上越市までの区間は現在の国道18号にほぼ相当する。
善光寺平の入り口屋代宿(矢代宿とも書く)を過ぎて雨宮の渡しで千曲川を渡るが、川を渡らずに東岸の松代宿や福島宿を経由して、牟礼宿で本道と合流する松代道と呼ばれる脇道があり、谷街道の一部と重なる。この路は、犀川の川止めで本道が足止めされた場合、布施の渡しで千曲川を渡って福島宿へと迂回し、足止めを回避することを目的としている。
田中宿と海野宿、上戸倉宿と下戸倉宿、古間宿と柏原宿、関川宿と上原宿、田切宿と二俣宿、松崎宿と二本木宿は合宿(あいしゅく)といい、セットで1つの宿場の役割を果たした。また、鼠宿と篠ノ井追分宿は間の宿(あいのしゅく)といい、幕府や藩の非公認の宿であった。 -
柳町から上田城へ移動しました。(徒歩10分ほど)
■上田城
上田城は、甲斐武田氏の旧臣である真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城である。
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名である。第二次上田合戦後、関ヶ原の合戦にて、真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため、上田城は徳川軍に徹底的に破却され堀も埋められた。江戸時代には上田藩の藩庁が置かれ、真田氏が信濃国松代へ転封された後は仙石氏が入城し、破却された上田城を現在のような姿に再建した。
仙石忠政により、本丸は櫓7棟、櫓門2棟、それらをつなぐ塀が再建され、二の丸にも櫓や櫓門を再建するための櫓台なども再建されたが、仙石忠政の突然の病死により再建は中断され、そのまま幕末を迎えた。現在ある本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。
明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓(西櫓)が1棟残るのみであったが、昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に復元され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されている。
現在は旧二の丸内が上田城跡公園という公園になっており、毎年花見の季節になると、多くの市民や観光客で賑わう。
また、敷地内には市営球場、市民会館、市立博物館などが置かれている。本丸跡には、明治に松平神社として建立された歴代城主を祀った神社がある。現在では、真田神社と呼ばれている。境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説がある。三の丸の藩主居館跡には、松平氏時代の屋敷門と堀が残されている。同地は現在上田高校の敷地として利用され、門は学校の正門として使用されている。
■上田城跡公園(上田市HP)
http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/sys/20091103000001449.html上田城 公園・植物園
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■真田石
天正11年(1583)、真田昌幸(幸村の父)が上田城を築くとき、本丸の入口右手の石垣に高さ 約2.5メートル、横3メートルほどの大きな石を柱石として据えた。城内で最も大きな石である。元和8年(1622)、真田信之(幸村の兄)が松代へ移る時この石を父の形見に持って行こうと したが、数万人の人夫の力でも動かなかったという。 -
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お堀です。
春になるとお堀周辺は桜で満開になります。(必見です) -
上田駅からしなの鉄道に乗り、二つ目の大屋駅で降ります。大屋駅から徒歩で15分ほどで海野宿に着きました。
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■海野宿
1625年(寛永2年)に、北国街道の宿場として、江戸幕府によって設置された。当初は田中宿との合宿であり、後に本宿になった。
宿場町開設以前は、海野郷や海野庄などと呼ばれ、東信濃の豪族滋野氏やその嫡流に当たる海野氏の領地として栄え、宿場町開設以前から集落が形成されていた。木曾義仲が挙兵した地や海野平の戦いがあった地、海野氏の子である真田幸隆やその兄弟の出身地とも言われている。1583年には上田城城下町を形成するために、海野から上田に人を呼び寄せたため、集落を縮小され宿場町開設に至った。
海野宿には、約6町(約 650 m)にわたり街並みが続き、本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の江戸までの輸送、善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され、非常に賑わいをみせていた。明治時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減ったため、養蚕業を主に行っていた。また明治時代には信越本線の駅の設置が計画されていたが中止になった。
現在でも本陣、脇本陣、問屋、旅籠などの跡が残っており、明治時代の養蚕業に用いられた伝統的建造物も残っている。1986年(昭和61年)には「北国街道」が日本の道100選に選ばれ、1987年(昭和62年)には海野宿が種別「宿場町・養蚕町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。(ウィキペディアより)海野宿 名所・史跡
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今は「東御市(とうみし)」に書き換えられていますが、以前は「東部町・海野宿」でした。
2004年(平成16年)4月1日 - 小県郡(ちいさがたぐん)東部町・北佐久郡北御牧村が合併して「東御市」が誕生しました。 -
■見どころ
海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成しています。
道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里をを想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれます。
また、海野宿の産土神である白鳥境内の社そうは神社の歴史を物語り、中央にあるけやきの木は樹齢七百年を超えています。毎年4月の例祭には街道に12本の大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が今も受け継がれています。
11月23日(祝)には海野宿ふれあい祭が開催され、時代仮装行列や、人力車も繰りだし往時の宿場の賑わいが甦ります。
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海野宿では、全ての民家に屋号が表記されていました。
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1986年(昭和61年)に「北国街道」が日本の道100選に選ばれています。
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宿場町には柳が似合いますよね〜
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海野宿には「海野宿資料館」と「なつかしの玩具資料館」があります。
■海野宿資料館(注:冬季は休館)
http://www.tomikan.jp/unno/unno_shiryou-kan.html
■なつかしの玩具資料館(注:冬季は休館)
http://www.tomikan.jp/unno/gangu.html -
荷車が店先に置いてあります。
海野宿には、喫茶店や蕎麦屋などの飲食店と宿が数軒あります。 -
このあと、しなの鉄道・田中駅まで歩き上田へ戻りました。
学生時代、海野宿の存在は知っていましたが、なかなか見ることはしませんでした。
今回は地元を知る意味で歩いてみましたが、京都や高山のような有名観光スポット違い、のんびりした中で風情を楽しむことができました。(心のオアシスでしょうか)
ご覧いただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- jamk46さん 2014/12/24 11:37:35
- 海野宿の写真
- こんにちは。旅行記楽しく拝見させていただきました。
実は私のインド旅行のバイブルである、「河童が覗いたインド」の作者の妹尾河童さんが、別の著書で海野宿についての文章を書かれていたので、
とても気になっていました。
今回実際の風景の写真を掲載頂き、さらに行ってみたいという思いが強くなりました。
- BTSさん からの返信 2014/12/24 12:13:55
- RE: 海野宿の写真
- jamk46さまへ
こんにちは〜
いつも小生の旅行記をご覧いただきありがとうございます。
まさか、インドと海野宿に共通点があるとは…驚きました!
妹尾河童さんについてウィキペディアで調べましたが、フジテレビの
美術を22年されていたそうですね。
いくつかの本も出版されているのですね。(マルチな方ですね)
インド・ネパール旅行へ行く前にjamk46さんのバイブル「河童が覗いたインド」を読んでみたいです。
早速、アマゾンで調べてみます。
情報ありがとうございます。
海野宿には、春から初夏がお勧めです。
特に桜の咲く季節に上田城、別所温泉、塩田平の寺巡りも合わせて北国街道を歩いてみるのも良いかと思います。
是非行ってみてください。
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