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<br /><br />1957年7月〜1960年3月<br /><br />東北本線花巻盛岡間の複線化工事を担当している係りで、私は線路を横断する道や水路などの設計を一人で引き受けていた。<br />担当区間にこのような構造物は30か所ほど。<br /><br />構造計算し、設計図を描き、トレースするという仕事は、普通一か所あたり3日間ほどかかったが、私は1か所1日のペースで仕上げる。<br /><br />快調に仕事は流れ、完成間近し、そこに青天の霹靂「明日から出勤停止」。<br />係長は早速その晩、明日から出てこなくなる私の壮行会を、夕顔瀬橋詰の料亭で開いてくれた。<br /><br />同僚たちは明るく、盛岡工業出身のベテラン係長はへべれけに酔っ払い、結核患者の私が一番若いとて、社宅まで10分ほどの道のりを、背負って送った。<br />係長の体は、思ったより軽く、彼の苦労を思いやって愛おしかった。<br />私は盛岡の人たちの逞しさと温かさに、驚きそして思いを新たにする。<br /><br />それから石川県の金沢大学で胚葉切除の手術を終え、義兄が院長をやっている福井県勝山厚生病院で3か月の療養後自宅のある盛岡に戻り、盛岡鉄道病院でリハビリ3か月、自宅で仕上げ調整3か月。<br />この間ラジオのロシア語講座をやったが、難しくてほんのひとかじり。<br /><br />そのころ盛岡の社宅は、四畳半と六畳の狭さだったが、私は祖母、母、家内、長女と、女性4人を扶養していた。<br />祖母と母は結核に対する耐性があったようだが、家内と長女は感染する。<br /><br />8月の岩手県実業団ソフトテニス大会団体戦では、国鉄盛岡工事局代表の一員として休職中にかかわらず出場し、決勝戦まで勝ち残る。<br />肺活量を4900ccから3800?に落とした私は、病気前得意だった粘りのゲーム運びには耐えきれず、速攻決戦型に転換し成功。<br /><br />復職間もなく台風で東北本線が不通となり、青森県野辺地に泊まり込んで応急復旧工事に取り組む。<br />折しも日本シリーズ、巨人3連勝後西鉄稲尾が4連投して大逆転、「神様仏様稲尾様」。<br />私は稲尾に似ているらしく、街では子供にサインをねだられる。<br /><br />ようやく秋になって落ち着きを取り戻し、外国滞在計画の具体化に取り組み始めた。<br />国鉄内で最近外国に滞在した経験者を盛岡に呼び寄せ、「最新の外国技術を学ぼう」シリーズの勉強会を進める。<br /><br />アメリカの「オペレーションズ・リサーチ」、フランスやドイツの「プレストレスト・コンクリート」などなど。<br />四人の方に次々に東京から来てもらい、技術指導の傍ら、外国滞在中の生活などの詳細も教えていただく。<br /><br />その結果、私の挑戦先はフランスと決める。<br />理由は、行動の自由度が一番高いこと。<br />私にとり、フランスもフランス語も全く未知の新しいものであることも、魅力だった。<br /><br />秋深く、岩手・秋田の県境近く、国鉄横黒線(おうこくせん)大荒沢の、湯田ダム滞水による線路水没部分建設工事現場に出る。<br /><br />この工事は、先日盛岡に招いた外国技術習得者の方々に参画していただき、日本鉄道初のディヴィターク方式プレストレスコンクリート、日本最大径間コンクリートアーチ橋、日本初の請負業者責任施工契約等々。<br /><br />私が日本土木技術の発展をめざし、情熱をこめて計画し、設計した、意欲に満ちたものだった。<br /><br />工事の規模も従来の工事局の三倍と大きく、国鉄で三つ目の、工事事務所が設立される。<br />工事事務所の規模は60名規模。<br />「技師」昇格したばかりの私は、副所長兼大荒沢工事区長。<br />所長は心臓が悪く、現場勤務ができないので、60人中で一番若い私が責任者だ。<br /><br />現場はウサギやタヌキが出るという静かな奥山。<br />小学校に挨拶に行ったら、校長は私を「風の又三郎の再現」と、歓迎してくれる。<br /><br />週末は盛岡に帰宅できるが、田舎暮らし。<br />フランス語の勉強にはベストの条件と、借り上げた家の玄関脇の三畳を独占し、毎晩フランス語リンガフォンを聞きながら、丸暗記する。<br /><br />英語やドイツ語の勉強がうまく行かなかった私は、フランス語を目でなく、耳と口で覚えることにする。<br />文字の読み書きは後回し・・・。<br /><br />日本語を覚えた赤んぼ時代の経過を真似して・・・。<br /><br />何しろ口頭試問試験の合格が目的、目標とする20歳代は、二年足らずしか残っていないのだ。<br /><br />2014年12月10日片瀬貴文記<br />

フランスは行きたしされど遠かりし2 − 東北の山奥で学んだフランス語

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1959/10/01 - 1960/04/01

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ソフィ

ソフィさん



1957年7月〜1960年3月

東北本線花巻盛岡間の複線化工事を担当している係りで、私は線路を横断する道や水路などの設計を一人で引き受けていた。
担当区間にこのような構造物は30か所ほど。

構造計算し、設計図を描き、トレースするという仕事は、普通一か所あたり3日間ほどかかったが、私は1か所1日のペースで仕上げる。

快調に仕事は流れ、完成間近し、そこに青天の霹靂「明日から出勤停止」。
係長は早速その晩、明日から出てこなくなる私の壮行会を、夕顔瀬橋詰の料亭で開いてくれた。

同僚たちは明るく、盛岡工業出身のベテラン係長はへべれけに酔っ払い、結核患者の私が一番若いとて、社宅まで10分ほどの道のりを、背負って送った。
係長の体は、思ったより軽く、彼の苦労を思いやって愛おしかった。
私は盛岡の人たちの逞しさと温かさに、驚きそして思いを新たにする。

それから石川県の金沢大学で胚葉切除の手術を終え、義兄が院長をやっている福井県勝山厚生病院で3か月の療養後自宅のある盛岡に戻り、盛岡鉄道病院でリハビリ3か月、自宅で仕上げ調整3か月。
この間ラジオのロシア語講座をやったが、難しくてほんのひとかじり。

そのころ盛岡の社宅は、四畳半と六畳の狭さだったが、私は祖母、母、家内、長女と、女性4人を扶養していた。
祖母と母は結核に対する耐性があったようだが、家内と長女は感染する。

8月の岩手県実業団ソフトテニス大会団体戦では、国鉄盛岡工事局代表の一員として休職中にかかわらず出場し、決勝戦まで勝ち残る。
肺活量を4900ccから3800?に落とした私は、病気前得意だった粘りのゲーム運びには耐えきれず、速攻決戦型に転換し成功。

復職間もなく台風で東北本線が不通となり、青森県野辺地に泊まり込んで応急復旧工事に取り組む。
折しも日本シリーズ、巨人3連勝後西鉄稲尾が4連投して大逆転、「神様仏様稲尾様」。
私は稲尾に似ているらしく、街では子供にサインをねだられる。

ようやく秋になって落ち着きを取り戻し、外国滞在計画の具体化に取り組み始めた。
国鉄内で最近外国に滞在した経験者を盛岡に呼び寄せ、「最新の外国技術を学ぼう」シリーズの勉強会を進める。

アメリカの「オペレーションズ・リサーチ」、フランスやドイツの「プレストレスト・コンクリート」などなど。
四人の方に次々に東京から来てもらい、技術指導の傍ら、外国滞在中の生活などの詳細も教えていただく。

その結果、私の挑戦先はフランスと決める。
理由は、行動の自由度が一番高いこと。
私にとり、フランスもフランス語も全く未知の新しいものであることも、魅力だった。

秋深く、岩手・秋田の県境近く、国鉄横黒線(おうこくせん)大荒沢の、湯田ダム滞水による線路水没部分建設工事現場に出る。

この工事は、先日盛岡に招いた外国技術習得者の方々に参画していただき、日本鉄道初のディヴィターク方式プレストレスコンクリート、日本最大径間コンクリートアーチ橋、日本初の請負業者責任施工契約等々。

私が日本土木技術の発展をめざし、情熱をこめて計画し、設計した、意欲に満ちたものだった。

工事の規模も従来の工事局の三倍と大きく、国鉄で三つ目の、工事事務所が設立される。
工事事務所の規模は60名規模。
「技師」昇格したばかりの私は、副所長兼大荒沢工事区長。
所長は心臓が悪く、現場勤務ができないので、60人中で一番若い私が責任者だ。

現場はウサギやタヌキが出るという静かな奥山。
小学校に挨拶に行ったら、校長は私を「風の又三郎の再現」と、歓迎してくれる。

週末は盛岡に帰宅できるが、田舎暮らし。
フランス語の勉強にはベストの条件と、借り上げた家の玄関脇の三畳を独占し、毎晩フランス語リンガフォンを聞きながら、丸暗記する。

英語やドイツ語の勉強がうまく行かなかった私は、フランス語を目でなく、耳と口で覚えることにする。
文字の読み書きは後回し・・・。

日本語を覚えた赤んぼ時代の経過を真似して・・・。

何しろ口頭試問試験の合格が目的、目標とする20歳代は、二年足らずしか残っていないのだ。

2014年12月10日片瀬貴文記

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
同行者
家族旅行
一人あたり費用
1万円未満

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