1960/04/01 - 1960/09/30
300位(同エリア394件中)
ソフィさん
1960年4月〜1960年9月
東北の深い山中から花の東京に突然やって来た私は、まばゆさと同時に、目の前がクラクラするような開放感を感じる。
東京では、フランス語の学習環境は、ほぼ完ぺきに整っている。
早速お茶に水のアテネフランス夜学に申し込むが、仕事と競合するので、出席率は20%を出ただろうか。
リンガフォンの暗誦をほぼ終えた私は、通勤時間に出会った風景をフランス語で実況アナウンスする練習を自分に課した。
電車の中で、また歩きながら、ブツブツ説明するわけである。
仕事は、東海道新幹線の設計基準を固めるための、世話役だった。
設計基準は、国鉄核技術分野の最高権威で作る「委員会」で決定される。
私は、その委員会に提出する原案づくりを担当する。
委員会の原案は、技術を支えつつある若手、30歳代40歳代の、火花散る論戦の結果積み上げられる。
世界のレベルを抜き、人間として初めての領域に入ろうとするのだから前例がなく、各技術の責任者は文字通り真剣。
対立を繰り返す論議を何とかまとめあげて、委員会へ提出する議案を作成するのが、私の仕事だ。
私は、若いがゆえに鉄道技術についての先入観が少なく、新しい問題について客観的に見ることができる強みがあるようだった。
またそれぞれの技術系統の人からも、私の結論はより公平であり、それに従うべしとの空気もあった。
5月にフランス政府から「政府給費社会人研修」の募集があり、私はいよいよチャンス到来と、上司の課長に希望を申し出た。
ところが上司は真っ向から反対だった。
上司「間もなく新幹線の建設工事が始まる。猫の手も借りたいこの時に、外国に行くとは何事か」
私「この試験は第一回目の合格可能性はほとんどありません。今年から受験を始めても、新幹線工事が終わったころようやく合格でしょう・・・」
上司の渋々の受験許可を得た私は、「推薦状はお前から作って来い」というので「片瀬は青函海底トンネルや瀬戸内海架橋などの世界的プロジェクトを担当させる・・・」と書き、総裁の公印をもらった。
試験の合格予定は十数名であり、受験者は百名を越えている。
私と同じ国鉄の土木関係からは先輩が数名受けており、いずれも過去複数回落第しているようだ。
これが受験のラストチャンスと考えた私は、何とか今年合格しようと、秘策を練った。
試験はフランス人数名による口頭試問と、日本人数名による口頭試問があり、双方からOKが出なければならない。
秘策の第一は、口頭試問のメンバー全員に、事前に戸別訪問を行い、私の切羽詰まった状況を説明すること。
第二はフランス語の質問をあらかじめ想定して、その答えを15分ほどのスピーチにまとめて暗記し、当日の質疑応答を避けて私から一方的に語ること。
フランス語につき再試験の条件は付いたが、見事合格は果たせた。
上司に報告すると、苦笑いが無事ニコニコに変わって済んだ。
2014.12.15片瀬貴文記
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