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瀬田唐橋であったご当地イベント「第二回瀬田川東西大綱引き大会」を観戦した後、最寄りの場所でこの綱引き大会の東軍本陣が置かれていた近江国一之宮建部大社へとやってきました。地元民ならではのフットワークの軽さは「撮りこぼし」があったとしても補うことはいとも簡単なため、「気楽に」ということでとにかく書きはじめてみます。こちらでは、その四の①アプローチ編として、瀬田唐橋~建部大社「神門」までを書いています。<br /><br />2014年10月19日日曜日<br />瀬田川大綱引き大会の後に唐橋東詰より東へ歩いて行きます。今回の建部大社紀行は、瀬田川を渡った「瀬田唐橋東詰」がスタート地点です。瀬田唐橋から建部大社までの道は至って簡単です。とにかくまっすぐ行くと、名神瀬田西ICからくる道(神領交差点)があるのでそれを越えます。道がY字型に分岐しますので、それを右手にとるとすぐに見える大きな鳥居が今回の目的地の近江国一之宮建部大社になります。時間にすると5分程でしょう。<br /><br />この建部さん(地元民は必ずこう言います)、交通安全の神様として有名です。正式には建部大社(たけべたいしゃ)なのですが、私も含めた「あみんちゅ」は「たてべたいしゃ」という人も少なくありません(多分…)。地元では「車のご祈祷」なんかはメジャーな話で、車両後部にお守りをつけておられる車はよく見かけます。とはいえそのことしか知らないので今回やってきました。<br /><br />まず「建部大社」の御由緒・御祭神など「アウトライン」について、パンフレットから引用しますと…、<br /><br />【後由緒】<br /> 当社は古来建部大社、建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、また近江国の一之宮として朝野の崇敬驚く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。御祭神日本武尊は御年僅か十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に三十二才にして伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、父景行天皇は尊の死をいたく歎かれ御名代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書紀に記されているのであるが、これが即ち建部の起源である。<br /><br /> 景行天皇の四十六年(西暦17年)神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、御子稲依別王と共に住まわれた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年(西暦675年)当時近江国府の所在地であった当瀬田に地に迂祀し、近江一之宮(その国を代表する第一位の神社)として崇め奉ったのが現在の当社である。<br />古来、「唐橋(日本三大古橋の一つ)を制する者は天下を制す」といわれてきたように、瀬田川を挟んでの戦が数多く、当社も幾度となく戦火に見舞われていますが、その度に再建され現在に至っています。<br /><br /> 歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑なく、就中源頼朝は、平家に捕われ、十四才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、永歴元年(1160)三月二十日当社に参籠して前途を祈願した事が平治物語に記されている。頼朝は遂に源氏再興の宿願成って、建久元年(1190)十一月右大将として上洛の際再び社前に額き囊年蒙った深い神助に対し、幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽されたのである。爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁盛、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以であり、明治十八年四月官幣大社に列し、国家最高の社格を与えられた。昭和五十年四月十五日御鎮座壱千参百年式年大祭を催斎行し、これに伴う記念諸事業の完遂。そして平成二年三月十七日には本殿遷座祭を斎行し御社頭は面目をあらたに、御神威の程畏き極みである。<br /><br />【御祭神】<br />本殿<br />日本武尊(やまとたける)<br />敷地内の看板では、「日本神話に残る英雄!!」と紹介されています。<br /><br />相殿<br />天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)<br /><br />権殿<br />大己貴命(大国主命)(おおなむじのみこと・おおくにぬしのみこと)<br /><br />摂社(四社)<br />聖宮(ひじりのみや)神社【一柱】<br />第十二代景行(けいこう)天皇で日本武尊(やまとたける)の御父<br /><br />大政所(おおまんどころ)神社【一柱】<br />播磨稲日大郎妃(はりまいなびのおおいらつめ)、景行天皇の皇后であり日本武尊の御母<br /><br />藤宮(ふじのみや)神社【一柱】<br />布多遅比売命(ふだじひめのみこと)で日本武尊の御妃<br /><br />若宮(わかみや)神社【一柱】<br />建部稲依別命(たけべいなよりわけのみこと)で日本武尊の御子<br /><br /><br />末社(八社)<br />行事(ぎょうじ)神社【二柱】<br />吉備臣武彦(きびのおみのたけひこ)<br />大伴連武日(おおともたけひのむらじ)<br /><br />弓取(ゆみとり)神社【一柱】<br />弟彦公(おとひここう)<br /><br />箭取(やとり)神社【三柱】<br />石占横立(いしうらのよこたて)<br />尾張田子之稲置(おわりたごのいなおき)<br />乳近之稲置(ちちぢかのいなおき)<br /><br />蔵人頭(くらんどのかみ)神社【一柱】<br />別称:膳夫(かしわで)神社 料理の神<br />七掬脛命(ななつかはぎのみこと)<br /><br />大野(おおの)神社【一柱】 当地の地主神<br />草野姫命(くさのひめのみこと)<br /><br />武富稲荷(たけとみいなり)神社【一柱】<br />稲倉魂命(いなくらぎのみこと)<br /><br />八柱(やばしら)神社【八柱】<br />素盞之男命(すさのおのみこと)<br />五十猛紙(いそたけるのかみ)<br />天津日子根命(あまつひこねのみこと)<br />活津日子根命(いくつひこねのみこと)<br />天菩比命(あまのほひのみこと)<br />熊野久須昆命(くまのくすびのみこと)<br />多岐理比恵命(たきりびめのみこと)<br />島比久美命(しまひびのみこと)<br /><br />檜山(ひのきやま)神社【五柱】<br />伊邪那美命(いざなみのみこと)<br />大山祇命(おおやまつみのみこと)<br />息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)<br />武内宿禰大臣(たけしうちのすくねのおおおみ)<br />住吉大神(すみのえのおおかみ)<br /><br />※檜山神社遥拝所(檜山神社旧本殿)…これはこの場所にあるものです。<br />この神社は境内御旅山に鎮座し、御祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、武内宿禰大臣(たけしうちのすくねのおおおみ)、住吉大神(すみのえのおおかみ)を祀り元熊野神社、山神社(七ヶ所)、鞭指神社の御祭神を合祀して檜山神社と改称された。平成七(西暦1995)年四月本殿改築に伴い江戸時代建立の本殿を解体修理をしてこの地に移築し遥拝所として保存することになった。(碑文より)<br /><br />この平成七年に移築された&quot;本殿&quot;ですが、一度参道をでて「神領交差点」を右折し、国道1号線方面へ進むと右手に「ドラッグユタカ神領店」がありその向かいになります。駐車場はありませんが、歩いて5分程で行けますので足を伸ばされてはいかがでしょうか?ちなみにバス停で言うと、近江バス瀬田南小学校前になります。<br /><br />※なお出てくる神々その他の名前について、&quot;あみんちゅ淡海を歩く旅その四の②~建部大社・境内編~&quot;にて、&quot;駄作フィクション&quot;にて紹介しています。もし興味を持たれたならご覧下さい。<br /><br />【御神徳】<br />日本武尊命(やまとたけるのみこと)<br />第十二代景行天皇の第二皇子で、母は皇后播磨稲日太郎比売(はりまいなびのおおいらつめ)である。幼名を小碓(日本童男:やまとをぐな)と申し文武、知勇にすぐれ熊襲征伐後日本武尊と称えられ、崩御後神霊を本殿にお祀し、厄除開運・授福出世・火難除・必勝の神として崇敬が篤い。御祭神日本武尊は九州の熊襲(くまそ)族・東国の蝦夷(えみし)を平定され、日本の基を作られた英雄です。武勇必勝の神・厄除け開運の神として篤い崇敬を集めています。<br /><br />大己貴命(おおなむじのみこと)<br />大和一之宮大神神社より当社権殿に勧請し爾来、家内安全・商売繁昌・縁むすび・病気平癒・醸造の神として崇められている。<br /><br />建部大社全体の御神徳による「御祈祷」の内容として、結婚式・初宮詣・七五三・交通安全・厄除け・旅行・還暦・喜寿祈祷が挙げられていました。<br /><br />【宝物】<br />女神像三軀と、文永七年(1270)在銘の石灯籠一基は、共に国指定の重要文化財である。<br /><br />【境内地】<br />約三万平方メートル、社有地九万平方メートルに及ぶ。<br /><br />2014年10月25日土曜日 掲載写真追加<br />2014年11月15日土曜日 掲載写真追加<br /><br />最後に行き方をご紹介致します。<br />①JR琵琶湖線石山駅利用<br /><br />(徒歩)20分程度<br /><br />(レンタサイクル)10分程度…1日310円<br />http://www.ekiren.com/EKIRIN/index.html<br /><br />(京阪電車)京阪石山駅~唐橋前駅(3分170円)~徒歩10分程度<br />http://www.keihan.co.jp/traffic/station/stationinfo/602.html<br /><br />(バス)帝産湖南交通…石山駅~建部大社バス停(5~8分・210円)<br />http://www.teisan-qr.com/jikoku/stop/254.php<br /><br />(バス)近江バス…石山駅~神領建部大社前バス停(5~8分・210円)<br />http://time.khobho.co.jp/ohmi_bus/pol_dsp.asp?KaiKbn=NOW&amp;teiCd=1130<br /><br />②名神瀬田西インター<br />出口を左折し、次の神領交差点(複合交差点につき注意)を右折してすぐのY字路を右手方向に進むとすぐ。<br /><br />③名神瀬田東インター<br />一般道出口へと進み(左手方向)、次の交差点を右折、道なりにまっすぐ行くと右手に見えます。<br /><br />近江国一之宮建部大社(おうみのくにいちのみやたけべたいしゃ)<br />〒520-2132 滋賀県大津市神領1-16-1<br />(TEL)077-545-0038<br />http://takebetaisha.jp/<br /><br />この&quot;あみんちゅ淡海を歩く旅その四の①~近江国一之宮建部大社・アプローチ編~&quot;の旅行記ですが、続編で&quot;あみんちゅ淡海を歩く旅その四の②~近江国一之宮建部大社・境内編~と&quot;あみんちゅ淡海を歩く旅その四の③~近江国一之宮建部大社末社檜山神社・帰り道編~&quot;として書いております。<br /><br />あみんちゅ淡海を歩く旅その四の②~近江国一之宮建部大社・境内編~<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/10956552<br /><br />あみんちゅ淡海を歩く旅その四の③~近江国一之宮建部大社末社檜山神社・帰り道編~<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/10954624<br /><br />またこの建部大社旅行記を書くにあたり、横浜臨海公園さんが書かれた「近江國一之宮 建部大社参拝記」を参考にさせて頂きましたのでご紹介致します。<br />http://4travel.jp/travelogue/10727400<br /><br /><br />これであみんちゅ淡海を歩く旅その四の①~近江一之宮建部大社・アプローチ編~を終わります。<br />

《2014.October》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのIV石山前編~近江国一之宮建部大社・アプローチ編~

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2014/10/19 - 2014/10/25

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

瀬田唐橋であったご当地イベント「第二回瀬田川東西大綱引き大会」を観戦した後、最寄りの場所でこの綱引き大会の東軍本陣が置かれていた近江国一之宮建部大社へとやってきました。地元民ならではのフットワークの軽さは「撮りこぼし」があったとしても補うことはいとも簡単なため、「気楽に」ということでとにかく書きはじめてみます。こちらでは、その四の①アプローチ編として、瀬田唐橋~建部大社「神門」までを書いています。

2014年10月19日日曜日
瀬田川大綱引き大会の後に唐橋東詰より東へ歩いて行きます。今回の建部大社紀行は、瀬田川を渡った「瀬田唐橋東詰」がスタート地点です。瀬田唐橋から建部大社までの道は至って簡単です。とにかくまっすぐ行くと、名神瀬田西ICからくる道(神領交差点)があるのでそれを越えます。道がY字型に分岐しますので、それを右手にとるとすぐに見える大きな鳥居が今回の目的地の近江国一之宮建部大社になります。時間にすると5分程でしょう。

この建部さん(地元民は必ずこう言います)、交通安全の神様として有名です。正式には建部大社(たけべたいしゃ)なのですが、私も含めた「あみんちゅ」は「たてべたいしゃ」という人も少なくありません(多分…)。地元では「車のご祈祷」なんかはメジャーな話で、車両後部にお守りをつけておられる車はよく見かけます。とはいえそのことしか知らないので今回やってきました。

まず「建部大社」の御由緒・御祭神など「アウトライン」について、パンフレットから引用しますと…、

【後由緒】
 当社は古来建部大社、建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、また近江国の一之宮として朝野の崇敬驚く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社である。御祭神日本武尊は御年僅か十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に三十二才にして伊勢の能褒野に於て崩御されましたが、父景行天皇は尊の死をいたく歎かれ御名代として建部を定め其の功名を伝えられたことが日本書紀に記されているのであるが、これが即ち建部の起源である。

 景行天皇の四十六年(西暦17年)神勅により御妃布多遅比売命(父は近江安国造)が、御子稲依別王と共に住まわれた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年(西暦675年)当時近江国府の所在地であった当瀬田に地に迂祀し、近江一之宮(その国を代表する第一位の神社)として崇め奉ったのが現在の当社である。
古来、「唐橋(日本三大古橋の一つ)を制する者は天下を制す」といわれてきたように、瀬田川を挟んでの戦が数多く、当社も幾度となく戦火に見舞われていますが、その度に再建され現在に至っています。

 歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑なく、就中源頼朝は、平家に捕われ、十四才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、永歴元年(1160)三月二十日当社に参籠して前途を祈願した事が平治物語に記されている。頼朝は遂に源氏再興の宿願成って、建久元年(1190)十一月右大将として上洛の際再び社前に額き囊年蒙った深い神助に対し、幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽されたのである。爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁盛、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以であり、明治十八年四月官幣大社に列し、国家最高の社格を与えられた。昭和五十年四月十五日御鎮座壱千参百年式年大祭を催斎行し、これに伴う記念諸事業の完遂。そして平成二年三月十七日には本殿遷座祭を斎行し御社頭は面目をあらたに、御神威の程畏き極みである。

【御祭神】
本殿
日本武尊(やまとたける)
敷地内の看板では、「日本神話に残る英雄!!」と紹介されています。

相殿
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

権殿
大己貴命(大国主命)(おおなむじのみこと・おおくにぬしのみこと)

摂社(四社)
聖宮(ひじりのみや)神社【一柱】
第十二代景行(けいこう)天皇で日本武尊(やまとたける)の御父

大政所(おおまんどころ)神社【一柱】
播磨稲日大郎妃(はりまいなびのおおいらつめ)、景行天皇の皇后であり日本武尊の御母

藤宮(ふじのみや)神社【一柱】
布多遅比売命(ふだじひめのみこと)で日本武尊の御妃

若宮(わかみや)神社【一柱】
建部稲依別命(たけべいなよりわけのみこと)で日本武尊の御子


末社(八社)
行事(ぎょうじ)神社【二柱】
吉備臣武彦(きびのおみのたけひこ)
大伴連武日(おおともたけひのむらじ)

弓取(ゆみとり)神社【一柱】
弟彦公(おとひここう)

箭取(やとり)神社【三柱】
石占横立(いしうらのよこたて)
尾張田子之稲置(おわりたごのいなおき)
乳近之稲置(ちちぢかのいなおき)

蔵人頭(くらんどのかみ)神社【一柱】
別称:膳夫(かしわで)神社 料理の神
七掬脛命(ななつかはぎのみこと)

大野(おおの)神社【一柱】 当地の地主神
草野姫命(くさのひめのみこと)

武富稲荷(たけとみいなり)神社【一柱】
稲倉魂命(いなくらぎのみこと)

八柱(やばしら)神社【八柱】
素盞之男命(すさのおのみこと)
五十猛紙(いそたけるのかみ)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
天菩比命(あまのほひのみこと)
熊野久須昆命(くまのくすびのみこと)
多岐理比恵命(たきりびめのみこと)
島比久美命(しまひびのみこと)

檜山(ひのきやま)神社【五柱】
伊邪那美命(いざなみのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
武内宿禰大臣(たけしうちのすくねのおおおみ)
住吉大神(すみのえのおおかみ)

※檜山神社遥拝所(檜山神社旧本殿)…これはこの場所にあるものです。
この神社は境内御旅山に鎮座し、御祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、武内宿禰大臣(たけしうちのすくねのおおおみ)、住吉大神(すみのえのおおかみ)を祀り元熊野神社、山神社(七ヶ所)、鞭指神社の御祭神を合祀して檜山神社と改称された。平成七(西暦1995)年四月本殿改築に伴い江戸時代建立の本殿を解体修理をしてこの地に移築し遥拝所として保存することになった。(碑文より)

この平成七年に移築された"本殿"ですが、一度参道をでて「神領交差点」を右折し、国道1号線方面へ進むと右手に「ドラッグユタカ神領店」がありその向かいになります。駐車場はありませんが、歩いて5分程で行けますので足を伸ばされてはいかがでしょうか?ちなみにバス停で言うと、近江バス瀬田南小学校前になります。

※なお出てくる神々その他の名前について、"あみんちゅ淡海を歩く旅その四の②~建部大社・境内編~"にて、"駄作フィクション"にて紹介しています。もし興味を持たれたならご覧下さい。

【御神徳】
日本武尊命(やまとたけるのみこと)
第十二代景行天皇の第二皇子で、母は皇后播磨稲日太郎比売(はりまいなびのおおいらつめ)である。幼名を小碓(日本童男:やまとをぐな)と申し文武、知勇にすぐれ熊襲征伐後日本武尊と称えられ、崩御後神霊を本殿にお祀し、厄除開運・授福出世・火難除・必勝の神として崇敬が篤い。御祭神日本武尊は九州の熊襲(くまそ)族・東国の蝦夷(えみし)を平定され、日本の基を作られた英雄です。武勇必勝の神・厄除け開運の神として篤い崇敬を集めています。

大己貴命(おおなむじのみこと)
大和一之宮大神神社より当社権殿に勧請し爾来、家内安全・商売繁昌・縁むすび・病気平癒・醸造の神として崇められている。

建部大社全体の御神徳による「御祈祷」の内容として、結婚式・初宮詣・七五三・交通安全・厄除け・旅行・還暦・喜寿祈祷が挙げられていました。

【宝物】
女神像三軀と、文永七年(1270)在銘の石灯籠一基は、共に国指定の重要文化財である。

【境内地】
約三万平方メートル、社有地九万平方メートルに及ぶ。

2014年10月25日土曜日 掲載写真追加
2014年11月15日土曜日 掲載写真追加

最後に行き方をご紹介致します。
①JR琵琶湖線石山駅利用

(徒歩)20分程度

(レンタサイクル)10分程度…1日310円
http://www.ekiren.com/EKIRIN/index.html

(京阪電車)京阪石山駅~唐橋前駅(3分170円)~徒歩10分程度
http://www.keihan.co.jp/traffic/station/stationinfo/602.html

(バス)帝産湖南交通…石山駅~建部大社バス停(5~8分・210円)
http://www.teisan-qr.com/jikoku/stop/254.php

(バス)近江バス…石山駅~神領建部大社前バス停(5~8分・210円)
http://time.khobho.co.jp/ohmi_bus/pol_dsp.asp?KaiKbn=NOW&teiCd=1130

②名神瀬田西インター
出口を左折し、次の神領交差点(複合交差点につき注意)を右折してすぐのY字路を右手方向に進むとすぐ。

③名神瀬田東インター
一般道出口へと進み(左手方向)、次の交差点を右折、道なりにまっすぐ行くと右手に見えます。

近江国一之宮建部大社(おうみのくにいちのみやたけべたいしゃ)
〒520-2132 滋賀県大津市神領1-16-1
(TEL)077-545-0038
http://takebetaisha.jp/

この"あみんちゅ淡海を歩く旅その四の①~近江国一之宮建部大社・アプローチ編~"の旅行記ですが、続編で"あみんちゅ淡海を歩く旅その四の②~近江国一之宮建部大社・境内編~と"あみんちゅ淡海を歩く旅その四の③~近江国一之宮建部大社末社檜山神社・帰り道編~"として書いております。

あみんちゅ淡海を歩く旅その四の②~近江国一之宮建部大社・境内編~

http://4travel.jp/travelogue/10956552

あみんちゅ淡海を歩く旅その四の③~近江国一之宮建部大社末社檜山神社・帰り道編~

http://4travel.jp/travelogue/10954624

またこの建部大社旅行記を書くにあたり、横浜臨海公園さんが書かれた「近江國一之宮 建部大社参拝記」を参考にさせて頂きましたのでご紹介致します。
http://4travel.jp/travelogue/10727400


これであみんちゅ淡海を歩く旅その四の①~近江一之宮建部大社・アプローチ編~を終わります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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