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第二回瀬田川大綱引き大会、アープしが前での表彰式の模様。写真前列右から三人目は滋賀県知事“三日月大造氏”です。このノリに県政を期待したいですな!<br /><br />2014年10月19日日曜日<br /><br />15日より予定していた石垣島が諸々の理由で中止になり、予てより聞いていた“第二回瀬田川大綱引き大会”を見に行って来ました。車を使うにも、こういうイベント時にはとかくこみ合う場所ゆえ、最寄りのセブンイレブン迄送ってもらい歩きます。<br /><br />14:00~15:00迄車両通行禁止にして行われたこの第二回瀬田川大綱引き大会の模様を書いてみました。田舎街の町おこしイベントをご覧下さい。<br /><br />今回の旅の出発点は、セブンイレブン大津蛍谷店(大津市蛍谷2-15)。なんでここなの?車停めるとはケシカラン!違います違います…。車は停めるところを探すのに苦労するんで送って貰います。私はどちらかというとこの湖岸周辺は良く来るんで場所とかもわかっているんですが、他は…。なので乗降ができる場所で選んだのがこちらだったわけです、ハイ。ちなみにタバコとジュースはお買い上げ~!<br /><br />ここから会場の瀬田唐橋までは徒歩2~3分っていうところです。時間になったらどうやって封鎖するのか見たかったんで、唐橋西詰交差点でしばし見学。時間になるとまあ手際よく進むものです。この交差点事故が多いことで有名なのですが、問題の石山寺方向からの右折車両は1台来たみたいですがあっさり直進車線に戻されていました。大津方向からと石山駅方向からは特に何もなかったようです。<br /><br />といった感じで会場入りします。<br />瀬田の唐橋は日本三大名橋(皇居二重橋・京都三条大橋)、三大古橋(宇治橋・山崎橋)に数えられる歴史あるところです。また現在もそうですがいにしえより交通の要所としての役割を担っていたため、破壊と作成を繰り返してきました。現在の橋脚は2012年に架け替えられたものです。簡単に歴史を振り返ると…、<br /><br />672年(飛鳥時代)<br />壬申の乱。大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場。大友皇子方が橋板をはずして大海人皇子方を待ち受けたが、突破されて滅んだ。〔天智天皇が大津宮で崩御(671年12月)してわずか半年余りの後、大和と近江を主戦場とした壬申の乱が起こった。その結果、近江朝廷の大友皇子が敗れ、大海人皇子が勝利したため、宮都が再び飛鳥の地へ戻ることとなり、大津宮はわずか5年余りで廃都となる。〕ちなみに大友皇子が自害された場所が御霊神社として唐橋町にあります。<br /><br />御霊神社について(アウトラインのみ)<br />https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10864113/<br /><br />764年(奈良時代)<br />藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)。孝謙上皇・道鏡と対立した大師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件。〔宇治から近江を取ろうとした恵美押勝(藤原仲麻呂)に対して、孝謙上皇方は田原道(関津遺跡)を通って瀬田唐橋に先回りして焼く。押勝は高島郡に走り滅びる。〕<br /><br />918年(平安時代)<br />俵藤太『藤原秀郷』百足退治。龍神一族の娘に頼まれ、三上山を7巻き半する大百足を退治した。<br />1183年<br />治承・寿永の内乱。京都へ向かう義仲軍の先発隊が平氏軍と瀬田川を挟んで交戦。<br />1184年<br />治承・寿永の内乱。後白河法皇より「義仲追討」の命を受けた源範頼(三万余騎)と義仲の忠臣・今井四郎兼平(五百騎)が瀬田川を挟んで交戦。木曾義仲自害、今井四郎兼平戦死。ちなみに今井四朗兼平の墓は粟津町、木曾義仲の墓は義仲寺にあります。<br /><br />1221年(鎌倉時代)<br />承久の乱。後鳥羽上皇の京軍(山田次郎重忠が率いる比叡山の僧兵三百騎)と北条義時(二代執権)の弟・時房率いる鎌倉幕府軍が瀬田川を挟んで交戦。<br /><br />1336年(室町時代)<br />建武の戦い。足利尊氏の弟・直義の率いる足利軍と朝廷軍が瀬田川を挟んで交戦。<br />1571年<br />織田信長の命により朽ちて通行不能になっていた唐橋のかわりに舟橋(舟を鎖で繋げた簡易な橋)架けられる。<br /><br />1575年(安土桃山時代)<br />織田信長の命により勢多城主・山岡景隆がほぼ現在の位置に架け直す。信長が渡り初めを行う。<br />1582年<br />本能寺の変。織田信長を謀殺した明智光秀の安土への進攻を妨げるため、山岡景隆により唐橋が焼き落とされる。景隆は勢多城に火をつけ、甲賀の山中へ退く。安土城進撃を一時阻止。<br /><br />江戸時代<br />唐橋の管理は幕府自ら行う。<br />1630年(寛永7年)から1861年(文久元年)の約230年の間に、約15回架橋される。<br /><br />昭和時代<br />1986年 建設省(現国土交通省)の日本の道百選に指定される。<br />1988年 唐橋下流80メートルの川底から、飛鳥時代頃まで遡ると思われる橋脚(基礎)の発見。<br /><br />平成時代<br />1990年 高欄を昭和54年架替時と同色の木造色で塗装。<br />1996年 小橋(西側)において右折車線確保のために拡幅。<br />2012年 色の塗替え完了。<br /><br />とまあいろいろありました。ちなみに織田信長の命を受け、瀬田唐橋の架橋奉行となった勢多城主山岡景隆(1525~1585)ですが、本能寺の変の後明智軍の安土進行を瀬田唐橋を落とすことで時間を稼ぎ、また毛利攻めから引き返してきた秀吉に明智軍の情報を逐次伝えていたそうです。ただ唐橋焼き討ち時に勢多城を放棄し、その後信長崇拝で賤ヶ岳合戦で柴田側についたことで秀吉の怒りを買い、領地没収となってしまいました。勢多城も復興されることがなく、江戸時代に入ると幕府直轄領になってしまったがために膳所藩の譜代大名本多氏が見るようになってからは日の目を見なくなった寂しい過去があります。勢多城址は今マンションの基礎部に残っているそうです。<br /><br />時代は変わりましたが交通の要所である瀬田の唐橋は今でも不変です。その歴史ある橋で東西に分かれて、天下分け目の大綱引き大会と言うのがコンセプトでしょうかね…。まあ個人的な考えはおいといて…。よく滋賀県民が言うことですが、「瀬田唐橋の素晴らしさは知っているけど…」ってことがあります。これはこの瀬田唐橋が今なお交通の要所ゆえ、とにかく混むと動かない交通事情に由来します。この40年程で瀬田川を渡るルートは改善されてきました。1975年近江大橋完成、1988年京滋バイパス完成と。しかし今なおこの瀬田唐橋を渡るルートは健在です。小橋を拡張し、国道422号線への右折車線を作りましたが事故も多く、悪天候になると全く動かなくなることは今も変わりません。考えが少し異なることは生活面のことがあるということはご了承下さい。<br /><br />瀬田唐橋を封鎖して間もなく、前座として、大津市のスポーツ少年団の子供たちによる子供東西綱引合戦が始まります。そんなにすぐに…って思っているうちに始まっちゃったので、中の島付近にて西軍の後方で見ていました。結果惨敗…。まあこれも一本勝負!来年頑張ってね~!!ってところでカリキュラムにある東西対抗口上戦の前に東へと移動します。場所的には大橋の中心部、多分ここらが東軍真ん中チョイ後ろぐらいだろうと思って陣取ります。この口上戦、滋賀県では知らない人がいないくらいの有名人です(西軍川本勇さん・東軍森田純史さん)。さすがにウマいです。西軍は中の島、東軍は唐橋東詰たもとからなんで、上流方向に居た私は見えなかったんですが巧い具合に掛け合っている…、キャッキャと笑って感心しているうちに…終了。いよいよ綱武士達の入場~、さすがに戦闘軍団は甲冑姿の凛々しい方々ばかりですが、中盤・しんがり…、まあそれは現実問題仕方がないので…、それでははじまります!<br /><br />号砲で始まった大綱引き、昨年は3本勝負で引き分けたため今年は1本勝負ということに。確か今年の参加者が108名と言っていたと思うので、両陣営で216名の綱武士勢揃いってことになります。しばらくはいい勝負をしていたように思いますが、そのうち目の前の東軍綱武士が徐々に下がって行きます。カメラで追いながら見ていたんでどの程度かはよくわかりませんが、気が付くと目の前はおっちゃん軍団に。別に気にしていた訳ではありませんがたまたま目の前は20代と見えるおにいちゃんおねえちゃんだったはずなんで…。ドコどこ?と見るとおや後ろ(左側)に下がっています。間もなく号砲、東軍勝利~!まあこれも勝負、お疲れさま。武士層によっては、学校の運動会状態になっていましたね♪<br /><br />これでメインイベント終了ですが、1時間の通行止めの絡みがあり、速やかな撤収が必要です。お片づけ~お片づけ~♪と同時に綱が除かれた場所から「歩道に上がって下さい~」っと現実の声。ここで意外な方を発見、滋賀県知事の三日月大造氏でした。越市長が来てない話は聞いていましたが、まさか知事が来ているとは…(笑)。多分親の差し金でしょうが小さな子供さんが一緒に写真を撮ってもらっていました。こういうちょっとバカっぽい場に駆けつけてくれた行動力は認めます。なのでこの人気者であり続けるよう県政を引っ張ってほしいと思います。おあとは”きいちゃん”、本日唯一のゆるキャラ参加です。ちなみに滋賀県ご当地ではありません。来年の和歌山県国体”紀の国わかやま国体・紀の国わかやま大会”のPRキャラだったと思うのですが、なんでここに…。っていうと…、わかりました、実は来年の国体のボート競技がこの大津の瀬田川流域で行われるとのこと、そのPRで参加ってことでした。日が悪く昨日今日(2014年10月18・19日)は一年間で滋賀県に最もゆるキャラが集まっている日、つまり彦根のゆるキャラ祭りの日です。確かグランプリ-エントリーはしていたはずなんで、彦根に行きたい気持ちは多々あると思いますが、地道に大津でのお仕事ご苦労様です!なので私の今年の清き(?)一票はこの「きいちゃん」にしました♪まあそんな戯言はおいといて…。<br /><br />中の島では表彰式や来賓の方々の紹介、その他諸々が行われていました。まあ市長と知事以外には興味がないんで、コメントは致しません。<br /><br />----------------------------------<br />ちなみに新聞記事でこんなふうに書かれていました。<br />【瀬田唐橋1本勝負 綱引き、東軍が「天下」】<br /> 大津市の瀬田川にかかり、「壬申の乱」などの舞台となった「瀬田唐橋」で19日、第2回東西大綱引合戦が行われた。県内外から参加した約230人の競り合いに、2,000人以上の観客が盛り上がった。<br /><br /> 橋の修復を終え、昨年10月に行った第1回は3回戦の末、引き分けだったため、今回は1本勝負に。鎧などが描かれた、東軍は赤、西軍は青い衣装で登場し、口上で東軍が「唐橋を制し、天下を治める」と声を響かせると、西軍は「降参した方が身のためだ」と応えた。<br /><br /> 1分間の試合で東軍が5メートル以上引っ張って勝ち、大将を務めた同市の自営業木村武史さん(60)は「ぶっつけ本番だったが、口上の時から心が一つになるのを感じた。一致団結が勝因だ」と話していた。(2014年10月20日読売新聞朝刊より抜粋)<br />----------------------------------<br />こういう町おこし的なイベントをあまり良く言われない方も多いと聞きます。でも天下分け目の「瀬田唐橋」に目をつけて、ちょっとバカげたところがあるにしても、地元は勿論話題に惹かれた他府県の観光客の方々と綱武士として参加してくれたすべての方々とわずかでもふれあいができる、その小さなきっかけ作りとなればそれでいいんじゃないでしょうか。実行委員会でもうちょっと…っというところはありますが、それは年々直せばいいと思います。知事が言われていたのが「来年」ってことでしたが、やって下さい、このバカバカしさ…。やり続けていると味が増してくると思いますがいかがでしょうか?来年は参加させて貰おうかな…って思いながら、東軍の本陣建部大社へと歩いて行く私でした(笑)。<br />

《2014.October》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのII石山編~第二回瀬田川大綱引き大会・東軍圧勝の巻~

48いいね!

2014/10/19 - 2014/10/19

55位(同エリア378件中)

1

90

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

第二回瀬田川大綱引き大会、アープしが前での表彰式の模様。写真前列右から三人目は滋賀県知事“三日月大造氏”です。このノリに県政を期待したいですな!

2014年10月19日日曜日

15日より予定していた石垣島が諸々の理由で中止になり、予てより聞いていた“第二回瀬田川大綱引き大会”を見に行って来ました。車を使うにも、こういうイベント時にはとかくこみ合う場所ゆえ、最寄りのセブンイレブン迄送ってもらい歩きます。

14:00~15:00迄車両通行禁止にして行われたこの第二回瀬田川大綱引き大会の模様を書いてみました。田舎街の町おこしイベントをご覧下さい。

今回の旅の出発点は、セブンイレブン大津蛍谷店(大津市蛍谷2-15)。なんでここなの?車停めるとはケシカラン!違います違います…。車は停めるところを探すのに苦労するんで送って貰います。私はどちらかというとこの湖岸周辺は良く来るんで場所とかもわかっているんですが、他は…。なので乗降ができる場所で選んだのがこちらだったわけです、ハイ。ちなみにタバコとジュースはお買い上げ~!

ここから会場の瀬田唐橋までは徒歩2~3分っていうところです。時間になったらどうやって封鎖するのか見たかったんで、唐橋西詰交差点でしばし見学。時間になるとまあ手際よく進むものです。この交差点事故が多いことで有名なのですが、問題の石山寺方向からの右折車両は1台来たみたいですがあっさり直進車線に戻されていました。大津方向からと石山駅方向からは特に何もなかったようです。

といった感じで会場入りします。
瀬田の唐橋は日本三大名橋(皇居二重橋・京都三条大橋)、三大古橋(宇治橋・山崎橋)に数えられる歴史あるところです。また現在もそうですがいにしえより交通の要所としての役割を担っていたため、破壊と作成を繰り返してきました。現在の橋脚は2012年に架け替えられたものです。簡単に歴史を振り返ると…、

672年(飛鳥時代)
壬申の乱。大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場。大友皇子方が橋板をはずして大海人皇子方を待ち受けたが、突破されて滅んだ。〔天智天皇が大津宮で崩御(671年12月)してわずか半年余りの後、大和と近江を主戦場とした壬申の乱が起こった。その結果、近江朝廷の大友皇子が敗れ、大海人皇子が勝利したため、宮都が再び飛鳥の地へ戻ることとなり、大津宮はわずか5年余りで廃都となる。〕ちなみに大友皇子が自害された場所が御霊神社として唐橋町にあります。

御霊神社について(アウトラインのみ)
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10864113/

764年(奈良時代)
藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)。孝謙上皇・道鏡と対立した大師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)が軍事力をもって政権を奪取しようとして失敗した事件。〔宇治から近江を取ろうとした恵美押勝(藤原仲麻呂)に対して、孝謙上皇方は田原道(関津遺跡)を通って瀬田唐橋に先回りして焼く。押勝は高島郡に走り滅びる。〕

918年(平安時代)
俵藤太『藤原秀郷』百足退治。龍神一族の娘に頼まれ、三上山を7巻き半する大百足を退治した。
1183年
治承・寿永の内乱。京都へ向かう義仲軍の先発隊が平氏軍と瀬田川を挟んで交戦。
1184年
治承・寿永の内乱。後白河法皇より「義仲追討」の命を受けた源範頼(三万余騎)と義仲の忠臣・今井四郎兼平(五百騎)が瀬田川を挟んで交戦。木曾義仲自害、今井四郎兼平戦死。ちなみに今井四朗兼平の墓は粟津町、木曾義仲の墓は義仲寺にあります。

1221年(鎌倉時代)
承久の乱。後鳥羽上皇の京軍(山田次郎重忠が率いる比叡山の僧兵三百騎)と北条義時(二代執権)の弟・時房率いる鎌倉幕府軍が瀬田川を挟んで交戦。

1336年(室町時代)
建武の戦い。足利尊氏の弟・直義の率いる足利軍と朝廷軍が瀬田川を挟んで交戦。
1571年
織田信長の命により朽ちて通行不能になっていた唐橋のかわりに舟橋(舟を鎖で繋げた簡易な橋)架けられる。

1575年(安土桃山時代)
織田信長の命により勢多城主・山岡景隆がほぼ現在の位置に架け直す。信長が渡り初めを行う。
1582年
本能寺の変。織田信長を謀殺した明智光秀の安土への進攻を妨げるため、山岡景隆により唐橋が焼き落とされる。景隆は勢多城に火をつけ、甲賀の山中へ退く。安土城進撃を一時阻止。

江戸時代
唐橋の管理は幕府自ら行う。
1630年(寛永7年)から1861年(文久元年)の約230年の間に、約15回架橋される。

昭和時代
1986年 建設省(現国土交通省)の日本の道百選に指定される。
1988年 唐橋下流80メートルの川底から、飛鳥時代頃まで遡ると思われる橋脚(基礎)の発見。

平成時代
1990年 高欄を昭和54年架替時と同色の木造色で塗装。
1996年 小橋(西側)において右折車線確保のために拡幅。
2012年 色の塗替え完了。

とまあいろいろありました。ちなみに織田信長の命を受け、瀬田唐橋の架橋奉行となった勢多城主山岡景隆(1525~1585)ですが、本能寺の変の後明智軍の安土進行を瀬田唐橋を落とすことで時間を稼ぎ、また毛利攻めから引き返してきた秀吉に明智軍の情報を逐次伝えていたそうです。ただ唐橋焼き討ち時に勢多城を放棄し、その後信長崇拝で賤ヶ岳合戦で柴田側についたことで秀吉の怒りを買い、領地没収となってしまいました。勢多城も復興されることがなく、江戸時代に入ると幕府直轄領になってしまったがために膳所藩の譜代大名本多氏が見るようになってからは日の目を見なくなった寂しい過去があります。勢多城址は今マンションの基礎部に残っているそうです。

時代は変わりましたが交通の要所である瀬田の唐橋は今でも不変です。その歴史ある橋で東西に分かれて、天下分け目の大綱引き大会と言うのがコンセプトでしょうかね…。まあ個人的な考えはおいといて…。よく滋賀県民が言うことですが、「瀬田唐橋の素晴らしさは知っているけど…」ってことがあります。これはこの瀬田唐橋が今なお交通の要所ゆえ、とにかく混むと動かない交通事情に由来します。この40年程で瀬田川を渡るルートは改善されてきました。1975年近江大橋完成、1988年京滋バイパス完成と。しかし今なおこの瀬田唐橋を渡るルートは健在です。小橋を拡張し、国道422号線への右折車線を作りましたが事故も多く、悪天候になると全く動かなくなることは今も変わりません。考えが少し異なることは生活面のことがあるということはご了承下さい。

瀬田唐橋を封鎖して間もなく、前座として、大津市のスポーツ少年団の子供たちによる子供東西綱引合戦が始まります。そんなにすぐに…って思っているうちに始まっちゃったので、中の島付近にて西軍の後方で見ていました。結果惨敗…。まあこれも一本勝負!来年頑張ってね~!!ってところでカリキュラムにある東西対抗口上戦の前に東へと移動します。場所的には大橋の中心部、多分ここらが東軍真ん中チョイ後ろぐらいだろうと思って陣取ります。この口上戦、滋賀県では知らない人がいないくらいの有名人です(西軍川本勇さん・東軍森田純史さん)。さすがにウマいです。西軍は中の島、東軍は唐橋東詰たもとからなんで、上流方向に居た私は見えなかったんですが巧い具合に掛け合っている…、キャッキャと笑って感心しているうちに…終了。いよいよ綱武士達の入場~、さすがに戦闘軍団は甲冑姿の凛々しい方々ばかりですが、中盤・しんがり…、まあそれは現実問題仕方がないので…、それでははじまります!

号砲で始まった大綱引き、昨年は3本勝負で引き分けたため今年は1本勝負ということに。確か今年の参加者が108名と言っていたと思うので、両陣営で216名の綱武士勢揃いってことになります。しばらくはいい勝負をしていたように思いますが、そのうち目の前の東軍綱武士が徐々に下がって行きます。カメラで追いながら見ていたんでどの程度かはよくわかりませんが、気が付くと目の前はおっちゃん軍団に。別に気にしていた訳ではありませんがたまたま目の前は20代と見えるおにいちゃんおねえちゃんだったはずなんで…。ドコどこ?と見るとおや後ろ(左側)に下がっています。間もなく号砲、東軍勝利~!まあこれも勝負、お疲れさま。武士層によっては、学校の運動会状態になっていましたね♪

これでメインイベント終了ですが、1時間の通行止めの絡みがあり、速やかな撤収が必要です。お片づけ~お片づけ~♪と同時に綱が除かれた場所から「歩道に上がって下さい~」っと現実の声。ここで意外な方を発見、滋賀県知事の三日月大造氏でした。越市長が来てない話は聞いていましたが、まさか知事が来ているとは…(笑)。多分親の差し金でしょうが小さな子供さんが一緒に写真を撮ってもらっていました。こういうちょっとバカっぽい場に駆けつけてくれた行動力は認めます。なのでこの人気者であり続けるよう県政を引っ張ってほしいと思います。おあとは”きいちゃん”、本日唯一のゆるキャラ参加です。ちなみに滋賀県ご当地ではありません。来年の和歌山県国体”紀の国わかやま国体・紀の国わかやま大会”のPRキャラだったと思うのですが、なんでここに…。っていうと…、わかりました、実は来年の国体のボート競技がこの大津の瀬田川流域で行われるとのこと、そのPRで参加ってことでした。日が悪く昨日今日(2014年10月18・19日)は一年間で滋賀県に最もゆるキャラが集まっている日、つまり彦根のゆるキャラ祭りの日です。確かグランプリ-エントリーはしていたはずなんで、彦根に行きたい気持ちは多々あると思いますが、地道に大津でのお仕事ご苦労様です!なので私の今年の清き(?)一票はこの「きいちゃん」にしました♪まあそんな戯言はおいといて…。

中の島では表彰式や来賓の方々の紹介、その他諸々が行われていました。まあ市長と知事以外には興味がないんで、コメントは致しません。

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ちなみに新聞記事でこんなふうに書かれていました。
【瀬田唐橋1本勝負 綱引き、東軍が「天下」】
 大津市の瀬田川にかかり、「壬申の乱」などの舞台となった「瀬田唐橋」で19日、第2回東西大綱引合戦が行われた。県内外から参加した約230人の競り合いに、2,000人以上の観客が盛り上がった。

 橋の修復を終え、昨年10月に行った第1回は3回戦の末、引き分けだったため、今回は1本勝負に。鎧などが描かれた、東軍は赤、西軍は青い衣装で登場し、口上で東軍が「唐橋を制し、天下を治める」と声を響かせると、西軍は「降参した方が身のためだ」と応えた。

 1分間の試合で東軍が5メートル以上引っ張って勝ち、大将を務めた同市の自営業木村武史さん(60)は「ぶっつけ本番だったが、口上の時から心が一つになるのを感じた。一致団結が勝因だ」と話していた。(2014年10月20日読売新聞朝刊より抜粋)
----------------------------------
こういう町おこし的なイベントをあまり良く言われない方も多いと聞きます。でも天下分け目の「瀬田唐橋」に目をつけて、ちょっとバカげたところがあるにしても、地元は勿論話題に惹かれた他府県の観光客の方々と綱武士として参加してくれたすべての方々とわずかでもふれあいができる、その小さなきっかけ作りとなればそれでいいんじゃないでしょうか。実行委員会でもうちょっと…っというところはありますが、それは年々直せばいいと思います。知事が言われていたのが「来年」ってことでしたが、やって下さい、このバカバカしさ…。やり続けていると味が増してくると思いますがいかがでしょうか?来年は参加させて貰おうかな…って思いながら、東軍の本陣建部大社へと歩いて行く私でした(笑)。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • taka45145225さん 2014/11/14 23:28:34
    お久しぶりですO(≧▽≦)O
    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみさんさん
    お久しぶりです。
    覚えていらっしゃるでしょうか・・?
    taka45145225 と申すものです。
    私が唯一、フォローしていただいたのが
    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみさんさん
    でしたよね〜。
    あれから一か月以上がたち、何回か訪問していただいて
    待っててもらっていたのかなと思うと、
    申し訳ない気持ちでいっぱいですm(__)m
    お元気でしたか(^−^)

    なんとか、一冊、旅行記を投稿しましたが
    内容が不十分といいますか、「中途半端」でレベル的にどうかなと
    思いますΣ( ̄ロ ̄lll)

    いや〜、文章を作成する能力がないんですね〜。
    埼玉のネタそのものに限界があると言ってしまうと
    「言い訳」になってしまうと思いますので・・・゜・(つД`)・゜・

    とりあえず、ご無沙汰のご挨拶だけでもと思いまして
    メッセージを残させて頂きましたあ(≧ω≦)

    あと、12月になったら一週間ほど「沖縄」に
    行かれるという風に伺いました・・。
    沖縄は行ったことがないのですが、エメラルド・グリーンの
    透明な海とか憧れです( ´∀`)
    気をつけて行ってらっしゃい!! 服装はどうするのかな・・!?

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのトラベラーページ

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