2013/11/30 - 2013/12/07
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belleduneさん
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快晴で、気持ちの良い日に、目黒区駒場公園内の旧前田侯爵邸を見学に駒場公園へ行きました。この辺り一帯は、明治期に駒場農学校がありましたが、その後、東京帝国大学農学部となり、本郷へ移転しました。その跡地に旧加賀藩第十六代当主・侯爵前田利為が、関東大震災後の復興計画によって、本郷の屋敷からここ駒場へ移り、本邸としました。昭和4年(1929)に利為は、洋館、昭和5年に和館を建てました。昭和17年(1942)に利為が事故死した後、人手に渡りましたが、一時期中島飛行機の本社となったこともありました。
敗戦後の昭和20年(1945)〜昭和32年(1957)まで連合軍極東司令官、エニス・C・ホワイトヘッドやマシュー.バンガー.リッジウェイの公邸に使用されましたが、昭和39年(1964)に東京都が買収し、昭和42年(1967)、東京都駒場公園として開園しました。
この日は、週末だったからなのか、分かりませんが、1階の広間でお茶が頂けます。
昭和50年(1975)に目黒区に移管されました。洋館は、1967年東京都近代文学博物館として開館しましたが、2002年3月に閉館となり、その資料は、1967年に公園の一角に日本近代文学館が開設されて、閲覧することができます。
- 旅行の満足度
- 4.5
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井の頭線の駒場東大前駅から直ぐのところにある駒場野公園(面積は40,396平方メートル)です。明治期にこの辺り一帯が駒場農学校でした。明治4年(1881)〜明治25年(1892)までドイツ人の農芸化学者オスカル・ケルネルが農学校で、土壌肥料学と施肥技術を教え、その発展に尽くしました。また、「ケルネル田圃」を試験用に使用し、「植物無機栄養説」や科学研究教育法を正しく日本に紹介しました。この駒場野公園付近は、東京教育大学農学部がありましたが、1978年、東京教育大学は閉学となり、筑波大学にその機能をを譲り、つくば市へ移転しました。その跡地の一角を公園として整備し、1986年に開園しました。
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駒場公園東門から入りました。
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和館は、洋館に付随する迎賓館として昭和5年3月に竣工しました。設計は、工学博士・塚本靖と帝室技芸員・佐々木岩次郎。ロンドン駐在武官であった前田利為が海外からの賓客を接待するために建てたものです。木造2階建ての近代和風建築で、洋館の東側に建ち、独立した門構えがあります。塀は、腰までを割竹打ちとして、門は一間一戸の平唐門(薬医門形式)となっています。
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スダジイ
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2階が見えます。
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玄関
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廊下を挟んで、居間「小座敷」や茶室がありますが、一般には開放されていません。
この奥左手にお茶室があります。12月に行った時に、茶室2室を見せて頂きました。 -
玄関からは松の絵が描かれた杉戸
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ちょうどお茶会が終わったようで、帰り支度をなさっていました。反対側の杉戸には、紅葉と今見えませんが、萩の絵が描かれています。
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和館1階は主室「御客間」と次の間「御次之間」の合わせて40畳程になる続き間を中心にして周囲を畳廊下や入側、縁側で囲んでいます。
この御客間は、伝統的な書院造りで、床、違い棚、附書院を備えた格式高いものです。 -
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附書院のある床の間
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附書院
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竣工当時の「御客間」の写真がありました。
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「御次之間」との間の透し彫りの欄間
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次之間
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竣工当時の「御次之間」の写真です。
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2階は宝形屋根を載せた楼閣風の外観で、2階「御居間」の床構えは数寄屋風を加味したものとなっているそうです。
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大広間からは、水を配した日本庭園を眺めることが出来ます。庭園には茶室待合があります。
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雪が降ると綺麗でしょうね。
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次之間の襖を開けると、この八畳の茶室がありますが、入る時は廊下からです。
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今度は、奥の茶室へ案内して頂きました。
まず水屋です。 -
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水屋の障子を開けると、洋館の小食堂から見える待ち合いが目の前にありました。格子にピントがあってしまったので、景色が暈けていますが。
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和館から洋館への渡り廊下です。
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雨の日も濡れずに、行き来できますね。
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こちらが4畳半の茶室です。このところ、お茶会に借りる方が多いらしくて、見学できる機会が余りないとのことです。今日も先程までお茶会だったらしい。
掛け軸、お花などすべて準備して持って来られるので、今はがらんとしていて、ちょっと残念でした。私ももう少しお茶を続けていれば、お茶会などに行けるのですが... -
客間から見たお庭へと続いています。晩秋いや初冬の良い景色でした。
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こちらが躙り口となっています。
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明るい茶室ですね。
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和館の前に日本近代文学館があります。毎週日、月曜日、第4木曜日が休館で、9:30〜16:30開館です。
中にはBUNDAN というカフェがあり、ちょうど行った時に、朗読会が催されていました。1階には閲覧室、2階には展示ホール、研究室、資料室などがあります。閲覧室利用は1日300円です。 -
和館を出て、少し歩くと洋館に着きます。
日差しが木々の間から漏れていて、綺麗ですね。 -
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洋館の玄関へやってきました。昭和4年5月に竣工した本邸。設計は、東京帝国大学教授塚本靖に依頼し、宮内省内匠寮の高橋禎太郎が実際の設計を担当しました。
建築様式は、イギリスのチューダー様式で、玄関ポーチの扁平アーチにその特徴が見られます。関東大震災後の設計のため、鉄筋コンクリート造りで、外壁は当時流行したスクラッチタイル仕上げとなっています。 -
左に見える煙突は、地下のボイラーで石炭を燃やすため、その煤煙のものでした。各部屋に温かい空気を管を配して送っていたそうです。当時の竹中工務店もそういう仕事をしていたんですね。
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施工は、竹中工務店で、地上3階地下1階で、寄せ棟造り(マンサード屋根)、尖塔3箇所、銅板葺きです。
建築面積は、978.24平方メートル、延べ床面積は2,992.23平方メートル。 -
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玄関ポーチの照明
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ポーチ右手の建物、2階は書斎です。
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玄関ポーチ
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玄関を入ったところのドア上部の透し彫り
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玄関内部の照明
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大きな玄関を入ると、右手にサロンがあります。
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このサロンでお茶を飲むことが出来ます。この日は時間がなかったのですが、また来てここでゆっくりお茶を飲んでみたいです。
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サロンの照明
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サロンの床材のモザイク模様
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サロンの窓
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庭側から見たサロンの外観です。
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ガーデンパーティというか、園遊会なども開かれていたのでしょうね。
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サロンの隣の応接間に入ります。
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陶板で囲われた中には、当時ヒーターによる暖房が設置されていたということです。フランスの絹織物が貼られた壁,英国製の家具が置かれています。
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各部屋の照明器具も異なっていて、どれも素敵です。
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円形出窓も大きく、天井が高いので、冬は冷えると思います。
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ストーブが4箇所ありますが、窓が多いこの部屋が温まるのには時間が掛かりそうですね。今は電気による暖房がこの部屋と大客間に入っていました。我々庶民は直ぐに暖房費や光熱費のことを考えてしまいます。
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この応接間の床材のモザイク模様
以前、かなり手の込んだ床を張ったマンションに住んでいたことがありますが、この種の床を仕上げるのには、相当な時間が掛かります。 -
フランス製の絹織物が貼られた壁も素敵ですね。
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応接間の窓
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ドア横のテラスへの窓
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テラスです。
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正門から直ぐのところにあるヒマラヤ杉も樹齢何年でしょう。
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旧前田邸の正門です。
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その横には、公益財団法人育徳会 尊経閣文庫 とありました。
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