2013/10/28 - 2013/10/28
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chiaki-kさん
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1933年、アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(以降ナチ党と呼ぶ)の権力掌握以来、ナチ党は一貫してニュルンベルクで党大会を開催している。
第五回党大会は1933年8月から9月にかけて開催され、32万人から40万人の人々が参加した。初日の8月30日、ヒトラーはニュルンベルクを「帝国党大会の都市」とすることを宣言したが、ヒトラーは彼の帝国を、神聖ローマ帝国、ビスマルクの強力な指導力のもとに成立したドイツ帝国の後を継ぐドイツ民族による第3帝国とみなしたのである。
1945年4月29日、ヒトラーはベルリンの総統地下壕で自殺、5月8日、ドイツ軍は連合国に対して無条件降伏、欧州戦線における第二次世界大戦は終了し、第3帝国は消滅した。
終戦後、連合国は歴史上過去に無い裁判、いわゆる「ニュルンベルク裁判」を1945年11月20日よりかつてナチス党大会が開催されたこの街で実施したが、全ての裁判官がアメリカ、イギリス、ソ連、フランスという戦勝国だけから出ていたため、裁判の中立性を著しく欠いていた。
ニュルンベルク裁判の大きな問題点はドイツ側の「犯罪」を一方的に断罪したが、戦勝国側の「犯罪」は完全に免責するという基準を持っていたことである。ニュルンベルク裁判では、ドイツが「平和に対する罪」で告発された一方で、連合軍によるドイツへの無差別爆撃(ドレスデン爆撃などをはじめとして、150万トンもの爆弾がドイツ本土に投下され、少なくとも30万人の非戦闘員が犠牲になった)や、ソ連軍の侵攻によってドイツのソ連占領地区で起きた、ソ連兵による強姦・暴行・殺人事件も裁判では不問とされた。つまり、「敗戦国のやったことは全て悪で、戦勝国のやったことは必要悪」ということである。
(Wikipedia:参照)
表紙の写真は1933年から1938年までナチ党大会が開催されたツェッペリン・フェルトに残るツェッペリン・トリビューネ(舞台)の演説台。ここで30万人以上の聴衆を前にアドルフ・ヒトラーは熱狂的な演説を行い、ドイツ国民を戦争の道へ引きずり込んだ。
2024/03/01 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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10/28
昨夜泊まったクォリティホテル・ドレスデン・ウェスト。工業団地の一角にある為、周囲には工場と草原しかない。内部は古いビジネスホテルといった感じで昨日まで泊まったベルリン・エストレルホテルがなつかしい。 -
8:00 出発。このバスのドライバーさんはハンガリー人とのこと。出発時間までスカイプで娘さん達と会話を楽しんでいた。スカイプを終了後はナビに変身。私は所有していないがスマフォって凄いのね。ところで今日は一番前の席が取れたのでアウトバーンを撮りまくることにした。
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ドレスデンからニュルンベルクまでは315km、所要時間は約4時間のロングドライブだが、アウトバーンが網の目のように国中に網羅されているドイツでは一日に300kmを超えるドライブはごく普通。従って車もそれに合わせて造られているので見た感じ半分以上の人は独車に乗っている。ドイツくるま事情は別サイトに掲載するつもりだが、さすがは自動車を発明した国だけあって、ドイツの皆さんは車のことを良く知っている。
写真はアウトバーン4号線、この道を439km走るとフランクフルトまで行ってしまう。
*「アウトバーンで1000台抜き? 2013ドイツ道路事情&くるま事情」をUPしましたので、ご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10834954 -
ケムニッツという街から72号線に入りホフを目指す。
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72号線は2/3が片側2車線。風車もしばしば現れる。
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ニュルンベルクまであと180km地点。
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SAに立ち寄り。
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Serwaysという店が入っていた。
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トイレは例によって50セント必要だが、買い物をすると帰ってくる仕組み。トイレは有料だけあって、とてもきれい。写真は手洗いだが、デザインがおしゃれ。
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飲み物も豊富に販売しており、ビールやワインまで売っている。ここで昼食用のサンドイッチ購入。
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1E=130円としてディーゼルが193円、無鉛ガソリンが206円、ハイオクが232円という価格だが、アウトバーンは無料(*大型車は有料)なので通行代込みと思えばまあまあかも。
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店の外にいると白い車が停車しボンネットを空けた。青とシルバーのワゴン車が前に停まったが後ろにPOLIZEIと書いてある。街中では見ないので高速道路専門のポリスカーみたい。
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72号線から幹線とも言える9号線へ入ると全て片側3車線となる。ご存じのとおりアウトバーンは半分ほどの区間に速度規制が無いのだが、それは乗用車に限ってのことで、大型トラックは80km/h、大型バスは100km/hの規制があり、オービス等で常に監視している。従って一番右側のレーンは大型トラックがコンボイを組んで走る車線となり中央寄りのレーンはポルシェやベンツなどが150km/h~200km/h以上で走行するレーンとなっている。なお、大きな交通事故は6日間、全く見なかった。
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12:00 ニュルンベルク到着、赤いトラムがお出迎え。
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旧市街にあるカイザーブルクに到着。カイザーブルクは12世紀に基礎が築かれ、15?16世紀に現在の形となった神聖ローマ皇帝の城。
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城のテラスから見たニュルンベルクの街1
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ニュルンベルクの街2
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ニュルンベルクの街3
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城門から城内へ
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カイザーブルク城内
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ニュルンベルクはナチ党の大会が開催された街ということで連合国軍による空爆の優先目標であった。イギリス空軍とアメリカ空軍の航空機による爆撃で1945年1月2日にニュルンベルク旧市街は破壊され、全市域が甚大な被害を負った。同年4月の4日間に渡る地上決戦で、さらにいくつかの歴史的建造物が破壊された。一時はこの破壊された街を放棄して、他の場所に新しい街を創ることが真剣に検討されたほどの被害状況であった。
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聖セパルドゥス教会は修復中。
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旧市庁舎
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TV等でよく出てくるソーセージ専門店、ブラート・ヴァルスト・ホイスレからは、ソーセージを焼く良い香りがただよう。
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ハウプト広場には”美しの泉”がある。
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この金色の輪を回すと幸せになるそうだ。
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広場には地元産のジャム等を売る市場や
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フラウエン教会がある。
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ここで1時間30分のフリータイム。ほとんどの方はオプションのソーセージ屋さんへ行く中、そっと広場に並んでいたTAXIの列へ。「運転手さん、ZeppelintribuhneとNurnberger Prozesseを廻って、ここまで戻ってきてほしいです。時間が無いので写真撮影だけで結構です。」と自宅でドイツ語に翻訳したメモと、Googleから印刷した地図をみせて交渉。
先頭のドライバーは難しいと言ったが、2台後ろに控えていたドライバーがOKを出してくれたので、さっそくクリーム色のベンツに乗り込む。なお、料金は33Eとのことであった。 -
15分ほどでツェッペリン・トリビューネ到着。演台後方の両脇に連なっていた壁は無くなっていたが、それ以外はほとんどそのままの形で残っていた。これも負の遺産なのだろうが、良く残してあるものだ。
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かつてヒトラーが30万人以上の聴衆を前にアジった場所。
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現在ここは公園となっているが、すぐ隣にはブンデスリーガーのFCニュルンベルクの本拠地フランケン・シュタデオンがあるためサッカー練習場として利用されている。
かつてサーキットとしても使用されたのか、カーグリッド・マークやフィニッシュラインが残っている。 -
フランケン・シュタデオン。50000人を収容するサッカースタジアムだが、2006年のドイツ・ワールドカップで日本対クロアチア戦がここで戦われた。
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たまたまスーツを着たドイツ人と思われる方が2人やってきて演台に立っていたが、複雑な思いがありそう。
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演台に立ってみた。サッカー練習場の芝生がきれい。
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15分ほどでツェッペリン・トリビューネを後にして、次にやってきたのがニュルンベルク裁判所。
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プロローグでも述べたが、第2次大戦後、連合国によって開催されたニュルンベルク裁判の法廷が記念館として残されている。現役の裁判所なので裁判中は見れないが、ガイドツアー(5E)で内部を見ることは可能。
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1945年11月20日から1947年10月1日まで、ここでゲーリングやヘスらナチスの主要戦争犯罪人を連合国が裁いたのだ。
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裁判所は5分ほどで切り上げ再びハウプト広場へ。広場の角にあったカフェでコーヒーを頼み、SAで購入したサンドイッチで昼食。おだやかな好天に恵まれ広場にはさわやかな風が吹いていた。
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14:15 ニュルンベルクを後にアウトバーン9号線をミュンヘン方面へ。ニュルンベルクからミュンヘンまでは165km、約2時間。
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速度無制限区間の中央寄りレーンは高性能車のステージ。ただし、ドライバーにもそれなりの技量が要求されるのだ。
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16:00 ミュンヘン到着。BMWのビルがお出迎え。
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おっと、この車もBMWだね。
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16:30 バイエルン州立歌劇場前の広場でバスを降り、マリエン広場まで歩く。
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マリエン広場に面した一等地に建つのは新市庁舎。10mmレンズに交換してやっと全体が入る。
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1909年に作られたグロッケンシュビールと呼ばれる新市庁舎の塔にある仕掛け時計がミュンヘンの名所になっている。
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17:00近くになると塔の前に観光客が集まり始めた。
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仕掛けは2段になっており最初は上の段で1568年のバイエルン大公の結婚式を祝うというもの。まずはお祝いの音楽。
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クライマックスは馬上槍試合。
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試合でいつも勝つのは青と白のバイエルンの騎士。
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次は下の段でビール樽を作る職人達が踊り出す。なお、これら32体の人形は等身大とのこと。
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10分ほどで仕掛け時計は終了。観客からは拍手が。
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マリエン広場から続くノイハウザー通りはミュンヘンのメインストリート。1時間のフリータイムを利用してKAUFHOF GALERIAという名のデパートでダルマイヤーコーヒー、チーズなどをお買い上げ。
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ノイハウザー通りの風景1
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ノイハウザー通りの風景2
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ミヒャエル教会にはルートヴィヒ2世の墓があるらしい。
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この猪の像はノイハウザー通りの名物。
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一旦広場中央に集合してから本日の夕食会場へ。名前は忘れたが10分ほど歩いてクラシックなレストランに入る。ツアーってほんとに楽ちんだわ?。
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めずらしくメインは選べるとのことで、私のチョイスはチキン。きのこのクリーム煮とチキン、そして米粒をふくらましたようなパスタ。なお、旅行会社のサービスでピルスナービール一杯付き。
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カミさんのチョイスは、白身魚のフライとおなじみジャガイモ。
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デザートはラズベリーの・・・・・。
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夕食後再びノイハウザー通り、マリエン広場を歩いて、州立歌劇場前でバスを待つが、なかなか来ない。15分ほど待ってやっとバスがきたが、時間を間違えていたとのこと。このあと15分ほど移動、昨日に引き続き郊外の企業団地にある今夜の宿、コンフォート・ホテル・ミュンヘンへ直行する。明日はいよいよノイシュバン・シュタイン城だ。
これで「2013ドイツ旅行記 4:第三帝国の終焉」は終了です。本日も最後まで、ご覧頂きありがとうございます。
2020/07/14 修正済み、2024/03/01 一部修正
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この旅行記へのコメント (4)
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- sanaboさん 2016/01/17 20:37:15
- 今年もよろしくお願いいたします。
- chiaki-kさん、
寒中お見舞い申し上げます。
今年もよろしくお願いいたします。
ブヴロンの旅行記へのいいねをありがとうございました^^
ニュルンベルクの1時間半の自由時間を利用し、ツェッペリン・トリビューネとニュルンベルク裁判所へいらしたというエピソードを拝読し、いかにもchiaki-kさんらしいなぁと”安心” しました。(そう、”感心” ではなく安心です。)
なぜなら、最近chiaki-kさんの新作UPがなく、お邪魔するたび「白鷺城はしろすぎ城?」のダジャレが目に入り、chiaki-kさんに対し抱いていた畏敬の念が揺らぎ始めていましたので(笑)
私だったら、間違いなくニュルンベルク・ソーセージを食べていました!!!
実はニュルンベルク・ソーセージが大好きで(過去、2回訪れましたが)死ぬ前に食べたい物リストのベスト30に入っています(爆)
2度目の時は、缶詰のニュルンベルク・ソーセージを密輸入しました^^
今年はまた海外へもお出かけになり、楽しい1年になりそうですね。
寒さが本番となってきましたので、ご自愛下さいね。
sanabo
- chiaki-kさん からの返信 2016/01/18 10:01:12
- もうひとつのHNは・・・
- ・
sanaboさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
こちらは朝から雪が降り続いておりますが
sanaboさんの家の方はいかがですか。
窓から見ると積雪は20cmを超えたようで
もう一度雪かきが必要みたいです。
> 最近chiaki-kさんの新作UPがなく・・・
そうなんです。内心じくじくたる思いがあります。
2005年以前のものならいくつかあるんですが
(上海、グアム、サイパン、ギリシャなど)
4トラにUPするにはちょっと賞味期限切れですよね。
新作のUPは、あと2ヶ月ほどお待ちください。
2015 フランス北西部を巡る旅(7)
ブヴロン・アン・オージュ 拝見しました。
*風見馬車・・・あるんですね
*顔出しパネル・・・あるんですね2
*ここに住みたい・・・住んじゃいましょう(^^;;
ブヴロン・アン・オージュ は未踏地ですが
機会があれば行ってみたい美しい村ですね。
次はMSMとのことですが、楽しみにお待ちしています。
では、また。
chiaki-k(又の名はギャグオヤジです)
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- 地球の迷い方さん 2013/11/19 07:14:59
- ご投票ありがとうございます
- はじめましてchiaki-kさま
この度はご投票ありがとうございます。
それにしても、かの有名なヒットラーの演説の舞台が残っているのに驚きました。ナチスの30万人党大会は歴史上まれと思います。
ミュンヘンのホーフブロイハウス(ビヤホール)でもアドルフが無名時代から演説を行った場所が今も若者たちでにぎわっていました。
これからも宜しくお願いいたします。
地球の迷い方
- chiaki-kさん からの返信 2013/11/19 20:56:49
- RE: はじめまして。
- 地球の迷い方さん、はじめまして。こちらこそドイツ旅行記に投票ありがとうございます。
> それにしても、かの有名なヒットラーの演説の舞台が残っているのに驚きました。
旅行前の情報収集のため、皆様のニュルンベルク旅行記を拝見させてもらう中で、
近鉄バッファローさんがUPされたブログの中に「全国党大会場跡文書センター
(ドク ツェントルム)」が現存し、一部は博物館になっていることを知りました。
どういう場所なのかGoogleの画像を眺めていると、ドク ツェントルムから池をはさんだ
反対側になにかグランドのようなものを発見、それがツェッペリン・フェルトでした。
戦争中ニュルンベルクは最優先爆撃目標でしたから、多分ここも破壊されたはずですが
ちゃんと残っていること自体が驚きですね。負の遺産ということで修復したのでしょう。
プラハに共産党関係の博物館があるとは知りませんでした。今から考えれば
これも一種の”負の遺産”かも知れませんね。(^^;;
では、また。
chiaki-k
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