1992/01/06 - 1992/01/13
20位(同エリア88件中)
がおちんさん
千戸苗寨をもう一度見たくて、貴州省黔東南苗族侗族自治州雷山県の西江鎮に行きました。
前回は苗族の知人と一緒に行って飲まされ続け、へべれけ状態だったので、今回は一人で村を訪れることに。
滞在中は雪が降り、暖房もなく寒い思いをしましたが、美しい集落と素朴な村人に出会うことができました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
PR
-
1992年1月6日(月)
年末に西双版納の旅から昆明に帰り、元旦から熱を出して寝込んだ。
今回は少数民族の村に泊まることが多く、疲れがたまったようだ。アク族の村で風邪を引き、プーラン族の村ではダニに噛まれてしまった。昆湖飯店のドミで一週間休養する。
中国を去る前に、もう一度貴州省の西江に行くことにした。 -
1992年1月7日(火)
列車で凱里に着くと雪が降っていた。
すぐにでも西江に行きたかったが、雪のためにバスは運休した。
苗族のPさんを訪ねたのが運のつきで、またもや酒につきあわされてしまい、友達の家や犬鍋屋に連れて行かれる。
参った。 -
1992年1月9日(木)
凱里に着いて3日目、ようやく雪が止んだ。
10時に出るはずの西江行きミニバスは、客が少ないという理由で出発せず、14時のバスまで待たなくてはならなかった。その間、金落とし詐欺に遭いそうになるが、無事に回避。貴州は治安が悪いので気が抜けない。
私の乗ったバスは雷山にて、乗り込もうとする切符無しの乗客と女性乗務員との間で激しい争いになった。非常に野蛮なやり取りがあったが、30分もかかって切符の無い乗客を全員下ろし、バスは西江へ向った。こういう光景を目にすると、中国政府が未開放地区を設定するのも理解できる。しかし、そもそも朝のミニバスをちゃんと出さないのが悪いのだ。
雪が降っていたせいか、懸念していた公安の検査はなかった。
西江には夕方到着。今回も凱里から一日がかりになってしまった。 -
1992年1月10日(金)
西江では、前回も世話になったWさんの家に泊まらせてもらう。
面倒になると困るので、世話になった人以外には外国人であることを内緒にした。 -
朝の大通り。
今回は素面で、西江の集落を歩く(笑)。 -
水汲みに向う村の人。
-
下の村から上の村に向う。
方向音痴なので、道に迷いながら進む。 -
ここは先月も歩いた場所だ。
-
向かいの山も集落になっている。
近くに見えるけど、行くには結構な時間がかかる。 -
見事な吊脚楼。
上に行くほど部屋が広くなるのだ。 -
高度感のある眺め。
-
囲炉裏の煙が上がる。
-
囲炉裏の煙にくすむ集落。
-
チビちゃんがベランダに立つ。
落ちないように気をつけてくれよ。
まあ、ミャオ族だから高い所は慣れているとは思うけど、見ているこっちがハラハラする。 -
向かいの山の集落を撮る。
家の密集ぶりがすごい。
あの村のどこかで、先月は飲まされて困り果てたのだ。 -
ファンタジーな気分になる眺め。
宮崎駿や水木しげるの作品に出てきそうな雰囲気だ。
あの家にはトトロに出てきた「まっくろくろすけ」がいるに違いない。 -
棚田の前を歩く村人。(右下)
-
西江は棚田の眺めも素晴しい。
山のずっと上のほうまで田んぼなのだ。 -
豚の脚を担ぐ村人。
火腿(ハム)をつくるのだろう。 -
先月も行った家を訪ねることにした。
-
前回はいきなり飲まされて写真どころじゃなかったので、今回はしっかり記念撮影をする。
右端のおばあさんに抱かれているのが、先月生まれたばかりの赤ちゃんだ。 -
お母さんに抱かれて。
-
「今日は泊まって行きなさい」と言われたので、お言葉に甘えることにした。
日が暮れてから下の村に下りるのは危険だし、山の上の家にも泊まってみたかったのだ。
苗菜として有名な火鍋をはじめ、いろいろな家庭料理と白酒が用意された。
やはり酒は避けられないようだ。 -
夕食の様子。
大勢の家族が集まって楽しく食べる。
苗族の人達がうらやましかった。
電気が初めて通じた時、おばあさんが「夜中も点けてて、油代はいくらかかるんだ?」と聞いたことや、歯が痛い時は小便を飲んだこと、肺の病気になった人が馬の小便を飲んで治そうとしたが死んだこと、子供が生まれたら他人の家に行ってはいけないことなど、いろいろと興味深い話を聞くことができた。 -
1992年1月11日〜12日。
昨夜は雪が降って冷え込んだ。
朝飯をいただき、写真を撮りに出かける。 -
雪の残る山道を歩く村人。
-
小さな女の子が手をとりあって、そろそろと歩いていた。
こうやって卓越したバランス感覚と脚力が身につくのだろうな。 -
下の集落に下りる道は滑って危険なので(事実、翌日に転んで手を切った)、山側を回り込む道へ向う。
左下に人が歩いているのが分かるでしょうか。 -
雪の山道を、苗族の姉さんたちが行く。
天秤に担いでいるのは、豚肉、火腿、カゴに入った鶏などだ。 -
小さくてわかりにくいですが、西江の川にかかる橋を渡る人。
-
段々畑に続く道。
-
キリッと冷え込んだ水田。
-
すごい高さの棚田。
どこまで作るのだろうか。 -
川の対岸を上った所から、右側の集落を見る。
-
まさに「千戸苗寨」。
アメリカ人女性のロイスという学者は研究のため、半年間もこの村に滞在したそうだ。
素晴しい日々だったことだろう。 -
向かいの山から、西江全体を俯瞰的に見る。
-
千戸苗寨の眺めに感動しながらも、寒くて死にそうな私。
Wさんの家に戻ると、彼の母から「上の村に泊まるなんて寒かっただろうに」と言われた。 -
ひしめき合う家。
-
ひしめき合う家、Part2。
-
この眺めが見たくて西江に来たのだ。
-
わー、こんな寒いのに川に入っている人が。
よく見たら野菜を洗っていました。 -
集落を眺めていると、村人の暮らしが垣間見えて飽きることがない。
西江は蘆笙会や苗年などの祭りも有名だけど、やはり村の景観は格別だ。
この眺めは、いつまでも残しておいてほしい。 -
なんか、一反木綿が窓から飛び出してきそう。
特に夜は、ゲゲゲワールドにも通じそうな幻想的な眺めだった。 -
どこからでも絵になる村だ。
-
美しく、のどかに見える西江の集落だが、雷山県はこれまでに幾度も戦火にまみれた。
苗族は古来より勇敢で反抗精神が旺盛だったとされる。近世では清朝の「改土帰流」の政策による重税と迫害に対して何度も反乱を起こし、苗族の英雄・張秀眉が率いた「咸同起義」では、丹江庁(今の雷山県)を占領している。
また、1942年の黔東事変では農民叛乱のリーダー陳信斎が地元の農民を率いて国民党軍と戦い、槍や石などを使って一個連隊を倒したものの、蜂起は失敗に終わった。現在でも西江一帯の村には、そのとき攻撃された跡が家や瓦に残っているそうだ。
そういうエピソードを知ると、この村も要塞化のために家を密集する必要があったのではないかなどと考えてしまう。 -
苗族はもともと長江流域に住んでいたが、山地に追いやられてきたという歴史がある。
貴州や雲南を経て東南アジアにも移り住み、ベトナム戦争ではアメリカにも利用されて多数の難民が発生した。クリント・イーストウッドの映画「グラントリノ」に出てくるモン族は苗族のことである。
アメリカには4万人以上のモン族が住んでいるが、さらにヨーロッパや南米やオーストラリアに移住したモン族がいるという。それら世界中の苗族(モン族)の住む集落で最も大きな規模なのが、ここ西江なのだ。 -
1992年1月13日(月)
西江を発つ朝、けたたましい豚の叫び声が聞こえてきた。 -
貴重な命は無駄にしない。
血も桶にとり、血豆腐を作る。
苗族おじさん、余裕の咥えタバコ。 -
足の腱に切れ目を入れて、息を吹き込む。
もう一人が棒でボンボン叩くと、皮と結合組織がはがれていく。
すごいテクニックだ。 -
大通りを塞いで行われる解体作業は続く。
次の豚が控えているところが何とも(涙)。 -
4日間、お世話になったWさんと。
彼の協力がなければ西江には泊まれなかった。
どうもありがとう。 -
凱里へ戻るため、バスに乗り込む。
切符販売員をしているWさんの妹さんは、私のために乗り心地のよい先頭の座席を用意してくれた。ここまでは幸せだった。
ところが、出発の直前になってダッシュボードの上に大量の豚肉が積み込まれた。おそらく、さっき解体されていた豚だ。驚く私と、バツの悪そうな顔をする彼女。運転手が自ら積み込んだ品物のために文句も言えない。
どうすることもできないまま、バスは出発となった。
最悪。 -
美しい西江の村を後にして、ねこバスならぬ「肉バス」は走りはじめた。
生肉はカーブのたびに押し寄せて来る。それを必死で押し戻す私。
手も服も血と油で汚れてしまい、生臭さに気持ち悪くなりながら凱里に戻った。
バンコクの街角とアユタヤ遺跡〜タイの旅1992に続く
http://4travel.jp/travelogue/10679739
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
53