
2012/01/01 - 2012/01/04
22位(同エリア533件中)
kumさん
イスラエルのドライブ旅行4日目。この日はエルサレムでレンタカーを返却予定。
ティベリアからルート90を南下し、マサダ要塞まで行き、そこから再び北上しクムランに立ち寄ってから、エルサレムに移動した。
時間があればマサダから西に移動してベエル・シェヴァに立ち寄ってからエルサレムに移動しようと思っていたが、そんな時間的な余裕はなかった。
ちなみにルート90はパレスチナ自治区の西岸地区を走ることになるが、イスラエルで借りたレンタカーでも入域することができる。ところどころチェックポイントがあるが私たちは明らかに外国人旅行者だからかパスポートなどのIDチェックもされずに通過することができた。
エルサレムには1月1日から3泊。1日目はマサダに行き、2日目は現地ツアーに参加してヘブロンとベツレヘムに行ったので、エルサレムの市内観光に充てられたのは3日目の1日のみ(4日目の早朝に空港に移動)。
ドライブ旅行4日目の走行距離約280km
【旅程】
□12月28日(水)成田発
□12月29日(木)テルアビブ着(レンタカー)、カイサリア経由、ハイファ泊
□12月30日(金)アッコン、ナザレ経由、ティベリア泊
□12月31日(土)ガリラヤ湖、ニムロッド要塞、ティベリア泊
■1月1日(日)マサダ要塞、クムラン、エルサレム泊(レンタカー返却)
□1月2日(月)現地ツアーでヘブロンとベツレヘム。エルサレム泊
■1月3日(火)エルサレム泊
□1月4日(水)テルアビブ発、機中泊
□1月5日(木)成田着
【フライト情報】
1.スイス 161便(機材:AIRBUS A340-300)
(フライト時間:12時間35分)
12月28日(水)11:15 発 東京(成田)
12月28日(水)15:50 着 チューリッヒ
2.スイス 4222便(機材:BOEING 737-700)
(運航:エルアルイスラエル航空)
(フライト時間:4時間5分)
12月28日(水)21:00 発 チューリッヒ
12月29日(木)02:05 着 テルアビブ
3.スイス 4221便(機材:BOEING 737-800)
(運航:エルアルイスラエル航空)
(フライト時間:4時間35分)
1月4日(水)07:30 発 テルアビブ
1月4日(水)11:05 着 チューリッヒ
4.スイス 160便(機材:AIRBUS A340-300)
(フライト時間:11時間50分)
1月4日(水)13:00 発 チューリッヒ
1月5日(木)08:50 着 東京(成田)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
死海の西岸、ルート90を南下しマサダ要塞に向かいます。
途中チェックポイント(西岸地域内でエリアAからCに移動するところでイスラエル軍によるIDチェックが行われている。イスラエル軍の支配下にあるエリアに入域する際にチェックされる。)があり、ちょっとだけ渋滞。
チェックポイントによる渋滞が心配だったけど、たいしたことがなくてホッ。 -
【マサダ要塞】
西暦70年、それまで共存していたローマ帝国に対して反旗を翻したユダヤ人達は、エルサレムがローマにより制圧される。エルサレム陥落後、一部の過激派ユダヤ人兵士達がこのマダバ要塞に立て籠もる。
2年間の籠城戦の末、ローマ兵に城壁を破られることが確実になったところで900人あまりのユダヤ人が7人の女子どもを除き、集団自決をする。 -
そんな話を民族的尊厳を保った美談であるかのように語り継ぎ、「No more Massada」をスローガンにこの地でイスラエル軍の入隊宣誓式を行うらしいが、第三者としての立場から見ると正直しらける。
ユダヤ民族が今も残っているのはエルサレムでローマに降伏した大多数の穏健派なユダヤ人達がいたからで、みんながマサダで自決していたら民族は絶えていたはず。
正直、集団自決なんて自己満足以外のなんでもないように思えて全く共感できない。 -
と、イスラエルによるマサダの売り出し方には全く共感できないものの、この要塞が超かっこいいのでmust seeであることには全く異論をはさむ余地もない。
もともとは紀元前100年頃にこの標高400mの山頂に建てられた要塞を、その後ヘロデ王が豪華に増改築して冬の宮殿に変えたもの。
写真は崖の斜面を利用した宮殿の一部の模型ですが超カッコイイのです。 -
イチオシ
現在は崩れはて、この程度しか残っていない。
こんな乾燥した土地でしかも山の上なのに、贅沢に水を使ったお風呂なども設けられていたのだという。 -
ローマ軍はどうやってこの山上の要塞を攻略したのかというと、そこは土木建築に優れていたローマ兵。スロープをつくって、そこから攻城機械を城壁まで持って行き、一点集中で城壁を破ったのだと考えられている。
-
現在はロープウェイで上り下りすることができます♪
-
【クムラン】
さて、死海沿いにルート90を北上しエルサレムに向かう西に延びる道に左折する前にクムランがある。
「死海文書」で知られるクムラン。1947年に羊飼いがこの近郊の洞窟で偶然に陶器に入った古文書を発見する。その古文書は紀元前2世紀から紀元後1世紀頃までに間に書かれたヘブライ語、アラム語、ギリシャ語による聖書の写本で、その時代のものとしては唯一のものとして世紀の大発見とされている。
写真の上に見えるのが死海文書が発見された洞窟。現在は土砂崩れの危険のため洞窟まで上ることはできない。 -
生憎、到着したのが閉園の30分前だったので、早々に追い出されてしまう。。。
-
いずれにしてもレンタカーを18時までに返却しなければならないので、ルート1をエルサレムに向けてばく進。
-
【Dan Boutique Hotel Jerusalem】
ここに3泊します。
ブティックホテルとはいうものの、客室数は結構ある。
モダンな内装でなかなか良かった。 -
【エルサレム、旧市街】
いよいよエルサレムの旧市街の城壁の中に入る。
ここは世界三大宗教がそれぞれ別の理由で聖地とする。
ユダヤ教徒にとっては古代のユダ王国の首都であり、エルサレム神殿の建っていた場所。
キリスト教徒にとってはイエス・キリストが処刑され、復活した場所。
イスラム教徒にとってはムハンマドが昇天する体験をした場所。 -
したがってその扱いは非常にデリケート。
イスラエルはエルサレムを首都と主張するが、国際的には認められていない。
現在も多くのイスラム教徒が居を構えている。 -
【ヴィア・ドロローサ】
十字架を処刑場所までかつがされたイエスが歩いたとされる道をヴィア・ドロローサという。但し、本当にこのルートを歩いたのか真偽の程は定かではない。
ヴィア・ドロローサ沿いにはイエスが躓いたとされる場所など何かしらの逸話が残る場所に数字がつけられている。こちらは8th station。 -
【聖墳墓教会】
キリスト教徒にとってはエルサレムのなかで最も訪れたい場所なはずなのに、案内が全然出てないし、入り口が分かりづらくて、かなり迷いました! -
イエスが息を引き取った後に体に香油が塗られたとされる岩。
-
信者が額を岩につけ祈りを捧げる。
-
聖墳墓教会はイエスが十字架にかけられたゴルゴタの丘でイエスの墓がある場所とされている。
この教会はイエスが十字架にかけられてから300年ほど経ってからローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナによって建てられており、学術的には実際にこの地がゴルゴタの丘なのかは疑問も呈されている。 -
聖墳墓教会はカトリック、アルメニア、コプト、ギリシャ正教などの各派が教会内にある幾つかのチャペルをそれぞれ管理している。
-
但し、聖墳墓教会の門は各派が権利を主張して争っているため、中立なアラブ人の少年がこれを開閉するのが仕事なのだという。
-
最初に建設されたのがAD325年。その後、火災や異教徒により何度も破壊されるが、そのたびに再建される。
何度も破壊されてきたためか、異国の地に建つ不安定さのためか、建物自体はヨーロッパの有名な教会に比べて派手さはない。
もっとも、天井からぶら下がる香炉などにより美しく飾られている。 -
第一回十字軍の指導者の一人で十字軍国家の初代リーダーとなったゴドフロワ・ド・ブイヨンは生涯自らを後に「エルサレム王国」と呼ばれる十字軍国家の一つの「王」と呼ばれることを拒む。自らを「聖墳墓教会の守護者(Advocatus Sancti Sepulchri)」と呼ぶ。
-
-
地下にある聖ヘレナ聖堂
-
聖墳墓教会内にあるキリストの墓と呼ばれる場所
聖ヘレナはここをキリストの墓と判断した。
史実は明かではない。本当のキリストの墓はエルサレムの城壁の外にあったという説もある。
キリストの墓には大行列ができていたが、キリスト教徒ではない私たちは並ぶ気にもならずスルーすることに。 -
キリストの墓のある復活聖堂(アナスタシス)。
ローマのパンテオンにちょっと似てる!? -
中央のバシリカ(ドーム)
-
イチオシ
要塞のように窓の少ない聖墳墓教会。
数少ない窓から光が差し込み堂内を照らす。 -
イチオシ
-
-
イチオシ
-
聖墳墓教会をでてエルサレム旧市街を再び散策。
猫たんが石碑の上にちょこん☆ -
猫のミニ集会☆
-
-
背後から視線を感じない?
-
【エッケ・ホモ教会】
ラテン語で「視よ、この人なり」という意味の教会。
ローマ総督ピラトがイエスの裁判の際に発した言葉とされる。
ローマ時代のアーチを教会に使っている。 -
【聖アンナ教会】
聖母マリアが生まれたとされる洞窟の上に建つ教会。聖アンナとは聖母マリアの母。 -
地下の洞窟には手紙?のような紙がいっぱい捧げられている。
-
-
旧市街は基本的に道路が狭く、城壁の中に車で入っても入り口近くで車を停めなければならない。聖ステパノ門からもちょっとだけ車が入ることができる。
が、この大渋滞・・・歩くのもやっと。 -
【鞭打ちの教会】
イエスがローマ兵により茨の冠をかぶせられ、ムチで打たれたとされる場所に建つ。 -
-
-
岩のドームに行きたくてスークを抜けて正面から岩のドームに向かおうとしたら観光客は嘆きの壁の方からでないと入れないと警備の人に言われる。
で、嘆きの壁に向かう途中。変なカッコウでフリーズしている子猫ちゃん。苦笑
嘆きの壁の前の広場に入るのにはセキュリティチェックがある。ユダヤ人でなくても同じ入り口から入ることができる。 -
若いイスラエル兵たちが社会科見学?か何かで来ていたよう。
機関銃を持っていても動物たちには優しい。 -
とても若い彼らは20歳前後くらいだろうか。
イスラエルには徴兵制がある。
女性も徴兵の対象となる(但し期間が異なる。)。
周囲を敵国に囲まれたイスラエルは第二次世界大戦後、5回も大規模な戦争を経験し、世界でも屈指の練度を誇る軍隊をもつと評されている。 -
【嘆きの壁】
男性は向かって左側、女性は向かって右側に入り口がある。女性側の方が狭い・・・差別だ・・ -
で、広々とした男性側を覗き込み、パシャリ。
安息日(シャバト)の時は写真撮影はNG。それ以外のときは控えめに撮るくらいなら目くじらをたてられないよう。 -
嘆きの壁は「西壁」(Western Wall)とも呼ばれる。
古代のエルサレム王国、第二神殿時代にエルサレム神殿がこの場所にあった。西壁は神殿の西側の壁なのだという。
エルサレム神殿にはその昔、モーゼが神から十戒を授かった2枚の石版が収められていた「契約の箱」と呼ばれる聖櫃(アーク)が安置されていた。
映画インディ・ジョーンズの「失われた聖櫃(アーク)」とはこの契約の箱のこと。
第一神殿時代の終わり、バビロンにエルサレム王国が一度滅ぼされた際にアークをその行方が分からなくなっている。 -
イチオシ
【岩のドーム】
エルサレムのシンボルとも言える岩のドームはエルサレム神殿のあったとされる丘の上に建つ。ここは預言者ムハンマドが昇天する体験をした場所とされ、イスラム教徒にとっても聖地とされている。
岩のドームのある神殿の丘にはあがることがでいるが、観光客は嘆きの壁の南、糞門の近くのゲートからでないと入れない。時間が非常に限られており、長い行列ができており私たちは神殿の丘に上がるのは断念した。
神殿の丘にあがれても、岩のドーム自体はイスラム教徒以外は入ることができないし。 -
【カルド】
古代エルサレムの繁華街の遺跡。
ヨルダンのマダバにある聖ジョージ教会にある聖地を描く最古のモザイク地図にもこの繁華街カルドがはっきりと描かれている。
http://4travel.jp/traveler/kum/pict/21208590/ -
【聖マルコ教会】
カルドから少し西に行った場所にひっそりと建つ聖マルコ教会。 -
ここはシリア正教会という日本では聞き慣れないキリスト教の一派が管理する教会。聖マルコの家と伝えられる場所に建つ。
シリア正教会はトルコから中東にかけてアラム人を中心とする人々がつくった教会で東方諸教会の一つ。コプト正教会やアルメニア使徒教会と教義が近い。
ちょうどミサが行われていたのでドアの外から覗いていたら、中にいた信者のお婆さんが中に入りなよと招き入れてくれた。 -
正統派ユダヤ教徒(全身黒ずくめで山高帽をかぶっている)のお兄さんとニャンコ。
ちなみに超正統派のユダヤ教徒はこの格好に加えてもみあげを切らずに伸ばしている。最初見た時は目が釘付けになってしまった。 -
【城壁】
エルサレムの旧市街の城壁の上は歩くことができる。
もっとも神殿の丘の手前で降りなければならない。
やっぱりセキュリティは厳しい。 -
城壁にはヤッフォ門の横から上がることがでい、チケットは近くのインフォメーションで買う。
-
幾度となく包囲された聖地を守ってきた城壁。
そして破られる度に殺戮によって赤く染め上げられてきた聖都。
現在の城壁はオスマン帝国時代のものでそこまで古くはないけれども、城壁に上ると、ここに築かれてきた壁が守ろうとしてきたものやこの壁を守ろうとしてきた者の想いが感じられるような気がしてくる。 -
-
夕陽に染まる岩のドームを屋上から眺める人々。
-
-
【オリーブ山】
エルサレムの夕暮れを見にダマスカス門の外からタクシーでオリーブ山へ。 -
オリーブ山とエルサレムの間に横たわるのはケデロン谷と呼ばれる墓地。
ダビデ王の時代から墓地だった場所だが、最後の審判の日にはここから死者が蘇ると信じられている。だから、ここに墓地をつくることが人気らしい。 -
遠くに見える金色のタマネギ屋根のマグダラのマリア教会。
-
-
オリーブ山からの眺めなので、オリーブの木と岩のドーム☆
-
日が暮れるとライトアップされる城壁。
エルサレムの新市街にある宿までは歩いて帰る。
翌朝7時半の飛行機なのでシェルートバスをホテルで手配してもらい、朝の4時に迎えにきてもらう。
ベングリオン空港の出国手続はとても時間がかかると聞いていたが、早朝のためか30分でチェックインする荷物の検査、チェックイン、セキュリティチェックを終えられてしまった。思いの外早くて、ちょっと拍子抜けなのでした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
エルサレム(イスラエル) の人気ホテル
イスラエルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イスラエル最安
325円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
6
66