2011/05/07 - 2011/05/07
87位(同エリア322件中)
どんぴさん
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
自分自身の生活や仕事への影響も大きかったため感心が高く、毎日テレビやネットで情報をチェックしています。
でも、テレビやPCの画面を見るだけで本当の事が理解できるだろうか?
現場に行かないと理解できないことがたくさんあるはず。
私はどうしても被災地の現場を自分の目で確かめたかった。
ボランティアでもなく、支援物資を持って行く訳でもない。そんな人間が被災地に行っていいのかと悩みつつ、気仙沼に行く決心をしました。
被災地周辺は渋滞が深刻という報道もあるので、今回は電車でのアクセスが比較的簡単そうな宮城県気仙沼市を訪問することにしました。
□5/05(木) 東京 → 盛岡 → 鹿角 → 小阪 → 弘前
□5/06(金) 弘前 → 黒石 → 三内丸山遺跡 →盛岡
■5/07(土) 盛岡 → 一ノ関 → 気仙沼 → 一ノ関 → 仙台
□5/08(日) 仙台 → 松島 → 仙台 → 東京
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
最初に気仙沼市の地理について少し解説します。
まず、地図の上側の赤い○で囲まれたエリア。
ここには観光施設が集中しています。
そして、地図の下側の"カーフェリー乗り場"周辺のエリア。
ここには水産関係の工場などの商業施設が集中しています。さらに地図欄外の左下には市街地が広がっています。
今回は駅からタクシーで"カーフェリー乗り場"周辺まで行き、そこから徒歩で駅方面に戻るルートを選びました。
右上の緑色の地図を見てのとおり、気仙沼は湾の中に島があるような地形をしています。今回の津波では大島を挟んだ左右2方向から津波が襲ってきたそうです。 -
11:07、盛岡駅発の東北新幹線やまびこに乗車。
12:22、一ノ関駅発の大船渡線・気仙沼行きに乗車。
車窓からの景色を見ても地震や津波の影響はほとんど感じられない。のどかなローカル線の旅だ。
13:41、気仙沼駅に到着。
駅周辺の雰囲気はごく普通。津波の影響はまったく感じられない。コンビニやスーパーも営業しているし、品揃えも豊富だ。乾電池も普通に売っている。 -
駅前の観光案内所。
壁には交通機関に関する情報、ボランティア向けの情報などが壁一面にびっしり貼り付けられていた。
まずは駅でタクシーを拾い、安波山(あんばさん)を目指した。
しばらく進んでも、窓の外に見えるのは普通の街並み。
あれ?ここは本当に被災地…?
ところが。ある交差点を右折したら急に全壊した家がいくつも見えてきた。いきなり街の様子が被災地に変わったので驚いた。 -
「安波山(あんばさん)」
ガイドブックにも載っている気仙沼を一望できるビュースポット。
気仙沼でロケ中に被災したお笑いのサンドウィッチマンが避難してきたのがここだ。
パッと見たところ普通にいい景色で、津波の影響はあまり感じない。 -
しかし、よく見てみると遠くのほうの様子がおかしい。
建物の密度が妙に低い…。 -
車で行けるのはカーフェリー乗り場付近までという事だったので、そこまで行ってもらうよう運転手さんにお願いした。
港に近づくと外に広がるのは焼け野原のような悲惨な光景…
運転手さんにいろいろ説明してもらいながら進んだ。
現地に到着。料金は2,800円くらい。
タクシーを降りると、いきなり超強烈な刺激臭が襲ってきた!すっげぇ臭い! -
臭いの正体は、トラックやショベルカーが山積みにしているゴミのようなもの。
実はあれは全て腐った魚。
倉庫などに放置されていた水産物を船で運んで廃棄するため、被災した周辺の工場や倉庫から集めているところだったのだ。
だからあんなにたくさん海鳥が集まっているのか… -
近くにあった水産物の保管施設。
あの看板の高さまで津波が襲ったのか… -
腐った魚の山。
腐臭が強烈すぎる。従業員の皆さま、本当にご苦労様です… -
2階まで完全に破壊されたビル。
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まるで子供がおもちゃを散らかしたようだ。
でも、これは本物。目の前にある現実。 -
見渡すかぎりどこまで行っても瓦礫と破壊された建物ばかり。
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大きな工場も徹底的に破壊。
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上の工場の内部。
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震災から2ヶ月近く経っているのに、まだ壊れた車があちこちに放置されている…。
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骨組みだけになった建物。
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鉄骨の骨組みまでふにゃふにゃに曲がっている…
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海沿いの道路だった場所。
津波と地盤沈下のために道路が崩壊している。 -
どこかの会社の駐車場?
なだれ込んだ瓦礫だらけになってます。 -
悲惨すぎる。
地獄としか言いようが無い。 -
屋根がまるで布のようになっている…
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瓦礫の中から見つけたおもちゃの車。
本物の車もあまり変わらないな。 -
海岸近くから見た光景。
地盤沈下ですっかり水没しています。 -
!?
重油か何かのタンクがひっくり帰っている。
あまりにも非現実的すぎて実感がわかない。
何かのオブジェみたいに見える。 -
上の写真のタンクの近くにあった建物。火事で黒コゲになっている。
気仙沼市では震災当日、タンクから流出した重油などに火がついて大規模な火災が発生した。この建物もそうなのか? -
鉄筋コンクリートの壁が粉々に破壊されている…
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1階部分が完全に無くなってしまった建物。
鉄骨むきだし。 -
!?
今回見た中で一番損傷が激しい車。
どうやったら軽トラックがここまでペチャンコになるんだろう? -
気仙沼市魚市場…だった場所。
ショベルカーが沈んでいるあたりも魚市場だったようですが、津波で床面ごと流失してしまったそうです。 -
気仙沼市魚市場…だった場所 その2
鉄骨の変形の仕方が尋常じゃない。 -
陸に打ち上げられた船。
写真右側に移っている道は砂利道のようになっていますが、魚市場周辺の道路は津波によって舗装がはがれてしまったそうです。 -
津波のあとに発生した火災によって炎上して黒こげになった船が何艘も係留されていました。
-
完全に倒壊しなかったのが不思議。
なんだかシュールな光景だ… -
気仙沼では地盤沈下のため、大潮になると沿岸部は水没してしまいます。
そして、土地が凹になっている場所では潮が引いても水がなくなりません。
ここは内陸部に向かう道路なのですが、道路全体が冠水して細長い池のようになっています。
今日は17〜18時頃に満潮になるそうなので、その前にこのエリアを脱出しないとな… -
気仙沼市のホームページによると、気仙沼市内の被害状況は…
死者数 :929人
行方不明者数:604人
住宅被災棟数:10672棟
被災世帯数 :9500世帯(推定)
(2011年5月14日現在の情報) -
もしかしたら、この瓦礫の下に行方不明者がいるかも…
と想像してしまう。 -
観光施設の「海鮮市場 海の市」までやってきた。
建物の中は瓦礫と土砂でもうメチャクチャ。
営業再開なんて言ってられないほどダメージは深刻だ。 -
「海鮮市場 海の市」の前の道路。
アスファルトは波のようにうねり、一部は陥没・水没している。 -
マンホール。
蓋はどこかへ流出し、中は土砂で完全に埋まっている。
気仙沼駅周辺などの被害が少なかった地域ではほとんどのライフラインが復旧しているが、下水道だけは完全復活していないとタクシーの運転手が言っていた。
これを見て納得した。 -
ここらへんまで北上すると、民家も増えてくる。
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瓦礫の中に食器・家電製品・本・おもちゃなど、生活感のある物が増えてきた。
-
瓦礫の整理をしていた住民と思われるおばちゃんがいきなり話しかけてきた。
手前で崩壊している家は近所にある家ではなく、別の地域から流されてきたらしい。 -
崩壊した家と家の間に詰め込むように、車が4台重なっていた。
-
この家は壁が崩落して、和室が完全に露出してしまっている。
-
この幼稚園、津波によるダメージをほとんど受けていないように見える。
実はこの幼稚園、1つ前の写真の民家から10〜20mしか離れていない。坂を少し登ったところにあるため、深刻なダメージから逃れる事ができたのだ。
今回、被災地を実際に目で見て痛感したのは、津波による被害の深刻度は地域によってかなりムラがあるということ。ほんのちょっとした地形の差(特に標高)でリスクが全然違うのだ。
自分が住んでいる場所は津波に対してどれだけリスクがあるのか事前に知っておくことは防災上とても大切なことだと思った。 -
ファミレスの「ジョイフル」気仙沼店。
原形をとどめているのはドリンクバーの周辺だけ。 -
入口には店員たちによる寄せ書きが飾られていた。
とても前向きなメッセージにこっちまで救われた気分になる。 -
被災したパチンコ屋の駐車場。
天井からぶら下がっている袋は何だろう? -
こちらの建物では中に車が2台突入している。
-
「浮見堂」の対岸までやってきた。
ここにも黒コゲの船が何艘も放置されている。 -
!?
よく見ると、建物が倒壊しているのではなく、建物が地面ごと倒壊している。 -
用水路のようになっているところの手前と奥はもともと同じ高さだったが、地盤沈下により手前側が数十センチ沈んでしまった。
-
!!
かなり大きな船が道路に打ち上げられている。
衝撃的な光景だ。 -
「浮見堂」
気仙沼の観光名所だが、お堂の屋根が崩落しているのが見える。 -
崩壊した民家の中。
床には分厚い土砂の層が…
今回の震災では大量に発生した瓦礫の処理が問題になっているけど、打ち上げられた大量の土砂の処理もかなり深刻な問題だと思った。 -
またもや衝撃映像。
船が民家に激突し、車を1台潰した状態で打ち上げられている。 -
自動車はエンジンなどがあるため前の方が重く、水没するとフロント側が下になるとテレビで言ってたな。
-
屋根の上に車が乗っかっている。
シュールだ… -
住宅・商店が密集するエリアに来た。
-
破壊のされ方があまりにも酷く、見ていられない。
-
瓦礫の中には生活用品が多く混ざり、おもちゃや教科書などもたくさんある。
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このエリアは本当に被害が深刻で悲惨。
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瓦礫の山
-
瓦礫の中でこのアンパンマンを見つけた時、思わず吐きそうになった。
1歳3ヶ月になる息子のためにうちの嫁さんが作ったアップリケに大きさも形もそっくりだったからだ。
嫁さんは本屋で売っている型紙集を使っていた。もしかしたらここの家の母親も同じ本を買っていたのかもしれない。
このアップリケの持ち主の親子が無事であることを心から願う。 -
1階部分が完全になくなった家。
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通り全体が完全崩壊…
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包丁で切ったかのように真っ二つになった家。
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こちらの船はひっくり返って民家に激突。
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大島行きフェリーの発着所。
2つの桟橋が水没。 -
フェリー発着所周辺の様子。
-
国登録有形文化財「男山本店」。
気仙沼に本社を置く酒造会社の社屋であり、1912年築の歴史的建造物。
もともと3階建ての建物なのに、1階と2階はどこかへ行ってしまった…。
ところが。
こんな深刻な被害を受けたにもかかわらず、男山本店さんでは震災の翌日には仕込みを開始。4月には新酒を完成させたんだそうだ。飲んでみたい。
http://www.kesennuma.co.jp/ -
国登録有形文化財「角屋店舗」。
1930年築の歴史的建造物だが、こちらも1階部分が完全に崩落。
2階部分が流出して後ろの建物に激突している。
かつての姿は↓を参照
http://www.miyatabi.net/miya/kesenuma/mangoku.html -
かつてコンビニだった建物。
19:00、かなり暗くなってきた。
ここらへんは電気が復旧していないので真っ暗だ。満潮で水没する恐れもあるので、そろそろ帰らないと…。たまたま通りかかったタクシーを拾って気仙沼駅へ向かう。 -
次の電車まで1時間以上あるので、駅近くで営業している数少ない飲食店のうち1つに飛び込んで夕食。
焼きうどんと手羽先の唐揚げを食べ、地元の酒を飲みながら心の整理をする。
途中、フランスの報道関係者6人組が入店してきた。
20:13、気仙沼駅発の大船渡線に乗車。
21:37、一ノ関駅着。
22:37、一ノ関駅発東北新幹線やまびこに乗車。
23:17、仙台駅着 -
気仙沼に来て本当によかったと思う。
テレビやネットを見ただけでは解からない、現場に来たからこそ解かったこと・感じたことが沢山あった。現場を見ることは本当に大切なことだと痛感した。
被災地を見て、私は想像しました。
もしも自分の家族が死んだら自分はどうなるのか?
もしも自分が死んだら家族はどうなるのか?
まだ自分の中で消化しきれず、答えは出ていない。
でも、死について考えることは大切な事なのは間違いない。
もし、被災地を訪問することに感心はあるけどボランティアでもないのに被災地を見学しに行くことを躊躇している人がいるなら、ぜひ行くべきだと勧めたい。
今回、タクシー運転手など何人か現地の人と話をさせていただいたけど、彼らは観光客が来るのを嫌がるどころか、むしろ歓迎していた。
そして、実はそういう観光客は既にけっこう多い。
もちろん、悪ふざけや面白半分で来る場所じゃない。
被災地でピースしながら記念撮影して地元の人を激怒させた奴がいるという話も聞いた事がある。
これから被災地を訪問しようと考えている人には、地元の人たちの心情への配慮した行動をお願いします。
そして、現地でなるべくたくさんお土産を買って、飲み食いをしてって下さい。
最後に…
今の私の一番の願い。
それは復興した気仙沼を再訪することです。
震災の犠牲者の皆さまのご冥福をお祈りいたします。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- 164-165さん 2013/12/01 17:43:40
- 記憶が甦って来ました。
- 始めまして。
『大震災後57日目の気仙沼を見て考えたこと』を拝見し、震災の恐さを改めて実感しました。
たまたま、震災当日はハワイに居て、夜、NHKの海外放送をずっと見ていました。映画でしか見たことが無いシーンを目の当たりにして、ハワイで夢を見ているのではないかと疑いました。
近くに居ながら、恐くて避けていました。最近、ようやく、被災地を見に行くことが出来るようになりました。
忘れられない日です。どんびさんの写真で、負けないで向かって行かなければいけないと、思いました。残して欲しい、写真集です。
【164-165】
- どんぴさん からの返信 2013/12/04 23:08:24
- RE: 記憶が甦って来ました。
- 164-165さん、こんばんわ(^_^)
私も気仙沼の旅行記を見返して、改めてあの時に受けた衝撃を思い出しました。
気仙沼を再訪しようとは思っているのですが、なかなかタイミングが合わなくて旅行記の時から気仙沼はもちろん東北自体に行けていません。
でも、この冬には東北に行こうと思っています。
-
- kon-4travelさん 2011/07/17 07:15:49
- こんにちは。
- はじめまして。
私も震災後の気仙沼に行ってきました。
どんぴんさんは2ヵ月後だったんですね。
こちらは4ヶ月後です。
だいぶ整備されたんだろうなと想像していましたところ、
どんぴんさんの日記を見て少しずつ理解できました。
しかし未だに理解不能です。
現場を観ればわかると思ったんですが、余計混乱してしまいました。
どうなったらこんな状態になるのか・・・?
ともかく一刻も早く復興してほしいですね。
私もいつか必ず訪れたいと思っています。
- どんぴさん からの返信 2011/07/18 01:21:22
- RE: こんにちは。
- どうもはじめまして(^~^)γ
>だいぶ整備されたんだろうなと想像していましたところ、
>どんぴんさんの日記を見て少しずつ理解できました。
kon-4travelさんの旅行記を拝見させていただきました。
私が行った気仙沼の港周辺の写真を見ると、確かに瓦礫の片づけがちょっと進んでるような気がしますね…ほんのちょっとですが。
私の場合、気仙沼の非常に狭い範囲を徒歩でまわったのですが、kon-4travelさんはレンタカーで各地を周られたんですね。
本当に広大なエリアが被災したんだとよく解りますね…。
ではまた。
-
- やまさん 2011/05/15 04:07:34
- たった2ケ月で癒えるはずのない傷。
- 日本から離れているせいで、震災地の情報はインターネットのニュースしかない今日この頃です。
主に伝わってくるのは原発の話ばかりで(こちらも当然大変ですが)、大地震と津波の事はだいぶ昔の事みたいな感覚に陥っていましたが、全く現在進行形の話である事を再確認する事ができました。有難うございます。
私も遠く離れた土地から無くなられた方の冥福と、いち早い復興をお祈りします。
追伸)別の国に移動しました。地震の無いオランダから、地震の多い某国です。
- どんぴさん からの返信 2011/05/15 21:55:20
- RE: たった2ケ月で癒えるはずのない傷。
- どうもどうも。
私が被害の大きい地域に到着した時は「2ヶ月近く経ってるのに、片付けられいない瓦礫がこんな大量にあるのか!」と驚きました。
でも、タクシーの運転手の方に言わせると「これでもかなり片付いてきた」とのことです。
街が復活するまでどれぐらいの時間がかかるのか、正直言って想像がつきません。
震災はまだ終わっていないし、まだまだ収束しそうにないことを痛感しました。
ただ、次の日に訪れた宮城県の松島など、津波の被害からかなり復活してきている場所もあります。
被災地の復活は近い将来ではないけれど、悲観するほど遠い将来でもないと松島の遊覧船に乗りながら思いました。
#松島の旅行記は近日中にアップする予定です。
ではまた(^~^)γ
PS.地震の多い国…?ヨーロッパだったらイタリアかギリシャあたりですかね?
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