2010/07/13 - 2010/07/13
683位(同エリア783件中)
まみさん
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2010/07/13火 リガ郊外野外博物館
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・ラトヴィア民族野外博物館見学(11時から16時半)
<リガ旧市街に戻って>
・聖ペテロ教会近くの店Tornisでバルティック・ジュエリーのショッピング
【リガ泊:ホテル・イリーナ(Iriena)】
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野外博物館に100あまりあるという建物の中でも、目立つ建物といえばやはり風車なので、風車だけは制覇しようと思いました。といっても4つでした。
そのうち最後に訪れた2つは高台にあったので、昨日スィグルダからトゥライダまで5時間近くハイキングして疲れが完全にとれていない体では、ちょっときつかったです。
松林に囲まれて、高台にある風車ですらも、かなり近付かないと確認できなかったので、方向音痴の私は正しい道を進んでいるかどうか、ぎりぎりまでドキドキさせられました。
風車は制覇できましたが、教会は、制覇できませんでした。最後の方ではまたしても道を間違えてしまい、引き返す体力・気力が残っていなかったためです。
教会といっても、大きさとしてはすぐそばに建つ農家の母屋の方が大きいくらいの、ごくささやかな教会ばかりでしたが、それがかえってとても風情が感じられました。
建物やその場所・時代にあわせた衣装を着ていたスタッフは、これまで回ってきた他の東欧の野外博物館を思い出しても、このラトヴィア民族野外博物館が1番多かったように思います。
ただ、屋内の民俗博物館などで見るカラフルな民族衣装ではなく、飾り気のない白い、いかにも農村や漁村の人たちの普段着姿だったので、あいにく最初は気付きませんでした。
全体的に田舎の雰囲気にどっぷり浸っていたので、町中で見たら目立つそういう服装が、全く違和感がなかったせいもあります。
また、この野外博物館には、ラトヴィア人だけでなく、ドイツ人やロシア人村もありました。ラトヴィアの歴史からすると当然でしょう。
いわれて見ればドイツ人村っぽいかも、ロシア人村っぽいかも、というのはなんとなく分かった気がします。情けないことに消去法で残りがラトヴィアらしいのかな、と思うしかありませんでした。
それにラトヴィアは、クルゼメ(KURZEME)、ゼムガレ(ZEMGALE)、ヴィドゼメ(VIDZEME)それからラトガレ(LATGALE)と4つの地方があるのですが、地方性の違いはさっぱり頭に入りませんでした。
でも、学術目的で野外博物館を訪れるわけではないんですもの。
あくまで、旅程では盛り込められなかった、そして現在では実現がほとんど叶わないという、田舎の散策の疑似体験がしたかったんですもの。その目的は十分果たせました。
それに5時間も過ごしていて、散策中、観光客は数人くらいしか見かけませんでした。ハイシーズンなのにこんなに訪れる人が少なくてやっていけるのかな、と心配してしまうくらい。
逆にいうと本当に田舎で一人歩きしている気分になれました。
松林に視界が遮られているせいで、余計に人の気配が感じられなかったせいもあるでしょう。
それに、いくらのんびり過ごすといっても、5時間もいるような酔狂な人間はそうそういないからかもしれません。
もっとも、11時に入場したときに、これから帰ろうとする中国人の団体観光客とすれ違いました。
ツアーだったら、おそらくメインロードをさっと歩いて、見学にかかる時間はせいぜい1時間くらいかしら?
私は最初は、はじから順番に回ろうと思ってメインロードを避け、かえって分かりにくい進路をとってしまって、初っ端から道に迷いました。
手にしているのは絵地図だったので、縮尺はふぞろいだったせいもあると思います。
いや、やっぱり私が方向音痴だからですね。
ただ、半日くらいですむだろうと思った野外博物館散策で5時間もかけて、それはそれでよかったのですが、この日、リガの中心部に戻った後ではじめて、「地球の歩き方」では内装工事のため閉館中とあった工芸美術館が開館していたのに気付いて、これは非常に残念でした。
もっと前に気付いていれば、一昨日のリガ散策中に行くようにしたか、あるいは本日、野外博物館散策を予定どおり半日で切り上げていたかもしれません。
でもまあ、それもあくまで仮定の話。
大枠の旅程はともかく、1日の過ごし方が机上や頭の中のプラン通りにいく方が珍しいですから。
2010年バルト3国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2010年バルト3国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10481279/
詳細版「2010年バルト3国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2010/07/2010-ccbf.html
「ラトヴィア民族野外博物館
もしラトヴィアの田園地方の中心を訪れる時間がないのなら、ラトヴィア民族野外博物館にぜひ立ち寄らなくてはなりません。リガ市の境界地のすぐ北、ユグラ湖畔に位置する、この広大な森には、100を超える木造の建築物が、ラトヴィアの4つの文化圏から集められています。これらの教会、風車や農家には、牧歌的な生活スタイルを語る道具や民芸品があります。(後略)」
(5th edition 2009年5月刊行のLonely Planetより私訳)
野外博物館のエリアマップに回ったルートを書き込んだ写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/21760384/
ラトヴィアの4つの地区を示すマップの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/21760383/
関連の旅行記
「2010年バルト3国旅行第10日目(1)リガ:ラトヴィア民族野外博物館・前編」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10551853
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1848年頃のクルゼメ地方のRucavaの農家(8番)
続きはクルゼメ地方の農家の家屋群からです。
かなり立派な農家の母屋です。
もっとも19世紀の農家はたいてい15〜20人の大家族で、さまざまな年代のこの大家族が一緒に暮らしていたようですから、それからすると、そう広いと言えるかどうか。 -
真ん中の入口から入ったところ
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納屋も兼ねているらしい
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料理と暖房用のかまど
かまどは、入口から入ってすぐの真ん中に部屋にありました。
実際に使われてきたものですから、黒くすすけています。年季を感じます。 -
左の部屋へ通じる
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香草がいっぱい
かまどから離れたこちらの部屋は、夏には涼がとれるようです。 -
入口からみて右の部屋へ
こちらの部屋ではかまどが暖房になっています。 -
糸つむぎ道具など
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おしゃれなタンスや、ベッドと机あり
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1750年頃のクルゼメ地方のRucavaのニダのクールシ人の漁村の住居(7番)
まぎらわしいですが、違う建物の中の写真です。
7番の外観の写真は撮り損ねてしまいました。
ニダといえばリトアニアの隣のロシア領カリーニングラードに近いあのニダ?
かと思ったのですが、クルゼメ地方のRucavaというのは、現在はリエパーヤ地区だそうです。もちろんラトヴィア。
リエパーヤにもニダという地名のところがあるのかしら。
※「あのニダ」の旅行記。
今回のバルト3国旅行の中でも一、二を争う私のお気に入りのところです。
「2010年バルト3国旅行第6日目(2)ニダ:スミルティネからニダへ&可愛い風向計のあるニダの町」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10532026/
「2010年バルト3国旅行第6日目(3)ニダ:トーマス・マン博物館や独特な木の墓標のある古い墓地など」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10532027/
「2010年バルト3国旅行第6日目(4)ニダ:トーマス・マンが「北のサハラ」と呼んだ世界遺産の白い砂丘」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10532028/ -
入ってすぐの真ん中の部屋と隣の部屋に通じる扉
フラッシュを炊いて撮影したので、手前に干されていた香草が光ってしまいましたが、あしからず。
天井の構造にも注目。 -
かまどや道具や薪あり
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右手にある家族の部屋
手前にはかまどと糸つむぎの道具。
奥の窓辺に人がいました。 -
当時のこの地方の服装のスタッフのおじょうさん
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暖房用のかまどと糸つむぎ
左手に真ん中の部屋つながる扉があります。 -
窓が小さい
暖かい空気を逃がさない工夫の一つでしょうか。 -
1850年代のヴィドゼメ地方のAdaziの家畜小屋(50番)
今度はヴィドゼメ地方の家屋群です。
これは牛やヒツジのための小屋です。
一部屋だけの構造で、窓はありません。 -
1850年代のヴィドゼメ地方のAdaziの家畜小屋(50番)の外観
かなり立派な建物です。 -
18世紀の納屋(47番)
苔むした屋根が風情あります。
奥にあるのは1730年のVestienaの脱穀小屋(45番)です。 -
木材を立てかけたテントのようなこの建物は……
1850年代のAinaziのサマーキッチン(49番)だそうです。
説明によると、このようなキッチンは母屋に煙突がない農家の庭に建てられたようです。
火事になるのを防ぐためかな。 -
19世紀初頭のVietalvaの手回し粉挽き小屋(48番)と井戸
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1730年のVestienaの脱穀小屋(45番)
かなり大きな建物です。むしろ母屋と思ってしまうくらい。 -
1730年のVestienaの脱穀小屋(45番)の中
かなり広いのは、倉庫も兼ねていたからでしょう。
この建物の中には、脱穀する穀物を乾燥させる部屋や、脱穀後の麦わらやもみ殻を蓄えておくスペースもありました。
また、荷馬車の車庫でもありました。 -
1780年代のVestienaの農家(45番)かな
手前の両サイドに、それぞれなんだかよく分からないけれど面白いものがあります。 -
さっきの1730年のVestienaの脱穀小屋(45番)と、さっきの丸太に屋根
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1785年のヴィドゼメ地方のPlaniの集会小屋(54番)
うしろから見たところです。
かやぶき屋根がどこか郷愁を誘います。 -
1670年のヴィドゼメ地方のValmieraの脱穀部屋付の住居(55番)と養蜂用の中が空洞な丸太
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1670年のヴィドゼメ地方のValmieraの脱穀部屋付の住居(55番)と家の前の花壇
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1840年のヴィドゼメ地方のTirzaのサマーキッチン付の風呂小屋(58番)
このように複数の目的の建物は19世紀のヴィドゼメ地方の北部の農家にはよく見られたそうです。
ここでも風呂といってもサウナで、主に療養目的のために利用されました。 -
1757年のZvirgzdeneの2階建ての地主の納屋(78番)
今度はラトガレ地方の家屋群です。
2階のフロア面積の方が大きくて、面白い形をしています。 -
左は、1835年のMakasenu地区のCudaraniの納屋・馬車倉庫・家畜小屋が合体した建物(83番)、右は1860年代のKraslavaのKalna Romujiの農家の母屋(82番)
2つの建物は別々のエリアから移設されましたが、それぞれが所属していた農家の敷地の全体の構造はどちらもこんなかんじだったろうと思います。 -
脇が人が、正面が馬車用が出入りする門
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1835年のMakasenu Cudaraniの納屋・馬車庫・家畜小屋が合体した小屋(83番)と井戸
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1860年代のKraslavaのKalna Romujiの農家の母屋(82番)と井戸とさっきの門
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83番の軒下から見た1830年代のLiksnas Ogleniekiの納屋(84番)
敷地の奥、ちょうど門と向き合う位置にあった建物です。
82〜84番の3つの建物が中庭を挟んでコの字に配置していました。 -
1815年のRudzatiのカトリック教会(79番)
小さくて可愛らしくて素朴な教会です。
信者がたくさん入れるとは思わないのですが、人口の少ない、小さな村の教会だったのでしょう。 -
1887年のKapinu Gutiの十字架(86番)
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19世紀中頃のSilajanu Dubesの納屋(89番)と井戸
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素敵な門
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19世紀後半のPasieneの家畜小屋(93番)
ここでは、母屋と納屋兼馬車小屋と家畜小屋の3つの建物が道に沿って並んで建っていました。
家畜小屋というのはこの写真の手前の建物です。 -
そのとなりの馬車が通る正門と人が出入りする脇門
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20世紀初頭のNautrenu Rogovkaの正教会(95番)
建物の形と小さな玉ねぎ型ドームがとても可愛らしいです。 -
20世紀初頭の風車(99番)と19世紀後半の干し草ととうもろこし貯蔵庫(98番)
2つ目の風車です。
積みわらみたいな風車でした。 -
20世紀の風車(99番)と写生グループ
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19世紀後半の干し草ととうもろこし貯蔵庫(98番)と19世紀中頃の家畜小屋と馬車小屋付の農家の住居(97番)の門
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1920年代のRudzatu Kurciniの十字架のある家(104番)
ここからはロシア人の農村の建物群(101〜113番)です。
この建物は教会かと思ったのですが、正式な教会ではないけれど、村人たちにとって似たような村のシンボル的な建物でしょう。
説明によると、外観は地区教会に似せられていて、ここでは村の葬式が行われたり、5月には賛美歌が歌われたりしたそうです。 -
松林の中のテントのような建物
20世紀初頭のBukmuizas Platmalniekiの脱穀小屋兼納屋(105番)です。 -
19世紀後半のMakasenu Jekimenkiのロシア人農家の納屋付の母屋(101番)と干し草ととうもろこしの貯蔵庫(102番)
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高台にあった1890年頃のRundenu Pakalniのオランダ式風車(106番)
3つ目の風車です。
1950年まで使われていました。
高度な技術が駆使されていて、同時に2つの臼を回すことができたそうです。
羽根は現在は骨組みだけですが、実際にはこれに布がつけられていました。 -
オランダ風車の下の構造
粗い石造りが魅力的です。 -
横から眺めた風車
正面から見ると堂々たる風車でしたが、こうして見ると屋根がおかっぱ頭のようで、ちんまりと可愛らしく見えま -
風車を後にして、松林の中を行く
このとき道を間違えてしまい、メインロードの方に戻ってしまいました。
本当は64〜75番のヴィドゼメ地方の糸車制作職人の集落や20世紀初頭の新しい農家の集落に行きたかったのに。
気付いたときには、下り坂をかなり下った後だったせいもあり、もう引き返す気力はありませんでした。 -
1907年のゼムガレ地方のBebreneの十字架(111番)
こういう十字架が村はずれにあるような田舎がぜひ見たかったところでした。
一応、これで疑似体験!? -
16世紀のゼムガレ地方のKaplavas Vecborneのルター派教会(110番)
教会も、カトリック、ロシア正教、そしてルター派とバラエティに富んでいました。
どれも小さな木造で、本当に可愛らしい教会ばかりでした。
残念ながら、野外博物館の中に4つあった教会を4つとも制覇できませんでした。
見つけて写真が撮れたのは3つまで。
力尽きて、18世紀のルター派教会(3番)の教会を逃しました。 -
教会の前で見つけたとんぼ
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19世紀後半のヴィドゼメ地方のPabaziの風車(76番)
4つ目の風車です。
これで風車は全部制覇できました。 -
19世紀後半の自動推進車
1770年代のゼムガレ地方のSipeleの農家(114番)のところにありました。 -
19世紀後半の脱穀機
これも1770年代のゼムガレ地方のSipeleの農家(114番)のところにありました。
さきほどの自動推進車とこのような脱穀機を最初に使い始めたのがゼムガレ地方の裕福な農家だそうです。 -
17世紀のヴィドゼメ地方のBaloziの地主の住居(120番)
帽子のようなオレンジの瓦屋根が面白いです。
壁は相当年季が入っています。
もしかしたら塗料が塗られていたかもしれません。 -
1797年のヴィドゼメ地方のSmilteneの納屋(121番)
屋根はオレンジ瓦で、外階段があります。
近くに鍛冶屋があり、実際に職人さんが仕事をしていましたが、写真には上手く撮れませんでした。
【4118】4119説明
1841年のゼムガレ地方のバウスカのVecumniekiの道路沿いのパブ(1番)
解説によると、当時は領主だけがパブを建てる特権がありました。
たいてい風車か教会か道路沿いに建てられました。
市場から帰ってきた農民たちがこういうところで一晩泊まり、夕食をとり、馬を休ませました。
このパブでは農場労働者が雇われ、結婚披露宴も行われました。
18世紀から19世紀にかけて、こういったパブで強いお酒が売られていて、収益は領主の懐をうるおしていました。
建物の構造は典型的な封建時代のものだそうです。
農夫たちは中央の広い部屋で雑魚寝ですが、貴族階級、すなわちドイツ人たちは個室に泊まることができました。
そういった貴族たちの馬車のための小屋もありました。
この建物は、現在、この野外博物館では、レストラン兼ギフトショップとなっていました。 -
ハプに隣接する馬車小屋の中の幌なし馬車
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幌付きの立派な馬車
でも、十字架が付いたりしていて……ひょっとしたら霊柩車かも。 -
幌付きの立派な、いかにも貴族のものらしい馬車
この後、リガの町中に戻って、古代バルト民族風のアクセサリーを買いにいったりしたのですが、第12日目のリガ最終日=ラトヴィア最終日の旅行記はここでおわりです。
※今回の旅行中に買ったものや店の写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2010年バルト3国旅行ハイライトその16:ゲットしたものゲットしたところなど(完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10488479/
翌日はユーロラインで、バルト3ヶ国目のエストニアの第二の都市タルトゥに向かいました。
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