2011/01/13 - 2011/01/18
48位(同エリア5151件中)
chiaki-kさん
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- クチコミ123件
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2010年1月はソウルで寒い思いをしたので、今度は絶対暖かいところへ行ってやるつもりでいたが、2010年10月にいつもの○急交通社から届いたパンフレットを何となく眺めていると「○急国際旅行社創立5年記念 北京5日間」という企画に目が止まる。
北京市内や近郊に点在する6つの世界遺産を全て網羅する全食事付きツアーで、価格がなんと1人25,000円(ただし2人参加の場合)。一人参加の場合は追加料金が20,000円必要だが、それでも充分に安い。
と、いうことで暖かい国行きはあっさりキャンセルして、去年に続いて寒い国行きとなった。(みごとに釣られたとも言う)表紙の写真は世界遺産・万里の長城。写真では解らないが、大陸独特の乾いた、冷たい風が吹いていた。
*安いツアーには裏があることを身に染みて解った旅行でもあった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
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1/13
集合は14日17時に成田空港第一ターミナルということであったが、駐車のことを考えて13日に前泊する。ホテルはいつもの東横イン成田空港ではなく、成田東武ホテルエアポートに初宿泊。昨年まではホリディイン成田といっていた空港に最も近いホテルだが、ホリディイン・グループから脱退した模様。
脱退記念ということで? シングル1泊朝食付きが4,649円という価格で泊まれた。もちろん駐車は2W無料。さすがに設備の古さは否めないが部屋も広く清潔であり、食事のレベルは東横インとは較べようもなく、快適な宿泊が出来た。しかも空港へのシャトルバスも全日稼働している。ちなみに東横インは昼間止まってしまう。 -
1/14
10:30のシャトルバスで第一ターミナルへ。4Fにあるカードラウンジに荷物を預け空港内で半日過ごす。展望台で2時間ほど飛行機を眺めていたらエールフランスのエアバスA380を目撃する。A380は2008年から日本路線に就航した最新鋭のエアバスで、3クラスの座席で500人台、2クラスだと600人台、そしてモノクラスだと800人が搭乗できる世界最大の旅客機。日本のJALやANAには購入予定は無く、なんとスカイマークが11機購入を予定しているらしい。(*)
*結局スカイマークは購入せず、ANAが3機購入。フライングホヌとして、ハワイ路線に投入した。
うどん屋で昼飯を食ったり、カードラウンジでガイドブックを読んだり、PCをいじったりして時間を潰しているうち、16:30になったので3Fの出発ロビーにある団体カウンターへ行き受付をすませる。なお、今回のツアーの人数は9人とのこと。バウチャーをもらってからCA(中国国際航空)の窓口にチェックイン。スーツケースを預け、搭乗券をもらう。なにも購入するものは無かったので、セキュリティー、イミグレ、ゲートへと、さっさと移動しPCを開ける。
成田空港の無線LANは基本的には有料(500円)であるが、何カ所かに無料のコーナーがあり、そこでは中国人と思われる数人の男女がPCをいじっている。こちらも負けずに場所を確保、面倒な手続きをいくつかこなし、やっとアクセスに成功する。そうこうしているうちに搭乗時間となりCA168便に搭乗。機種は3席+3席の小型エアバス。出発は少し遅れて19:30に夜の成田空港を出発。一路北京へ。 -
20:25に食事が出る。お味の方はまあまあといったところ。燕京麦酒という北京のビールが出た。
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CST(中国標準時間)23時頃北京首都国際空港に到着。イミグレ、バゲッジと順調にこなし、さて税関へカードを提出しようとしたら誰もいない。写真は空港のロビー。ここで今回のツアーガイドさんと合流するが同じツアー仲間4人がなかなか出てこない。後で話しを聞くとバゲッジがターンテーブルから一箇所にまとめて降ろしてあったのに気がつかず遅れてしまったとのこと。ここで30分ほどロスタイム。
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今回宿泊するホテル 長峰假日酒店(HORIDAY INN CHANGAN WEST BEIJIN)までは空港から約1時間。部屋に入った頃は日付も15日変わり、すでに50分経過。写真は部屋の中。SAMSUNG製の液晶テレビが新しい。
バスタブとは別にドア付きのシャワールームもあり、右側のトイレにもドアがある。お湯の出も問題なし。気になっていたNETもばっちり繋がり(無料)、ミネラルウォーターも毎日2本無料など、値段の割に悪くなかった。さっそく一風呂浴びたあと、BBSに簡単に到着を書き込んで就寝する。 -
1/15
北京1日目、ホテルの朝食はバイキング。さすがに和食は無いが洋風、中華風の朝料理はひととおりそろっている。写真は16日にテーブルに並べたもの。このあとサラダ、飲茶、焼きそば、デザートを取りに行くが、とても全種類は食べきれなかった。 -
ホテルから20分ほどでバスは頤和園に到着。写真は頤和園の正門。皇帝の帰りを待つ獅子がお出迎え。
頤和園はもともと12世紀・金の時代に貯水池として開発されたものだが、清朝末期に実権を握った西太后の避暑地・兼・離宮として整備された。1924年、清朝最後の皇帝溥儀が紫禁城から追放されると頤和園は北京市の所有物となる。1949年中華人民共和国が誕生すると中国共産党中央学校が設置されたり、一時、江青が居住したりしたが、1953年以降、一般に公開された。1998年に世界遺産に登録。 -
正門を入るとすぐにあるのが離宮として仕事をするための建物である仁寿殿。麒麟の像の前で説明しているのが今回のツアーガイドのKさん。この日は万里の長城に備えて皆さん完全武装。
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西太后の居室であった楽寿堂。以前は内部に入れたとか。
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昆明湖と呼ばれる池。北京の冬の朝は-10℃位なので氷結しているが、一部溶けているのはボートを通すため。
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仏香閣と呼ばれる建物。
この後、頤和園から近くにあるシルクの専門店に直行し最初のショッピング(40分)。格安ツアーなので仕方がないのだが、なんとも時間がもったいない。 -
北京を離れ、明の十三陵手前にある団体客専門のレストランで昼食。写真は広東料理の昼食。この後出てきた炒飯がおいしかった。辛いものが苦手の人でもOK。この後、○急交通社のパンフレットには書いてなかったが、店の一角にある茶店へ寄り、お茶のサービスというか、お茶の実践販売を受ける(30分)。もう、なんでもどうぞ。
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明の十三陵とは、北京郊外にある明代の皇帝、后妃の陵墓群で第3代永楽帝以後13代の皇帝陵が点在している。このうち第14代万歴帝の陵である定陵は発掘され一般公開されている。そして、2003年に明・清王朝の皇帝墓群として世界遺産に登録される。
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地下にある墓地(地下宮殿)へは、このような階段を降りてゆく。
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ここがもともと万歴帝とその妃2人の棺があった場所。文化大革命の最中、旧思想・旧文化の破棄を掲げる紅衛兵によってガソリンを掛けられ焼かれてしまったとのこと。(ガイドさんは”学生”と表現していた)
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これは副室に再現されていた棺。こんなふうに安置されていたようだ。なお、周りの石の壁はすべて大理石。
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これが正規の墓の入口。ただし棺を安置後、石や土で塞がれていたので誰も入ることはできなかった。
万歴帝は最初こそ有能な宰相に恵まれ明朝を発展させたが、宰相の死とともに政治に関心をもたず、遊興にふけったため、国家財政は破綻し、明朝滅亡のきっかけをつくった皇帝として知られている。 -
世界の七不思議のひとつと言われる万里の長城は東は河北省山海関から西は甘粛省嘉峪関まで6,352km続く城壁遺跡である。(2009年の中国国家文物局発表では遼寧省まで伸びて8,851kmに修正された)1987年世界遺産に登録。
最初に長城を造ったのは秦の始皇帝と言われるが、もともとはそれ以前の戦国時代からあり、北方の異民族が侵入しないように造られた。現在あるものは、ほとんど明の時代に造られたものである。八達嶺は長城の中でも北京から交通の便が良く、観光用にきれいに補修されているため、最も有名な長城の見学地。
写真は八達嶺の関門。バス1台がやっとの幅だが、高速道路や一般道路は別にトンネルがあるので無問題。なお、この関門から左側を男坂、右側を女坂と日本の観光会社が名付けた。(現地ガイドも使用していた) -
女坂から男坂を望む。途中からかなり急になりそうだ。(帰路撮影)
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男坂から女坂を望む。こちらの方が男坂と較べれば途中まではゆるい。
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男坂、第3楼手前。次第に勾配がきつくなり
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第3楼を過ぎると、ついにはこんな感じに。
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45度はありそう。
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世界遺産に落書きとは。
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イチオシ
冬の時期はローシーズンということで観光客は少ない。毎日快晴なので、この冷たい風さえ我慢できれば意外と観光には良い季節かもしれない。なぜなら春は黄砂で遠くが見えず、夏は猛暑で汗だくとなり、秋はベストシーズンということで大混雑だから。そして、長城はここから遙か5000kmのかなたまで、峰々を白蛇のようにうねって続いている。
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時間が無くなってきたので降りることにするが、石段の途中から先が見えない。
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足を踏み外したら大変なことになるが無事に下まで降りる。このまま待ち合わせ場所に直行するのも勿体ないので、女坂もちょっぴり登ってみたが最初は緩くても、途中からやはりきつくなってくる。
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約1時間かけて北京市内に戻る。今夜の夕食はしゃぶしゃぶ。肉は羊肉で、青島麦酒は30元。料理の味は普通。
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19:30にホテルに戻ったあと、10,000円をフロントで770元(1元13円)に両替したあと北京市内に繰り出す。昼間バスの中から見た地鉄・五裸松(ウケソン)駅まで歩いて自動販売機からチケットを購入(2元)、西単(シーダン)駅で下車する。
写真は故宮の西側にある西単の街だが、大型百貨店やショッピングセンターなどがあり、中国の若い人たちで賑わっていた。ただ、どの店に入っても販売しているのは衣料品、化粧品、電化製品、雑貨などで、予定していた食料品売り場が見あたらず、専門店のような店でジャスミン茶を200元だけ購入して西単駅へ戻る。 -
それではと、頑張って2つ隣の王府井(ワンフージン)駅に移動。王府井のメインストリートを歩く。しかしここも西単と同じ感じであきらめかけたとき前方にロッテデパート発見。ソウルのロッテデパートの1/10位の規模であったが一応地下に食品売り場があったのでここでお買い物。その後、若いアベック達でムンムンする地下鉄に乗り、五裸松駅まで戻り、ホテルまで歩く。荷物が重かった。
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1/16
北京2日目は天安門広場から。天安門広場は天安門から正陽門(前門)まで南北880m、東西500m、総面積44万m2という世界最大の広場(中国人は世界最大が大好き)。明、清の時代にはもろもろの役所が建っていた場所で、1949年の建国式に合わせて広場として整備され、周りに人民大会堂や英雄記念碑などが建てられた。又、天安門事件の舞台としても有名で、広場に入場するときは手荷物検査があったり、広場内は常に武装警察官が巡回するなど警備は厳重である。
天安門事件は2つあり、1つは1976年4月5日に天安門広場において、同年1月に死去した周恩来追悼の為にささげられた花輪が北京市当局に撤去されたことに激昂した民衆が民兵や警官隊と衝突、鎮圧された事件。
もう1つは1989年6月4日に、同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、人民解放軍が武力弾圧し、多数の死傷者を出した事件である。 -
人民英雄記念碑にはアヘン戦争に始まる近代革命史が刻まれている。後方は中国国家博物館。
では、第1次天安門事件についてスタディ。
1970年代後半になると中国国民は文化大革命の混乱に嫌気が差し、文化大革命に一定の距離を置いていた周恩来を尊敬していた。周を孔子になぞらえて批判し失脚をはかった四人組による「批林批孔運動」が国民の支持を集めなかったのも、そこに原因があった。人々は復権した鄧小平を事態を収拾してくれる人物として喜び四人組に反感を持っていた。
1976年1月の周恩来の死は国内に大きな悲しみをひきおこし、周を評価し四人組を攻撃する壁新聞が出回り始めるなど文革全盛期にはあり得なかった事態が起こっていた。江青たちはこうした空気に危機感を募らせていた。
4月4日は清明節。この日は中国では古来から「死者を弔う」日で、2万人近くの群衆が集まった。人々は花輪を捧げるだけでなく、四人組を批判する演説や「インターナショナル」を歌うなど気勢を上げた。数日前から四人組の指示を受けた公安部による取り締まりが、花輪の撤去や街宣車による警告、説得や拘禁などの形で始まっていたが、かえって逆効果となる。ついには取締りに当たる警官や兵士までもが人々の熱気に感化されて職場を放棄する事態となった。
追い詰められた四人組は党中央を動かし、これを反革命行為ときめつけ実力行使に出る。翌5日午後9時35分ごろ、広場を包囲した民兵・警官隊が群衆を襲撃した。
事件後、鄧小平が責任を問われ全ての党職務を解かれ失脚。四人組が事実を曲げて毛沢東に報告したために、毛沢東は本当に反革命が起こったと勘違いし、その後の弾圧に結びついた。だが、四人組を批判する北京の人々の動きは中国全土に広がり、毛がこの年9月に亡くなったこともあって四人組は失脚することとなる。 -
人民大会堂。全国人民代表大会(全人代)や共産党大会などが開催される施設。1万人収容可能。
第2次天安門事件についてスタディ。
この事件は、抗議者を寛大に取り扱う胡耀邦の死がきっかけとなった。抗議運動自体は、胡耀邦の死の4月15日から最大10万人規模で続いていたが、1989年6月4日、折からの東欧革命に危機感をもった中国政府は、中国人民解放軍と戦車で天安門広場を制圧、自由を叫ぶ民衆を武力で制圧した。
衝突のあと、中国当局は抗議者とその支持者を逮捕し、外国の報道機関も国から締め出し、自国の報道機関に対しては事件の報道を厳格に統制させた。天安門広場に集まった抗議者たちに対して公然と同情した総書記の趙紫陽(当時)は共産党から追放された。
抗議者に対する中国政府による武力弾圧に対しては、国際的非難が集まった。ソビエトの公文書によれば、ソ連共産党政治局が受け取った情報報告では「3000人の抗議者が殺された」と見積もられているが、正確な犠牲者数については分かっていない。
今でも中華人民共和国内の検索エンジンでは、「六四天安門事件」などの特定のキーワードで検索すると接続不可能になるといった規制や、国内向けの衛星放送などで海外ニュースから天安門事件を報じると突如放送を停止させたり、事件から20年以上経過した現在でも当局ぐるみで事件の隠匿が行われている。(以上Wikipedia参照) -
天安門は、もともとは紫禁城の門のひとつ。1949年10月1日、この上で毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したことで知られる。
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毛沢東は建国の父ではあるが、文化大革命という未曾有の大混乱を招いた張本人。ガイドの評価は7:3(良い7割:悪い3割)とのこと。なお、天安門事件については、まったく触れなかった。
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天安門、端門をくぐると次に現れるのが故宮の入口にあたる午門。門ひとつとってもこのスケール。ここから先が有料(40元)
紫禁城(故宮)は、明清朝の旧王宮である歴史的建造物。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとして1961年にユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。面積は 725,000m2あり、現在は、博物館(故宮博物院)になっている。 -
イチオシ
大和殿は紫禁城(故宮)の正殿。紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝の即位式や万寿節(皇帝の誕生日)、結婚、それに元旦や冬至などを祝う時と重要な朝会、筵宴、出征、そして皇帝の葬儀など宮廷の重大な式典を行った最も重要な建物である。
また、太和殿は現存する中国最大の木造建築で、高さ35m、幅約63m、奥行き約33mもあり、しかも3段の大きな台座の上に建っているので、数ある紫禁城の建物の中で最も大きく見える(Wikipediaより抜粋) -
大和殿前広場に敷き詰められた敷石の厚さはなんと5mあるそうだ。
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大和殿の裏手のこの場所には映画「ラストエンペラー」で皇帝溥儀がテニスに興じたテニスコートが設けられていた。
では、ラストエンペラーについてちょこっとスタディ。
1908年12月に、西太后が光緒帝の後継者として愛新覚羅溥儀を指名したことにより、溥儀はわずか2歳10か月で皇帝に即位させられ、清朝の第12代宣統帝かつ紫禁城に居を構える最後の皇帝となった。1911年10月に辛亥革命が起き、袁世凱の求めを受けて1912年2月に溥儀は退位したが、中華民国臨時政府の「優待条件」として溥儀とその一族は、紫禁城の内廷での居住を許された。
しかし1924年10月の政変の際、11月5日を以って溥儀を初めとする皇族への紫禁城退去が通告され、その後は故宮と呼ばれ1925年10月10日に博物館として組織された。その後の溥儀の運命については長くなりすぎるので割愛しますが、映画を見るか、ググッてください。 -
保和殿は、外国の大使を招いて宴会を行ったり、科挙の最終試験を行った建物。大和殿もオリンピックの前はこんな色だったとのこと。
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玉座の上にある額の「皇建有極」とは”皇帝の時代もいつかは終わりが来る”という意味。まさにその通りになった。
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イチオシ
紫禁城(故宮)の赤い壁。昔はブタの血で塗られていたという。
紫禁城(故宮)を後にしてから、立ち寄った翡翠店にて意味のない時間(30分)を潰し、2008年に夏季オリンピックが開催された建物の外側だけ見てから昼食会場へ。昼食は上海料理、料理の写真を取り損ねてしまったのでなにを食べたのか忘れた。 -
写真は胡同(フートン)入口を示す標識。胡同とは旧北京城内を中心に点在する細い路地のことで伝統的建築家屋である四合院が多くこの胡同に面し、古き良き北京の面影をしのばせている。近年は観光スポットとして内外の観光客から人気を集め、自転車タクシー(輪タク)での胡同めぐりが、新たな観光手段として注目を浴びている。
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では、三輪車に乗って胡同巡り。前方に見えるのは鼓楼。
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これは鐘楼。鼓楼・鐘楼とも故宮とは一直線上にある。
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三輪車を降りてから、とある胡同の一角へ入る。
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とある家の中庭。
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家の中1
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家の中2
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右側の女性がこの家の主。名前は王さんという。北京では有名な人らしい。
写真は取り損ねてしまったが花を届けるピエロの絵の書かれたバイクを発見。2年前NHKのTVで報道されていた北京に住む苦学生のアルバイトなのだが、ここに住んでいたとは驚いた。 -
胡同の次に向かったのは北京首都博物館(入場無料)。とくに見るようなものは無く、時間つぶしのような施設。写真も無し。
この晩の食事は四川料理。最初はまあまあだったが次第に辛さがエスカレートし、辛党の私でも音を上げた。
20時頃ホテルに戻るが、この日はおとなしくホテル内で過ごし、疲れが溜まったせいか21時過ぎに就寝する。 -
1/17
北京3日目、月曜朝の通勤渋滞の状況。20年前のように自転車で通勤する姿はほとんど見かけなくなってしまった。 -
天壇は明・清時代の皇帝が天に対して祭祀を行った宗教的な場所。敷地面積は273万平方キロ。1998年に世界文化遺産に登録された。天壇(天壇公園)入口の門を入ると・・・
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朝の寒さの中、太極拳をやる市民や
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筆に水をつけ習字をやる市民や
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そして社交ダンスをする市民で賑やかだった。
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圜丘壇は皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所。毎年冬至に方策を祈る儀式を行い、雨が少ない年は雨乞いを行った。
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天壇・祈年堂、皇帝が毎年正月に五穀豊穣を祈願した建物。
高さ38mと、天壇で一番高い建物で、1420年の創建だが清の時代に落雷で一度焼け、1860年に再建されている。釘を1本も使わずに作られた木造建築として知られている。 -
竜井柱と呼ばれる4本の太い柱が2層目の天井まで延び、その周りを12本の柱が取り囲んでいる。
天壇の次に寄ったのは日本人経営者が経営するというラテックスのお店(40分)。日本語の堪能なお姉さんの説明に乗せられた訳では無いが、ここで初めてラテックス製の安眠枕を8,500円で購入する。この安いツアーを続けるために少しは協力しないと。 -
普通の中華料理の昼食を食べた後、盧溝橋へ移動する。
廬溝橋は金の時代に完成、かつて元の時代にこの地を訪れたマルコポーロにより紹介された。橋の欄干にある獅子の像が有名で全部で501基ある。また廬溝橋は日中戦争のきっかけになった橋としても有名。 -
橋を渡り、反対側から北京側を眺めるとこんな感じ。橋の向こうに城があるが宛平県城という。廬溝橋事件の後、立てこもった中国軍を日本軍が外から攻撃した城。
盧溝橋の名は、1937年7月7日にこの地で起きた謎の発砲事件・盧溝橋事件の名とともに、日本でも広く知られるようになる。この事件が引き金となって日本の支那駐屯軍と中華民国の国民革命軍が衝突、これが日中戦争の発端となった。 -
イチオシ
橋の中央部にかつての石畳の部分がそのまま残されている。すり減った敷石が歴史を感じさせる。日本軍の戦車もこの上を通ったのだろうか。
廬溝橋事件については中国側と日本側の見解が分かれている。中国側の見解は「演習をしていた日本軍の兵隊が1名行方不明になったことを口実にして日本軍が中国軍を攻撃してきた」、とされているが日本側の見解は「それは当時この事件を記事にした中国の新聞記者の創作で、実際は中国軍側から数十発の射撃があったためこれに応戦した」となっている。どちらが本当にせよ日本軍がこんな場所に駐屯していたこと自体が問題であり、事件発生以前から緊張関係が続いていたことが原因と考えられる。 -
獅子の像は一体々みな表情が違い、こんな子連れ獅子もいる。
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北京原人とは北京市周口店で発見された化石人類のことで200面年前にアフリカで誕生した原人が100万年前にジャワに渡り、さらに北上したものと考えられている。
写真は周口店遺跡博物館と北京猿人の像。中国では原人といわずに猿人という。 -
猿と猿人とヒトの頭蓋骨の比較(レプリカ)。
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猿人の頭蓋骨が発見された場所へ降りて行く。
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もともとは鍾乳洞だったが数十万年の間に上部が落ちてオープンになってしまった模様。
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こんな皆さんだったんです。
これで北京にある6つの世界遺産を全部巡ったこととなる。とにかく駆け足で廻ったため見落としたところも多くあり、恐らく10%も見れなかったと思う。けれどTVや雑誌で見るより、実際にこの目で見ることには充分意義があり、また現地の人の話を聞いたり、おいしい料理を食べたりすることにより、より立体的に遺産を把握できたことに満足できた3日間であった。 -
北京市内に戻り総合土産店のような場所で最後のショッピング。酒や菓子、調味料などの食材もたくさん扱っていたので、8年物の紹興酒、雲南コーヒーをはじめ各種調味料などどっさり買い込んでしまった。支払い時、手持ちの元が10元ほど足りなくなってしまったが「サービス、プリーズ」と頼み込み、なんとかまけてもらった。
写真は夕食会場になった全衆徳という北京では有名な、北京ダックを食べさせるレストラン。 -
2切れのダックの皮を餃子の皮のようなものに乗せ、ネギを入れ、ミソをつけて包んで食べる。量が少なすぎて味わからず。
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食後に向かったのはオプショナルツアーで申し込んだ雑伎ショー(3,900円)の会場。
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積み上げた椅子の上でのアクロバット。なお、演技者は命綱をつけている。
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男性の集団で演じられたハット飛ばし。
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女性の集団で演じられた組体操のようなもの。
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最後に行われたバイクの球体内走行ショー。写真では1台欠けてしまったが6台とはビックリ。
1時間30分ほどでショーは終了。ホテルには9時頃戻る。一風呂浴び、BBSに書き込みを終えてから荷物のパッキング。バスルームに体重計があったので20kgジャスト位に調製。明朝は6:10出発とのことで10時頃、就寝する。 -
1/18
最終日は6:00出発。早くも始まった朝の通勤ラッシュの中を、我々を乗せたバスは1時間ほどで北京首都空港に到着。ただちにCAのカウンターにチェックイン。ガイドさんとはここでお別れし、イミグレ(あれ、普通はセキュリティが先のはづ)、セキュリティと順調にこなし、シャトルに搭乗してゲートへ。
写真は帰りに搭乗したCA925便。行きの飛行機より大きい。それにしてもこの垢抜けないデザインは・・・・
エピローグ
2日前のTVのニュースで2010年の中国のGDP(国内総生産)が日本を抜いて世界第2位になったと報じていた。しかし2009年のGNI(国民総所得)を国民の数で割ると中国は125位となり、なんとイランより低い。ちなみに1位はモナコでその後は北欧諸国と石油産油国が続きアメリカは18位、日本は32位、韓国は54位となっている。
自動車の生産台数は世界1となったが購買層を見ると、1%と言われる富裕層、それに続く中間層が主な需要元であり、大多数の国民にとっては夢の乗り物である。マイカーを乗り回している者の内訳を見ると政府や共産党の高級官僚や幹部クラス、企業経営者、医者、教師、IT産業など先端企業で働く若い労働者などである。
ガイドさんは今の中国は発展途上国だと言ったが、中国の一般国民(とくに内陸部の農民)は貧しく、生活は苦しい。高い学費(教師も金稼ぎに熱心)を払って大事な一人っ子(金を払えば何人でも産める)を進学させてもろくな仕事は無く(賄賂の金やコネが無いから)、重金属などで汚染された水や危険な農薬で育てた食品を食べ(富裕層はこんなものは食べない)、排気ガスで充満した街へ出稼ぎに行き(キケン・キツイ・キタナイ、3K仕事しか無い)、病気になっても金が無いのでろくな医者にもかかれず、政府批判を公然と口にすることも出来ない。
一国二制度、改革開放の旗の下、多くの問題を抱えながら、高度経済成長期にさしかかった世界経済の牽引車である中国がこれから一体何処へ向かうのか、世界は片時も目を離せない日々が当分続くことであろう。 -
CA925便の機内食。お味の方はまあまあといった所。これで「2011年 北京旅行記」は終了です。本日も古い旅行記を最後まで、ご覧いただき、ありがとうございます。
2020年6月24日 一部加筆・修正済み
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この旅行記へのコメント (7)
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- fudekagePaPaさん 2020/06/29 12:33:48
- 強制ショッピングお疲れ様です
- いつも私共の駄文に「いいね」をつけてくださり、ありがとうございます。
私は、2回行った北京旅行では、頤和園を飛ばしてしまって見学していないので、興味深く読ませていただきました。冬に行くと、湖、凍っているんですね。
北京原人の発掘にも行かれたようで(笑)、これも行ったことがなかったので、楽しく読みました。
早く、海外旅行行けるようになるといいですね。
- chiaki-kさん からの返信 2020/06/29 14:13:11
- 安いツアーには裏がある・・・
- ・
fudekagePaPaさん、こんにちは。こちらこそ”いいね”をたくさん
いただき、ありがとうございます。
2011年の北京旅行はプロローグに書いたとおり、25000円に釣られ
ました。普段寒冷地に住んでいますので、寒いのはなんとかガマン
できましたが、あの買い物攻勢にはまいりました。
現地ガイドさんの話では、日本の旅行会社からは、自分達にはお金
は入らず、買い物で立ち寄る、お店からのリベートで、この旅行は
成り立っているんだそうです。
買い物攻勢はアジアの国がひどく、私の体験で一番ひどかったのは
2009年の西安で、次いでは2011年の北京、2008年の済州島、2018
年のインドといったところです。
欧米の国もありましたが、店員さんがアジアほど熱心では無く、何
となくやり過ごしていればOKみたいな感じです。まあ、安いツアー
には裏がある。といった所ですかね。
> 早く、海外旅行行けるようになるといいですね。
国内も併せて、自由に何処へでも行ける平和な日が再び訪れること
を心から祈っています。
では、また。
chiaki-k
-
- わんぱく大将さん 2015/06/15 09:33:21
- 30年前の中国
- chiaki-kさん
中国に最初に行ったのは(仕事ですが)30年前。 その頃は道歩いていても、痰を道に吐く人や、鼻の片方を抑えて、鼻くそ飛ばすなど、あたりまえでしたが。そうそう、朝食はいつもお粥で。 四大文明の発祥地って言うのはその後、時がストップしているんでしょうか? 最初は戦後の日本のようでした。
大将
- chiaki-kさん からの返信 2015/06/15 13:50:57
- 昔は仁義礼智信の国でした
- ・
大将さん、こんにちは。北京旅行記に”いいね”をありがとうございます。
中国は1998年に上海、2008年に西安へ行っていますが、2011年1月、阪急国際
旅行社創立5年記念 北京5日間 25000円」に釣られて行ってきました。
世界遺産を6カ所、見れたのはよかったんですが、ショッピング攻勢と、上から
目線の現地ガイドにほとほと、いやけがさして、もう超格安ツアーには金輪際
参加するまいと決意させたツアーでした。
大将さんは30年前に行かれたそうですが、17年前の上海も似たようなものでした。
ただ、2011年の北京はオリンピックも開催したせいか、さすがに綺麗でしたが
17年前の自転車の洪水が、車に取って代わっており、渋滞と大気汚染がひど
かったのが記憶に残っています。
北京2日目の夜、地鉄で西単、王府井に行ったんですが、王府井のストリートで
現地の女性にキャッチされそうになり、Where are you coming from?の問い
には I have come from space!と答えたら、Are you American?と言われ
ました。(^^;;
>四大文明の発祥地って言うのはその後、時がストップしているんでしょうか?
もし、中国が漢や唐の時代のままだったら、今の日本のようになったのでは
という説があります。
清朝末期から始まった海外列強による支配、辛亥革命、日本の侵略、共産党に
よる一党独裁、そして文化大革命が、仁義礼智信を重んじていたはずの中国人
の精神を変えてしまったようです。
では、また。
chiaki-k
- わんぱく大将さん からの返信 2015/06/18 07:57:04
- RE: 昔は仁義礼智信の国でした
- > ・
> 大将さん、こんにちは。北京旅行記に”いいね”をありがとうございます。
>
> 中国は1998年に上海、2008年に西安へ行っていますが、2011年1月、阪急国際
> 旅行社創立5年記念 北京5日間 25000円」に釣られて行ってきました。
>
> 世界遺産を6カ所、見れたのはよかったんですが、ショッピング攻勢と、上から
> 目線の現地ガイドにほとほと、いやけがさして、もう超格安ツアーには金輪際
> 参加するまいと決意させたツアーでした。
>
> 大将さんは30年前に行かれたそうですが、17年前の上海も似たようなものでした。
> ただ、2011年の北京はオリンピックも開催したせいか、さすがに綺麗でしたが
> 17年前の自転車の洪水が、車に取って代わっており、渋滞と大気汚染がひど
> かったのが記憶に残っています。
>
> 北京2日目の夜、地鉄で西単、王府井に行ったんですが、王府井のストリートで
> 現地の女性にキャッチされそうになり、Where are you coming from?の問い
> には I have come from space!と答えたら、Are you American?と言われ
> ました。(^^;;
>
> >四大文明の発祥地って言うのはその後、時がストップしているんでしょうか?
>
> もし、中国が漢や唐の時代のままだったら、今の日本のようになったのでは
> という説があります。
>
> 清朝末期から始まった海外列強による支配、辛亥革命、日本の侵略、共産党に
> よる一党独裁、そして文化大革命が、仁義礼智信を重んじていたはずの中国人
> の精神を変えてしまったようです。
>
> では、また。
>
> chiaki-k
chiaki-kさん
中国の現地ガイドー随行員は彼らに言わせると、偉いさんなんだそうです。
上から目線、わかります。で、ホテルに入ると部屋のドアも閉めずにTVを大きな音で見てました、当時は。 偉いさんはそんなことしてもいいそうです。どう、偉いねん?って。
私には関係ないけど、と言ってやりましたが。
大将
-
- 夏への扉さん 2012/01/15 15:10:13
- 私も激安ツアー行きます。
- chiaki-kさん、こんにちは。
昨日、こちらの旅行記拝見しました。
来月、私も北京に3泊4日(一日少ないですが)激安ツアー行きます。
JTBで23000円です。
この値段なら、寒くても、土産物屋連れていかれても我慢します(笑)
で、こちらの旅行記で、どんな感じなのかイメージがつかめました。
万里の長城、こんなに急なんですか! すごいですね!
三輪車で、こんなふうに連れていってくれるのかとか、ロッテ百貨店で
お菓子買ってもしょうがないとか参考になることいっぱいでした。
また、私の方にも訪問していただき投票ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
なつ
- chiaki-kさん からの返信 2012/01/15 17:10:01
- RE: 私も激安ツアー行きます。
- 夏への扉さん、はじめまして(初めてでなかったらごめんなさい)。
コメントありがとうございます。
それと私の北京旅行記へご投票ありがとうございました。
> JTBで23000円です。
それはすごい。私より2000円も安い!(^^;;
> この値段なら、寒くても、土産物屋連れていかれても我慢します(笑)
はい、覚悟してください。
> で、こちらの旅行記で、どんな感じなのかイメージがつかめました。
そう言っていただくと旅行記を作った甲斐があります。
八達嶺の万里の長城の裏側には実はロープウェイがあるんです(男坂・女坂ともに)。まあツアーでは教えてくれないでしょうが、もしチャンスがあったら利用してみてください。
胡洞のシクロはそれこそあっという間に終了します。ニイハオトイレも見てきてください。
ロッテデパートはたしかに外国製品が多いんですが、自国の製品では不安な人(富裕層)が購入するみたいです。
とにかく寒いですから目一杯厚着をして、頑張って行ってきてくださいね。では楽しいご旅行となりますように。(^^)/~
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