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 友人と新年会で地元の「ぼたん鍋」を食すべく、丹波篠山を訪れた。「ユニトピアささやま」で特選ぼたん鍋をいただいた。猪肉の鍋は味噌で野菜と共に煮ていただくのですが、豚肉より少々脂身が多く堅い。案外美味しかったのは猪肉のセイロ蒸しが良かった。午後より篠山の街並みを散策した。篠山は古くから京都と山陰、山陽を結ぶ交通の要所の地でした。江戸時代になると、幕府により慶長14年(1609年)に徳川家康の命による天下普請によって篠山城が築城されました。翌15年(1610年)から城下町が計画的に整備され、江戸時代を通して丹波国篠山藩5万石(文政10年[1827]からは6万石)の中心地として栄えた。城下町は、城の周囲に武士の屋敷地が配され、その外側に城下町を貫くように京街道(近世の山陰道)が引きこまれ、街道沿いに町人地が配されました。また城下町の入り口や要所には寺院が配されました。<br /> 日帰りで時間の制約があったが、歴史的建造物(青山歴史村、武家屋敷群、安間家史料館、丹波杜氏酒造記念館、歴史美術館、春日神社等)を見学しました。写真は青山歴史村です。

丹波篠山「ぼたん鍋」と歴史街道/兵庫県・篠山市

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2011/01/15 - 2011/01/15

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ひま人

ひま人さん

 友人と新年会で地元の「ぼたん鍋」を食すべく、丹波篠山を訪れた。「ユニトピアささやま」で特選ぼたん鍋をいただいた。猪肉の鍋は味噌で野菜と共に煮ていただくのですが、豚肉より少々脂身が多く堅い。案外美味しかったのは猪肉のセイロ蒸しが良かった。午後より篠山の街並みを散策した。篠山は古くから京都と山陰、山陽を結ぶ交通の要所の地でした。江戸時代になると、幕府により慶長14年(1609年)に徳川家康の命による天下普請によって篠山城が築城されました。翌15年(1610年)から城下町が計画的に整備され、江戸時代を通して丹波国篠山藩5万石(文政10年[1827]からは6万石)の中心地として栄えた。城下町は、城の周囲に武士の屋敷地が配され、その外側に城下町を貫くように京街道(近世の山陰道)が引きこまれ、街道沿いに町人地が配されました。また城下町の入り口や要所には寺院が配されました。
 日帰りで時間の制約があったが、歴史的建造物(青山歴史村、武家屋敷群、安間家史料館、丹波杜氏酒造記念館、歴史美術館、春日神社等)を見学しました。写真は青山歴史村です。

同行者
友人
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス タクシー JRローカル 私鉄
旅行の手配内容
個別手配

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  •  青山歴史村は「桂園舎」と名付けられた建物を中心にして、3棟の土蔵と長屋門から成っている。藩籍奉還後、藩主青山家の別邸として建てられたもので、藩政文書とともに、青山家ゆかりの品々や篠山藩校の蔵書などを所蔵している。<br /> 石造金櫃(きんひつ)、花崗岩の板石で組み合わせた金櫃(金庫)で、藩政時代「貨幣司」が大手馬出付近にあり、土中に埋め地下金庫として使用していたもの。縦216cm、横120cm、深さ70cm、石厚12cm。

     青山歴史村は「桂園舎」と名付けられた建物を中心にして、3棟の土蔵と長屋門から成っている。藩籍奉還後、藩主青山家の別邸として建てられたもので、藩政文書とともに、青山家ゆかりの品々や篠山藩校の蔵書などを所蔵している。
     石造金櫃(きんひつ)、花崗岩の板石で組み合わせた金櫃(金庫)で、藩政時代「貨幣司」が大手馬出付近にあり、土中に埋め地下金庫として使用していたもの。縦216cm、横120cm、深さ70cm、石厚12cm。

  •  お徒士町武家屋敷群、お徒士衆(藩主の警備にあたる)の家屋で、土塀に囲まれた静かなたたずまいは、今もなお江戸時代末期の雰囲気を残しています。

     お徒士町武家屋敷群、お徒士衆(藩主の警備にあたる)の家屋で、土塀に囲まれた静かなたたずまいは、今もなお江戸時代末期の雰囲気を残しています。

  •  武家屋敷安間家史料館、安間家は篠山藩主青山氏の家臣で篠山藩の標準的な徒士住宅です。内部には安間家に残された文書、食器、家具をはじめ篠山藩ゆかりの武具を展示しています。

     武家屋敷安間家史料館、安間家は篠山藩主青山氏の家臣で篠山藩の標準的な徒士住宅です。内部には安間家に残された文書、食器、家具をはじめ篠山藩ゆかりの武具を展示しています。

  •  篠山城跡、城の縄張りは、築城の名手であった藤堂高虎が行った。笹山という小山を利用した一辺400mの方形の平山城で、堀を二重に廻し、外堀の三方に出入り口と馬出を設け、防御に徹した城構えとなっています。江戸時代を通じて譜代大名の松平三家8代、青山家6代の居城となりました。

     篠山城跡、城の縄張りは、築城の名手であった藤堂高虎が行った。笹山という小山を利用した一辺400mの方形の平山城で、堀を二重に廻し、外堀の三方に出入り口と馬出を設け、防御に徹した城構えとなっています。江戸時代を通じて譜代大名の松平三家8代、青山家6代の居城となりました。

  •  丹波杜氏酒造記念館、古くから丹波篠山地方は酒造りの町として知られ、最盛期には五千有余の人々が灘五郷を始めとした全国各地、遠くは中国・満州まで酒造りに出ていました。酒造技術の近代化によって失はれつつある各種の酒造用具類や資料を収集し、昔の酒造りの工程を中心に展示しています。

     丹波杜氏酒造記念館、古くから丹波篠山地方は酒造りの町として知られ、最盛期には五千有余の人々が灘五郷を始めとした全国各地、遠くは中国・満州まで酒造りに出ていました。酒造技術の近代化によって失はれつつある各種の酒造用具類や資料を収集し、昔の酒造りの工程を中心に展示しています。

  •  篠山市役所前にある、デカンショ祭りの踊り子のモニュメント。毎年8月に行われるデカンショ祭りは全国的に知られている。

     篠山市役所前にある、デカンショ祭りの踊り子のモニュメント。毎年8月に行われるデカンショ祭りは全国的に知られている。

  •  歴史美術館、明治24年(1891年)に篠山地方裁判所として建てられ、昭和56年(1981年)まで使用されてきたわが国で最も古い木造の裁判所の建物を、重要建造物として永久保存するため、美術館にふさわしく内部を改築したものです。館内には古くから城下に伝わる美術品をはじめ、江戸時代末期に篠山藩窯として開窯した王地山焼の名品の数々、さらに古代からの埋蔵文化財を一堂に集め展示しています。

     歴史美術館、明治24年(1891年)に篠山地方裁判所として建てられ、昭和56年(1981年)まで使用されてきたわが国で最も古い木造の裁判所の建物を、重要建造物として永久保存するため、美術館にふさわしく内部を改築したものです。館内には古くから城下に伝わる美術品をはじめ、江戸時代末期に篠山藩窯として開窯した王地山焼の名品の数々、さらに古代からの埋蔵文化財を一堂に集め展示しています。

  •  篠山春日神社本殿、貞観18年(876年)奈良の春日神社の分霊を今の篠山城跡へ勧請したもので、篠山城が築城されるに際し、この地へ移されたものです。

     篠山春日神社本殿、貞観18年(876年)奈良の春日神社の分霊を今の篠山城跡へ勧請したもので、篠山城が築城されるに際し、この地へ移されたものです。

  •  春日神社能楽堂、文久元年(1861年)藩主によって寄進された能楽殿であり、当時箱根より西では最も立派なものといわれた舞台です。現在も、1月1日午前零時には「翁」、春には「篠山春日能」が奉納され、古雅な芸術文化を今に伝えています。残念ながら内部は公開されてなく見れない。

     春日神社能楽堂、文久元年(1861年)藩主によって寄進された能楽殿であり、当時箱根より西では最も立派なものといわれた舞台です。現在も、1月1日午前零時には「翁」、春には「篠山春日能」が奉納され、古雅な芸術文化を今に伝えています。残念ながら内部は公開されてなく見れない。

  •  春日神社絵馬殿、22面の絵馬が展示され、中でも「黒神馬」「大森彦七南朝の雄魂に悩まされる図」は名作といわれています。

     春日神社絵馬殿、22面の絵馬が展示され、中でも「黒神馬」「大森彦七南朝の雄魂に悩まされる図」は名作といわれています。

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