1989/09/21 - 1989/09/22
122位(同エリア587件中)
がおちんさん
雲南を旅するバックパッカーの間で有名だった、ドクター・ホーこと和士秀先生。
その独特の風貌と人柄だけでなく、脈診などを用いた診断と薬草を調合した治療法は、特に西洋人旅行者から絶大な人気を誇っていました。また、治療代金はいくらでもいい(As you like)というのも有名でした。
私も不思議な香りのするハーブ茶を求め、麗江から自転車で白沙に向かいました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
1989年9月21日(木)
今日は朝からスカッと晴れた。
麗江No2ホテルの上に、玉龍雪山がくっきり見える。
さあ、白沙に向けて出発だ。 -
お花畑の続く道を自転車で行く。
一本道が彼方まで続いて幻想的な眺めだ。
白沙村までは途中からダートになるのでケツが痛い。 -
高地ゆえ、太陽の照りつけがキツイ。
ジリジリしながら白沙に到着する。
のんびりした静かな村だ。 -
おっと、馬がこっちにやって来た。
カポカポ歩く音が心地良い。 -
なんかタイプスリップしたような古い村だ。
歩いている人も少ないし、本当にこの村に名医がいるのかなあ? -
納西族のおばあさんにドクターの場所を聞くも、言葉が通じず。
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なにやら作業をしている人がいたので、行ってみる。
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豆を運ぶおばあさん。
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どうやら豆を洗って干しているようだ。
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豆を洗う、納西族の若い女性。
ヤッコ凧みたいな背当ては、いつもつけているんだな。 -
そして本草診所へ到着。
名医、ドクター・ホーは確かにいた。 -
すぐに茶を出してくれた。
大理で生豚を食って以来、下痢が続いているので診てもらうことにする。
脈診をして、舌を診て、調合する薬草をノートに書いていく。
そして流暢な英語で、「これは去年、イタリアの雑誌に私の特集が載ったのだよ」と嬉しそうにドクターは言った。
本草診所は、開業して5年経つそうだ。 -
ビンの中から目分量でハーブを調合していく。
にこやかな顔のドクターも、この時は専門家の表情になっていた。
大紅参・土三七・仙鶴草・薄荷・青木香・木香・甘草の下痢用と、丹参・過山龍・石菖蒲・馬尾連・寄生・甘草からなる疲労回復用のハーブ茶を処方していただいた。 -
臍の両側に吸い玉をつける。ビンの内側にアルコールを塗り、火をつけて腹にカポッと吸わせるのだ。
思えば、この時が初めて中国医学を体験した日となった。 -
私:ありがとうございました。治療代はいくらですか?
ドクター:(満面の笑顔で)As you like!
当時、このスタイルが賛否両論を呼んでいた。結果的に対価以上の金額を多くの外国人が払ったため、妬む人も多かっただろう。
ドクターの事を「商売上手の医者」と悪く言う旅行者もいたが、金の無い患者からすれば神様のような存在だ。中国にはそういう貧しい農民もいるのである。
明治漢方の名医である浅田宗伯も、貧しい患者からは金を取らないばかりか、「これで精がつくものでも食え」と金を渡していたそうである。本来、医者とはそういう職業であった。日本では保険制度が出来てからそのような医者は皆無となった。現在、誰がドクター・ホーのような生き方ができるであろうか。
ましてや、損得勘定のみの堕落した共産国家で、このような医師が存在するのは奇跡のようだ。まあ、そうした人物を輩出するのが中国の奥深いところでもあるが。
21年経った2010年現在、ドクターは健在だという。医療を志す者の憧れの存在だ。 -
なぜ、古典医学(東洋医学)が効くのか?
そのヒントをドクターから教えてもらった気がする。
彼に会えば、下がっていた免疫力もきっと上昇するだろう。それが科学的に証明できないとしても、健康になれるのは間違いない。病に苦しんでいる者にしたら、それで充分だ。
中国に来て2ヶ月。上海であれだけ嫌だった中国人から今度は感銘を受けているなんて、実に奥深い国だ。 -
気分も明るくなった。
壁画を見学したあと、村を去る。
さっき豆を洗っていた時にいた子供が、「バイバイ」。 -
民族の違いもあるかもしれないが、田舎の人はゆったりしている。
ギャーギャー騒ぐ都市部の中国人とはまるで違うのだ。 -
手をつなぎ、歌を歌いながら歩く娘たち。童謡に出てくるような光景が、雲南にはまだ残っていた。
なんだか夢を見ているような気分だ。
もう、シルクロードに抜ける気持ちは薄らいでしまった。 -
再び麗江へ戻る。
道を歩くおじいいさんがカッコイイ。
納西族は男女共に大柄な人が多く、堂々として見える。 -
四方街(オールドタウン)に向かう道。
このお姉さんは何族だろう?
雲南ではいろんな民族を見かけるなあ。 -
納西族おばさんが売るのは、涼粉とこんにゃくをミックスしたような味の小吃。鉄板で焼いて、「甘いの?辛いの?」と聞かれる。
腹のことも考え、ここは甘いやつをお願いした。 -
夜、納西族の民族音楽コンサートに行く。
当時、麗江には外国人を見つけると声をかけてくる納西族の民族学者がいて、彼からコンサートのチケットや少数民族の音楽テープ(生録)を売りつけられるとバックパッカーの間で有名になっていた。
しかし、今となっては貴重な思い出だ。ありがとう、学者さん。 -
古い廟の中で演奏される納西族の音楽。
その静かな佇まいから、漢族とは異なる民族性が伺える。
それにしても、歴史の古い民族は文化レベルが高いな。
納西族、恐るべし。 -
納西族の娘衆も合唱で参加。
胸の帯ヒモを見ると、どうも赤子をおんぶしているように見えてしまう。 -
1989年9月22日(金)
大理へ戻る朝。
雨の中、カラフルな民族衣装を着た涼山彝族が傘も差さずに歩いていた。
他の少数民族と違い、目つきや身のこなしから野性的な魅力を感じる。 -
おそらく興味の対象も、人生に対する考え方も我々とは全く異なるんだろうな。
同じ時代に生きる者として、もっと少数民族と交流がしてみたい。
うーん、雲南に腰をすえようかなあ。 -
野菜売りの納西族おばさん。
我々からすれば「無くてもいいのに」と思うヤッコ凧みたいな背あて。
でも、納西族にしたら「無くちゃならない」、大切なアイテムなのだろう。
雲南は面白い。
雲南の旅 1989 (18) 昆明〜春城で見た40周年国慶節 に続く
http://4travel.jp/travelogue/10505708
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この旅行記へのコメント (4)
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- おぎゃんさん 2012/10/03 14:23:51
- うわさのドクター・ホー。
- こんにちわ。
この方がずっと噂になっていた(特に西洋医不振の欧米人には有名でした。私は成都の同室アメリカ人から名前をはじめて聞きました)ドクター・ホー翁ですか…。伺いたかった、いや今でもご健在だからうかがえるチャンスはあるんですね。
名前だけ聞いてたうちは、カンフー映画の人?と勘違いしていたぐらいなんですが。
- がおちんさん からの返信 2012/10/03 20:59:29
- RE: うわさのドクター・ホー。
- おぎゃんさん
今でもドクター・ホーは健在だと思いますよ。
昨年、21年ぶりに会いに行ったのですが、ピンピンしていました。
相変わらずセールストーク爆発でクセの強い人物でしたが、お茶は昔と変わらぬ味と匂いでした。
その時の旅行記です
http://4travel.jp/traveler/gaochin/album/10593529/
がおちん
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- captainfutureさん 2010/09/30 22:09:05
- こんにちは
- いい光景ばかりですね〜〜。
私も夢を見ているような感じになってきます。
今や一枚一枚が本当に貴重な写真になっているのでしょうね。
>21年経った2010年現在、ドクターは健在だという。
おお。雲南に行ったら是非私もお会いしてみたいです。
- がおちんさん からの返信 2010/10/01 07:42:08
- RE: こんにちは
- captainfutureさん
こんにちは。コメントをありがとうございます。
古い写真と旅行記ですが、captainfutureさんのような視点を持つ方に見ていただければ幸いです。
静かでのどかだった麗江は巨大テーマパークみたいになってしまい、かつての情緒が消え去ってしまったのは残念です。中国における間違った観光化の象徴ですね。そういう意味では貴重な写真かもしれません。
ドクター・ホーは今や「神医」と呼ばれるほど有名人だそうです。
これも時代ですね。
がおちん
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