1989/09/28 - 1989/10/01
115位(同エリア508件中)
がおちんさん
麗江から昆明に帰ってきました。
途中、居心地のいい大理に1週間ほど沈みましたが、何とか脱出。
ちょうど昆明では建国40周年の国慶節を迎え、街を歩く少数民族の華やかな姿に目を奪われました。
初めて見る少数民族の姿も多く、雲南にますます魅了されました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1989年9月28日(木)
麗江から昆明に戻る途中、大理に寄ったのが失敗。
あまりに居心地が良いので、あっという間に1週間が過ぎてしまった。
さわやかな気候に風光明媚な立地。おいしい大理ビールにピザ、バナナミルクシェークにコーヒー。親子丼にカツ丼。日本語の小説や雑誌。大理石の銭湯にマッサージ。旅に疲れた者を離さない魔力が大理にはあった。
「没有!」の嵐を乗り越え、やっとこの街にたどり着いた旅人なら、動けなくなって当然というもの。それほど中国はひどい国だった。 -
とはいえ、いつまでもダラダラしていられない。
最後はステーキを食べて、大理を去ることにする。 -
その仕草が欧米人から大人気だったハッピー・レストランのフニャ子さん。
美味しい親子丼にみそラーメン、ご馳走様でした。 -
「うちのカツ丼は美味いだろう」と自信たっぷりに語った、太白楼の楊さん。
これが不思議と本当に美味かった。競争相手が多いほど品質も向上するという事実。
当時の大理は、メイヨメイヨの共産中国の中でピカッと輝いていた。 -
大理にいるとハードな旅が嫌になる。
そこで、昆明へは乗り心地の良いハンガリー製高級バスの「イカルス」に乗って行くことにした。夜行で10時間で着くという。25元とかなり高額な料金だ。
ところがしょーもないポンコツにあたり、夜中に何度も故障して停車。昆明まで12時間以上かかってしまった。
これなら楊州号の寝台で行けば良かった。 -
1989年9月29日(金)
寝不足気味で昆明に到着。
とりあえず茶花賓館のドミに荷物を置き、バーバを食べて街を歩く。 -
あっ、街中をリス族が歩いているぞ。
昆明の市民に混ざると目立つなー。 -
こっちは思茅のハニ族だ。
集団で歩くと迫力がある。 -
急いで追い抜かして前から撮った。
姉さん、余裕の大あくび。 -
今度はラフ族が。
一体どーなっているんだ。 -
こちらは涼山彝族の男性。
黒マント姿で昆明を行く。 -
この日、東風東路を歩けば少数民族に当たった。
少数民族ファンになった私としては、ただ「嬉しい」の一言。 -
とりあえず、米線でも食べて高まった気分を落ち着かせよう。
これだけ街中に少数民族を見かけるということは、国慶節があるからだろうか。それとも他の催しがあるのかな?
それにしても、回族食堂の米線は牛臭いのだ。(5角) -
再び少数民族ウォッチングを続ける。
写真集でも見たことの無い民族服も見かけた。 -
こちらは、おなじみの納西族。
-
颯爽と歩く美男子は寧浪(+草冠)の普米族だ。
-
茶花賓館のフロント嬢に尋ねてみると、10月2日に「雲南省少数民族運動会」が行われるそうで、全省から少数民族の代表が集って来ているということだ。
それで納得が行った。このような街の看板も運動会のためだったんだな。
今晩リハーサルをやるそうだ。一緒に見に行こうと誘ってくれた。 -
夜の7時過ぎ、茶花のフロント嬢2人と一緒に体育館へ行ってみた。
大勢の少数民族が集まって予行練習をしている。
日本より大きな雲南省各地から少数民族が集まっていると思うと、凄い光景を見ているのだなと感動する。 -
次々と入場してくる少数民族たち。
こりゃ、3日後の本番が楽しみだぞ。 -
よく目を凝らして観察すると、私が西双版納で村めぐりをしたようなリアルな少数民族ではなく、現地の歌舞団の人達のようだ。
それは当然だろうが、中にはどう見ても怪しい少数民族もいた。要するに漢族らが変装しているような人も混ざっているのである。 -
前列のワ族は偽者である。民族服も安っぽいし、ワ族はこんな配色はしない。何のことはない、実は雲南民族学院の学生だった。
翌年、そこに留学して判明したのだが、彼らもまた彝族や壮族などの少数民族であった。
悲しいけれど、これが中国のやり方なんだろうな。 -
本物と偽者が混ざっているからややこしいのだが、所詮、中国は漢族が全ての中心であり、見た目がよければ本物より偽者を選ぶのである。
それはそのまま19年後の北京オリンピックでも全く同じだった。なぜ口パクや嘘の花火を全世界に配信するのか。答えは「だってそのほうが好看だろ?」である。
とどのつまり、本末転倒になることを中国人はわからない。
まあ、そういう国だから仕方がないが。 -
まあ、何はともあれ、雲南全土の少数民族を同時に見れたのはうれしい。
こんな機会、めったに無いことだ。 -
1989年9月30日(土)
「エーイ、チェンジイカガデスカ、ダカンケンハ、ヒャクゴジューナナ、ホントウデス」とサニ族のお姉さん。ウイグル族と違い、彼らは決して騙したりしない。(ウイグルマジックに注意しろとも教えてくれた)
彼女によると動物園か翠湖公園で少数民族の踊りがあるとのこと。あわててタクシーに乗って行ってみるが、何も無し。
何だよ、やってないじゃんか。 -
気を取り直して散歩する。
翠湖の前で見世物をする男性がいた。チャルメラを吹きながら、足にかけた紐を操作して太鼓と金物を鳴らす。
大陸的パフォーマンスをしばし見物した。 -
こっちは射的。
的は風船だが、いくら命中させても何ももらえない。
やるだけ損する、社会主義的ゲーム。 -
翠湖南路では国慶節を祝い、屋台が出ていた。
昆明にいながらにして石屏豆腐などが食べれるという趣向である。
以後、年に2回ほど、この場所で食品街が開かれていた。 -
1989年10月1日(日)
今日は中国40周年の国慶節。
いつもと変わらぬ、ガラーンとした東風東路。
写真は5路のバスが東駅に向かうの図。 -
爽やかな昆明は散歩するのが楽しい。
今日は青年路の並木道を歩いて圓通寺へと歩く。 -
圓通寺は緑が多く貫禄のある寺だが、参拝者はごく僅かでヒッソリとしている。
翌年に留学してからは、散歩コースや抜け道として使うことになる。 -
昆明のジューススタンドは、氷の上に乗ったビンをクルクル回して冷やす。
ゲッとなるほどまずいジュースもあるが、写真中央のオリンパス(8角)はコーラのようなグレープのような味の美味しい炭酸系ジュースだった。
ペプシやコークが侵入する以前の、昆明市民に愛されたソフトドリンクだ。 -
夜、昆明の暗い街にネオンが灯った。
街灯のオレンジ色と赤いネオンが怪しい雰囲気を醸しだしている。
でも、実は至って健全だ。
国慶節でにぎわう昆明の夜を歩いてみた。 -
昆明市人民政府の門はネオンで飾られ、多くの市民が集っていた。
正面のネオンには1949−1989と示されている。 -
街路樹までデコレーションされ、クリスマスツリーのようになっている。
-
ネオンを見に来た市民を相手に商売する写真屋まで現れた。
これが結構な人気。
ポーズの指示まで写真屋がしてくれるのだ。 -
電飾された郵電大楼。
本当の見た目はもっともっと暗い。 -
広場にあるアイス屋は大人気。
パンダアイスを求める人民で混雑していた。 -
広場から北京路方面へ。
涼しい夜を散歩する昆明市民が多い。
このときの音声をテープに録音してあったのだが、後に紛失してしまった。
とても残念。 -
こちらはリンゴ飴を売る女性。
夜でも商魂たくましい。
公安が来たら慌てて逃げるのだが、夜なら大丈夫。 -
ストロボをたかないと写らないほど、昆明の夜は暗い。
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人民大団結万歳!と光るモニュメントの前にも人だかりが出来ていた。
その奥は、エリザベス女王も泊まった迎賓館がある。 -
モニュメントの前で写真を撮る、昆明市民。
-
オレンジ色に染まった昆明の夜。
広々とした東風東路には、次々に人民が集ってくる。
人々のお喋りと自転車のベルが鳴る中で、静かに国慶節の夜は更けていった。
雲南の旅 1989 (19) 昆明〜ツボにはまった少数民族運動会 に続く
http://4travel.jp/travelogue/10507042
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