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日本百名城の46番、長篠城址の紹介です。桜が満開でした。武田軍対織田・徳川連合軍が激しい戦いを繰り広げた歴史の場所です。

2010春、桜満開の長篠城祉(1/5):長篠城駅、史跡保存館、長篠城址碑、ソメイヨシノ

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2010/04/03 - 2010/04/03

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旅行記グループ 2010春、桜満開の長篠城

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旅人のくまさん

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日本百名城の46番、長篠城址の紹介です。桜が満開でした。武田軍対織田・徳川連合軍が激しい戦いを繰り広げた歴史の場所です。

同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄

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  • 家からは地下鉄で金山駅に向かい、金山駅から飯田線の始発駅、豊橋駅に向かいました。飯田線は、20分に1本ほどのローカル線です。13時03分発の本長篠行に乗車できそうです。

    家からは地下鉄で金山駅に向かい、金山駅から飯田線の始発駅、豊橋駅に向かいました。飯田線は、20分に1本ほどのローカル線です。13時03分発の本長篠行に乗車できそうです。

  • 『本長篠(ほんながしの)』行きの電車です。目的地の長篠城駅は、その手前ですから、この電車に乗りました。

    『本長篠(ほんながしの)』行きの電車です。目的地の長篠城駅は、その手前ですから、この電車に乗りました。

  • 長篠城址の最寄駅、長篠城駅に到着しました。ここからは、歩いて長篠城址に向かいます。10分弱の距離です。現在の行政区は、新城市長篠に属しています。

    長篠城址の最寄駅、長篠城駅に到着しました。ここからは、歩いて長篠城址に向かいます。10分弱の距離です。現在の行政区は、新城市長篠に属しています。

  • 長篠駅や長篠城址が記された案内図です。最初に向かったのは、本丸跡です。北方面を除いて宇連川と豊川に守られ、北側の守りに土塁が設けられた地形が読み取れました。長篠駅の近くが搦手門跡です。

    長篠駅や長篠城址が記された案内図です。最初に向かったのは、本丸跡です。北方面を除いて宇連川と豊川に守られ、北側の守りに土塁が設けられた地形が読み取れました。長篠駅の近くが搦手門跡です。

  • 作業用のシートの手前に設置してあった、『長篠城址』方面の案内標識です。長篠駅からは、西方面になります。

    作業用のシートの手前に設置してあった、『長篠城址』方面の案内標識です。長篠駅からは、西方面になります。

  • ピンクの花が咲いていた、ハナモモ(花桃)です。半ば閉じた扇のような剪定がされていました。バラ科サクラ属の耐寒性落葉低木です。花桃の樹形には、枝垂れ性、ほうき立ち性、矮性があるようですから、剪定された樹形ではなく、ほうき立ち性の自然の樹形だったかも知れません。

    ピンクの花が咲いていた、ハナモモ(花桃)です。半ば閉じた扇のような剪定がされていました。バラ科サクラ属の耐寒性落葉低木です。花桃の樹形には、枝垂れ性、ほうき立ち性、矮性があるようですから、剪定された樹形ではなく、ほうき立ち性の自然の樹形だったかも知れません。

  • ハナモモ(花桃)のピンクの花のアップ光景です。中国が原産ですが、日本でも江戸時代頃からたくさんの品種が造り出されました。花を観賞するのが目的の桃です。

    ハナモモ(花桃)のピンクの花のアップ光景です。中国が原産ですが、日本でも江戸時代頃からたくさんの品種が造り出されました。花を観賞するのが目的の桃です。

  • 真っ赤な花を咲かせたこの木もハナモノ(花桃)のようでした。花桃の色には、赤、桃色、白、紅白咲き分け等があるようです。

    イチオシ

    真っ赤な花を咲かせたこの木もハナモノ(花桃)のようでした。花桃の色には、赤、桃色、白、紅白咲き分け等があるようです。

  • 真っ赤な花を咲かせたハナモモ(花桃)のズームアップ光景です。

    真っ赤な花を咲かせたハナモモ(花桃)のズームアップ光景です。

  • 花桃のピンク色とは違ったピンク色の花です。ミツバツツジ(三葉躑躅の花のようでした。ツツジ科ツツジ属の落葉低木です。

    花桃のピンク色とは違ったピンク色の花です。ミツバツツジ(三葉躑躅の花のようでした。ツツジ科ツツジ属の落葉低木です。

  • 白いチューリップの花です。花が好きなお宅なのか、たくさんのチューリップやスイセンなどが栽培されていました。

    白いチューリップの花です。花が好きなお宅なのか、たくさんのチューリップやスイセンなどが栽培されていました。

  • こちらは上から眺めた、赤いチューリップの花です。チューリップの和名は、鬱金香(うこんこう、うっこんこう)ですが、あまり使われることはないようです。

    こちらは上から眺めた、赤いチューリップの花です。チューリップの和名は、鬱金香(うこんこう、うっこんこう)ですが、あまり使われることはないようです。

  • 赤と白の他に黄色やピンクのチューリップの花も咲いていた花壇の光景です。チューリップを国花としている国は、イラン、アフガニスタン、オランダ、トルコやハンガリーなど、数多くあります。

    赤と白の他に黄色やピンクのチューリップの花も咲いていた花壇の光景です。チューリップを国花としている国は、イラン、アフガニスタン、オランダ、トルコやハンガリーなど、数多くあります。

  • チューリップのお花畑の先には、スイセン(水仙)の花が一叢になって咲いていました。薄い黄色の花です。

    チューリップのお花畑の先には、スイセン(水仙)の花が一叢になって咲いていました。薄い黄色の花です。

  • 一叢になって咲いていた、薄い黄色の花のスイセン(水仙)のアップ光景です。ヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)の多年草です。クロンキスト体系は、1980年代にアーサー・クロンキストが提唱した、被子植物の分類体系です。1990年代にAPG体系が登場し、旧分類体系となりました。

    一叢になって咲いていた、薄い黄色の花のスイセン(水仙)のアップ光景です。ヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)の多年草です。クロンキスト体系は、1980年代にアーサー・クロンキストが提唱した、被子植物の分類体系です。1990年代にAPG体系が登場し、旧分類体系となりました。

  • こちらは濃い黄色の花のスイセン(水仙)です。APG体系は、1998年に公表された、被子植物の新しい分類体系です。最新版は2009年に公表されたAPG IIIです。旧い分類法の新エングラー体系やクロンキスト体系がマクロ形態的な演繹法による分類であったのに対し、APG体系は、ミクロなゲノム解析から実証的に分類された体系です。

    こちらは濃い黄色の花のスイセン(水仙)です。APG体系は、1998年に公表された、被子植物の新しい分類体系です。最新版は2009年に公表されたAPG IIIです。旧い分類法の新エングラー体系やクロンキスト体系がマクロ形態的な演繹法による分類であったのに対し、APG体系は、ミクロなゲノム解析から実証的に分類された体系です。

  • 石垣の上で咲いていた濃いピンク色の花です。シバザクラ(芝桜)のようです。ハナシノブ科フロックス属の多年草です。ハナツメクサ(花詰草、花爪草)の別名を持ちます。

    石垣の上で咲いていた濃いピンク色の花です。シバザクラ(芝桜)のようです。ハナシノブ科フロックス属の多年草です。ハナツメクサ(花詰草、花爪草)の別名を持ちます。

  • 可憐な姿の花を咲かせたスズラン(鈴蘭)です。スズラン亜科スズラン属に属する多年草です。君影草(きみかげそう)や、谷間の姫百合(たにまのひめゆり)等の別名を持ちます。強い芳香があります。

    可憐な姿の花を咲かせたスズラン(鈴蘭)です。スズラン亜科スズラン属に属する多年草です。君影草(きみかげそう)や、谷間の姫百合(たにまのひめゆり)等の別名を持ちます。強い芳香があります。

  • 沢山の実が生っていたミカン(蜜柑)の樹です。通常、食用に供されるウンシュウミカン(温州蜜柑)とは別種のようです。

    沢山の実が生っていたミカン(蜜柑)の樹です。通常、食用に供されるウンシュウミカン(温州蜜柑)とは別種のようです。

  • ウンシュウミカン(温州蜜柑)とは別種のような蜜柑のアップ光景です。ナツミカンか、あるいはダイダイかも知れません。ウンシュウミカン(温州蜜柑)よりは大型です。

    ウンシュウミカン(温州蜜柑)とは別種のような蜜柑のアップ光景です。ナツミカンか、あるいはダイダイかも知れません。ウンシュウミカン(温州蜜柑)よりは大型です。

  • 長篠城址の本丸跡近くまでやって来ました。その近くのソメイヨシノ(染井吉野)の満開の光景です。

    長篠城址の本丸跡近くまでやって来ました。その近くのソメイヨシノ(染井吉野)の満開の光景です。

  • 長篠城址の本丸跡近くのソメイヨシノ(染井吉野)と、その先に見えた、『長篠城址史跡保存館』の建物光景です。建物は、縄張り図を参照しますと、二の丸の帯郭(おびぐるわ)に位置します。

    イチオシ

    長篠城址の本丸跡近くのソメイヨシノ(染井吉野)と、その先に見えた、『長篠城址史跡保存館』の建物光景です。建物は、縄張り図を参照しますと、二の丸の帯郭(おびぐるわ)に位置します。

  • 『長篠城址史跡保存館』の建物光景です。後ほど入場して見学しました。新城市立の展示館です。

    『長篠城址史跡保存館』の建物光景です。後ほど入場して見学しました。新城市立の展示館です。

  • 『長篠の戦い・史跡めぐりコース』の案内看板です。長篠城址から出発して、武田勝頼本陣までを周遊するコースが推奨されていました。高低差がありますから、1時間以上はかかりそうな距離です。見学時間を入れて2〜3時間コースといったところでしょうか。

    『長篠の戦い・史跡めぐりコース』の案内看板です。長篠城址から出発して、武田勝頼本陣までを周遊するコースが推奨されていました。高低差がありますから、1時間以上はかかりそうな距離です。見学時間を入れて2〜3時間コースといったところでしょうか。

  • 長篠城址の本丸跡で咲いていたソメイヨシノ(染井吉野)の光景です。小高くなっている部分は、本丸の北側を守る土塁址です。

    長篠城址の本丸跡で咲いていたソメイヨシノ(染井吉野)の光景です。小高くなっている部分は、本丸の北側を守る土塁址です。

  • 『歴代長篠城主』のタイトルがあった立看板です。初代城主は1508年の今川氏時代の武将の菅沼元成です。天正4年(1576年)に廃城となりました。

    『歴代長篠城主』のタイトルがあった立看板です。初代城主は1508年の今川氏時代の武将の菅沼元成です。天正4年(1576年)に廃城となりました。

  • 『長篠城縄張概図』のタイトルがあった説明看板です。この地図では北が下側になります。守りが弱い北側には、二重、三重に堀と土塁が築かれ、木柵も築かれていました。その木柵が大手門と搦手門に繋がっていました。

    『長篠城縄張概図』のタイトルがあった説明看板です。この地図では北が下側になります。守りが弱い北側には、二重、三重に堀と土塁が築かれ、木柵も築かれていました。その木柵が大手門と搦手門に繋がっていました。

  • 『史跡・長篠城址』の文字が刻まれた石碑です。側面に『史跡名勝天然物記念法ニ依リ・昭和4年12月・文部大臣指定』の文字がありました。1929年のことになります。

    イチオシ

    『史跡・長篠城址』の文字が刻まれた石碑です。側面に『史跡名勝天然物記念法ニ依リ・昭和4年12月・文部大臣指定』の文字がありました。1929年のことになります。

  • 『林・高英・頌徳碑』の立看板が横にあった、石碑の光景です。林高英(はやし・たかひで)は、江戸の中頃に長篠に生まれ、代官となった人です。日置流雪荷派師範としての名が高く、門弟およそ七百人といわれ、その教えは現代に続きます。

    『林・高英・頌徳碑』の立看板が横にあった、石碑の光景です。林高英(はやし・たかひで)は、江戸の中頃に長篠に生まれ、代官となった人です。日置流雪荷派師範としての名が高く、門弟およそ七百人といわれ、その教えは現代に続きます。

  • 『本丸土塁』の標識があった階段の光景です。こちら側が土塁で護られる内側になります。

    『本丸土塁』の標識があった階段の光景です。こちら側が土塁で護られる内側になります。

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